けものフレンズ2に、たつき監督と一期に対する悪意は込められていない

巷のけものフレンズ2に関する一部の言説に関して、主張をまとめたものです。

 

けものフレンズ2に、たつき監督とアニメけものフレンズ一期に対する悪意は込められていない

 その根拠は、悪意を込めても得がほとんど無く、損が多いから、ですなぜそう言えるか、以下に詳しく述べます。

 

 木村監督や吉崎観音先生など、けものフレンズ2の内容に責任を持つ立場の作り手たちにとって、けものフレンズ2に悪意を込めて、アニメ一期のキャラクターなどを毀損し、たつき監督のファンや一期のファンに悪評価されることになど、損ばかりです。

 作り手たちにとって、けものフレンズというコンテンツの一部である、アニメけものフレンズ2は、自分たちが苦労して、企画したり多くの関係者と交渉・調整したり、世界観・キャラクターなどをデザインしたり脚本を書いたりし、結果、努力が報われて成功することができた一期の、続編であります。一期の監督が降板して、反発を受けているとしても、一期のファンに一定の好評価をされる、そういった続編を作れば、けものフレンズ2そのものと、それ以降のアニメ、さらにゲームなど別メディアの成功にも繋がって、利益を生むはずです。

 よって、けものフレンズ2は作り手たちにとって大事なものです。また、けものフレンズ2に対する評価が、それを担当した自分の今後のキャリアにも関わってくる、そんな意味でも大事なのです。

 そんなけものフレンズ2に悪意を込めて、ファンからの評価を最悪にして現在のような炎上を招き、大損をして、得があるとすれば、たつき監督へ意趣返しができる、くらいです。仮にたつき監督に対して悪意があるとしたらの話です。その程度の得のために、これ程の損をしようとするでしょうか。

 他人の心理は証明などできませんが、もし自分が彼らの立場だったらと想像すると、悪意を込める価値は無いと思います。

 

以上が根拠です。

悪意を前提とした批判も成り立たない

 悪意が込められていないにも関わらず、込められていると決めつけて、数々の描写を悪意によるものと解釈するのは間違っています。

 例えば、
「2のキャラクター同士は一期と比べてギスギスしたり、性格が歪められている、一期を否定している」
です。
 これは悪意ではなくて、作り手の能力か、制作時間の制約、もしくは両方が原因です。
 たつき監督のけものフレンズにおけるキャラクターたちから、嫌な印象を受けない理由は、行動、セリフ、声色などから受けるキャラクターへの印象を感じ取るためのセンサーが、たつき監督の場合ものすごく優秀であるためです。「ケムリクサ」や「へんたつ」など、たつき監督が作った他のアニメを見てもらえれば、分かるでしょう。
 2で一期と同じ優しい世界を描こうとしても、2の作り手たちが、たつき監督にはセンサーの感度が及ばない、もしくは与えられた時間内(調べると、かなり余裕がなかったらしい) で、一期ほどに脚本や声優たちの演技を改善できなかった結果が、一期に比べてギスギスしたり、キャラがブレているという状態なのです。
 そしてその完成品が、作り手の悪意的な目的を決めてかかる視聴者に「一期の否定」と受け取られている現状なのです。
加えて、
  • 口癖「なにこれなにこれ」など頻繁に簡単に言い過ぎて白々しい
かばんちゃんが
  • 腕に巻くラッキービーストを、引き出しに仕舞い込んだ
  • ラッキービーストを「これ」呼ばわりした
  • フレンズ達を置いて、キュルルだけを連れて海上ホテルから逃げた
キュルルが、(モノレールを乗り捨てるときに、担当のラッキービーストにちゃんとお礼できるような本来はいい子であるのに)
  • 自分を守ってズタボロになったイエイヌをよそに、サーバルと談笑した
  • 一人で家へ帰るというイエイヌに対し、イエイヌの意図が分からないにも関わらず、願いどおり「お帰り」命令する前に「いや、ちょっと家に一緒に戻って手当てくらい」など申し出もしない
  • カラカルが、置きっぱなしのスケッチブックを渡そうと持ってきたはずが無くしたことに、トゲトゲしい文句を言った
  • 自分が連れて行ったアムールトラが、ホテルと共に沈んだことに責任を感じる様子がない
なども、上記と同じ事情で存在するもので、一期否定の意図はないのです。
 そういう事情なら、一期と似せなければ、同じキャラクターを出さなければ良い、と思う人もいるでしょうが、おそらく、けものフレンズプロジェクト(製作委員会)は、一期のファンが2から離れることを恐れて、たつき監督版に似せようとしたのでしょう。アニメ一期が大人気になって以降、たつき監督のアニメを、「けものフレンズ」の基本と捉える反応が、少なくともネットで多数観察できましたから、その反応を知っている製作委員会が恐れた可能性は高いです。
 その結果、人間と、それに似せたが同じにはできてないロボットのように、一期と2の違いを視聴者に意識させてしまったのです。
 
  1. 前作や前監督を攻撃するために悪意を込めて演出した
  2. 粗が原因で意図せずキャラクタが歪められたりして、一期ファンの感情を逆撫でしてしまった
 作品が同じでも、この2つは異なります。2の木村監督など、一期をリスペクトしていると言及していて、根拠なく悪意を込めたとすることはできないでしょう。
 論旨とは少しそれますが、一部引用して説明します。
――Twitterでも「皆んなで楽しみましょう~!」と言っていましたからね。
 
木村 娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ(笑)。誰が作っているか考えずに面白い作品をみんなで楽しむのが娯楽の基本といいますか、そのほうがみんな幸せだと思います。僕はいつでも、面白い作品を作りたいと思っているので。
 この発言に前任監督への軽視・悪意などはなく、「誰々が監督だとか、気にせずに本編こそを楽しむのが、自分が考える娯楽の形」という意味です。「監督なんて誰がやってもいい、出来は同じ」などという意味ではもちろんありません。
 他にも悪意とされてしまっている描写としていろいろあるので、雑ですがいくつか言及します。
 
サーバルが、かばんちゃんを忘れた、悪意で一期の二人が引き裂かれた」
←一期でも、過去のミライさんとの関係が終わってしまって、かばんちゃんとの関係ができたサーバルを描いた。変化してしまう関係、というストーリーが一期と2で共通して描かれたにすぎず、一期への悪意ではない。
 
「ジャパリまん以外の食べ物、ビーストという設定、などを付け加えて一期の設定を破壊した」
←アニメの原作は、けものフレンズプロジェクト(と動物)で、それがコンセプトであり、それを元にした各コンテンツは独立している。たつき監督アニメが絶対ではない。2ならではのテーマ等のために設定を矛盾しない形で後出ししただけで悪意ではない。
 
「バス型セルリアンをサーバルにやっつけさせた、バスで旅した一期へのあてつけだ」
←セルリウムの性質についての単なる伏線で、悪意ではない。
 
「最終回で一期OP曲ようこそジャパリパークへを流した。一期への悪意だ」
←一期へのリスペクト。悪意であるはずない。
 
「イエイヌの持つ絵によって、かばんちゃんより先にキュルルがサーバルと出会っている正当なパートナーだと明かし、一期の二人の絆を否定した」
←先に出会っているからといって、正当な関係という理屈は成り立たない。一期のかばんちゃんとサーバルとボスの旅も、2の三人の旅も正当です。
 

以上を前提にした、一部のたつき監督ファン、および一期のファンへの提言

  • 悪意を込めたという誤解を理由にした、けものフレンズ2のキャラクター、および2の木村監督ほか関係者への中傷やその他嫌がらせなどを、やめるべきです。中傷を目的とした動画や画像の一部は、けものフレンズ二次創作に関するガイドラインに抵触してすらいます。これらは法的にも人道的にも許されない。
  • たつき監督の新アニメ、ケムリクサのわかば達を見習って、貴重な人生を「好き」に対して使いましょう。けものフレンズ一期を再視聴とか。僕はケムリクサを見て、必要性もなく何かを憎んだり、苛ついたり、争ったりすることをできる限り避け、人生を好きに費やすことを誓いました。

 ここまでの主張に納得できない、という方もいらっしゃると思います。ですが、ここまで読んで、おそらく今まで自らが持っていた確信、が揺らいだのではないでしょうか。

 もしそうであれば、僕の主張が正しいかどうか、再読しつつ、もう一度じっくり考えてみてください。もしも僕の主張が正しいとすれば、悪意を前提にした、今まで、そしてこれからの、中傷やその他の行動が、どれほどの取り返しのつかない行為であるのか、を念頭に置いて、慎重に考えてみてください。

 

以上になります。