it took about 38 minutes  起点が大事

 もう1年も前のことだが、北朝鮮のミサイルが発射されたという誤報に関する記事の一節だ【VOA Japan Gets False Missile Warning, After Hawaii Incident】。

誤報訂正-1

The mistaken alert was discovered within 20 minutes. But it took about 38 minutes for officials to send a correction.


  一応、和訳すると、こうなる。

誤報は20分以内に発見されたが、訂正が発表されるまで38分かかった。


 一見、何の問題もないようだが、「38分」の起点が、「誤報」の時点なのか「発見」の時点なのか分からない。

誤報-4

 以下のように、起点を明示すれば、誤解の余地はない。
 

   誤報は20分以内に発見されたが、誤報から訂正まで38分かかった。

   誤報は20分以内に発見されたが、発見から訂正まで38分かかった。







幼年時代を過ごした都内新宿区の賃貸アパートに住む 特定物か不特定物かを明確に

 60歳で弁護士を辞め推理小説を書き始めたという深木章子氏の「鬼畜の家」(講談社文庫)115頁の一節である。

由紀名は幼年時代を過ごした都内新宿区の賃貸アパートに住むことに決めた。


 以前住んでいたのと同じアパートに住むことにしたのか否か、決め手はない。

 つまり、文法上は、以下の、いずれの意味とも解されるのである。

【1】 由紀名は幼年時代を過ごした都内新宿区の賃貸アパートに住むことに決めた。

【2】 由紀名は幼年時代を過ごした都内新宿区の賃貸アパートに住むことに決めた。


 かぎ括弧を使わずに書き分けるとすれば、以下のようになる。

【1】 由紀名は幼年時代を過ごした、都内新宿区の賃貸アパートに住むことに決めた。

【2】 由紀名は幼年時代を過ごした都内新宿区で賃貸アパートに住むことに決めた。


 こんな例は、どうだろう。

私は司法試験受験時代から親しんでいる模範六法を今でも使っている。


 理屈の上では、「模範六法」というのは、実際に受験時代に使っていた模範六法そのもの、という可能性もある。

 けれども、法律の改正が頻繁に行われ、年々新しい判例も加わるのであるから、何年も前の受験時代の六法を使うことは、通常、ありえない。そうすると、「模範六法」は、「模範六法」という名前で毎年発行される書籍のことを指すことは、明らかである。

 逆に、こんな例はどうだろう。

冬彦は、子供の頃から親しんでいる木馬を今でも使っている。


 この場合は、まさに子供の頃から使って疵や手垢のついた木馬を指していることは明らかである。

 ここまで見てきたとおり、名詞は、その名称で呼ばれるものの一つを指す場合(模範六法)と、特定のものを指す場合(木馬)とがある。

 そして、文脈から、どちらであるか明らかな場合(模範六法、木馬)もあれば、そうでない場合(冒頭の賃貸アパート)もある。

 文脈から明らか、という場合を除いて、読点「、」を付けたり、助詞を工夫するなどして、誤解の余地のないようにしなければならない。

司法試験の受験資格別出願者数の推移

 【司法試験受験者の属性  情報伝達における二つの重要な視点】の追記欄に受験資格別の出願者数の推移のグラフを掲載した。

司法試験-受験資格-推移

 半月あまりたって見直してみると、一つ一つは小さなことではあるが、いくつか気になる点が出てきたため、改訂版を作成した。

司法試験-受験資格-推移-改訂

 どこが変わったか、なぜ変えたか、考えてほしい。

 ● 拡大幅
  
   拡大幅を倍近く大きくした。
   これで、一層、微妙な変化も視覚化された。

 ● 目盛線

   50人ごとの目盛線を入れた。
   その結果、微妙な違いでも、目盛線までの距離の違いにより分かるようになった。
  
 ● 凡例の並び

   折れ線は、上から、橙、青、緑、青破線となっているので、凡例も、左から、同じ順にした。
   改訂前の凡例は、左から、青、橙、緑、青破線となっていて、折れ線の順番と異なるため、若干の混乱を招いていた。

 ● 凡例の文字

   修了予定となっていたのを修了見込にした。
   グラフの元になった表では、「予定」ではなく「見込」になっていたので、それに合わせた。

   予定も見込も同じようなものだが、予定は「本人が勝手に思っている」というニュアンスがあるのに対して、見込は客観的にも、その可能性が高いという感じがするが、結論としては、どちらでもいいと思う。

   ただ、表とグラフで用語を統一しておかないと、注意深い読者に「なにか違うのだろうか」といった無用な疑問を抱かせることになるので、不統一は避けなければならない。

 いずれも、この程度のことかと思われるかもしれないが、気づいた以上は、放っておくことはできない。

 そんなことを書きながら、テレビドラマなどでの、こんなシーンを想い出した。

 陶芸家が、工房で、でき上がった作品を取り出すのを、弟子や関係者が固唾を飲んで見守っている。出てきた作品を見て皆が溜息を息をつき、口々に賞賛する。陶芸家の動きが一瞬止まり、突然、険しい表情になる。「駄目だ!」という声とともに、作品を床に投げつける。

 そういう拘りを持ち続けることが大事だと思う。

 「神は細部に宿る」という言葉もある。


司法試験合格率の男女差

 司法試験の男女別の合格率に差があるそうだ。以下の表は【Schulze BLOG】に掲載されていた表だが、元々は【早稲田大学法務研究論叢】に掲載されたものだ。

男女別合格率-表

 これまでも述べた来たように、数字だけの表を見ても、すぐには理解することができない。こんなときは、グラフにするに限る。

男女別合格率-グラフ1

 グラフだけでは物足りなければ、こんなふうに、数字をグラフの中に入れることもできる。

男女別合格率-グラフ2

 概要だけでなく、詳細な数値まで分かる点は優れているが、グラフ上に細かな数字がごちゃごちゃ並んでおり、煩雑な感じもするので、一長一短である。

 なお、このブログに貼り付けたグラフは、エクセルで作ったものを画像にしたものだが、元のエクセルのグラフなら、マウスポインタをグラフ上の小さな丸に当てれば、数値が表示されるようになっている。

 

京都市立図書館の概要  データバーの利用

 京都市立図書館は市内に分館が多数あるのだが、その概要がウェブサイトで公開されており、【京都市図書館の概要】の「京都市図書館統計概要 平成29年度統計数値等(PDF形式:2,890KB)」を見ると、こんなふうになっている。

図書館-1


 情報量としては十分なのだが、文字と数字だけであり、直感的には分からない。そこで、こんな表を作ってみた。

図書館-2

 これなら、いつ頃できたのか、どれくらいの広さなのか、ということが、一目で理解できる。

 エクセルの「データバー」という機能を使ったのだが、非常に便利な機能である。

 いくつか工夫した点を列挙する。

 ● 図書館名の記載
   ・ 各館に共通の「図書館」は、省略
   ・ 館名の冒頭にスペースを入れた
      エクセルの初期設定では、左詰で罫線に密着していて、見ていて息苦しく感じる

 ● 開館年月日の記載
   ・ 昭和 → 昭
   ・ 年、月、日 → 省略(代わりに、数字を、小数点で区切った)
   ・ 数字が一桁の場合、前に"0"を追加し、全体の長さを均一にした。
     "0"ではなく、スペースを挿入した方が見栄えがいいのだが、エクセルに、その機能がないのが残念である。

 ● 開館年月日のデータバー
   ・ 縦に昭和と平成の区切りの線を入れた
 
 ● 建物延床面積のデータバー
   ・ 縦に500㎡の線をいれた
       500㎡前後の館が多いことから、ここに線が入ることによって、比較が容易になる。


1次予選から初の本戦入り  何と対比しているのかを明確に

五番勝負の舞台へ火花 ヒューリック杯棋聖戦本戦 ベスト8名乗り 産経 2019.3.18】という記事の中に、次のような記述があった。

(本戦入りには、原則として1次予選から勝ち上がる必要があるが、前回の棋聖戦の成績や他の棋戦での成績によって、2次予選からの本戦入りや、予選なしでの本戦入りがある)

 1次予選から初の本戦入りを果たした八代六段 


 何となく分かったような気になる記事なのだが、少し考えると、分からない。「初の」とあるのだが、どういう意味で「初」と言えるのか、ということだ。3とおり考えられる。

【1】 棋士の中で、1次予選からの本戦入りを果たした者はいなかった。今回、八代六段が、初めて、一次予選からの本戦入りを果たした。

【2】 八代六段は、本戦入りしたことはあったが、1次予選からの本戦入りはなかった。今回、初めて、1次予選からの本戦入りを果たした。

【3】 八代六段は、本戦入りしたことはなかった。今回、初めて、本戦入りを果たしたが、今回の本戦入りは、1次予選からの本戦入りである。 


 「初の」で対比されているのが、全棋士の経験なのか、八代六段本人の経験なのか、八代六段だとして、「1次予選からの本戦入り」が初なのか、「本戦入り」が初なのか、曖昧である。頭の整理のために、次のような表を作ってみた。

八代棋聖戦


 赤枠が今回の実績で、対比されるのが、左の【1】~【3】の灰色の枠の部分である。

 似たような話で、こんな例もある。

  20歳になって初めての酒を飲んだ。

  【2】 19歳でも酒を飲んだことがあるが、20歳になって酒を飲んだのは今回が初めてだ。

  【3】 20歳になるまで酒を飲んだことはなかったが、今回、初めて酒を飲んだ。

  【2】【3】は、初めの例の【2】【3】と同じ構造である。構造が対比できるよう、二つ並べてみた。

酒を飲む

八代棋聖戦


 なぜ、酒を飲んだ話には、【1】に相当するものがないのか。

 20歳になって酒を飲んだものがいない、などということは、およそ、ありえないからである。

 例を変えて、「70歳を過ぎて初めて素手でヒグマを倒した」という話なら、【1】のようなことも考えられるだろう。70歳を過ぎて素手でヒグマを倒した人がいない可能性もあるからである。

Aは、70歳になって、初めて、素手でヒグマを倒した。

【1】 70歳以上で素手でヒグマを倒した者はいなかった。今回、70歳のAが、初めて、素手でヒグマを倒した。

【2】 Aは、70歳になる前に素手でヒグマを倒したことはあったが、今回、70歳になって初めて、ヒグマを倒した。

【3】 Aは、素手でヒグマを倒したことはなかったが、今回、70歳になったAは、生まれて初めて、素手でヒグマを倒した。 


これについても、図表をかかげるので、比較してみてほしい。

ヒグマ倒し


 今回の話は、これまでの記事と比べても、かなりマニアックな印象を持たれたかも知れない。

 けれども、こういった思考訓練は、「分かりやすさが第一」のための基礎体力を身につける上で、有用だと思う。

 実戦では出ないようなアクロバティックな手順の詰め将棋であっても、日頃から解く練習をしておけば、実戦での読みを鍛えるのに役立つのと同じである。




古参ファンとにわかファン  順番を対応させる

 【タダスケの日記 予備試験と同居しても、ロースクールは法曹養成がうまいと思えるか?(国学院大法科大学院、募集停止)】に、こんな記述がある。

「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。

 このズレから、いわゆる「古参ファンとにわかファン」みたいな揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と三十一歳女性は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。


 どこに引っかかるのか、次を見てもらおう。

「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。

 このズレから、いわゆる「古参ファンにわかファン」みたいな揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と三十一歳女性は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。


 意味が対応しているものを、それぞれ、背景色を色分けして、水色とピンクに分けたのだが、水色、ピンク、ピンク、水色の順番になっている。

 水色、ピンク、水色、ピンクの順の方が分かりやすいに決まっている。

 文章を読むときは、当然のことだが、頭の中で概念を整理しながら読んで行く。その整理の流れに沿った記述は理解しやすいが、その流れと逆の記述があると、戸惑ってしまうのだ。
 
 これと似ているのが、説明図上での配置と現実世界での配置の対応だが、以下に書いたことがある。

        【前列右から・・・
        【市ヶ谷キャンパス・・・


 あと、「古参ファンとにわかファン」というのは、「と」と「にわか」が一体として「とにわか」となる。「にわかファンと古参ファン」とすれば、そんなことはない。

法科大学院か予備試験か  比較させないための「工夫」

 法科大学院離れを食い止めるため、大学院在学中の司法試験受験を認めることになりそうだ【朝日新聞 2019.3.13 法曹養成を2年短縮 法科大学院反発も 法案閣議決定】。

 記事の中で、制度を図解して対比している。

資格取得


 法科大学院経由で法曹資格を取得するには、現行で8年かかるところが、新制度だと6年になると書かれている。

 他方、法科大学院を経由せず、予備試験ルートを取る場合は、「人によって期間が変わる」と書かれている。

 法科大学院ルートでも、浪人、留年などがあるのだから、「人によって期間が変わる」のだが、予備試験ルートの場合にだけ、あえて、「人によって期間が変わる」と書いているのだ。狙いは、何だろうか。

 予備試験ルートの場合、予備試験は大卒でなくても受けられるため、大学の1年生から予備試験を受け、合格すれば、翌年は司法試験を受け、その後、1年の司法修習を受ければ法曹資格を得ることができる。

 そうすると、予備試験ルートの場合、「取得まで約3年」と書くべきことになる。

 だが、そんなことをすれば、法科大学院ルートは、予備試験ルートと比べると、圧倒的に無駄な時間を要することが明白になる。

 法科大学院の存続を願う朝日新聞社の意向が、このような解説図になったのだろうか。

 予備試験ルートの優位性を見えなくするための「工夫」は、「取得まで約3年」とすべきところを「人によって期間が変わる」と曖昧にした点だけではない。

 図を見ると、「法曹資格取得」の記載は、予備試験ルートと新制度の法科大学院ルートで、同じ高さのところに書いてある。

 その結果、なんとなく、新制度では、予備試験ルートと同じ年限で法曹資格を取得できるように思ってしまう。実際は、予備試験ルートの倍かかるのだが、こういった誤った印象が植え付けられるのだ。

 なお、現実には、大学の1年生で予備試験に合格するのは相当に困難であり、3年生で予備試験合格、4年生で司法試験合格、その後、1年間の司法修習で、法曹資格取得まで5年というのが、現実的なルートである。それでも、新制度の法科大学院ルートよりも、1年早い。

 もちろん、予備試験ルートでは、制度上は、個人の資質と努力次第で、「取得まで約3年」であることは間違いない。法科大学院ルートの場合、超人的な資質と超人的な努力をもってしても、新制度で「取得まで約6年」である。

 合理的に考えて、こんな回り道を選択する理由はない。

----- 追記 2019.3.15 -------------------------------------------------------------------

 法科大学院ルートが回り道であることが一目で分かるような解説図を書いてみた。

資格取得-2


 これなら、法科大学院ルートが、新制度でも、予備試験ルートの倍の時間がかかる、壮大な回り道であることが、一目で分かるだろう。

 元の解説図と比較できるよう、横に並べてみた。

資格取得  資格取得-2


 「法曹資格取得」の記載の位置が、そのために要する年限の長さに対応しているため、直感的に、予備試験ルートが半分の時間ですむことが見て取れるだろう。

 解説図は、このように、問題の本質を直感的に理解させるものでなければならないということだ。

電源喪失の原因  分かりやすくするための、マストアイテム 読点、態(能動/受動)、助詞、かぎ括弧

 せっかくの内容なのに、「分かりやすさ」に十分な配慮が払われていないために読者を遠ざけているサイトを見る度に思う。

 もったいない!

 本日の素材は、【庶民の弁護士伊藤良徳のサイト 福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)】の冒頭の「ここがポイント」の中の一文だ。

原子力規制委員会は事故進展中電源復旧のために電源盤を操作した可能性をまったく検討もせずに事故3年後に現場検証した電源盤を電源喪失の瞬間とまったく同じ状態という前提で議論している


 意味を理解するまでに、何度も行きつ戻りつしなければならない。

 最大の原因は、とにかく長く、読点「、」が一つもないことだ。

 そこで、「分かりやすく」するために、最小限、手をいれてみた。

原子力規制委員会は、事故進展中に電源復旧のために電源盤が操作された可能性をまったく検討もせずに、「事故3年後に現場検証した電源盤が電源喪失の瞬間とまったく同じ状態」という前提で議論している


 変更点が分かるよう、元の文とならべ、変更箇所にマーカーを引いた。

原子力規制委員会は事故進展中電源復旧のために電源盤を操作した可能性をまったく検討もせずに事故3年後に現場検証した電源盤を電源喪失の瞬間とまったく同じ状態という前提で議論している

原子力規制委員会は事故進展中電源復旧のために電源盤が操作された可能性をまったく検討もせずに事故3年後に現場検証した電源盤電源喪失の瞬間とまったく同じ状態という前提で議論している


● 読点「」をつける

● 漢字が連なるところに、平仮名「」を入れる

 漢字が十文字も連なると、切れ目が分からなくなる。適宜、平仮名、読点「、」等を入れ、意味の塊を視覚化することによって、ずっと読みやすくなる。以前の記事【スペースの効用】を参照。

● 主語のない能動態「を操作した」を受動態「が操作された」に変える

  一般論として言えば、受動態より能動態の方が分かりやすい。

 だが、能動態でも、主語が省略され、しかも、その能動態と結びつく主語候補(ここでは、原子力規制委員会)が存在する場合は、分かりにくくなる。そんなときは、受動態にすればよい。

● かぎ括弧「」でくくる

● 「を」を「」に




精神科病院からやっと退院できたと思ったら・・・  主語の省略に注意

 今年もらった年賀状の出だしの部分だ。

精神科病院からやっと退院できたと思ったら・・・


 そこで、思わず目が止まってしまった。

 思い起こすと、2年前、彼女のお陰で細やかな印税収入があったので御礼にご馳走したいというメールをしたのが最後だった。結局は、それは実現せず、それっきりになっていたのだが、この間、いったい何があったのだろうと、あれこれ考えてしまった。

 そんなことを思いながら読み進めて行くと、こうなっていた。
 

精神科病院からやっと入院できたと思ったら、ヘルパーやディサービスの利用を思うようには受け入れてくれない被後見人・・・


 なんだ、入院したのは、本人ではなく「被後見人」だったのだ。人騒がせな年賀状だ。

 主語が省略されているときは、普通は、「私が」「私は」が省略されているのだと思い込んでしまう。と言うことは、「私」以外の主語は、省略すべきではない、ということだ。

 主語の省略については、【私が殺人罪で逮捕されたときから・・・】にも書いた。








合格率のパラドックスは、なぜ生じるか  図解

 昨日の【司法試験の合格率  合格率のパラドックス】で、【合格率のパラドックス】に触れたが、このパラドックスが、なぜ生じるのかを、少し考えてみた。

 まず、そこにも挙げた、ロースクール修了生の司法試験合格率に関する説例を、以下に再掲する。 

合格率パラドックス・表


 男女とも、A大学の方が合格率が高いのだが、合格率の高い女子の数がA大学は極端に少ないため、全体の合格率に対する女子の合格率の影響が少なく、結果として、全体の合格率では、B大学の方が高くなっているのだ。

 このことが直感的に理解できるよう、次のような図表を作成してみた。小さな長方形のタイルは、学生一人を表す。

合格率パラドックス・グラフ


各大学の男子、女子、それぞれの合格率は、青、赤のタイルのブロックの高さで表される。男女併せての合格率は、赤のタイルを青のタイルの上に移すことによって、男女差をならしたときの、全体としてのブロックの高さ(黒の点線)となる。

 そうすると、男女ともに合格率の高いA大学では、女子の数が少ないため、全体を押し上げる効果が少なく、他方、B大学は女子が多いため全体を押し上げる効果が大きく、結果的に、全体の合格率が高くなるのだ。

 なお、このパラドックスは、【シンプソンのパラドックス】と呼ばれているそうだ。




 

司法試験の合格率の推移  合格率のパラドックス

 本稿は、Schulze 氏の指摘【法科大学院 未修コースへの進学の危険 コメント 3】を受け、訂正した。

本文の変更に伴い、その下の「追記」も訂正したが、追記の日付は更新おらず、最初に追記を記載したときのままである。

なお、訂正前のものは、【インターネットアーカイブ】にある。

----- 以下、2019.3.11 訂正後のもの -------------------------------------------------------------------

 【Schulze BLOG 3019.03.09 法科大学院 未修コースへの進学の危険】に掲載されている司法試験の合格率につて、グラフを作成した。

司法試験合格率-訂正2


 折れ線の色分け等については、以下のように考えた。

 ● 全体の合格率は、内訳との対比が明確になるように、無彩色(灰色)とし、線も太くした。

 ● 内訳については、破線で示すのも一案だが、今回は、全体の方を、無彩色で太くすることによって、内訳との違いを示したので、ことさら破線にする必要はないと考え、実線にした。

 ● 既習、未習の色分けは、韻を踏んだ。(意味不明の人は、【2019.3.7 ロースクール入試の現状  グラフと表の連繋】の追記欄を参照)

----- 追記 【合格率のパラドックス】 -------------------------------------------------------------------

 平成26年と平成28年を比べると、全体の合格率は、僅かではあるが、増えている。

 ところが、である。

 その内訳である予備、既習、未習、は、いずれも、平成26年より平成28年の方が減っているのだ。

 一般常識からすると、予備、既習、未習の合格率が全て下がっているのであれば、それを併せた、全受験者の合格率も下がるはずだ。

 ところころが、そうなっていない。

 それは、受験者全体の合格率の足を引っ張っている未習者の司法試験受験者が大幅に減ったために、受験者全体の合格率に与える影響が小さくなったことが原因である。

 これと同様のことは、男女別の司法試験合格率を例にして書いたことがある【合格率のパラドックス】。

----- 追記 2019.3.10 -------------------------------------------------------------------

 パラドックスの原因について考えてみた【合格率のパラドックスは、なぜ生じるか  図解】。


五歳の子供だったが・・・  「が」は逆接とは限らない

 「火星のプリンセス」(創元推理文庫)8頁に、こんな一節がある。

カーター大尉のことを思い出すとき、まず最初にわたくしの頭に浮かぶのは南北戦争が勃発する直前、大尉がバージニアのわたくしの父の家で過ごした数か月のことである。当時まだほんの五歳の子供だったが、わたくしはジャックおじさんと呼んでいた・・・


 「五歳の子供」だったのは、カーター大尉なのか、それとも、「わたくし」か。

 カーター大尉のことを、ジャック「おじさん」と呼んでいたというのである。常識的に考えて、「おじさん」が五歳のはずもなく、五歳というのは、「わたくし」のことと考えるのが自然かも知れない。

 だが、その直前に、「ほんの五歳の子供だったが」と、「逆接」の助詞が使われている。そうすると、カーター大尉は、五歳の子供でありながらも、やたら大人びた言動をしていたため、「わたくし」がからかって、ジャック「おじさん」と読んでいたのかもしれないと考えたのだ。

 ただ、「が」というのは、必ずしも、逆接の意味で使われるとは限らず、単に文と文を繋ぐために何気なく使われることも多いので、この場合も、そういう用法の可能性もある。

 従って、続きを読まなければ、「五歳」だったのが誰かは分からない。

当時まだほんの五歳の子供だったが、わたくしはジャックおじさんと呼んでいた、長身で色浅黒く、さっぱりとひげを剃った筋骨たくましい人物のことをよく覚えている。


 「ひげを剃り、筋骨たくましい」となれば、どう考えても、五歳児ではない。従って、五歳の子供は「わたくし」ということになる。

 では、続きの部分が次のようになっていたら、どうだろう。

当時まだほんの五歳の子供だったが、わたくしはジャックおじさんと呼んでいた、やけに大人びた口をきく少年のことをよく覚えている。


 これなら、「五歳の子供」は、カーター大尉と言うことになる。もちろん、ここでは、「が」は逆節の助詞として使われている。

 単語の意味が多義的で、意味を文脈で確定せざるを得ないことは多いのだが、この例のように、その単語の後ろに書いてあることを読まなければならないとなると、ストレスになる。

 他方、多義的な単語を使うにしても、その単語の前に書かれている内容から単語の意味が確定できるのであれば、ストレスを感じることなく、読み進めることができる。

 実際に文章を書く際には、書き手の頭の中には、全体像が頭の中にあるため、つい、多義的な言葉を使い、しかも、その多義的な単語の後ろの部分を読まなければ単語の意味を確定できないということにもなりかねないので、注意が必要だ。

 文章を書いて1週間くらいして読み返して見ると、書いたときと比べると、全体像がぼんやりとしてくるため、多義的な言葉を使うことによって意味を取りにくくなっている箇所があることに、自ずと気づくことになる。
 
 ところで、この「火星のプリンセス」というのは、中学一年頃、夢中になって読んでいた、バロウズの「火星シリーズ」の中の一冊で、先日、友人と話しているときに、たまたま話題に上ったため、懐かしくなって、図書館で借りてきたものだ。

 半世紀ぶりに手にした文庫本の表紙の絵は、当然のことながら、当時の記憶のままだし、「カーター大尉」や火星のプリンセスの「デジャー・ソリス」といった名前を目にすると、世の中のことを何も知らずに何の悩みもなかった、あの頃が、やたら懐かしく感じられる。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 冒頭に引用した部分の原文は、以下のようになっている【The Project Gutenberg EBook of A Princess of Mars

My first recollection of Captain Carter is of the few months he spent at my father's home in Virginia, just prior to the opening of the civil war. I was then a child of but five years, yet I well remember the tall, dark, smooth-faced, athletic man whom I called Uncle Jack.


英語の場合、このように、嫌でも主語を書かざるを得ないので、冒頭の例のような曖昧さは生じない(ただし、英語でも、主語のない、分詞構文のような例外はある。)。




ロースクール入試の現状  グラフと表の連繋

 ロースクールの入試に関するデータが【Schulze BLOG 法科大学院全国統一適性試験は2019年度も実施せず】に掲載されているが、これをグラフと表にしてみた。

ロー入試グラフ-1

ロー入試グラフ-2

ロー入試表


 ● 表の項目欄の背景色

   出願者、受験者などの項目の背景は、折れ線グラフと直感的に対応させることができるようにするために、同じ色を使い、実線はベタ塗り、破線は斜線を対応させた。

 ● データ欄の背景

   5年ごとに背景を薄いグレーにした(ただし、最初は4年)。
   目的は、以下のとおり。
   ・ 行を左から右に見ていくうちに、視線が思わず別の行に移動してしまわないようにする。
   ・ 5年ごとの、大まかな変動を分かりやすくする。

----- 追記 2019.3.7 -------------------------------------------------------------------

 「わがままなお願い」があったので、ロースクールの入学者の既習未習の内訳についても、グラフにしてみた。

ロー入試グラフ-3

 既習、未習の折れ線の色で悩んだのだが、結局、既習は黄色、未習は緑、と韻を踏むことにした。なんといっても、法科大学「院」のグラフである。

 また、【黄色に注意】に書いたように、黄色は、白の背景だと見にくいので、既修者の黄色のマーカーは、黒で囲んだ。

 結果的に、黄色と緑の識別が困難な人にも、既習、未習の区別が容易になったのではないかと思う。
 
色覚異常

 色の見え方の個人差については、【色覚異常の人が見ている世界はどれだけ違う? 再現してみた】に掲載されている上記のような写真で実体験できるので、グラフで色分けする際の参考になる。

 なお、上記のサイトの作成者は「色覚異常」だそうだが、サイトの名称などには「色覚異常」「色盲」「色弱」という言葉を使っているものの、「異常というよりは色の見え方の個性」だと思っているとのことである。

 確かに、さまざまな個性があっても、多数が「正常」、少数が「異常」とされることが多いのが、この社会であるが、社会の見方は、時代とともに変わるものである。私が子供の頃は、左利きは「ぎっちょ」と呼ばれ矯正の対象とされていたが、最近では、この言葉を聞くことは希である。

 話は変わるが、「わがままなお願い」は、大歓迎である。「健康のためなら死んでもいい」という人がいるが、私は、「分かりやすさのためなら死んでもいい」とさえ、思っているのだ(民法93条参照)。

 そういうわけで、「わがままなお願い」に対しては、「気まぐれな対応」で、お応えすることにはなるので、その点は、了承されたい。

----- 追記 2019.3.16 -------------------------------------------------------------

 ひと口に色覚異常といっても、いくつかの類型があり、【「色覚障がい」の疑似体験】では、果物、信号などの様々な対象について、色覚異常の類型ごとの見え方を疑似体験できる。




 


  

司法試験受験者の属性  情報伝達における二つの重要な視点

 【平成31年(2019年)司法試験出願者数【速報値】4,930人(昨年▲881人、15.2%減) ついに五千人割れ、8年連続減少、ピーク時(平成23年)から58.5%減、想定実受験者数は4,365人前後?】という記事に、今年の司法試験出願者に関する情報が掲載されている。

 掲載されているのは、文字情報だけなので、グラフにしてみた。

 
司法試験-性別


司法試験-受験資格


司法試験-選択科目


司法試験-試験地


 単なるグラフではなく、表の数字と一体となっているため、情報伝達における、二つの重要な要請が、ともに充たされている。

  ● 厳密な情報を正確に伝達する
  ● 概要を一瞬で伝達する

 この両者の要請は、なかなか両立しがたい場合もあるのだが、今回、扱った程度の単純な情報であれば、このように両立が可能である。

 なお、「両立」と書いたものの、受験資格のグラフについては、スペースの関係上、受験資格を厳密には記載していないので、完全に両立しているとは言いがたい。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------
 
 受験資格別の出願者数の推移についても、グラフにしてみた。

 
司法試験-受験資格-推移


 予備試験と修了見込(+予備試験)は、他の受験資格と比べて数値自体が小さく、変動が分かりにくい。

 そこで、その部分だけを抜き出して、縦方向に約5倍拡大した。その結果、この二つの受験資格についても、その変動が、はっきりと可視化されたと言える。

 グラフには、【「予備試験を含めて考えれば法曹志望者の数は減っていない」は本当か?】のコメント 9 (1) で指摘されたような【数値の変動幅が小さい場合には変化が意識されない】といった弱点があるのだが、こうした工夫により回避することができる。

 あと、「分かりやすく」するための工夫として、修了見込(+予備試験)の折れ線が青の破線となっていることにも注目してほしい。単なる修了見込を青の実線としたことに合わせて、同じ青色とし、ただ、予備的に予備試験合格も受験資格として利用していると言う点で、純然たる修了見込とは異なるということで、破線としたものである。

 この点は、予備試験合格者ということから、緑色の破線にする方が適切だったかも知れない。

 いずれにせよ、グラフにおける色の選択も、エクセルが自動的に表示したものを、そのまま無頓着に採用するのではなく、グラフの内容に即して工夫すべきだ、ということが言いたいのである。

 内容に即した工夫とは、次のようなことを指す。
  ● 男女とか寒暖とか、その項目の持つイメージに沿った色を用いる。
  ● 類似の項目には、類似の色を用いる。

 男性は青、女性は赤というのは、伝統的な固定観念を強化するもので、私自身、若干の抵抗はあるのだが、事実として、そういう固定観念が存在する以上、情報伝達の「分かりやすさ」の方を優先させるべきと考える(アメリカで、人種別のグラフを作る際には、そんなことも言ってられないかも知れないが・・・)。

 

「1月」の読み方 誤読を避ける工夫

 司法試験に合格しても、すぐに弁護士や裁判官になれるわけではない。

 約1年間の司法修習で実務に関する研修を受け、修了試験に合格して、晴れて、弁護士や裁判官になれるのだ。

 司法修習に専念するため、司法修習生は職に就くことが禁じられているが、反面、生活の心配をせずに修習に専念できるよう、「修習給付金」が支給される。

 以下に引用するのは、この「修習給付金」に関する論考の一節である【弁護士山中理司(大阪弁護士会所属)のブログ 裁判所関係の情報をメインにブログを作成しています。 修習給付金と最低賃金等との比較】。

司法修習が労働に該当するとした場合,月額13万5000円の修習給付金(1月の労働時間を171時間とした場合,時給は789円)は,埼玉県の最低賃金を下回ることとなります。


  「1月の労働時間」のところで引っかかった。

 「いちがつ」ではなく「ひとつき」であることは文脈から明らかなのだが、一瞬であれ、「いちがつ」と誤読しそうになる。

 ここは、そのような一瞬の誤読もないように、「ひと月」あるいは「1か月」という表現が適切なように思う。

 では、「いちがつ」のときは、どうすればいいだろう。

 「いち月」と書けば誤読の可能性は排除できるが、なんとなく違和感がある。

 実際は、「ひとつき」よりも「いちがつ」の場合の方が圧倒的に多いようなので、「1月」と書いても、「ひとつき」と誤読される可能性は少ないだろう。

 「1月」のように、同じ漢字で読み方の異なるもの、また、読み方は同じだが意味が異なるものは、誤読のおそれがあるので、注意が必要だ。

  工夫  くふう、こうふ
  生保  せいほ(生命保険、生活保護。ただ、生活保護に対する蔑称として「ナマポ」という言い方がある)
  人工  じんこう、にんく(作業量を、それに要する人の数で表すときに「三人工」などと使われる)

 思い出すままに書き連ねてきたが、こんな時こそ、ネット情報だ。

 【異音異義語】というサイトがあった。

 なんと全部で、500近くもあった。

 一度、目を通しておいた。こうしておけば、何かの折に、ふと思い出して、誤解を避ける工夫ができるかも知れない。





やはり、グラフが一番 後日談

 一昨日の記事【やはり、グラフが一番】で、【「予備試験を含めて考えれば法曹志望者の数は減っていない」は本当か?】というブログ記事を素材に、文字情報だけに頼らず、グラフにすることによって、どんなに「分かりやすく」なるのかを書いた。

 その後、素材となったブログ記事のコメント欄に、以下のコメントを書き込んだ。
 

せっかくの記事ですが、文字情報だけでは伝わりにくいのが残念です。
グラフにするのがいいと思います。
こちらを、ご覧下さい。
 http://laweditor.blog.fc2.com/blog-entry-428.html>


 すると、その翌日、早速、ブログ管理人の Schulze 氏が、返事のコメントを書いてくれた。

 その内容は、自分はブログ記事を書くだけで相当の労力と時間を割いているので、誰か分かりやすい画像を作成してくれたら、それを引用、紹介したい、というものだった。

 そこで、早速、その記事の中の表のいくつかについて、グラフを作成した。

出願


受験-2


出願受験


法科大学院-出願受験

 こういったグラフが記事の中にあれば、どんなに、理解しやすく、説得力を持ち、かつ、印象に残ることだろうと思う。


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----- 追記 2019.3.4 -------------------------------------------------------------------

 上記の4つのグラフは、既に、【「予備試験を含めて考えれば法曹志望者の数は減っていない」は本当か?】に反映されている。

 なお、反映される前の、グラフが掲載されていない記事は、【インターネット・アーカイブ】で見ることができる。

 念のため説明すると、インターネット・アーカイブというのは、世界中のウェブサイトを不定期に保存しているサイトである。「不定期に保存」と書いてあるが、保存してほしいと思ったら、自分の意思で保存させることはできる。

 今回のように変更が予想されるウェブサイトを予め保存しておけば、変更の前後の比較が可能になるのである。

 また、たとえば、ウェブ上で名誉毀損をされて責任を追及しようという場合、相手が削除してしまうと証拠がなくなるので、それに備えて、インターネット・アーカイブに保存させるという対策が可能である。

 ただ、このやり方は、元のウェブサイトから名誉毀損の記事が削除されても、インターネット・アーカイブ上には、いつまでも残るということになり、藪蛇にもなりかねないので注意が必要である。

 なお、手続き的に面倒で、しかも、確実とも言えないのだが、インターネット・アーカイブ上の情報を削除してもらうこともできなくはない。



やはり、グラフが一番

 【「予備試験を含めて考えれば法曹志望者の数は減っていない」は本当か?】というブログ記事に、司法試験と予備試験の出願者数の推移が載っている。

 司法試験+予備試験の出願者数の合計
 H23年 20869(新11892+予*8971+旧6)
 H24年 20383(司11265+予*9118)
 H25年 21570(司10315+予11255)
 H26年 21877(司*9255+予12622)
 H27年 21615(司*9072+予12543)←司法試験受験回数制限が5年5回までに変更
 H28年 20497(司*7730+予12767)
 H29年 19894(司*6716+予13178)
 H30年 19557(司*5811+予13746)
 H31年 19424(司*4930+予14494)
 ※H31年は、いずれも速報値。


 数字を見ていけば、司法試験と予備試験の出願者数の合計が平成26年をピークに、その後は減少の一途であることが分かる。こんなときこそ、グラフだ。

司法試験出願


 グラフを「眺めれば」、嫌でも、出願者数の増減はもちろん、司法試験、予備試験の、それぞれの出願数の増減も、瞬時に分かる。

 素材としたブログは、常に詳細なデータに基づいて的確な分析をしているのだが、データが、常に上記のような数値で示されるだけで、グラフを使用していないのは、もったいない限りである。

----- 追記 2019.3.2 -------------------------------------------------------------------

 昨日のグラフを折れ線グラフにしてみた。

 
司法試験出願-折れ線

 予備試験の増減も分かりやすくなった。

 積み上げ式の棒グラフの場合、上に来る予備試験の基点の高さが、下の司法試験の頂点となり、一定しないのだが、折れ線グラフにすれば、そのようなことはないので、分かりやすくなったのだ。

 比較のため、昨日のグラフと新しいグラフを左右に並べてみた。

司法試験出願 司法試験出願-折れ線
 

 なお、棒グラフでも積み上げ式にしなければ、予備試験の増減自体は分かりやすくなるのだが、グラフ全体が、ごちゃごちゃしてしまうので、避けた方がよい。

司法試験出願-積み上げなし


 この記事の後日談を、【やはり、グラフが一番 後日談】に書いた。


順位戦の予測 分かりやすさの基本は、「文章より表、一次元より二次元、無駄は省略」

 将棋界では、明日、3月1日(金)、トップ棋士によるA級順位戦の最終局が行われ、昨年に引き続き名人への挑戦権をかけて、豊島二冠(棋聖・王位)が久保九段と対戦する。

 最終局の行方を予測する記事の中に、次のような表が掲載されていた【佐藤天彦名人への挑戦者決まるか――A級順位戦最終日展望】。

豊島・久保-1

 (実際は、この下に、あと7局の結果が延々と記載されているのだが、省略した)

 この表を見ても、豊島二冠が過去の久保九段との対戦で優位にあるのか否かは、すぐに分からない。一つずつ見て、豊島の後ろの「○」を数えなければ、何も見えてこない。

 そこで、分かりやすく二次元の表にしたのが、これだ。

豊島・久保-2

 これなら、直近十局の対戦は、互角であること、先手後手の手番による勝敗も特別に偏っている訳ではないこと、この一年近くは対局が全くないこと、等が、一瞬にして見て取れる。

 これまでも、何度も述べきたことだが、以下の三つは、「分かりやすさ」の基本である。

  ● 文章より
  ● 一次元の表より、二次元の表
  ● 無駄な記載は省略 (豊島の勝敗と久保の勝敗は裏表の関係なので、一方を書けば足りる)

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 改めて、この記事を読み直してみて、冒頭の表現が気になった。

昨年に引き続き名人への挑戦権をかけて、豊島二冠(棋聖・王位)が久保九段と対戦する。

 
 昨年、豊島は、勝てば挑戦権獲得という対局で敗れ、空前の6人の棋士によるプレーオフとなり、その緒戦で久保に勝ったのだが、4局目で羽生竜王に敗れ、名人への挑戦はならなかった。 

 ところが、上記の表現だと、下記の疑問が湧いてくる。

  ・ 豊島は、昨年は挑戦権を獲得したのか

 分かりにくさの原因は、「引き続き」が何を修飾しているか曖昧なことであるが、現時点で、うまく説明できない。改めて、追記の形で説明する予定だが、読者の方が鮮やかに説明してくれるとありがたい。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 表についても、見直した。
 
豊島・久保-3

 これなら、手番による勝敗の違いも一目瞭然である。

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「三浦さんの好きな維新の松井さん」 誰が誰を好きなのか?

 松井大阪府知事が米山元新潟県知事を名誉毀損を理由に損害賠償請求をしていた事件の控訴理由書の一節である【米山隆一の10年先のために】。

 「因みにこの『高校』は大阪府立高校であり,その責任者は三浦さんの好きな維新の松井さんであり,異論を出したものを叩きつぶし党への恭順を誓わせてその従順さに満足するという眼前の光景と随分似ていて,それが伝染している様にも見えるのですが,その辺全部スルー若しくはOKというのが興味深いです。」 


 「三浦さんの好きな維新の松井さん」とあるが、誰が誰を好きなのか、これだけでは分からない。

   誰が  誰を
   三浦 → 維新
   三浦 → 松井
   維新 → 三浦
   松井 → 三浦

 4通りの解釈が可能になった原因は、以下のとおりである。
 
 ● 「の」が多義的なこと(対象を示すか、主体を示すか)
      ・対象
        カレーの好きな日本人  
      ・主体 
        日本人の好きなカレー  

     「の」が多義的であることについては、以前に詳しく書いた。
       【「長男の父親の不倫相手」は、男か、女か

 ● 修飾語は、直後の名詞を修飾するとは限らないこと

 ところで、この事件は、一審の地裁では、550万の請求に対して、33万の賠償が命じられたのに対して、二審の高裁では、損害賠償の支払い義務はないと言う内容の和解が成立したものである。

 上記の控訴理由書に引用された地裁判決には、「分かりやすさ」の点でも、論理の展開の点でも問題が山ほどある。他方、控訴理由書の方も必ずしも分かりやすいとは言えない。

 いわば、このブログの素材がぎっしりあるのだが、ブログで取り上げるにしても、分かりやすく説明するのは結構、大変そうである。いつか、余裕のあるときに、取り上げることとする。



色彩テスト 得点 ゼロ 直感に馴染む数字を使う

 色彩テストをやってみた【エックスライト社のカラーIQ(色彩感覚)テスト】。
 
色彩テスト-1

 青紫~赤紫のパネルがランダムに並んでいるが、パネルを動かして、左端の青紫から右端の赤紫まで順に少しずつ赤みを増して行く行く「グラデーション」にする、というものだ。他にも、黄緑~黄土色など、何種類か並んでおり、同じように、きれいなグラデーションを作れるかが試される。

 このブログでも色彩については何度も書いているように、色彩感覚については、そこそこの自信はあった。ところが、採点をすると、こうだった。

色彩テスト-3

 私の自信は全く根拠のないものだったのかと愕然としたのだが、スコアの下の説明文を読んで納得した。

色彩テスト-5

 なんと、パーフェクトである。

 ちなみに、いたずらで、適当にやってみたら、こうなった。

色彩テスト-4

 スコア106と言うことだから、もっと出鱈目に並べたら、200くらいになるのかも知れない。

 いずれにせよ、色彩感覚が優れている方が、スコアが低いというのは、直感に反するものである。

 やはり、パーフエクトなら、100点、全然ダメなら、0点、とするのが直感に馴染む。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 パーフェクトなのは結構なのだが、手放しで喜ぶわけには行かない。

 私に区別できても多くの人に区別できない場合があるということであり、そのことを踏まえて色分けをしないと、多数の人には理解してもらえない可能性があるということになる。

臨時休館のお知らせ 

 図書館から、予約していた本が届いたという告知のメールが届き、そのメールの下の方に以下の記載があった。

伏見中央図書館は2月25日(月曜日)から3月1日(金曜日)まで,
醍醐図書館は2月25日(月曜日)から2月28日(木曜日)まで,
吉祥院,西京,こどもみらい館子育て図書館は2月25日(月曜日)から2月27日(水曜日)まで,
久我のもり図書館は3月4日(月曜日)から3月7日(木曜日)まで,
岩倉,東山,南,洛西,向島図書館は3月4日(月曜日)から3月6日(水曜日)まで,
図書特別整理のため,臨時休館します。


 はじめは、読み飛ばそうと思ったのだが、最後の行に「臨時休館」とあるのに気づいた。そこで、自分が利用する分館も臨時休館するのか確かめるために、上から読んで行った。

 けれども、文字が詰めて書かれている中で、目当ての図書館名を捜すのは、面倒だ。ざっと見て見当たらなかったとしても、見落としの可能性もあり、「ない」ということを確認するのは、結構、神経を使う。もう一度、丹念に見て行って、臨時休館はしないのだということを確認することになる。

そこで、改善案を作ってみた。

★臨時休館★ 図書特別整理のため、下記のとおり、臨時休館します。

伏見中央図書2月25日(月)~3月1日(金)
醍醐図書館図2月25日(月)~2月28日(木)
吉祥院,西京,こどもみらい館子育て
図書館図書館2月25日(月)~2月27日(水)
久我のもり3月4日(月)~3月7日(木)
岩倉,東山,南,洛西,向島
図書館図書館3月4日(月)~3月6日(水)



 注目してもらうための工夫 

● 冒頭で、「臨時休館」のお知らせであることを告知する。
● 記号★をつけて、目を引くようにする。

 分かりやすくするための工夫 

● 図書館名と休館期間を分けて書く
● 分かりきった「図書館」「曜日」は、省略する。
● 「から」「まで」という言葉ではなく、「期間」を表すことが直感的に理解できる記号「~」を用いる。


原発稼働状況 表にするしかない! その4

 原発の再稼働の状況については、何度か表を掲載してきたが、最新版(2019.2.18現在)である。

  
原発-2019-02-18-1
原発-2019-02-18-2-2


 なお、ブログ内の原発稼働状況に関する記事は、以下のとおりである。情報を更新するだけでなく、毎回、より「分かりやすく」という観点で改善を重ねているので、どこが、どう分かりやすくなったのか、じっくり味わって、参考にしてほしい。

  【原発稼働状況 表にするしかない!
  【原発稼働状況 表にするしかない! その2
  【原発稼働状況 表にするしかない! その3
  【原発稼働状況 表にするしかない! その4

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老舗企業は小規模企業? 全体を見なければ意味がない

 以下に引用するのは、「逆接の法則」56頁で老舗企業と企業規模との関係について書かれた一節だ(読みやすくするために、若干の整形を施している)。

・ 100年以上続く老舗企業の売上高を見てみよう。・・(中略)・・5億円未満の中小・零細企業が全体の約7割を占めていたのだ。
・ 従業員数別では ・・(中略)・・ 「300人以上」は全体の3.4%にとどまった。
・ 東証など国内証券取引所に上場する老舗企業は・・(中略)・・長寿企業全体の2%弱しかなかった。
これらのことから、規模を大きくしない方が実は長続きするのではないか、という推測も生まれてくる。


 要するに、売上高、従業員数、上場企業か否かという指標から、老舗企業には小規模のものが多い、従って、規模を大きくしない方が企業は長続きする、という「推測」をしているのだが、論理として飛躍している。

 老舗企業中における、売上高5億円未満の企業の割合、従業員「300人以上」の企業の割合、上場企業の割合が、それぞれ数値で示されているが、全企業中における割合も同時に示されなければ、割合の多寡を論じることは不可能である。

 ちなみに、全企業数は400万弱【転職グッド 大企業・中小企業の定義と企業数、従業者数】、上場企業数は4000弱【日本取引所グループ 上場会社数・上場株式数】であり、全企業に占める上場企業の割合は、約0.1%である。そうすると、老舗企業中の上場企業の割合が2%というのは、その20倍であり、むしろ、老舗企業の方が一般に規模が大きいという、正反対の結論が導かれる。

 ここで述べた論理の飛躍は、【オーケストラは理系のサークル活動?】【なぜ、一部の数字だけで納得できるのか】【割合の単純比較は、危険 シートベルト不着用の危険性】で述べたのと全く同質のものである。

 この本の著者である西成活裕氏は、数理物理学の専門家で、道路の渋滞や企業の生産活動などの領域に数理物理的手法を導入して社会実験を行うなど、様々な社会問題を論理的かつ実証的に解決しようと取り組んでいる気鋭の学者である。

 同氏の「渋滞学」「誤解学」「逆接の法則」などを読んだが、書店に溢れているビジネス書を100册読むよりも、この3册を読む方が遙かに有意義であり、もっと、こういった人が出てくればいいと思っている。

 それだけに、上記の論理の飛躍を目にしたときは、少し、がっかりしたのだが、優れた研究者でも、規模が小さい方が企業は長続きするという思い込みが強いと、「論理」ではなく、その思い込みを強く印象づける数字にのみ目を奪われて、論理の飛躍をしてしまうのだ。

 文章を書くときには、自分の思い込みで書いていないか、論理的に飛躍がないか、常に検証しなければならないということを、再認識した次第である。

----- 追記 2019.2.13 -------------------------------------------------------------------
 
 素材を提供していただいた著者の方に、この記事のことをお知らせしたところ、1時間もしないうちに、誤りを率直に認められて、今後は気を付けたい旨の、お返事をいただいた。

 なかなかできないことであるが、こうありたいものである。

 先日亡くなった梅原猛氏は、古代史に関する自説に対する批判を徹底的に検証した上で、自説の誤りを認めて、『葬られた王朝』という本まで書いたことで、一層、評価を高めた。

 けれども、自説の誤りが分かったら、それを改めるというのは、当たり前のことである。とはいえ、当たり前のことでも、当たり前にできないのが大多数の凡人であり、だからこそ、当たり前のことを当たり前にする人が評価されるのである。

 なお、昨日の記事に若干の字句の訂正や文字の修飾を施している。

 


「師弟戦」についての将棋連盟対局規定  「ただし」を安易に使わない

 藤井聡太六段が師匠の杉本昌隆七段に「恩返し」をしてから、もう1年になろうとしている【JCASTニュース 2018.3.9 藤井六段の「恩返し」】。「師弟対決」にいては、将棋連盟は次のように定めている【日本将棋連盟 対局規定 第8条 公式棋戦規約

 トーナメント戦においては、一次予選の1回戦の師弟戦は行わない。
 ただし、二次予選や本戦の1回戦はこれには該当しない。


 2行目に「ただし」とあるので、「一次予選の1回戦」でも、例外的に師弟戦が行われる場合があるのかと思ったのだが、よく読めば、そうではない。

 「二次予選や本戦の1回戦はこれには該当しない。」と書かれており、新たな情報は、何も付け加えられていない。

 「ただし」というのは、通常は、「原則に対する例外」を示す場合に用いられるものである。

 他には、たとえば、「コート内に落ちた場合は・・・。ただし、白線にかかる場合は、コート内とします。」のように、概念の境界で、その概念に含むか否かが一義的には決められない場合に、補足的に説明する場合に用いられることもある。

 他の用法としては、「心臓を切り取ってもよい。ただし、血を流してはならない。」のように、条件を付加する場合もある。

 ところが、対局規定の「ただし」は、ここで説明した3つの用法の、いずれにも該当しない。

  ● 原則に対する例外
  ● 曖昧な概念の明確化
  ● 条件の付加

 対局規定中の「ただし」で始まる一文は、何の意味もなく、読者には余分な負担をかけるだけであり、削除すべきである。

 どうしても、本戦や二次予選のことを書きたければ、こう書くべきである。

 トーナメント戦においては、一次予選の1回戦の師弟戦は行わない。
 従って、二次予選や本戦の1回戦では、師弟戦が行われることもある。



----- 追記 2019.2.13 -------------------------------------------------------------------
 
 記事に書いた改善案だが、少し問題がある。
 

 トーナメント戦においては、一次予選の1回戦の師弟戦は行わない。
 従って、二次予選や本戦の1回戦では、師弟戦が行われることもある。


「従って」というのは、順接の接続詞であり、前に書いたことの帰結として、次に何かを書く場合に使う言葉である。

 ここでは、2行目に書かれたことは1行目の帰結とは言いがたい。1行目の反対解釈の帰結としてなら、2行目のことが言えるのだが、その場合に「従って」という接続詞を用いるのは、違和感がある。

 ここは、「従って」ではなく、「なお」とか、「念のために述べるが」というのが適切なように思う。









最新号は貸出しできません

 近所の図書館では、雑誌の貸出しも行っている。

最新号-1

 ただ、雑誌のカバーを見ると、最新号の貸出しはできないとのことだ。

最新号-2

 似たような記載なのだが、こんなのもある。

最新号-3

 最初の「あまから手帖」の方は、「最新号です」と書かれており、最新号であることは明白だ。

 ところが、次の「アサヒカメラ」の方は、「最新号は貸出しできません」となっており、あくまでも、一般原則だけを述べているのだ。「あまから手帖」に「最新号です」と書かれていることからすると、その反対解釈で、「アサヒカメラ」は最新号ではないのかも知れない。
 
 ここからは、私の推測なのだが、一方にはフリガナがあり、他方にはないことからすると、元々はフリガナがなかったのだが、その後、小さな子どもにも分かるようにとの配慮から、フリガナ付きの改良版が作成されたように思える。

 そして、それと同時に、「最新号です」から「最新号は」に変更されたのだが、それは、なぜか。

 おそらく、初めの記載は、断定的な口調で高圧的な感じを与えることから、「親しみやすさ」を演出するために、「最新号は」と一般論を述べることによって、その号も結局は最新号であり貸出しできないことを悟ってもらおうと考えたのではないだろうか。

 考えてみれば、「夢のある人が好き」とか「夢ばかり追いかけている人は嫌い」とか言う場合、普通は一般論に止まるものではなく、「夢のあるあなたが好き」とか「夢ばかり追いかけているあなたが嫌い」ということである。

 仮に、文字通り一般論として受け止めてしまう人がいるとすれば、誤解する方が悪い、と言うことになるだろう。

 けれども、公共の図書館では、やはり、「分かりやすさが第一」である。「最新号は貸出しできません」といった、誤解の可能性のある表現は避けた方がいいと思う。そうすると、次のいずれかということになる。

 「最新号です 貸出しできません」
 「旧刊です  貸出しできます」

 ところで、ここの図書館は、ネットで本を検索、予約して、近くの分館まで本を届けてもらうことができ、大変、便利なのであるが、ネット予約等のシステムに関しては色々と問題があり、これまでにも、記事を書いてきた。

 【図書館で借りれるのは、AV2本まで
 【内部の論理は、内部に留める
 【番号だけでは分からない
 【どこまで利用者に配慮できるか
 【借りている資料=貸出状況 ?
 【図書館の本の予約状況の確認 情報のワンストップサービス

----- 追記 2019.2.22 -------------------------------------------------------------------

 「旧刊です  貸出しできます」という記載を提案したのだが、考えてみれば、図書館の本は貸出可能なのが原則なのであるから、貸出可能であれば、ことさらに、そのことを書く必要はないだろう。


呼び出しボタンは、どこにある?  情報の引き算

 郵便受に書留郵便の不在配達通知が入っていたので、郵便局の夜間窓口に行った。誰も人がいないので何度も声を掛けたのだが、ようやく出てきた職員から、呼び出しボタンを押してもらったら、すぐに分かると言われた。

 そこで、ボタンはどこかと、改めて窓口の横の壁を見渡した。

呼び出し-2

 赤、青、緑、黄色と雑多な色が目に飛び込んできて、ボタンがどこにあるのか、すぐには分からない。よく見ると、右下に大きな矢印と「呼び出しボタン」という記載があり、その矢印の先に、実際にボタンがあった。

呼び出し-1

 わざわざ張り紙をして、ボタンの場所を大きな矢印で示すということは、郵便局の側も、ボタンの場所が分かりにくいことを認識していたのだろう。

 けれども、その解決策として、矢印と注意書きを加えるのは、方向性を間違えている。解決策は、こうだ。

呼び出し-4


 均一なグレーの壁に、大きさは控えめだが、赤地に黄色の下向きの矢印、その下に黒いボタンがある。これなら、嫌でも目に飛び込んでくる。

 机の上に置いたはずの携帯電話を捜すにしても、本や書類や郵便物の散乱した机の上だと大変だが、整理整頓された机の上なら一瞬であるのと同じである。

 情報過多の結果として分かりにくくなってしまう例については、これまでも書いたことがある。

 【地図の描き方
 【実務に理解の深い教員・・・

 なお、少し飛躍するが、この記事で書いた「理屈」は、視覚的なものに限らない。

 町の将棋道場では、誰もが知る天才少年であっても、奨励会に入れば、ただの一会員である。

A級順位戦の行方  必要最小限の情報をシンプルに

 将棋の佐藤天彦名人への挑戦権をかけたA級順位戦が佳境に入っており、将棋連盟のウェブサイトに解説がある【豊島が7勝1敗で首位に、羽生、広瀬が6勝2敗で追いかける A級順位戦 8回戦】。

 その解説の中に、最終戦(9回戦)の勝敗によって誰が挑戦者になるかについての表がある。

順位戦-1

 だが、せっかく表になっているのに、書かれていることを順に読んでいかなければ、理解することができない。

 では、こんな表なら、どうだろうか。

順位戦-2
 
 一目瞭然である。

 文章で書けば、暫定一位の豊島は、久保に勝てば無条件に挑戦者になり、負ければ、羽生広瀬戦の勝者とのプレーオフになる、ということであり、そのことだけを表にしたのが、上の表である。

 これに対して、将棋連盟の表は、3名の肩書き、最終戦の結果に基づく最終の勝敗なども書かれており、丁寧であることは間違いない。だが、読者がとりあえず知りたいのは、最終戦の結果によって誰が挑戦者になるのか、といった情報であり、肩書きなどは余分な情報である。

 余分な情報があると、読者の側で、必要な情報を選別しなければならず、その分、理解するまでに時間を要するのである。


孫や息子の嫁を養子にする話し

弁護士ドットコム40号14頁に、こんな記載がある。
 

孫や息子の嫁を養子にすると相続税が減らせるという話しを聞きましたが、それはほんとうなのでしょうか。



【1】 孫や息子の嫁

 「孫や息子の嫁」というのは、次の、どっちだろうか?
   「孫」や「息子の嫁」
   「孫や息子」の「嫁」

 おそらく、前者だと思われるが、そうなら、こう書けばいい。
   息子の嫁や孫

 もちろん、このように書いても、
   息子の「嫁や孫」と読む余地もあるのだが、「息子の孫」は、普通は「曾孫」と表現するので、このような読み方はされにくい。

 完璧を期すなら、数式のように、文章にも括弧を多用すべきことになるが、それは、それで分かりにくくなるので、要は、バランスの問題である。


【2】 話し

 送り仮名の付け方については、【内閣告示・訓令】によって、一応の基準が示されている。

 そして、名詞としての「はなし」は、「話」と書き、送り仮名「し」は付けないものとされている【送り仮名の付け方 単独の語 2 活用のない語 通則4】。

 「話」の送り仮名については、小学校の1年生の頃に、先生が一生懸命に話していたのを記憶しており、子供の頃から常に気を付けて来たし、たまに、「話し」と送り仮名「し」を付けているのを見ると、「なんと教養のない人だ」と思ってきた。

 ところが、ここ10年くらいのことであるが、手書きの文章ではなく、ちゃんとした活字になった文章でも「話し」と記載されているのを見かけることが多くなった。

 誤用であっても多数になれば、いつしか、それが正しい用法となってしまうのは、言葉の宿命のようなものではあるが、半世紀後はいざ知らず、今のところ、「話し」は、単なる誤りに過ぎない。



図書館の本の予約状況の確認 情報のワンストップサービス

 私が利用している公共図書館では、借りたい本をネットで予約すれば、自分で指定した分館で本を受け取れるようになっている。

 指定した分館に本が届けばメールで通知が来るし、その前でも、予約した本の状況をネットで確認すると、「確保待ち●位」とか「搬送中」といった表示が出て、あと、どれくらいで本が届くか分かるようになっている。

 たとえば、こんな具合だ。

予約状況-3

 「確保待ち29位」となっているが、1回の貸出期間の上限は2週間なので、単純に考えると、2×29=58 (週間)ということで、本が届くまで1年もかかるように見える。

 だが、仮に同じ本が例えば30册あるとしたら、「確保待ち29位」であれば、2週間もしないうちに自分の番が回ってくるはずである。

 そこで、「所蔵一覧」という頁で、その本が何冊あるのかを確認するのだが、次のようになっている。

予約状況-2

 ざっと見て、20冊くらいあるようだ。ということは、2×29÷20≒3 と言う計算で、おおよそ3週間待てばよいと言うことがわかる。

 とはいえ、こんなふうに、予約状況確認の画面には、「確保待ち(29位)」という情報しかないために、改めて、別の頁で蔵書数を確認せざるをえないのであり、面倒な話である。

 「確保待ち(29位)」の後に「蔵書数(20冊)」というふうに書かれていれば、すぐに、どれだけ待てばいいのかを概算できるのである。

 ところで、「所蔵一覧」の頁には、何冊あるのかという情報だけでなく、「請求記号」「資料コード」といった情報が掲載されているが、こんな数字や記号の羅列は、利用者にとっては、どうでもいい情報だ。

 図書館の職員にとっては、蔵書の管理のために必要不可欠な情報なのだろうが、その情報を一般利用者に知らせる必要はない。

 一般利用者にとっては、必要な情報が一箇所にまとまっていることが重要なのであり、不要な情報を目にすることは、ストレス以外の何物でもない。

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」【チコちゃん:流行語大賞トップテン入り】で有名になったNHKの情報番組「チコちゃんに叱られる!」で見たのだが、人は何かを思い出すときに上の方を見るが、それは、目から入ってくる雑多な情報を遮断し、思い出すことに集中するためだそうだ。

 何らかの情報を伝えるに際しては、受け手が必要な情報に神経を集中して的確に理解できるようにするためには、集中の妨げになる不要な情報は極力排除しなければならない、ということである。

 ところで、この公共図書館については、これまでも、何度も記事を書いてきた。

 【図書館で借りれるのは、AV2本まで
 【内部の論理は、内部に留める
 【番号だけでは分からない
 【どこまで利用者に配慮できるか
 【借りている資料=貸出状況 ?

 それだけ、問題が多い、ということである。改めて、自分でも記事を読み返して見て、この図書館のシステムの責任者に向かって心の中で思わず叫んでしまった。

      ボーっと生きてんじゃねーよ!
 

 



核燃料サイクルの図解

 核燃料サイクルの記事を見て、よく分からなかったので、図解したものはないかと探してみた。すると、つぎのような図【時事ドットコムニュース【図解・社会】核燃料サイクルの現状】があり、「分かりやすそう」に見えた。

核燃料-1


 ところが、この図が、「図解の基本」を弁えないもので、むしろ、疑問が深まるばかりの図だった。

 問題点は大きく2点あり、それぞれ、赤の楕円の実線と破線で囲んだので、どう問題なのか考えてほしい。

核燃料-2

【1】 「プルサーマル発電」は「MOX燃料工場」で作られる?

 まず、赤の実線で囲んだ「プルサーマル発電」だが、「MOX燃料工場」と「原発」を結ぶ緑色の矢印の横に書かれている。

 他にも、緑色の矢印は9箇所にあるが、いずれも、ある施設・工場から、別の施設・工場に送られる物質の名前が書かれている。

 ところが、「プルサーマル発電」だけは、物質名ではない。「MOX燃料工場」から出てくるのだから、「MOX燃料」と思われるのが、「MOX燃料」とは書かれていない。

 複雑なものを図解するに際しては、矢印はよく使われ、非常に便利なものである。ところが、便利なだけに、「雰囲気」で使ってしまい、矢印が何を意味するのか曖昧なものが非常に多い。

 ここでは、矢印は、矢印の元に書かれた施設から、矢印の先に書かれた施設に、矢印の横に書かれた物質名が送られる、という意味だということは容易に理解できる。

 ところが、「プルサーマル発電」だけは、その使い方から外れている。図の作成者の認識が「いい加減」なのだろう。

【2】 「行き場なし」の意味

 次に赤の破線の楕円で囲まれた「使用済みMOX燃料」だが、「原発」から出てくるものには「行き場なし」との記載が付け加えられている。

 他方、「高速増殖炉」から出てくるものは、「再処理施設」に送られるようだが、その「再処理施設」が「未定」ということだ。結局は、これも、「行き場なし」ではないのか。

 結局は、どちらも、本来は、再処理施設を作って、そこに送られるはずなのだが、その再処理施設が、どこに建てられるのか未定のため、「行き場なし」ということだろう。

 結局は同じというのであれば、表現も同じにすればよい。たとえば、「原発」からの緑の矢印の行き先を、「再処理施設」にすればいいのだ。異なった表現をするから、分かりにくくなるのである。
 
 同じことは同じ表現にすべきことは、過去の記事【一瞬で分かるようにする】でも触れている。

【3】 「現状」「将来」の意味

 「現状」「将来」と分けているが、「現状」の方も、「MOX燃料工場」「再処理施設」が「未完成」となっており、「サイクル」は完成していない。

 「現状」とは、既に完成している「リサイクル」であり、「将来」とは、今後に完成が予定されている「リサイクル」のことだと思っていたのだが、そうではない、ということになる。

 だとしたら、「現状」と「将来」は、どういう意味で使っているのだろうか?

無料Wi-Fiと携帯充電器 内容と見出しを対応させる

 ある私鉄の無料サービスに関する説明だ。

京阪-1


 一番下に「数に限り」とある。無料Wi-Fiで、「数に限り」とは、どういうことか、と思ったら、すぐ上に、「携帯電話充電器等もご用意しております。」とあった。

 要するに、無料Wi-Fiの話ではなく、携帯電話充電器の数に限りがある、ということのようだ。

 そもそも、見出しは、「無料Wi-Fi」となっている。携帯電話のことを書きたければ、別に、「携帯電話充電器」という見出しを作って、そこに書けばいい。

 無料サービスには、他に「ブランケットの貸し出し」もあるのだが、携帯電話充電器の有無に関心のある閲覧者は、見出しだけ見て、充電器はないものと誤解してしまいかねない。

 そんな誤解のないようにしたのが、次の改善案だ。

京阪-3

 なお、元の説明では、携帯電話充電器「等」となっていたが、「等」の中身の説明はない。無用な疑問を抱かせないよう、改善案では、「等」を削除した。

 また、一番下の行が、「※数に・・・」とあるのを、「※ 数に・・・」と変更した。「※」の後ろにスペースを入れることによって、「※」が目立ち、注意を喚起する機能があるからだ。




土曜は平日か?

 ある施設の駐車場の利用案内だ。

利用時間-1


 利用時間の欄には、土曜日の記載はない。と言うことは、土曜は休みなのか?平日というのは、一般的には土曜を含まないようだが、含んで使われる場合もあるし、この場合は、どうなんだろう?

 そう思いながら、料金のところを見ると、「日祝土」という記載があり、土曜日も営業していることは明らかだ。

 営業していることは分かったものの、土曜の利用時間は、平日と同じなのか、日曜・祝日と同じなのか?

 日曜・祝日に土曜を含まないのは明白だが、平日は土曜を含んで使われる場合もある。そう考えると、ここでは、土曜は平日に含むと考えるのが妥当なようだ。

 この解釈を前提にした改善案を作ってみた。

利用時間-2

 土曜を明記したほか、以下のような変更を加えた。

 ● 火曜日 → 火曜  無駄な「日」は記載しない

     意味が通じる限り、無駄な記載は極力、省くべきである。

 ● 曜日ごとの利用時間・料金を1行に

     元の表では、情報が分散して見にくいが、1行に書かれていれば、一目瞭然である。






 

ローガングラス?  

 今朝、とある役所のカウンターで書類を差し出し、職員の対応を待っているときに、こんな文字が目に飛び込んできた。

  ローガングラス


 いったい、何だ? と思って、そのすぐ下を見ると、今度は、アルファベットで、こう書かれているに気がついた。

  ROUGANGLASS


"rougan" という英単語を頭の中で検索しても私の記憶の中にはない。
そのうち、視野に入って来てたのが、これだ。

老眼鏡

 「老眼鏡」なら「老眼鏡」と書けばいいのに、ことさらに、カタカナ、アルファベットで、英語もどきの表示をするから、分かりにくくなるのだ。

 こんな気持ちの悪い表現を考えた人は、おそらく、こう考えたのだろう。

 老眼鏡というのは、「老」という文字が入っており、否定的なイメージがある。小さな文字が読みにくい人に、「老」を意識させることなく、気軽に「老眼鏡」を手にとってもらうには、そのイメージを払拭すべきだ。とりわけ、役所の窓口では、書類の内容を誤解することのないよう、小さな文字でも、しっかり読んでもらうことが必要だ。そのためには、無理して裸眼で読むのではなく、老眼鏡をかけて読んでもらいたい。

 そこで、「老」のイメージを払拭し、「お洒落」なイメージを持たせて、気軽に手に取ってもらえるには、カタカナ、アルファベットにするしかない。

 その結果として生まれたのが、「ローガングラス」であり"ROUGANGLASS"だろう。

 意味が理解できた後も、この表現の気持ち悪さは拭えない。こんな感覚は私だけではないだろうと思い、ネットで検索してみると、【Go for It! ローガングラス??】という記事が見つかった。

みずほ銀行本郷支店は、どこにある? 無益な情報は有害だ  【タイトルの変更】

 昨日の記事【無益なものは有害だ みずほ銀行店舗検索の地図】のタイトルを変更した。

 【前】  無益なものは有害だ みずほ銀行店舗検索の地図
 【後】  みずほ銀行本郷支店は、どこにある? 無益な情報は有害だ


変更点は、3点ある。

● 抽象的説明の前に具体例を
 
 おぼろ気な記憶だが、むかし読んだ憲法の教科書に書かれていたことを思いだした。

 憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」の解説に、「人は抽象的なものは観念しにくいので、具体的な存在を象徴とすることにより、抽象的な存在を想起させる」といった趣旨のことが書かれていたのだ。

 確かに、キリスト教の偶像崇拝もそうだろうし、数多くの聖画も、そのような効果を意図したものだろう。

 そういうわけで、まず、具体例をかかげた方が、読者にとっては、とっつきやすいはずだ。

● 具体例は、徹底的に具体的に

 具体的なものに、上記の効果があるのなら、具体性は、徹底的にした方が、より効果的なはずである。

 そこで、「みずほ銀行店舗」という記載を「みずほ銀行本郷支店」にしたのだ。

 「店舗」というだけでは、漠然としているが、「本郷支店」とすることによって、より身近に感じられるのではないだろうか。

 もちろん、国民全体で見れば、「本郷支店」など見たことも聞いたこともない人が多数派だろうが、それでも、具体的な地名を含んだ支店名が書かれていることによって、なんとなく「身近」に感じられるはずである。

● 漢語ではなく、やまとことば

 「検索の地図」を「どこにある?」にした。 

 漢語は、千年以上の歴史があるとは言え、日本人にとっては、やはり「借り物」である。「どこにある?」とすることによって、なんとなく、自分が当事者になっているように感じられるではないか。



みずほ銀行本郷支店は、どこにある? 無益な情報は有害だ 

 みずほ銀行の支店について調べるために、銀行のウェブサイトのトップ頁から、【ATM・店舗のご案内】という頁を開いたところ、真っ先に目に飛び込んできたのが、次の地図だ。

みずほ支店-1


 ここまでは、よくある話で、地図上の地域をクリックしていくと、順次、詳細な地図が表示され、目的の支店に辿り着けるという仕組みだ。

 東京の支店を調べたかったので、早速、地図の「関東」の所をクリックしたのだが、反応がない。マウスの調子が悪いのかと思い何度もクリックしたが同じだった。

 どうも、地図上の「関東」は、どこにもリンクしていないらしい(私の使っているブラウザの設定では、リンクが設定されている所にマウスポインタを移動すると、マウスポインタの形状が、人差し指を突き出した右手のイラストに変化する)。

 ふと地図の右手を見ると、こんな表が表示されている。

みずほ支店-2


 結局、そこにある「東京都」をクリックして、目的の支店を調べることができたのだった。

 冒頭の日本地図は、店舗検索に何ら役立っていないどころか、リンクが設定されていると思わせて無駄なクリックをさせる点において、「有害」である。

 ウェブサイトの作成者が、「店舗検索なら地図を表示」という固定観念で地図を表示したものの、「何のために地図を表示するのか」という点を全く理解していなかったために、有害無益な地図を記載したのだろう。

 その後、みずほ銀行のウェブサイトを色々と見ているうちに、【ATM・店舗検索】という頁に辿り着き、そこには、次のような地図が表示されていた。

みずほ支店-3

 ここで、「東京都」をクリックすると、次の地図が出てくる。

みずほ支店-4

 更に、「文京区」をクリックすると、下記のとおり、文京区内の店舗の一覧が表示される。

みずほ支店-5


 不可解なのは、【ATM・店舗のご案内】と【ATM・店舗検索】が併存していることである。

 ウェブサイトの作成の担当者間での連絡が不徹底なのが原因だろう。

 けれども、外部の人間でも気づくことが、なぜ何年間も放置されているのか、不思議である(詳細は省略するが、上記の店舗検索に関する二つの頁は、遅くとも、2013年から併存している)。

なお、素材の提供をしていただいた、」みずほ銀行には、「ご意見・苦情」のフォームから、メールでお知らせをしておいた。







「新人王戦」の参加資格 条件を列挙する場合は、「または」か「かつ」かを明示する

 新しい年を迎えたが、今日の記事も将棋の話題だ。

 昨年、藤井聡太七段が、最後のチャンスとなった「新人王戦」で優勝し、元日の今日、豊島将之2冠(棋聖・王位)と「記念対局」を行った。

 対局の模様は、インターネットテレビ(ニコニコ生放送、Abema テレビ)で放映されたのだが、それぞれのサイトで、「新人王戦」の参加資格について解説をしている。

 今日の「素材」は、その解説なのだが、これまでと違って、最初に「改善案」を見てもらおう。

新人王-4

 藤井七段は、新人王戦を戦っているうちに、四段から、あっという間に七段になったため、棋士に課された3つの条件のうちの一つ「六段以下」の条件を満たさなくなったために、新人王戦は今回で「卒業」となったのだ。

 次に、ニコニコ生放送の解説だ。

新人王-2

 最初の二行をみてほしい。

 「26歳以下」「六段以下」が並んでおり、この条件が、「かつ」なのか「または」なのか、判然としない。

 下の3行は、「または」であることは明らかであるから、上の2行も、「または」と解するのが自然である。

 けれども、「または」と解すると、16歳の藤井七段は、あと10年間も参加できることになり、「または」と解するのは明らかに誤りである。

 条件がいくつか並んでいる場合、「または」なのか「かつ」なのか判然としない例は、しばしば見かける。

 次は、Abema テレビ。

新人王-3


 問題なのは、丸括弧内の「年齢26歳以下でタイトル挑戦挑戦経験者を除く」の記載だ。

 文法上は、次のいずれとも解釈可能だ。
 

● 「年齢26歳以下」で「タイトル挑戦挑戦経験者を除く」
● 「年齢26歳以下でタイトル挑戦挑戦経験者」を除く


 「新人」を対象とした棋戦なのだから、前者の意味であることは明らかなのだが、文法上の曖昧さを文脈で補うのではなく、文法上も文脈上も「一義的」な文章こそ、分かりやすい文章である。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 いつもは、「素材」→「改善案」というパターンが多いが、今回は、初めての試みだ。

 推理小説でも、冒頭から犯人を明らかにする「倒叙式」とうのがあるそうだが、果たして、今回の試みは、成功しただろうか。



日本語教育研究者の資質

 文化庁の【日本語教育研究協議会 第5分科会】の議事録の一部だ。

 読むのは大変だろうから、ざっと眺めるだけでいい。

どういうことかと言いますと,表現の中には非常に汎用性が高い便利な表現がたくさんあります。例えば「どうぞ」という言い方がありますね。「どうぞ」はいろいろな場面で使えます。ドアをあけて迎え入れるとき,それから,飲み物や食べ物を振る舞うとき,物を渡すとき,それから,「いいですか」と聞かれて,許可を求められて「はい,どうぞ」というような,そういう,一つ覚えればいろいろに使える表現,最初のテーマで自己紹介の練習をします。そこで「よろしくお願いします」とせっかく練習したわけですから,今度は「お願いします」が言えればいろいろなふうに使えるということを伝えます。お店で物を買うときには,「これ,お願いします」と言えばいいわけです。「先生,はさみ,お願いします」は,「はさみを貸してください」という意味にもなります。それから,「書いてください」だったら,動作プラス(書くまねをして)「お願いします」と言えば,それは「〜てください」が使えなくても人にものを依頼する表現になります。そういうように,一つ覚えればいろいろに使える,そういう汎用性の高い表現をぜひたくさん覚えていただきたいと思いまして,ハンドアウトの資料3で,表現一覧表(発話目標)として書き出しましたものを,それこそ「しみ込むように」繰り返し繰り返し扱っています。これは予定にかかわらず,ある表現が使えそうな状況が生まれたら,機を逸さないように即その場で練習をするようにしています。
教師は5人で1クラスを担当しておりますが,教師間で申し合わせていますのは,全員が参加できる教室活動を目指すということです。先ほど申しましたように,耳が遠かったり,目が余り見えないという方もいらっしゃいます。どうやってそういう方が日本語を覚えていくんだとお思いになるかもしれませんが,そういう方でもあっても,私たちはクラスからはじき出さないように,みんな一緒に活動ができるということを目指しています。もちろん一緒にやるといっても無理はさせないように,そこのところを本当にすごく気をつけて,十分注意しながら,それでもともかく全員で力をあわせて一つのコミュニケーションが成り立つということを目指しています。
そういう場合に,教師の発話というのは,とにかく分かりやすさが第一だと思っています。ですから,学習者に正確な文法を要求しないのはもちろんのことですが,教師の方も,例えば助詞抜け文もありということで,分かりやすさ第一の話し方をしています。


 何行にもわたって文字がびっしりと並んでいる。

 一目見ただけで読む気が萎えてしまう。

 意を決して読み進めて行っても、右端まで行って次の行を読もうとすると、どの行を読めばいいのか戸惑ってしまう。

 一文ごとに改行し、空白行を挿入すれば、それだけで、ずっと読みやすくなる。

どういうことかと言いますと,表現の中には非常に汎用性が高い便利な表現がたくさんあります。

例えば「どうぞ」という言い方がありますね。

「どうぞ」はいろいろな場面で使えます。

ドアをあけて迎え入れるとき,それから,飲み物や食べ物を振る舞うとき,物を渡すとき,それから,「いいですか」と聞かれて,許可を求められて「はい,どうぞ」というような,そういう,一つ覚えればいろいろに使える表現,最初のテーマで自己紹介の練習をします。

そこで「よろしくお願いします」とせっかく練習したわけですから,今度は「お願いします」が言えればいろいろなふうに使えるということを伝えます。

お店で物を買うときには,「これ,お願いします」と言えばいいわけです。

「先生,はさみ,お願いします」は,「はさみを貸してください」という意味にもなります。

それから,「書いてください」だったら,動作プラス(書くまねをして)「お願いします」と言えば,それは「〜てください」が使えなくても人にものを依頼する表現になります。

そういうように,一つ覚えればいろいろに使える,そういう汎用性の高い表現をぜひたくさん覚えていただきたいと思いまして,ハンドアウトの資料3で,表現一覧表(発話目標)として書き出しましたものを,それこそ「しみ込むように」繰り返し繰り返し扱っています。

これは予定にかかわらず,ある表現が使えそうな状況が生まれたら,機を逸さないように即その場で練習をするようにしています。

教師は5人で1クラスを担当しておりますが,教師間で申し合わせていますのは,全員が参加できる教室活動を目指すということです。

先ほど申しましたように,耳が遠かったり,目が余り見えないという方もいらっしゃいます。

どうやってそういう方が日本語を覚えていくんだとお思いになるかもしれませんが,そういう方でもあっても,私たちはクラスからはじき出さないように,みんな一緒に活動ができるということを目指しています。

もちろん一緒にやるといっても無理はさせないように,そこのところを本当にすごく気をつけて,十分注意しながら,それでもともかく全員で力をあわせて一つのコミュニケーションが成り立つということを目指しています。

そういう場合に,教師の発話というのは,とにかく分かりやすさが第一だと思っています。

ですから,学習者に正確な文法を要求しないのはもちろんのことですが,教師の方も,例えば助詞抜け文もありということで,分かりやすさ第一の話し方をしています。


 単に読みやすくなっただけではない。

 一文ごとに、「ここは、こういう意味だな」と頭の中で反芻しながら読み進めることができ、文章全体の理解も容易になる。

 また、読み終わった後に、ざっと眺めれば、1~4行の塊ごとに、それぞれの要旨を思い出すことができ、記憶にも残りやすくなる。

 ところで、上記の議事録には、もっと驚くような「分かりにくさ」が潜んでいる。

西尾センターを退所してから,そのグループで,あるいはそのクラスで続くということはあり得ないわけです。


 「西尾センター」という施設があるのかと思ったら、そうではない。「西尾」というのは、発言者の名前なのだ。

 だったら、発言者は発言者と分かるように書けばいい。こんな感じである。

【西尾】 センターを退所してから,そのグループで,あるいはそのクラスで続くということはあり得ないわけです。


 こうしておけば、特定の発言者の発言だけを確認する場合にも、すぐに見つけることが可能になる。

 今回の記事の素材は、個人が趣味でやっているブログではない。文化庁の日本語教育研究協議会の議事録である。

 議事録を作成した文化庁の職員の意識の低さも問題だが、日本語教育の研究者は、こんな議事録を見て何も思わなかったのだろうか。思ったけれども、口を噤んでいるのか。声を上げたが、そのまま放置されているのか。

 いずれにせよ、私が文化庁に指摘して、改めてもらうほかはない。

 というわけで、文化庁のウェブサイトから「御意見」を送信した。

日本語教育-3

 ところで、注意深い読者は、冒頭に引用した議事録の中に「分かりやすさが第一」という記載があったのに気がついたかも知れない。こういうのを、ブラックユーモアというのだろう。

和久俊三と福沢諭吉の遠戚関係  同種の情報は、同じ形式で表現する

 「赤かぶ検事」で知られる、法廷ミステリーの第一人者の和久峻三が亡くなっていたことが分かった【和久峻三さん死去…「赤かぶ検事」シリーズなど手掛ける サンスポ 2018.12.30】。

  Wikipedia で調べているうちに、テレビドラマで初代「赤かぶ検事」を演じたフランキー堺の家族について、次のような記述を見つけた【Wikipedia フランキー堺】。

長男は和久峻三の娘と結婚している。次男の妻は福沢諭吉の曽孫の娘。


 長男に関する記述も、次男に関する記述も、単独で書かれているのであれば、「分かりやすさ」については、甲乙つけがたい。

 けれども、どちらも息子と有名人との姻族關係に関する記述なのだから、「同じ形式」で表現した方が、理解しやすい。

 こんな感じだ。

長男は和久峻三の娘と結婚している。次男は福沢諭吉の曽孫の娘と結婚している。

長男の妻は和久峻三の娘。次男の妻は福沢諭吉の曽孫の娘。



一瞬で分かるようにする

 様々な店舗の年末年始の営業予定がネットで公開されているが、下記の表は、【京都生協】のものである。

生協年末-1

 分かることは分かるのだが、「一瞬で分かる」とは言えない。改善案を示す。

生協年末-3

 これなら、否応なく「一瞬で分かる」。

以下に、改善点と理由を示す。

● 分かりきった情報は、書かない

 「日」や「曜」は書かなくても分かる。

● 意味のない情報は、書かない

 「全店」という記載があるが、特定の店舗は異なる場合には、「全店」と書く意味があるが、すべて全店共通なら、書く意味はない。

● 同じことは、同じ表現にする

 12月20日と1月3日の各閉店時間の記載は、それぞれ、「通常閉店」「通常閉店時間」と、異なっている。全く意味のない違いであり、読んだ側に、「どこか違うのか?」という無用な疑問を抱かせるだけである。




宗教改革


英語で読む高校世界史】の195頁に、ヨーロッパの宗教改革後の新教、旧教の勢力範囲を示す地図が掲載されている。

宗教改革


 新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の勢力範囲の、おおよその境界線が黒っぽい灰色の曲線で示されているのだが、その曲線の引き方が理解に苦しむ。

 新教は、ルター派、カルビン派、イギリス国教会であり、それぞれの勢力圏は、薄緑薄紫薄灰紫で着色されているのだから、その部分と旧教のピンク色の部分の境界に曲線を引けばいいはずである。
 
 ところが、地図上の、現在の国名で言えば「チェコ」のあたり(下の地図の赤線で囲った部分)はルター派なのだが、ドイツとの間に新旧の境界線が引かれて、旧教側に組み入れられており、はっきり言えば、「間違い」である。

 もちろん、新教、旧教の「おおよその」勢力圏を示すという目的から、飛び地のようなところは、無視するのもやむを得ない。たとえば、南フランスには、新教であるカルビン派の地域(下の地図の赤の点線で囲った部分)があるが、これが曲線の南側、すなわち旧教側に組み入れられているのは、やむをえない。

 ところが、「チェコ」のあたりのルター派は、ドイツと繋がっているのだから、ここを切り離して旧教側に組み入れるのは理解に苦しむ。

宗教改革-2


 ここまで書いて改めて思ったのだが、どうして、名の通った出版社の教科書に掲載されている図に、どうして、こんな明らかな誤りが掲載されて、放置されているのか、という問題である。

 個人がネットに掲載している地図なら、その個人の思い込み、不注意などによって、誤った、理解に苦しむ情報が掲載されるのも、「やむをえない」と言わざるを得ない。このブログも、私一人で作っているため、気がつかない誤りが潜んでいるかも知れない。

 けれども、今回の素材として取り上げた書籍は、元は、高校の教科書である。一般の書籍以上に、念入りに校正がなされていると思うのだが、それでも、こんな誤りが放置されているのである。

 素材を提供してくれた出版社には、メールを送っておこうと思うが、これまでの多くのケースと同じく、「貴重なご意見、ありがとうございました。今後の当社の業務の参考にさせていただきます」と言った定型文の回答が自動送信されてきて、「それっきり」ということになるのか、実際に次の版から改訂されるのか、楽しみである。


ゴミ処理場の受付時間 無駄な色分けはしない

 年の瀬も押し詰まり、大掃除のゴミ処理に頭を悩ませている人もいることだろう。京都市では、市民がゴミを処理場に持ち込む際の受付時間がネットで公開されている【持込ごみ(有料)の受付について】。

ゴミ年末-1

 ○×の記号と、背景色の肌色とを併用している。背景色が肌色のところは、すべて、「×」印があり、受け付けないということらしい。では、逆に、背景色が白色なら受け付けるのかというと、必ずしもそうではなく、昼休みだけは受け付けない日があり、その箇所には、「×」が付けられている。

 結局、受付の可否は、背景色だけでは判断できず、○×を確認する必要があるのだ。

 他にも色々と問題があるので、作り直したのが、以下の表だ。

ゴミ年末-05

● 背景色白は「○」、背景色灰色は「×」とした。 色と文字の対応

 同じ背景色で○も×もあるというのは、誤解の元であり、改めた。

● 肌色を灰色にした。  イメージに合致した色

 その上で、受付をしない場合の背景色は、灰色にした。肌色よりも、灰色の方が「窓口が閉まっている」というイメージに合致するからだ。
 「イメージに合った色を使う」というのは、とても大事なことだ。仮に受付をしない時間帯を緑にしたら、受付をしてもらえると誤解する人が多発することだろう。

● 項目は複数日をまとめず、すべて、1日ずつとした。  無駄にまとめない

 元の表のようにまとめてしまうと、何日間か連続して、休み、あるいは、受付可能なのかが、直感的に分かりにくい。項目の日付けを1日単位にしておけば、そのようなことはない。

● 午後の受付の終了時刻を、赤の太字で表示した。  誤解のないよう注意を喚起

 「午後」というだけで、17時まで受付と誤解する可能性があるので、16時半で終了という点を強調したのである。

● 日曜は赤、土曜は青、年末年始休暇は背景を薄い赤にした。

 元の表では、一般に休みとされる土日と年末年始は全部が赤になっていて、メリハリがなかったが、こうすることによって、それぞれが際だって、理解、記憶に役立つと思われる。

 今回と同じテーマについては、以前の記事【医院の診療時間は、こう書く】【営業時間の表示は、こうする】【医院の診療時間は、こう書く】を参照されたい。

 ところで、元の表では、なぜ、あのような表現をしたのだろうか。

 理由は、処理場の職員の立場に立って考えれば理解できる。

 肌色の背景色を付けた日は、一切、受付をしない、完全に休みの日である。

 白の背景色の日は、出勤日である。

 そして、出勤日であっても、昼休みに受付をする日もあれば、しない日もあり、それは、○×で区別したのである。

 これに対して、利用者の立場では、受付ができるのは、いつか、と言う情報だけでいい。昼休みの時間帯に受付ができないというのであれば、その日が職員の出勤日か否かなど、余分な情報である。

 結局、情報発信者の側が、情報受信者にとって何が意味のある情報であるかを考えずに、発信者側で意味のある情報を、そのまま提供したことが「分かりにくさ」の原因である。以前の記事【内部の論理は、内部に留める】に書いたのと同様のことである。




スマホなどの保有状況の推移  時系列データは、折れ線グラフに限る

総務省、「平成29年度 青少年のインターネット・リテラシー指標等」を公表】という記事の【平成29年度 青少年のインターネット・リテラシー指標等】に掲載されているグラフからの引用だ。

ネット機器-1

 改善案は、これだ。

ネット機器-6

 改善案を見てすぐに分かるのは、保有率の高い上位4つの機器の順位に変動がないこと、その中では、トップのスマートフォンの所持率だけが上昇し、他の機器は減少していることだ。

 同じことを冒頭の棒グラフから読み取るのは、極めて困難だ。

 主な改善点と理由を、以下に示す。

● 棒グラフ → 折れ線グラフ
 時系列で変化するデータの表現は、折れ線グラフに限る。

● 携帯/固定ゲーム機 → ゲーム機(携帯・固定)
 大分類の「ゲーム機」を先に書き、その中の小分類を括弧内に書いたのだが、この方が、大分類の「ゲーム機」に目がとまり、分かりやすい。
 とりわけ、「携帯」は、「携帯電話」の略称として広く使われているため、「携帯」という文字を見ただけで、「携帯電話」を想起してしまうので、携帯電話以外の機器については、「携帯」という文字は、先頭に持ってこない方がいい。

● タイトル 保有するインターネット機器 → インターネット機器の保有状況
 「動詞+名詞」は英語的な表現であり、日本語としては、「名詞+動詞」の方が自然である。

● タイトルの文字の大きさ、場所を、意味の塊ごとに変えた。
 意味の塊ごとに外見を変えることによって、情報を読み取る速度が速くなる。
 とくに「図1」というのは、タイトルと渾然一体として記載するのではなく、タイトルから分離して右上端に配置することによって、他の「図2」「図3」・・・等から識別するのが容易になる。

● スマートフォンと携帯電話を同じ色にした。
 どちらも電話機能がある点で、他のネット機器とは異なるので、同じ色にした上で、機能の少ない携帯電話を点線にした。
 電話機能の点で代替関係にあることから、一方の増加分と他方の減少分が、ほぼ同じということもグラフから読み取れる。

● グラフの色塗りは、均一に
 元の棒グラフは、25年、26年については、斜線やチェックが施されている。他の年度が均一な単色であるのに、この2年度だけ、パターンが異なっており、違和感を覚える。
 このような不必要な装飾をするのは、初心者に多く、使える機能を可能な限り使いたいという欲求が大きいのだろう。

 改善案は、折れ線にしたので、そもそも、上記のようなことはないのだが、携帯電話については、実線ではなく点線を用いた。これは、電話機能を有するという共通点に着目して、スマートフォンと同じ色にしたので、両者を区別するために、一方は実線、他方は点線としたのである。


1月のラクラク基礎から講座日程表  かぎ括弧の奨め

 今日も、素材は将棋関係のブログ【ラクラク基礎から講座】だ。

1月のラクラク基礎から講座日程表



 「●●から」と書かれていると、次は、「▲▲まで」とか「▲▲へ」と続くのだと考える。

 ところが、ここでは、そうなっていない。

 「基礎から」の「から」は、「まで」や「へ」に対応しておらず、完結しているのだ。だったら、「見た目」にも、「完結」を明らかにしておけば、読者に、無駄な「予想」をさせる心配がない。こんな感じだ。

1月の「ラクラク基礎から」講座日程表


 数式では、数や記号のまとまりを明示するために括弧(丸括弧)を使うのは常識だ。

 文章でも、単語のまとまりを明示するために、もっと括弧(鍵括弧)を使っていいと思う。

----- 追記 -------------------------------------------------------------------

 ブログ記事の表題では、いつも悩むのだが、最近、次の二つを組み合わせることが多くなった。
  ・ 素材の一部の引用
  ・ 「分かりやすさ」を実現する「技術」の簡潔な表現

 以前は、どちらかだけだったのが、後で見るときのことを考えると、これが一番だと思う。

 例えば、「表」の利用法について書いた記事は、表題に「表」という文字が入っていた方が、後から捜しやすい。

 他方、そういった技術的なことだけだと、記事の内容が浮かびにくい。具体的な素材からの引用が表題に書かれていれば、すぐに、どんなことだったかわかる。

 ずっと過去のことを表現する場合も、同じような関係だ。たとえば、「1280年頃」と言われてもピンと来ないが、「元寇の頃」と言えば、イメージしやすい。他方、今から、どれくらい前のことかと考えるときには、年代も入っていた方が分かりやすい。


たった一手間で、誤解を排除 助詞「が」「と」に注意

 今日も将棋の話題だ。このまま行くと、【棋ブログ更新状況一覧】に掲載されかねない。

 それはともかく、今日の素材は、【盤上の風景 将棋 加藤昌彦指導棋士六段 村山聖と殴り合った夜 毎日新聞 2017.3.27】だ。
 

将棋に負けて奨励会を去ることになった加藤昌彦と聖が、酒を飲んだ後で殴り合う印象的なシーン。


 「将棋に負けて奨励会を去ることになった」のは、「加藤雅彦と聖」か、それとも「加藤雅彦だけ」か。

 文法上は、どちらの意味か確定できない。

 多少なりとも将棋界のことを知っている人にとっては、「聖」というのは、「東の羽生、西の村山」と言われた逝世の天才棋士・村山聖のことなのだから、その「聖」が「奨励会を去る」ということはありえない。 

 また、そういった前提知識がなくても、少し前に「村山聖九段」という記載があるので、普通に読んでいれば、後に「九段」にまでなった「聖」が「(プロ棋士の研修機関である)奨励会を去る」ということはありえないことは、当然、分かるはずである。

 このように、背景知識、文脈から、誤解されるおそれは少ないのだが、読者のレベルは様々であり、「想定外」の読者もいるのだから、「誤解のおそれ」は、徹底して排除すべきである。

 もちろん、「誤解排除」のために、文章が長ったらしく、読みにくくなる場合は、「誤解排除」と「読みやすさ」のバランスをとる必要があるのは、いうまでもない。

 けれども、上記の引用文は、次のようにすれば、簡単に「誤解排除」が可能である。

将棋に負けて奨励会を去ることになった加藤昌彦、酒を飲んだ後で殴り合う印象的なシーン。


 ご覧のとおり、「が」と「と」を入れ替えるだけだ。

 日本語には、多数の助詞があり、外国人が日本語を習得する際には大変な障害のようだが、助詞は、文章の意味を明確にする上で極めて有用なものであり、文章を書く際には、常に、どの助詞を用いるのがいいか注意を払うべきである。




Wikipedia【村山聖】の添削

 今日も将棋に関する話題だが、羽生と並び称され、映画にもなった早逝の棋士、村山聖についての記事【Wikipedia 村山聖】 からの引用だ。

村山はかなりの「負けず嫌い」な性格で、将棋以外でも、特に囲碁や麻雀をやって、負けるとすごく悔しがっていた。生前、徹夜で麻雀に付き合った当時奨励会三段だった瀬川晶司は「なんて子供っぽい人だろう」と思い、「A級がそんな事を言うんじゃないでしょ」と言われたことがきっかけで、亡くなるまで瀬川と友好関係になった。


 意味をとれなくはないのだが、主語述語の対応が混乱するなど、色々と問題がある。【書き換え後のwikipediaの記載】がこれだ。

村山はかなりの「負けず嫌い」な性格で、将棋以外でも、特に囲碁や麻雀をやって、負けるとすごく悔しがっていた。生前、徹夜で麻雀に付き合った当時奨励会三段だった瀬川晶司は「なんて子供っぽい人だろう」と思い、「A級がそんな事を言うんじゃないでしょ」と言ったことがある。それがきっかけで、村山は亡くなるまで瀬川と親交をもった。


 改善点は、以下の点だ。

● 第2文を二つに分けた。 

● 「言われた」を「言った」にした。   (受動態 → 能動態

● 友好関係 →親交
    「友好関係」   国家、組織、これらを代表する人物などの関係
    「親交」 関係 個人の私的な関係
  それぞれの用例は、「友好関係」の用例 「親交」の用例 を参照されたい。

---- 追記 --------------------------------------------------------------------

 村山聖と瀬川昌司は、二人とも、その人生が小説や映画になっている。
 映画の解説は、
聖の青春】【泣き虫しょったんの奇跡】にある。


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 「フェルミ算」と「さくらんぼ計算」 100メートルの助走をする走り幅跳び選手

 以下の文章は、昨日の【「さくらんぼ計算」って知ってますか?】で取り上げた記事の著者が書いた別の記事【AI時代の一流人材を作る「さくらんぼ種抜き検算」】からの引用だが、大変「分かりにくい」。とはいえ、「分かりやすさが第一」の素材としては最適なものなので、辛抱して読んでほしい。

今日の物理学は理論家と実験家が完全に分業していますが、最後の「大理論家かつ大実験家」であった物理屋として、エンリコ・フェルミ(1901-54)の名を挙げても、いささかでもまともな物理に関わる人なら、誰も否定しないでしょう。

 「原子の火」をつけた張本人でもありますが、何も知られぬ時代にゼロからそれを実現したので、被曝したいだけ被曝して、最期は凄惨な闘病生活であったことを、最も若いフェルミ教授の博士学生だったジェローム・フリードマン博士から直接伺ったことがあります。

 チャンドラセカール、南部、ヤンといったそうそうたる物理学者が、看病や心のケアに奔走した経緯を直接当事者からうかがったのは、私にとって一生の宝ものになっています。2004-05年にかけて、国連「世界物理年」の日本委員会幹事を務めたときにうかがいました。

 このフェルミ教授が、直観的に整合した計算であるかをざっくりと見積もる計算の達人中の達人であったのは、人も知る事実で「フェルミ算」といった言葉が現在でも使われています。

 AI時代に子供たちに求められる、最も重要な「計算能力」は、鶴亀算でもバブルソートでもなく、この「フェルミ算」だと断言して構わないと私は思っており、その原点が「さくらんぼ検算」にあると言えるかと考えます。


 お疲れ様でした。では、こんなふうに書かれていたら、どうだろう。

AI時代の子供たちに必要な計算方法は、もちろん「鶴亀算」ではありません。コンピューターのプログラミングの基礎で習う「バブルソート」でもありません。必要なのは、「フェルミ推定」です。

 「フェルミ推定」とは、厳密な数字はさておき、ざっくりとした数字を見積もる計算です。たとえば、「東京から大阪まで昼夜を問わず早足で歩き続けた場合、何日かかるか」という問題に対して、「早足だと時速5キロ、東京大阪間は500キロだから、100時間。1日は24時間だから、約4日」というふうに見積もる計算です。

 この「フェルミ推定」の原点が「さくらんぼ計算」にあります。


冒頭に引用した文章は、核心に至るまでに、周辺的なことを延々と述べている。具体的には、以下の諸点だ。

 ● フェルミ教授は物理学の大家であった。
 ● フェルミは、「原子の火」をつけた。
 ● その結果、被爆により凄惨な闘病生活を送ることになった。
 ● フェルミの看護のために、錚々たる物理学者が奔走した。
 ● 自分は、そのことを、国連のイベントの幹事を務めたときに、彼らから直接に聞いた。
 ● フェルミは、後に「フェルミ算」と呼ばれる計算の達人だった。

 一番最後は、「フェルミ算」の名前の由来を示すもので書いてもいいが、その前に書かれたことは、本筋とは何の関係もなく、有害無益である。

 ひょっとしたら、自分が、「錚々たる物理学者から直接に話を聞ける人物」であり、「国連のイベントの幹事を務める人物」であることをアピールしたかったのではないかと思ってしまう。

 もちろん、前置きが必要な場合もある。走り幅跳びでも、走り高跳びでも、適度な助走は不可欠である。だが、必要だからといって、100メートルも「助走」したら、まともな記録を出せるわけはない。文章も同じだろう。

 ところで、私が聞き直した文章は、不要な「前置き」を削除しただけでなく、若干の修正、補足を加えている。以下の諸点だ。

 ● 「バブルソート」について説明を加えた。 (一般に知られていない用語には説明を加える)
 ● 「フェルミ算」を「フェルミ推定」にした。 (一般的な名称を用いる)
 ● 「フェルミ推定」の具体例を示した。 (内容を理解してもらうには具体例で説明する)
 ● 「と断言して構わないと私は思っており」とか「にあると言えるかと考えます」といった回りくどい表現を、「です」「あります」という簡潔な表現に変えた。

 ところで、「分かりにくい文章」でも、「読む価値のない文章」なら、読まずに放っておけばいいのだが、この著者の文章のように「それなりに読む価値のある文章」の場合は、「分かりにくさ」は罪である。この著者こそ、「時間泥棒」の称号に相応しい。

 せっかくの「価値ある文章」である。著者には、立派に更生して、「分かりやすい」文章を書いてほしいものだ。多才な、この人の能力をもってすれば、決して不可能なことではない、と断言しても過言ではないのではないかと私は考えているのである。




「さくらんぼ計算」って知ってますか?

 「さくらんぼ計算」なるものが、話題になっているそうだ。
 
 「6+8」といった、繰り上がりのある、一桁の数の足し算に関し、小学1年生にも分かりやすくという趣旨で考案された計算方法で、こんな方法だ。

 【1】 10から8を引く。    (8に何を足せば10になるかを考える)    
 【2】 6を、4と2に分ける。  (2は、上記の答えの2)    
 【3】 2と8を足して、10にする。
 【4】 これに、残りの4を足すと、14。これが答え。

さくらんぼ-1


 6を4と2に分けるところが、上の図のように「さくらんぼ」のように見えるところから「さくらんぼ計算」という名が付いたようだ。

 「さくらんぼ計算」の存在を知ったのは、【「さくらんぼ計算」をけしからんと言う親の大問題】という記事を読んだからなのだが、この記事が、すこぶる分かりにくい。

 7頁わたって書かれているのだが、肝腎の「さくらんぼ計算」の説明は、2頁目の半ばになって、やっと登場するのだ。

 そこに辿り着くまでに、「さくらんぼ計算」について批判的な意見やあることや、その批判が的外れであることが書かれているのだが、対象となる「さくらんぼ計算」が何なのか分からないうちに、そんなことを読まされるのは、ストレスが増すだけである。

 こういった持って回った書き方は、ネット上の情報商材(英会話、投資、自己啓発等の電子書籍など)の販売サイトで目にすることが多いのだが、私なんかは、核心部分に到達するまでに、読む気をなくしてしまう。

 ただ、実際、そういった書き方が蔓延しているということは、それなりに集客効果があるのだろう。

 けれども、上記の記事は、そんな販売サイトの記事ではない。純粋に、「さくらんぼ計算」に関する批判を糸口に算数教育の方法論について真面目に論じているのである。持って回った書き方などする必要はない。むしろ、せっかくの記事を最後まで読んでもらえないというデメリットさえある。

 実際、私も、友人から記事のアドレスを教えられたときには、1頁目を読んで放り出したくなったくらいである。

 ただ、そうしなかったのは、せっかく、友人が教えてくれた記事を読まずに放置するのは申し訳ないという思いがあったからである。


表の作り方

 ある病院で受け取った領収書の一部である。

診察-1

 表になっているのだが、実に分かりにくい。

 一般に、表の一番上の行と左端の列は項目名になっており、それ以外のところに、実質的な内容が記載される。

 たとえば、1番上の行の左から3列目は「入院料」となっており、その列は、一番下の行まで入院料に関する情報が記載されているはずなのだが、実際は、入院料に関する情報は、すぐ下の行にかかれているだけで、その下は、入院料とは別の情報が書かれている。

 また、左端の列に書かれている項目名は、保険点数、区分、保険点数、区分、保険点数、区分と、「保険点数、区分」が3つ繰り返されている。

 そもそも、表にするのは、二次元の情報を、見た目も、二次元にして表現することにより、理解をしやすくすることにある。

 上記の表は、本来は、2行×24列の横長の表にすべきだったのだが、それだと用紙に収まらないので、3つに分けて、それを縦に並べたため、一般的な表とは異なった形式になったのである。

 そういうことなら、本来は2行の表であることを示すために次のように区切り線を入れ、項目名のところは色を変えれば、格段に分かりやすくなる。

診察-3

 こうすれば、1番上の行が項目名であるとの誤解は招かないはずであり、3行目以下とは全く無関係であることも分かるのである。





日産、ルノーの出資関係 矢印の活用

 ゴーン会長の逮捕で、改めて、日産、ルノーの関係が話題となっているが、この問題は経済紙では以前から取り上げられており、記事の中には次のような図が載っている【日産に迫る仏政府の影 ゴーン氏、ルノーCEO続投 日経 2018/2/16】。

日産-1

 「分かりやすく」図解をしたのだろうが、せっかく図解するなら、次のようにすべきだろう。

日産-2

 これなら、日産、ルノーの関係が対等ではなく、ルノーの日産に対する影響力は、その逆の3倍に及ぶことが一目瞭然であり、記憶にしっかり残るはずである。

 せっかく図を用い、その中で資本関係を矢印で表現したにも関わらず、矢印の表現力を利用しないのはもったいない。

 「矢印の表現力」とは、概ね、以下の点である。

 ・ 複数の要素の関係 矢印の両端
 ・ 上記の関係の方向 矢印の方向
 ・ 上記の関係の大小 矢印の太さ
 ・ 上記の関係の中身 矢印の線の種類(実線、破線、二重線)



---- 追記 --------------------------------------------------------------------

「影響力が3倍」と書いたが、実際は、議決権の3分の1を有していれば重要事項の決定のための特別決議を単独で阻止できるなど、単純に「3倍」という以上の力がある。


 
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「時間泥棒」仕置人 (改称予定)

Author:「時間泥棒」仕置人 (改称予定)
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 玉石混淆の情報が溢れる社会の中で、効率よく、的確に、情報を取得し、提供するには、どうすればいいのか、ということを常に考えています。

 ところが、そんなことには無頓着な人も多いようで、読者に対する配慮の一欠片もない文章を目にすることがあります。

 難解な文章で読者の貴重な時間を奪ってしまう人達のことを、「時間泥棒」と名付けました。

 このブログは、「時間泥棒」を立派に更生させることを目的として開設したものです。

 記事を読んで、自分も「時間泥棒」かな、と思ったら、早速、改めて下さい。また、あなたの廻りに「時間泥棒」がいたら、あなたの力で立派に更生させてあげて下さい。

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