安倍政権と酷似「令和」元ネタは腐敗政治を嘆く内容だった
「後漢書」によれば、年少時から文才にたけた秀才で、天文学、数学、地理学などにも通じた張衡は、地方の役人だったが、都に呼ばれ、中央政府の官僚になる。
張衡が仕えたのは、6代皇帝の安帝だ。その治世は宮廷官僚の宦官が幅を利かせ、忖度や賄賂の横行を招いた。嫁の閻后も、側室の子を殺したり、縁故政治を増長させるなど、やりたい放題だった人物として評判が悪い。中央政府の腐敗に我慢できなかった張衡は順帝(8代皇帝)の時代に朝廷を辞し、「帰田賦」を書いたのだ。
政治腐敗、側近の跋扈、縁故主義、そして“安帝”……。さすがに偶然の一致だろうが、中西氏が護憲派の「総がかり行動」の賛同者に名を連ねていたり、日本ペンクラブ編集の「憲法についていま私が考えること」に執筆していたことから、ネット上では「『令和』の元号は安倍首相への戒めか?」などの臆測も飛び交っている。