デビュー前の橋幸夫をレッスンし、「高校三年生」で舟木一夫をデビューさせた遠藤実は、青春歌謡黄金時代を築いた最大の作曲家でした。(「舟木一夫」という名前はもともと橋がコロムビアからデビューする場合のために遠藤が用意していた芸名だったことはあまりに有名な逸話。)
 その遠藤実の半生を描いた東映映画「太陽に突っ走れ」(s41-9-8公開)。(一時期youtube上にupされていたはずなのに、いま検索したら見当たりません。)
 その主題歌「太陽も笑っている」。歌っているのは、映画で遠藤実役(役名は「進藤孝」)を演じた千葉真一。こちらで聴きながらお読みください。
 (レコードジャケットの下は映画「太陽に突っ走れ」のポスター。)

千葉真一「太陽も笑っている」
千葉真一・太陽も笑っている  昭和41年9月発売
  作詞:中山正男 作曲:遠藤実
 一 青い月夜の 裏まちを
   ひとりとぼとぼ あるくとき
   かなしみを吹く わが胸の
   笛がしずかに ひびきだす
   とおくで母が 呼んでいる
 二 海とかもめと 月見草
   風に愁いを ながすとき
千葉真一・太陽に突っ走れs41-9ポスター   よろこびを打つ わが胸の
   太鼓あかるく 鳴ってくる
   とどろく波に 父の声
 三 山のみずうみ 草枕
   空を無心に 仰ぐとき
   雲に文字かく わが胸の
   ペンはリズムに おどりだす
   わきでるメロディ 愛の詩(うた)
 四 旅ね仮ねの 星かさね
   人の情けに むせぶとき
   大地をかざる わが胸の
   花はほのぼの 咲いてくる
   晴れゆく霧に 朝がきて
     あゝ太陽も太陽も笑っている
       太陽も太陽も笑っている

 映画「太陽に突っ走れ」は遠藤の自伝『太陽も笑っている』が原作。
 映画冒頭、「からたち日記」の譜面にサインする遠藤実自身。すぐに「高校三年生」のイントロが流れ、学校の体育館のような会場で学生服姿で歌う舟木一夫(残念ながら「舟木カット」ではありませんが)、指揮するのは千葉真一。ステージ上には「進藤孝帰郷リサイタル」の文字。ステージ脇の看板には「内野町」の文字も。遠藤実が少年時代を過ごした新潟県の町の名。(遠藤は東京下町生まれ。昭和18年(1943年)、11歳の時に父親の故郷である新潟県に引っ越しました。)
 以後、リサイタル中の回想という設定で自伝的物語は進行します。貧乏な家を飛び出して田舎から東京に出ての流し時代、恋人(後に妻)の十朱幸代との出会い、下積みを経て作曲家として成功し、いま舟木の「高校三年生」大ヒットを機に故郷でリサイタルを開いている、という設定なのです。質素なステージですが、遠藤(千葉)にとっては故郷に錦を飾った晴れ舞台です。

 モノクロながら、舟木一夫をはじめ、北原謙二、梶光夫、こまどり姉妹、扇ひろ子(以上コロムビア)、一節太郎(クラウン)ら、遠藤が手掛けた歌手たちが出演してヒット曲を歌っています。(残念ながら、発足したばかりのミノルフォンの歌手で映画に名前が出て歌うのは三船和子(♪他人船)だけ。他は「ミノルフォン全歌手」として一括。)
 流し時代からを演じた千葉真一も、「憧れのハワイ航路」「五木の子守唄」に加えてこの「太陽も笑っている」、さらにレコードB面の「妻に捧げる歌」などを歌います。(実は千葉真一は東映現代劇の青春スターだったころ、けっこう歌を吹き込んでいたのです。ほとんどがコダマプレスのソノシートでしたが。)
千葉真一s38-10女学生の友付録&本間千代子 (右画像は千葉が青春スターだった時期、「女学生の友」昭和38年10月号付録から、本間千代子と。
 ちなみに、デビュー初期の昭和35年、テレビの正義のヒーロー「新七色仮面」「アラーの使者」で子どもたちの人気者だった千葉真一が、あらためて茶の間の人気スターになるのは昭和43年、テレビドラマ「キイハンター」(s43-4~)に主演したときから。すでに29歳でしたが、「かっこいいお兄さん」的なイメージで、青春歌手に取って代わったグループサウンズたちに伍して、少女雑誌の表紙を頻繁に飾り始めます。)

 映画はもちろんかなり脚色されているわけですが、原作になった遠藤の自伝『太陽も笑っている』について、内容紹介代わりに、好意的な感想を二つ紹介しておきましょう。(藤原書店刊『不滅の遠藤実』から引用。)
遠藤実(『不滅の遠藤実』) 「貧乏にも色々のケースがあり、当人はそれを自分ほどひどい貧乏をした者は他にあるまいと思いこむ特長をもっている。だから大概の貧乏物語は、じめじめして読んで頭が痛くなるだけだ。そこへいくと本書の著者は底抜けに明るく、逞しい。大貧かくの如きかと、むしろその天衣無縫の爛漫さ、溢れこぼれてくる泣き笑いには、太陽でさえ思わず微笑しそうな気がする位だ。(中略)近来になく痛快な男の苦闘史だ」(大宅壮一)(藤原書店『不滅の遠藤実』より引用)
 「著者は、貧乏と学歴のなさに幾多の苦痛と屈辱を感じながら、しかも裸一貫でよくそれ等に耐えぬき、ついに作曲界の第一人者になった。彼の半生の涙ぐましい努力と、すさまじい闘志には圧倒され、感心させられた。自分は水だけで飢えをしのぎ、親や兄弟への仕送りをつづける肉親愛と妻へのいたわりは、俗にいう美談の域を超えて、激しく、深く、あたたかく、限りなく美しく迫ってくる。著者は常に『庶民の友』をもって任じている人だけあって、いつもひまわりやタンポポのように明るく強く、誰からでも愛される人だ」(山岡荘八)

 歌詞はその下積み時代の遠藤の心情を中心に、母と父に呼びかけ(山岡のいう「肉親愛」)、「わが胸の笛」「わが胸の太鼓」「わが胸のペン」「わが胸の花」と修辞を統一して、最後は「太陽も笑っている」とくりかえして結びます(大宅のいう「底抜け」の明るさです)。それをハスキーな声で千葉真一がしみじみと歌い上げるのです。(四番冒頭の「旅ね仮ね」は「旅寝仮寝」のこと。住所不定の旅の日夜はいまだ一家を成し得ぬ修行遍歴の日々のたとえです。)

 なお、映画は、ついに自らの名を社名に冠した「ミノルフォン・レコード」を発足させる晴れがましい発足式までを描きます。
 ミノルフォンは太平住宅の創業者・中山幸一(映画では東野英治郎)の全面的支援によって発足したレコード会社。この映画も「協力 太平グループ」。
 残念ながら、他社からの歌手引き抜きをしなかったミノルフォンは(数年前のクラウン・レコードはコロムビアからごっそり歌手や作詞家や作曲家を引き抜きました)、いくら遠藤が大車輪で曲を書きつづけても無名の歌手ばかりでヒット曲に恵まれず、遠藤の苦難の歳月が始まることになるのですが。