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改元の舞台裏/1(その1) 「令和」 原点は「黒衣」官僚
2019年04月03日
尼子昭彦氏=「情報の科学と技術」2005年55巻3号より
◇「差し迫ったことではありませんが」30年間、学者に依頼
2003年ごろのある日、東京都内の閑静な住宅地にある秋山虔(けん)・東京大名誉教授(日本文学)の自宅を2人の政府職員が訪れた。1人は元号選定業務の責任者・伏屋和彦内閣官房副長官補(75)。もう1人は尼子昭彦・国立公文書館公文書研究官(昨年5月に死去)。1952年生まれの尼子氏は、副長官補室付の内閣事務官も兼務する元号専門の研究官だった。
秋山氏は源氏物語研究の第一人者で、01年に文化功労者に選ばれた。1階の6畳和室で机を挟んで向き合った3人。伏屋氏らは「差し迫ったことではありませんけれども」と前置きしつつ、平成に代わる新元号の考案を依頼した。
02年12月には天皇陛下に前立腺がんが見つかっていた。翌年末に70歳を迎えられる年齢だったが手術後も大事に至らず、新元号の考案は確かに「差し迫った」話ではなかった。退位の選択肢がない時代に「代替わり」が前提の仕事の依頼は極めてやりにくい。「差し迫ってはいない」との前置きは必須だった。
その後は主に尼子氏が何度か秋山氏宅を訪れて意見交換。後日、秋山氏が日本の古典に記された漢文を典拠にした数個の元号案を尼子氏に渡した。
ただ秋山氏は15年11月に91歳で死去。生前の12年2月、毎日新聞に経緯を明かしていた。
尼子氏は「学者と内閣を取り持つパイプ役」(公文書館関係者)として複数の学者を訪れては考案依頼を繰り返し、案の回収を続けた。新元号「令和」を考案した中西進・大阪女子大名誉教授(89)=日本文学=のもとも訪れていた。
首相官邸の事務方トップは官房副長官。3人の副長官補はそれに次ぐ幹部だ。元号担当の副長官補は代々、財務省出身者が務め、2~4年程度で交代する。これに対し尼子氏は88年に国立公文書館に採用されてから30年間、一貫して元号に取り組んできた。
元号は「保秘」(秘密保護)徹底のため、ごく少人数しか関わらない一方、歴代の副長官補は漢籍の専門家ではない。実務は尼子氏に委ねられた。副長官補経験者は「自分で漢籍は勉強しない」「元号のマネジメント(管理)をするだけだった」と話す。別の経験者は「学者への連絡は全て尼子氏に頼っていた」と振り返る。しばしば公文書館を空ける尼子氏は、同僚にとって「何をしているか分からない人」だった。
◇
「平成」に代わる新元号は「令和」に決まった。30年前の平成改元から令和改元までに、舞台裏で何が起きていたかを追った。
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