【芸能・社会】内田裕也さん「僕は今あの世にいます」 「ロック葬」で仰天肉声2019年4月4日 紙面から
3月17日に肺炎のため79歳で亡くなったロック歌手で俳優の内田裕也(本名内田雄也)さんのお別れの会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。長女でエッセイストの内田也哉子(43)、娘婿で俳優の本木雅弘(53)、タレントの堺正章(72)ら950人が参列。希代のロックンローラーらしい“ラストステージ”を飾る演出で驚き、衝撃を与えた。 いきなり度肝を抜いた。まさに破天荒なロックンロール魂が込められていた。高さ3・5メートル、幅16メートルの祭壇の中央にはLEDモニターを設置。内田さんの生前の様子をまとめた約5分間の映像の冒頭だった。 「僕は今あの世にいます。ロックンロールに生きて、ロックンロールで死んでいけたことに感謝しています」 肉声が流れた。天からのメッセージか…。驚き、会場はざわついた。内田さんが2015年に放映された奈良県の葬儀社「セレミューズ」のCMに出演した時に撮影し、実際のCMでは流れなかった秘蔵映像を利用したという。異色の演出。らしいロック葬のスタートだった。 そして、「2019年ニュー・イヤーズ・ワールド・ロックフェスティバル」での「決めてやる今夜」の歌唱シーンも映し出された。その中には「興奮しすぎて(歌詞)忘れました」と苦笑する姿も。「必ず、この借りは今年中に返そうと思っています。ぜひまた来てください。本当にありがとう」。ラストライブで発した最後のメッセージだった。 祭壇は同フェスティバルの第1回のポスターをモチーフに、富士山、ピラミッド、エベレストなどを菊など約1万5000本の白い花で再現した。中心には直筆の「Rock’n Roll」の文字が飾られた。遺影はインタビュー本「内田裕也 俺は最低な奴さ」(09年)のため撮り下ろした写真が使われた。 式では内田さんが愛したシナトラの「マイウエイ」、エルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」、自身の曲「朝日のあたる家」などが流れた。遺族の要望で歌手のAI(37)が「アメイジング グレイス」を献歌。そして、喪主の長女・也哉子が弔辞の最後に「最後は彼らしく送りたいと思います」と切り出し、空に向かって叫んだ。 「Fuckin’ Yuya Uchida, don’t rest in peace just Rock’n Roll!!(内田裕也の野郎、安らかに眠らないでロックンロールしろ)」 破天荒で壮大なロック葬は、希代のロックンローラーの濃密な人生が鏡のように映し出された。 ◆娘で喪主・内田也哉子 謝辞の要旨私は正直、父をあまりよく知りません。『わかりえない』という言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、こんなに分かりにくくて、こんなに分かりやすい人はいない。世の中の矛盾を全て表しているのが内田裕也ということが根本にあるように思います。 率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと実感のない父と娘の物語が、始まりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。 彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。「これ以上、生きる上で何を望むんだ」。そう聞こえています。 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかったと申し訳なさそうにつぶやくことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、おりおりに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんなきれい事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。 今さらですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証しがここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!
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