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2019-04-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・…とかなんとか言っちゃってても、
 わからないのはじぶんの気持ちっていうやつだ。
 じぶんの気持ちなんだから、
 じぶんがいちばんよく知っている。
 たいていの人は、そういうふうに思っている。
 おそらく、ぼくも、ほとんどの場面で、
 その考えでいるはずだ。
 しかし、ふっと、じぶんのやっていることのなかに、
 「こいつ(おれ)なにを思っているんだ?」
 と感じることがある。

 そのうちのひとつが、ぼくの、クルマについての態度だ。
 いつごろからか、ぼくはいつでもクルマを探している。
 どのクルマを好きになってやろうかと、
 ちょっと気になるニュースがあると、追ってみたりする。
 もちろん、クルマについて詳しいわけではない。
 人よりたくさんのクルマに乗ってきたとも言えない。
 気に入ったクルマに乗っている時代もあった。
 あんまり気に入らないけれど、なにか合理的な理由で
 クルマを選んでそれに乗っている時代もある。
 ここのところは、ずっとその後者の選び方で、
 おもしろくないと思いながら乗っている。
 「おもしろくないけど、これでいいか」と、
 ペンチやカナヅチを選ぶみたいにクルマを選んで、
 それを運転していることが続いている。
 そういう半端な乗り方になって、いまが3台目だ。
 いま乗っているクルマは、多少はデザインが好きだった。
 しかし、好きになるまでは行ってない。
 ディーラーとの相性なんかもあるのかもしれない。

 運転も好きではないし、クルマについて詳しくもない。
 それなのに、どうして、こんなにしょっちゅう、
 どれかのクルマを愛したいと思っているのだろうか。
 これだと感じたら、すぐにでも乗り換えたいし、
 昼も夜も、いろんなクルマをながめているのは事実だ。
 ある年代まで、「これに乗りたい」と思って、
 そのクルマにうれしく乗っていたのになぁ。

 …つまりその、「じぶんの気持ち」がわからないとは、
 たとえば、こんなふうなことなのです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「愛したい・愛せるもの」を、人は探しているのだろうね。


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