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2019-04-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

ナイトミュージアムの国立科学博物館からの帰り、
 古賀史健さんと上野公園の桜を見ながら帰ってきた。
 銀座線に乗って、ぼくは先に表参道の駅で降りて歩いた。
 ふと、犬と散歩をしたいなぁと思った。

 ちょっと前にしていた深夜の散歩に誘ってみようかな、
 と思ったのだけれど、すぐに犬の気持ちを想像した。
 「夜中にぐっすり寝ていたら、お父さんに起こされて、
 あんまり好きじゃない散歩に出ることになったよ。
 めんどくさいなぁと思ったけど、
 おとうさんのほうは妙にやる気になっていてさ」と、
 犬のセリフを頭のなかでしゃべった。
 そうだなぁ、もうしわけないかもしれないなと思った。

 そして、もうひとつ、思った。
 いま、じぶんは、犬のことばに共感して、
 深夜の散歩はもうしわけないと思ったのだけれど、
 よくよく考えてみたら、これは犬がしゃべったのではなく
 おれが腹話術のように犬に語らせたセリフではないか。 
 いままで、ぼくが犬にしゃべらせたことばは、
 ぜんぶ、じぶんが考えたものだったぞ、そういえば。
 ???? 犬は、おれか? おれのことばだったのか。

 口をきかない犬とか赤ん坊とかが、
 「おとうさん大好き」みたいなセリフを言ったとしたら、
 それは、おれが考えた犬や猫や赤ん坊のことばなのだ。
 これまで気づいてなかったのか、おれよ。
 犬も、赤ん坊も、実はおれなのであった。
 おれの考えたセリフを、鏡のように
 犬や赤ん坊にしゃべらせていたということなのだ。
 これ、考えてみたら、おればかりでなく、
 もしかして人間はみんなそうなのではないか。
 まいったなぁ。
 人間にとって、世界は鏡だらけなのだ。
 たいていの人やものはじぶんの映った鏡像なのだ。
 空がきれいだ…それはおれだ、おれのきれいな青さだ。
 お花が微笑んだ…それはおれだ、おれが笑ったのだ。
 まるごとぜんぶじゃないだろうけれど、かなりそうだ。
 だとしたら、おれがゴキゲンであるならば…。
 これは、もうちょっと考え続けるテーマができたぞ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
相手=相手+わたしの考えた相手÷2ということだよねー。


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