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アベノミクスは道半ば 去年も今年も来年も

 
アベノミクス


 衆院選投票日が近づき、テレビの党首討論会で、久しぶりに「アベノミクスは道半ば」というフレーズを耳にした。

 振り返ると、この言葉、もう、何年も前から聞いているような気がする。

 そこで、グーグルで調べてみると、3年前、2014年12月27日に、こんな記事があった【産経ニュース】。

 自民党の稲田朋美政調会長は27日、BS朝日番組に出演し、平成29年4月の消費税再増税までに国民が景気回復の実感を得られなければ、、安倍晋三首相の経済政策、「アベノミクス」は失敗、との認識を示した。



また、憲法改正について「私はやるべきだと思っている」と述べる一方、「今、国民が求めているのは景気回復と社会保障の安定だ。、アベノミクスは道半ばなので、まずは景気回復に専念すべきだ、」と語り、憲法改正よりも経済を優先する方針を強調した。



 また、この稲田政調会長の発言の1か月前、2014年11月18日に、安倍総理は記者会見で、こう言っていた【自民党 消費増税延期・衆議院解散に関する記者会見】。

 

そうしたことを総合的に勘案し、デフレから脱却し、経済を成長させる「アベノミクス」の成功を確かなものとするため、本日、私は、消費税10%への引き上げ、を、法定通り、来年10月には行わず、18か月延期すべき、である、との結論に至りました。



来年10月の引き上げを18か月延期し、そして18か月後、さらに延期するのではないか、といった声があります。

再び延期することは、ない。ここで、皆さんにはっきりと、そう断言いたします。

平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく、確実に実施いたします。、3年間、「三本の矢」をさらに前に進めることにより、必ずや、その経済状況を作り出すことができる。私は、そう決意しています。



 「再び延期することはない」と安倍総理が「断言」していた平成29年4月の消費増税を、再度、延期せざるを得なかったのは、「景気回復の実感」がなかったからである。稲田政調会長の見解によれば、アベノミクスが失敗した、ということである。

 いったい、いつまで、「アベノミクスは道半ば」と言い続けるのだろうか。

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道半ば アベノミクスは道半ば 何年経っても道半ば








李下に冠を正さず

 最近、森友学園、加計学園問題の対応で支持率急落の安倍総理の反省の弁で使われたのが、「李下に冠を正さず」という中国の故事だった。

 「李下に冠を正さず」とは、もちろん、「李(スモモ)の木の下で冠を直していると、スモモを盗もうとしていると疑われかねないから、スモモの木の下では冠を直してはいけない」という意味である。

 結局、総理が言いたかったのは、森友学園の籠池理事長や加計学園の加計理事長と親しくしていたがために、彼らの便宜を図ったのではないかと疑われる結果になった、今後は、疑われることのないよう、民間人とは節度を弁えて接触する、ということのようだ。

 なるほど。でも、どこか違う。どう違うのだろうか?

 こんな例を考えてみた。

 昔、あるところ、スモモ泥棒がいた。

 この男は、ある日、いつものようにスモモの木の下でスモモに手をかけているところを、運悪く見つかってしまった。

 現行犯であり、普通なら観念するはずであるが、その男は違った。

 男は、さっと、スモモから手を離して、その手で自分の頭の冠を押さえ、「いや、冠を直しているだけです。決してスモモをとっているのではありません。疑われるくらいなら、これからは、スモモの木の下で冠を直すのは、止めにします」

 見事なすり替えである。こんな見え透いた言い訳をしていると、後ろから、「ちーがーうーだろうー!」と、罵声が飛んできそうである。

 「李下に冠を正さず」とは、比喩的に言えば、「真っ白」の人が「灰色」にならないように、との教えであって、逆に「真っ黒」の人が「灰色」に見せかけるために使う教えではないのである。

 端から見れば、真っ黒なのだが、それでも、この男は、しぶとく弁解を続けるのだった。

 「確かに冠を直そうと手を上げたところ、頭の上に、美味しそうなスモモがなっているのに気がつきました。私も、人間ですから、一瞬、スモモが食べたくなりました。そこで、つい、スモモに手が伸びてしまいました。でも、そんなことをすれば、私の信用はがた落ちです。いくら、スモモが欲しくても、自分の手で盗ったことがばれたら、私への信頼はなくなります。だから、スモモに手を触れる寸前で、手を止めて、冠を直すふりをしたのです。ですから、誓って、一線は越えていないのであります。」

行列はごめんだ

 弁護士や裁判官になるには、司法試験に合格後、1年間の司法修習を受けなければならない。

 うち2か月間が「弁護修習」で、朝から晩まで弁護士と行動をともにして、事務所で法律相談に立ち会ったり、書類を作成したり、あるいは、法廷に行ったりすることになる。

 弁護修習は、2人の弁護士で2人の修習生を指導することになるのだが、修習開始に際して、歓迎会が行われるのが恒例である。

 ホテルで行われた歓迎会の後は、三々五々、二次会に繰り出すことになるのだが、大抵は、タクシーで行くことになる。

 ある年のこと、二条城の東側にある国際ホテルで歓迎会が行われたのだが、たまたま、相方の弁護士の都合が悪く欠席だったために、私が1人で2人の修習生を二次会に連れて行くことになった。

 2階の宴会場からホテルの玄関まで下りてきたときには、既に、4,50人がタクシーを待っていた。

 行列の後ろで、ホテルの玄関前にやってくる空車の頻度を見ながら、このまま待っていたら、20分も30分も待たされかねないと考えている内に、ふと、すぐ南に、もう一つホテルがあることを思い出した。

 早速、2人の修習生を連れて南隣の全日空ホテルに行ったところ、玄関にいるのは、ホテルの従業員だけで、空車が5台も並んでいた。

 早速、タクシーに乗って、自らの判断の的確さに酔いしれて、修習生に、どんなことでも、効率よくするにはどうすればいいかを常に考えるのが大事だ、といったことを、講釈したような記憶がある。

 このタクシーのエピソードは、気づいてみれば何でもないことなのだが、多くの人が気づかない、ちょっとした気づきのお陰で、どれだけ、時間を節約できるのかといった恒例である。

 こんなことを言っている自分だが、常に、考え抜いて、効率のいい時間の使い方をしてるわけではない。

 先ほど、京大病院に行って来たのだが、予約をしていても、受付をすませてから、10分、20分は待たされ、その間は、診察室の前の廊下に並んだベンチに腰掛けることになる。

 そのベンチが、いつも結構、込んでいる。今日も、ぽつりぽつりと空席はあり、いつもなら、そこに座るのだが、今日ばかりは、この猛暑の中、冷房が入っているとはいえ、人と人との間に座るのは願い下げだった。

 そこで、そのまま診察室の前を通りすぎて、廊下の突き当たりを右手に曲がった。

 すると、どうだろう。そこにも、ずらっとベンチが並んでいるのだが、人は殆どいない。

 こうして、3人がけのベンチを1人で占有して、ゆったり待つことができたのだが、これまで、混み合ったベンチで、よく我慢していたものだと思った次第である。

 ここに掲げた2例のように、漫然と人と同じことをするか、少し考えて人と違ったことをするかで、人生が大きく違ってくるのではなかろうか。

天からの贈り物

 御所の散歩を始めたのが、2年前の9月だった。

 その当時に買ったウォーキングシューズが大分くたびれてきて、ひと月くらい前から、そろそろ買い換えようと思っていた。
 
 この間の日曜日の午後、思い立って近くのスポーツショップに買いに出かけようと思ったところに、夕方から仕事の打ち合わせが入ってしまった。時間的には、まだ、ゆとりはあったのだが、打ち合わせのことが気になって、ウォーキングシューズを買うのは後回しにした。

 ところが、打ち合わせに思いのほか時間がかかってしまい、終わったときには、8時半になっていた。

 目当ての店は晩の9時まではやっていたような気がしたので、すぐに店に向かった。

 店に着いたのは、9時前だったのだが、いつもは店の前にうず高く積まれている特売品の山がない。みると店員が店じまいの片づけをしている。尋ねてみると、この春までは9時閉店だったのが、4月から8時半閉店になったという。

 自分の記憶に頼らず、事前にネットで調べておけば無駄足を運ぶこともなかったのにと思いながら、翌日、買いに行くことにして、その日は引き揚げた。

 翌日、月曜日の朝、いつも私にパソコンのことを質問してくるIさんから電話があった。電話では解決しそうのない質問だったので、昼から、お宅にお邪魔することにし、その帰りにスポーツショップに行くことにした。

 昼食後、Iさん宅に着くなり、「靴のサイズは何センチでしたか?」と尋ねられた。

 いきなり、いったい何だろうと思ったのだが、Iさんの話では、友人の形見分けにもらったウォーキングシューズのサイズが大きいので、私にもらってくれないか、というのだった。

 試しに履いてみると、ぴったりのサイズで、私の履いているのよりも、少し上等そうな靴で、一も二もなく、いただくことにした。

靴

 Iさんの話では、この靴の持ち主は、中学、高校時代からの親友で、20年ほど前に海外赴任しているときに、その靴を買ったとのことである。

 その後、日本に戻ると、すぐに社長になり、傾きかけた会社の再建に奔走する中で、その靴を履いてウォーキングする時間が取れなかったそうである。

 そうこうするうちに、結局、会社は破綻し、友人は、破綻前の経理処理を巡って刑事責任を追及され、一審、二審と有罪ののち、最高裁で逆転無罪となったいう。

 結果的に無罪になったというものの、上場企業のトップから刑事被告人となって、社会的地位を失い、債権者からすべての財産を差し押さえられて経済的にも困窮し、不遇の10年間だったという。

 民事の裁判のほうでも、本人には責任はない、ということになって、経済的にも、心配はなくなったのだが、その間の心労で体を壊し、結局、くだんの靴を履いて歩きまわることはできなかったという。

 その友人の方が、先月亡くなり、もらいうけたのが、その靴というわけである。

 Iさん自身、形見分けの品を人にあげるというのは、なんとなく気がかりなところがあったそうだが、どうせ自分が履けないのなら、履ける人に活用してもらうほうが故人の遺志にもかなうことと考えて、私に声を掛けてくれたのだという。

 この話を聞いて、私は、まさに天の配剤と思わざるを得なかった。

 前日、私が、打ち合わせの前に靴を買いに行っていれば、あるいは、打ち合わせが、もう15分ほど早く終わっていれば、あるいは、スポーツショップの閉店時間の変更がなければ、あるいは、今朝、パソコンのことでIさんが電話をしてこなければ、Iさんから話を聞く前に、私は自分で靴を買っていて、Iさんの話を断っことだろう。

 こう考えると、Iさんの友人の遺した靴を私が履くことになったのは、まさに神の意思ともいえるほどの偶然の賜物である。

 昨日、おろしたての、その靴を履いて、恒例の御所の散歩に出かけた。

 歩きながら、ずっと、その友人の無念さを噛みしめながら、自分も、どんな目に遭おうとも、その友人の方のように強く生き抜こうと決意を新たにした次第である。


神戸山口組の綱領が教材に!

 神戸市教育委員会の発表によると、「憲法、教育基本法に反しない限りで」という限定付ながら、神戸山口組の綱領が小中学校の教材として使用されることになったという。

 では、神戸山口組の綱領とは、どんな内容か?

内を固むるに和親合一を最も尊ぶ
外に接するに愛念を持し信義を重んず
長幼の序をわきまえ礼によって終始す
世に処する己の節を守り誹りを招かず
先人の経験を聞き人格の向上をはかる
Wikipedia
神戸山口組綱領



 表現は古くさいものの、個々の「徳目」は、概ね普遍的なものであり、どのような組織でも通用するものである。

 だからと言って、この綱領を社員教育に用いたり、学校教育に用いたり、ということがあれば、常識を疑われるだろう。

 なぜ、「常識を疑われる」のか?

 綱領の「徳目」は、いったん組同士の抗争があれば、命を捨てて組のために働け、という、基本目的のための「手段」に過ぎないからである。

 とはいっても、個々の「徳目」は、「いいこと」なのだから、綱領全体を否定するのは、綱領に書かれた普遍的な「徳目」を否定することになるという「論理」で、綱領を評価し、教育現場に導入しようという動きが年々高まって来た。

 中心になったのは、地元神戸の伝統を頑なに守ろうという「神戸会議」の面々である。

 そもそも、神戸山口組は、神戸を発祥の地としながら全国組織に発展した山口組が他府県出身の勢力に牛耳られるに至ったため、神戸での誕生以来の伝統を守るべく全国組織を離脱して立ち上げた組織である。

 神戸会議の面々からすれば、神戸山口組は、まさに、神戸の伝統を守るシンボル的存在と言ってもいい組織である。

 こうしたことから、神戸会議では、神戸山口組の神髄ともいうべき綱領の普及を図るべく、神戸出身の文化人、学者、タレントを通じて地道な啓発活動を行って来た。

 そして、地道な活動の成果が、冒頭の神戸市教育委員会の決定となって結実したものである。

 来春からは、神戸市内各地の小中学校で生徒が、「内を固むるに和親合一を・・・・」と唱和する姿が見られることだろう。


 なんてことが、あるわけないだろう。

軍国中年になってしまいそう!

 園児に教育勅語を暗唱させたり、軍歌を歌わせたり、「安倍首相がんばれ、安保法制国会通過よかったです」と宣誓させたりという、北朝鮮か、ISか、と目を疑うようなシーンが、テレビの画面で繰り返されている。

 ただ、「♪見よ♪♪東海の♪♪空明けて♪」というのを聞いていると、パチンコ屋で軍艦マーチを聴くのと同じで、何となく心が高揚してくる。

 懐かしさ、といっても、リアルタイムで聞いていたわけではないのだが、ネットで、あれこれの軍歌を聴いていると、インフルエンザ以来、沈んでいた心が晴れて、よし、頑張ろうという気になってくる。

 とはいえ、メロディーだけでなく、歌詞をよくよく聴いていると、「前進全身また全身、肉弾届くところまで」(歩兵の本領)、「死なばともにと団結の心で握る操縦桿」(加藤隼戦闘隊)と、何とも勇ましい。

 いや、勇ましいというよりも、狂気である。

 こんな日本軍を相手に戦っていた連合軍からは、日本軍は現在のISの自爆攻撃と同じような受け止め方をされていたのであろう。だからこそ、アメリカは、ISだって、徹底的に破壊すれば、将来は、日本と同様の思う通りの国に仕立て上げられるという、成功体験の神話から抜けられないのだろう。

 困ったものである。

 それはともかく、景気づけのために、軍歌を聴いていると、どこかで、つい口ずさんで、周囲の人に、時代錯誤の軍国中年と思われかねない。ほとほどにしておかねば。


喉元過ぎれば・・・・

 1月末にインフルエンザに罹って、ようやく、今日から仕事に取りかかれそうだ。

 前回、インフルエンザに罹ったのは、15年くらい前のことだった。

 そのときは、医者には、3,4日は大人しくしていなさいと言われたのだが、39度の熱を押して仕事をしていた。

 ただ、このときは、それに懲りて、翌年は、インフルエンザの予防接種をした。

 だが、喉元過ぎれば・・・というように、予防接種をしたのは、そのとき一度きりだった。

 テレビや新聞で、インフルエンザの流行の兆しなどと言うニュースを見ても、まるで他人ごとで、「気をつけなければ」という気持ちになったことさえなかった。

 そんなふうに、自分がインフルエンザに罹るなどとは、これっぽっちも思っていなかったのだ。

 そんなある日、夕方から、「少し熱ぽいな」という感じがした。ときおりあることで、大人しくしていれば、翌日には何でもない、という経験は何度もしていたので、ことのときも、インフルエンザか?などとさえ、思わなかった。

 その翌日の夕方、前日の「熱っぽい」という感じと違って、「熱があるな」という感じがした。念のため、体温を測ってみると、37度ちょうどだった。医者に行こうかと思いながらも、他方で、面倒だな、という気もあった。行くとも行かないとも決断をしない状態で、とりあえず、健康保険証は、どこだろうと捜したのだが、見当たらない。

 心当たりをあちこち捜したのだが、見つからない。真剣に捜せば、見つからないこともないだろうと思いながらも、そんなに根を詰めて捜したら、それこそ風邪が悪化するかも知れないと思い、そのままにして、結局、医者には行かなかった。

 その翌朝、感覚的には、とても前日の比ではない高熱だった。測ってみると、39度だった。医者に行かないわけには行かない。

 そこで、また、保険証捜しを始めたのだが、この熱では、捜そうとする意欲すら萎えてくる。自費診療でうけるのか、あるいは、再発行してもらうのか、果たして、いつ再発行してもらうのだろう、等々と考えた末、ネット検索をした。

 京都市のホームページを見たのだが、的確な情報が見当たらない。なんだ、このホームページは!と悪態をつきながら、市民生活全般の問い合わせ用の電話番号を見つけて、そこに電話した。

 ところが、結局、総合案内のようなところで、具体的なことは分からず、区役所の担当部署の電話番号を教えられた。

 電話をすると、結構面倒な手続がいるのかと思っていたのだが、身分証明書さえあれば、窓口で、すぐに発行してくれるとことだった。

 早速、自転車を全速力で飛ばして、区役所に行き、再発行してもらった保険証を手に、近所の医院に辿り着いたのだった。

 ところが、受付では、午前中は予約がなければだめだ、とのことだった。ここで追い返されては堪らないとばかりに苦痛を訴えたのが功を奏したのか、結局、診てもらえることになった。

 待合室の長いすで待っていたのだが、普通に腰かけてはいられない。とにかく、上半身だけではあるが、横になって、うんうんとうなっていた。見かねた看護師さんが、側にやってきて、もう少ししたら、ベッドが空くから、そこに移ってもらえますからね、とやさしく、声を掛けてくれた。

 それから、十数分経って、ベッドへ、それから、更に30分ほど経って、ようやく、診察となったのだが、私は、その時点まで、「もしかしたらインフルエンザではないか」とさえ思わなかったのだ。

 医師からは、「たぶんインフルエンザですね、検査しましょう」と言われ、数分後に検査結果を見せられ、完璧なインフルエンザだということが判明した。

 十数年の医学の進歩は著しい。処方されたのは、頓服用の解熱剤と、1度だけ服用する吸入剤だった。粉末を調剤薬局のカウンターで薬剤師の指示に従い数回吸い込むだけでよく、その薬剤が、インフルエンザウイルスを数日にわたって抑え込んでくれるという話だった。

 確かに、高熱は2.3日で治まり、体はずっと楽になったのだが、完全には抜けきれず、その後も、36度台前半と、37度台前半を行きつ戻りつの1週間で、何をするにも気力が出て来ない。ようやく、今日から、ブログでも書こうという程度に回復したのだった。

 今回の教訓
  ① インフルエンザの予防接種は毎年、欠かさない
  ② 保険証など、大事なものは、すぐに取り出せるよう、整理しておく

 数年後、「喉元過ぎれば・・・その2」を書くことのないことを誓って・・・

 と、ここまで書いて、以前も、「喉元過ぎれば・・・」といった記事を書いたような気がしてきた。念のため、ブログ内検索で「喉元」と入れてみたのだが、他に、記事は見当たらなかった。「喉元」という言葉を使っていないだけで、内容的には、その類のことを書いた記事もあるような気もするのだが、頭の中で考えただけで、記事にはしなかったのかも知れない。

 いずれにせよ、二度と、「喉元過ぎれば・・・」とならぬよう、決意を新たにした次第である。

置き去りにされる世代

 昨年、姉が高齢者となり、年金が支給されることになったと言っていた。自分も、そう遠い先のことではないと思っていた矢先に、こんなニュースが飛び込んできた。

 

 高齢者「75歳から」学会提言 2017.1.5 朝日

 一般的に65歳以上とされている高齢者の定義について、日本老年学会と日本老年医学会は5日、75歳以上とすべきだとする提言を発表した。65~74歳は「心身とも元気な人が多く、高齢者とするのは時代に合わない」として、新たに「准高齢者」と位置づけた。



 確かに、この半世紀の医学の進歩や、人々の意識を考えれば、納得が行く。

 私が子どもの頃、隣に住んでいた小父さんが、もうすぐ定年だという話を聞いたことがあるが、見るからにお爺さん、と言った感じの人だった。
 
 当時の定年は、55歳だったのだが、自分が、その年を過ぎると、55歳で定年なんて、とても考えられないし、65歳だって早すぎる、といった感じだ。

 定義の変更自体はいいのだが、その機会に年金支給開始年齢の引き上げが行われる可能性もあるのではないだろうか。

 そんなことになったら、姉たちの世代との不公平感は拭えない。10年分の年金がもらえないのである。

 実は、私たちの学年は、これまでに2度、制度変更による不公平感を味わってきたのである。

 一つは、教科書の無償化である。

 確か、小学校の3年か4年の頃に無償化が始まったのだが、一気に無償化するのではなく、初年度は、1年生か2年生だけ無償化して、その後、毎年、無償化される学年を引き揚げて、最終的に義務教育の教科書を全て無償化するというものだった。

 そして、その引き揚げ幅は、最初は、2学年ごとの引き上げだったので、そのうち自分たちの学年も無償になるときが来ると信じこんでいた。

 ところが、ある年、1学年下まで無償化されてからは、引き揚げ幅が1年になった。1年経てば、学年は一つ上がるのだから、いつまで経っても、私たちの学年は無償化されなかった。

 結局、一学年下は無償なのに、自分たちは有償という理不尽を味わいながら、義務教育を終えてしまった。

 もう一つの不公平は、国立大学の授業料である。

 私たちの学年の一つ上までは、授業料は、年に1万2000円だった。誤解のないように言っておくが、月ではなく、年に、1万2000円である。

 ところが、私たちの入学した年から、一挙に3倍になり、年3万6000円となったのである。

 しかも、引き揚げられたのは、私たちの学年以降で、前年に入学していた学生は、大学卒業まで、年1万2000円でよかったのである。

 教科書代も授業料も、自分で払っていたのではなく、親が負担していたわけではあるが、教科書無償化の恩恵に与れず、授業料は3倍にされるなど、何と不公平なことかと思った次第である。

 万一、年金も、10年間お預け、ということになったら、一揆でも起こして積年の恨みを晴らすしかないではないか。

聞くのは恥だが役に立つ

 昨日のブログ【意地でも思い出す】で、人に聞いたり調べたりせずに思い出すのがいいと述べた私であるが、早速、こんな事態が起こった。

 さきほど電話があったのだが、いつも私にパソコンの操作を尋ねてくる人からの電話で、デスクトップのアイコンの大きさを小さくしたいのだが、どうすればいいか、という質問だった。

 確か1か月くらい前にも同じ質問があって、そのときは、私自身も自分でパソコンを操作しながら教えてあげたのだった。

 操作手順は、コントロールパネルを開いて、次にデスクトップのカスタマイズを開いて・・と、結構、面倒な手順である。もう少し簡単な方法もあったはずだったのだが、思い出せず、その時は、一番面倒な手順を教えてあげたのだった。

 今日も、同じように教えてあげようと思いながらも、コントロールパネルを開いたら次にどうするのだったかな、と考えていたのだが、やっているうちに、「ええい、面倒だ」という気になって、一番手っ取り早い方法で行くことにした。

 パソコンのことはパソコンに聞け、である。

 早速、グーグルの検索窓に「デスクトップ、アイコン、大きく」と入れると、一番目に出てきたのが、キーボードの左手前隅にあるコントロールキーを押しながら、マウスのホイールボタンを回転させる、という方法だった。

 こんな簡単な方法があったのか、これまで自分は何をしていたのかと、愕然としてしまった。

 一度覚えた方法を、これしかないとばかりに、何とかして思い出そうと無駄な時間を使っていた自分は何だったんだろう、と、つくづく思った次第である。

 何でも「ほどほど」にしておかないと、思わぬ回り道をしてしまうという好例である。



意地でも思い出す

 名詞、中でも人の名前など固有名詞が出てこない、と言った経験は、ある程度の年齢から上の人なら誰しも経験があるだろう。

 先日、電話で話しているときに、インターネットを利用した無料のテレビ電話、スカイプのことが出てこなくて困った。実際に何度も利用したことがあったのに、スカイプという言葉が出てこない。

 相手に「無料のテレビ電話で」と言えば、答えてくれるはずなのだが、意地でもそんなことはしたくない。一度でも人に頼ってしまったら、それが習慣となってしまいそうで怖いのだ。

 そこで、「悪いけど、10分後には思い出して、もう一度電話する」と言って電話を切った。

 5分たっても思い出せばい。グーグルで「無料テレビ電話」を検索すれば分かるはずだが、そんなものに頼るくらいなら、そもそも電話を中断などしていない。

 絶対に自分の力だけで思い出してこそ、意味があるのだ。

 約束の10分が迫ってきて必死で考えたところ、「スカイプ」と、思い出した。なんと気持ちのよいことか、ネットや人に頼っていたら、こんな爽快感は得られず、逆に、敗北感のみが残ったことだろう。

 これまで、逆に、話し相手がなかなか言葉が出てこなくて困っているときには、相手が何を言いたいのか推測して、こちらから、それと思しき単語を口にすることは、何度かあった。

 たいていの場合は、「そう、そう、それ」という反応なのだが、中には、こちらに言われて少しがっかり、といった雰囲気が感じられることもあった。

 なかには、私が、「それって・・・」と相手の考えていることを口にしそうになると、「ちょっと待って下さい、考えるから」と、私に言われるのを遮られたこともあった。

 こちらで先取りできなかったのは残念ではあるが、他方で、「そう、そう、それでなくては・・」と心の中では、相手を褒めてあげているのだ。


作者より作品

 御所の早朝散歩を続けて、ようやく、1年と少しである。

 場所も、時間帯も少しずつ違うが、早朝、ラジオ体操をしている十数人のグループがある。

 先日、そのグループの一人と話をしたのだが、私が一年前から散歩をしているというと、ラジオ体操のグループは、もう15年も続けており、ラジオ体操のお陰で、健康そのものだとのことだった。

 決して水を差すつもりはないのだが、健康だからこそ、15年も続けて来られたのだろう。健康を害した人は、途中で脱落して、ラジオ体操に来ていないのだろう。

 以前、中学の同窓会に出たときのこと、同窓生の一人が「みんな元気やな」と言っていたのだが、これも、元気でない奴は同窓会には来ないのだから、無意味と言えば無意味な発言である。

 こんなことを書いていると、我ながら、ひねくれた物の見方をしているように思えてくるし、他人が、こんなことを書いているのを見たら、自分だって、嫌な奴だなと思ってしまうだろう。

 とはいえ、せっかくブログを書いて、世間の皆様に見ていただくのだ。毒にも薬にもならないことを書いて、時間を費やしてもらうのは申し訳ない。嫌な奴だと思われようと、そこに、なにかしらの真実があり、なるほど、と思ってもらえるのなら、価値があると言えよう。

 昔、山本夏彦というエッセイストがいて、週刊新潮に連載を持っていたのだが、私とは全く考え方が異なり、読む度に、嫌な奴だなと思っていたのだが、それでも、立ち読みをするときは、真っ先に、その連載を読んでいたものだ。

 というわけで、今日のブログの締めくくりは、前田敦子ではないけれど、こう書こう。

 「私のことが嫌いになっても、このブログは嫌いにならないで下さい」

Can I help you ?

 日中、夜間を問わず、家の近くを歩いていると、必ずと言っていいほど聞こえてくるのが、ゴロゴロという、キャリーバッグの車輪の音である。

 住宅、商店、事務所が混在している御所南界隈も、数年前と打って変わって、外国人旅行者を日に何組も見かけるようになった。

 ときおり、路地の交差するところで、紙の地図や、スマホの画面を見て首を傾げている二人連れを見かけることがあり、そんなときは、「Can I help you ?」と声を掛けるようにしている。

 すると、多くの場合、ほっとしたように、「Yes, please.」と言って、地図を見せてくる。地図には、ゲストハウスか、民泊に転用したマンションかの印がついている。

 一々場所を説明するのも面倒だし、私の語学力で的確に教えることができるか不安なのもあって、「Follow me please.」と言って、その場所まで連れて行くことになる。

 先日、京都市が発表したように、多くは旅館業法違反の宿泊所なのだろうが、ネットで宿泊場所を見つけた外国人に、そんなことを説いたところで始まらない。

 せっかく京都に来たのだから、いい思い出を残して行ってもらいたい、そんな思いで、道案内ボランティアを買って出ているのである。

 ところで、最初の一声だが、欧米系の旅行者なら、躊躇なく、「Can I help you ?」と声を掛けるのだが、アジア系だと、少し迷ってしまう。日本人観光客の場合もあるからだ。

 もちろん、じっくり観察すれば、どことなく、見分けがつくのだが、とっさの判断はつきかねる。

 というわけで、アジア系の場合、声を掛けるタイミングが少し遅くなるが、これまでのところ、日本人に、「Can I help you ?」と言ったことはないし、逆にアジア系外国人に日本語で声を掛けたこともない。

年の初めに郵便局で感じたこと

【1】


 年賀状を買いに郵便局に行った。

 郵便局も、正月休みで、通常の窓口は閉まっており、夜間、休日専用の窓口しか開いていない。

 窓口で、京都限定の伏見稲荷大社の図柄が入ったのを頼んだところ、ついさっき在庫が捌けたところだという。通常窓口の方には在庫があるらしいが、そちらが開くのは、4日からだという。

 同じ局内で、在庫が別々に管理され、融通が利かないのも不便な話だと思いながら、どうしたものかと考えていると、中央郵便局なら在庫があるだろう、ということだった。

 わざわざ中央郵便局まで行くか、無地の年賀状で諦めるか、と迷っていると、中央郵便局の電話番号を紙に書いて教えてくれた。

 これを「親切」というのだろうか。客に電話で確認させるのではなく、職員が電話で確認して教えてくれるのが本来のサービスではないだろうか。

 「民営化」されてから、年賀状の季節になると、知人から、その知人の友人の子どもが郵便局に勤めているので、年賀状を買ってくれないか、などという話を聞いたことがある。職員にノルマを課してまで年賀状の売り込みを図っているのである。

【2】


 結局、自分で中央郵便局に電話をして、在庫を確認した。

 ただ、私が行くまでに在庫がなくならないとも限らない。そこで、必要な枚数を告げたところ、どれくらいで来るかと尋ねられた。30分程度と答えると、それくらいなら、大丈夫でしょう、との返事だった。

 近くの書店に在庫を確認したことは何度もあったのだが、必ず、「お取り置きしましょうか」と尋ねてくる。

 

【3】


 中央郵便局でも、もちろん、通常の窓口は正月休みであり、開いているのは、夜間、休日用の窓口だけである。

 その窓口が、手前に一つ、奧に二つあり、それぞれ、行列ができている。

 手前の窓口の方は、4、5人、奧の方は、20人近くがフォーク並びになっている。
 
 どちらに並べばいいのかと案内表示を見ると、手前の方が、不在郵便物の受取で、奧の方が発送の方だと分かったのだが、年賀状の販売はどちらか書いていない。

 勝手にあたりをつけて、人数の少ない方に並ぼうかと思ったのだが、せっかく順番が来て、別の窓口だと言われたら癪である。そこで、行列の前まで行って窓口の職員に尋ねようと思った。

 ただ、「行列の前まで」といっても、あまり窓口に近づいたら、なんだか割り込みをしているように思われかねない。そこで、窓口から少し離れた位置から、ちょっと大きめの声で「年賀状の販売はこちらですか」と尋ねた。

 答えは、その、手前の窓口で買える、とのことだった。行列の後ろに戻ろうとしたところ、奧の窓口の行列の真ん中辺りで、私と同年配の女性がこちらを振り返り、驚いたように、「えっ、そっちなん、並んでいたのに・・」と声を挙げ、私が並ぼうとする、手前の行列の方に歩いてきた。

 もう何分も待っただろうに、気の毒な、という思いと、私の方が先になったら、人の不幸で得をしたような感じもして、「お先に、どうぞ」と言ったのだが、固持された。話を聞くと、その人も、私と同じように、窓口で質問をしたのだが、局員が忙しかったのか、聞こえなかったのかは分からないが、返事がなく、諦めて、奧の方の行列に並んだということだった。

【4】得難い体験


 実は、今日、午前中には事務所に行って、届いた年賀状の数を確認した上で、返事を書くのに足りない年賀状を買いに行くつもりにしていたのだった。
 
 ところが、ぐずぐずしているうちに、夕方になってしまい、上に書いたようなことになったのだ。

 さっさとやるべきことをやっておけば、こんな無駄なことをすることもなかったのだが、お陰で郵便局の対応について色々考えさせられたのであり、決して、「無駄」とは言えない、得難い体験だったと言えるだろう。

銀行にある身長計

 1年の終わりというのは、何かしら区切りを付けたくなるものである。

 裁判所でも、延々と和解のための話合いを続けていたのが、「年内に解決しましょう」ということで、12月に和解が成立することが多い。外にも、延び延びになっていた案件でも、年内に片付けようということで、どうしても、年の瀬は慌ただしくなってしまう。

 そんな慌ただしい年の瀬であるが、さすがに、30日ともなると、あとは大掃除をして新年を迎えるだけ、という人も多いようで、銀行へ向かって歩いていると、街のあちこちで、ビルの前の駐車スペースをデッキブラシで擦っていたり、新年の飾り付けをしていたりと、2、3日前とは打って変わった、少し、ゆったりした雰囲気になっている。

 銀行の窓口も、2,3日前の喧噪が嘘のように静まり返っており、機械から出てくる番号札をとろうと手を伸ばしかけると、窓口の行員から、「どうぞ」と声を掛けられ、番号札をとることもなく用事をすますことができた。

 ところで、銀行と言えば、以前から気になっていたのが、出入り口の自動ドアのところにある、身長計のステッカーだ。
 
身長計

 銀行強盗に入られた際に、犯人逮捕のてがかりにするために、およその身長が分かるように、このような表示があるのだろうとは思っていたが、確認したわけではなかった。

 さっき、グーグルで調べようと思ったのだが「銀行 出入り口」と入力しただけで、「銀行 出入り口 身長計」と表示された。私と同じような疑問を持った人が大勢いるということである。実際、身長計の役割は、思った通りだった。

 さらに、このステッカーが防犯用品としてネットで販売されていた【安心安全屋.com】。



凡人か、変人か?

 「凡人、軍人、変人」というのは、かつて、田中真紀子が自民党の総裁候補3人を評して言った言葉である【Wikipedia 田中真紀子】が、「軍人」はさておき、人は誰しも、「凡人」「変人」のいずれかだろう。

 では、「凡人」と言われるのと、「変人」と言われるのと、皆さんは、どっちを好むだろうか。

 私は、躊躇なく、自分のことを「変人」だと思う。

 振り返って見ると、子どもの頃から、人と違った選択することが多かったように思う。

 幼稚園の頃、幼稚園が終わって、家に帰って、またすぐに、みんなで公園に集まって遊んでいたのだが、よくやった遊びが、「警官と泥棒」ごっこだった。細かいルールは忘れたが、要するに、逃げる泥棒を警官が追いかけるのだった。

 始めに、誰が警官になって、誰が泥棒になるのかを決めるのだが、私は、いつも、泥棒をやっていた。というのも、みんなは警官になりたがるため、自分で泥棒をやると言えば、泥棒になれたのだ。私以外は、じゃんけんで、警官か泥棒かを決めていたのだが、私は、いつも泥棒だったのだ。

 みんなは、泥棒は悪玉で、警官は善玉のため、警官をやりたがったようである。だが、私に取って見れば、そんな評価は、どっちでも良かったのだ。

 鬼ごっこなら、みんな、鬼ではなく、鬼から逃げる方を選ぶのに、どうして、「警官と泥棒」ごっこなら、逃げる方ではなく、追いかける警官を選ぶのか不思議だった。

 「警官」と名前はついているが、実態は「鬼」ではないか、私は、そう考えて、みんなが名前にこだわって、泥棒を敬遠してくれていることを、ありがたいと思っていたのだ。

 その後、小学校に上がって、最初の学芸会で桃太郎をやることになり、配役を決める時のことだった。

 もちろん、一番人気は桃太郎なのだが、どういうわけか、桃太郎は先生の指名で、町の有力者の息子に決まっていた。その子の父親は製麺所を経営していて、PTAの役員もしていたらしいのだが、こども心に何と理不尽なことだという思いは拭えなかった。

 桃太郎が決まれば、あとは、犬、猿、雉、お爺さん、お婆さん、鬼の大将、鬼①、鬼②、鬼③・・・・・、という具合に決めなければならない。
 
 私は躊躇することなく、鬼の大将を希望したのだが、他に誰も手を挙げる者がおらず、すんなりと、私が鬼の大将に決まった。

 おそらく、みんなは、鬼の大将は、悪玉中の悪玉ということで、やりたがらなかったのだろう。

 私にしてみれば、お爺さん、お婆さんは、物語の最初と最後に出てくるだけで、主要な登場人物ではなく、面白くない。

 犬、猿、雉は、善玉とは言え、しょせん家来であり、桃太郎に媚びを売る存在であり、つまらない。鬼①、鬼②といった、その他大勢の役をするのも面白くない。

 そういうわけで、鬼の大将を選んだのだが、みんなは、そう考えなかったようなのだ。


自販機の商品戦略

 御所の散歩が日課となって久しいが、このところの猛暑の中を40分も歩けば、喉が渇き、何か冷たい物がほしくなる。

 御所には数カ所の休憩所があり、そこに自販機があるので、最近は、ポカリスエットを買って飲むことが多い。

 休憩所によって、自販機が3台あるところもあれば、1台しかないところもある。

 自販機を設置しているのは、アサヒ、キリン、伊藤園、コカコーラといった飲料メーカーだが、必ずしも、自社製品ばかりを置いているわけではない。

 珈琲に紅茶、緑茶に乳酸飲料からスポーツ飲料まで、あらゆるジャンルの飲料を自社で生産しているわけではないので、他社製品を置いているのだろう。

 スポーツ飲料と言えば、大塚製薬のポカリスエットが最も有名で、次は、コカコーラのアクエリアスである。

 私がよく立ち寄る休憩所には、アサヒ、伊藤園、キリンと3社の自販機があるのだが、アサヒ、伊藤園には、ポカリスエットがあるのに対して、キリンの自販機には、スポーツ飲料がない。

 既に2社あるので、そこに割って入るより、他のジャンルの製品を置いた方が売上げは大きいという判断なのだろう。

 つまり、ポカリスウエットを置いても、他者と需要を分け合うことになるし、他方、アクエリアスを置いても、ブランドの競争力で勝ち目がないのだろう。

 そんなことから、私は、てっきり、キリンがスポーツドリンクを製造しているとは思ってもいなかったのだが、今朝の散歩の際に、それが誤りだと分かった。

 今朝、立ち寄った休憩所は、キリンの自販機1台しかなかった。私は、ここなら、キリンもポカリスエットを置いていると思ったのだが、そこに置いてあったのは、「キリン ラブズ スポーツ」という、これまで聞いたこともない飲み物だった

 値段は、ポカリスエットの150円に対して、キリンのスポーツ飲料は、130円だった。

 おそらく、同じ値段なら、歩いて数分の所にある別の休憩所のポカリスエットに流れる人が多いと見て、この価格設定にしたのだろう。

 さらに言えば、他社がポカリスエットを置いている場所では、この20円安い価格設定の自社のスポーツ飲料さえ、置いていないのである。値段を下げても、到底、太刀打ちできないと諦めているのだろう。

 企業名としては、キリンの方が大塚製薬よりも若干、名が知られているように思うのだが、そのキリンに、20円低い価格を付けさせたり、そもそも、同じ場所では自社製のスポーツ飲料を置かないことを知って、私は、スポーツ飲料の世界での、ポカリスエットの圧倒的なブランド力を、改めて認識次第である。

使われない感覚

 リオ五輪で日本選手のメダルラッシュが報じられているが、オリンピックが終われば、次はパラリンピックである。

 パラリンピックの種目の中に、視覚障害者が、中に鈴のような物が入ったボールを使って行う「ブラインドサッカー」という競技がある。

 おそらく、鈴の音を聞いただけで、ボールの位置だけでなく、スピードや方向、さらには、ボールの回転なども、選手には手に取るように分かるのだろう。Jリーガーが目隠ししても、到底、太刀打ちはできないだろうと思う。

 視力が失われた分、聴覚が研ぎ澄まされて行き、それだけのゲームができるようになったに違いない。

 人間には五つの感覚があるというが、普段の生活では、ほとんど、視力に依存しているように思う。

 たとえば、御所を散歩するときに目を瞑ってみると、たちどころに、それまでは、意識していなかったのに、蝉のシャワシャワという鳴き声だけでなく、カエルや、遠くの鳥の鳴き声まで聞こえてくる。それも、何種類もの鳥が鳴いているのが分かる。

 しばらくすると、地面の起伏、傾き、地表近くに伸びている根で地面が盛り上がっている所など、これまで、目で確認していたことが、靴底を通した足裏の感覚で分かるようになってくる。

 さらに、進んで、今度は、頬を撫でる風の強さ、揺らぎといったものまで感じるようになる。

 こうしてみると、普段、どれだけ、自分の感覚器官を遊ばせていたのか、よく分かるのである。

 子どもの頃、視覚も聴力もないヘレン・ケラーが、サリバン先生から、触覚だけを頼りに言葉や文字を学んだという話を読んで、とてつもないことのように思ったのだが、人間の触覚は、それほどに凄いものなのだろう。

 ベートーベンは、後半生は、ほとんど聴覚が失われた状態で作曲を続けていたという。おそらく、ピアノ音を、皮膚で「聞いていた」のではなかろうか。聴覚も皮膚の触覚も、同じく、空気の振動を感じるものである。

 ただ、聴覚があれば、皮膚の触覚に頼る必要がないから、普通の人は、皮膚で「聞く」ことができないのだろうが、聴覚が失われたら、自ずと、皮膚の触覚が代替するのではなかろうか。

 もちろん、それまで「遊ばせて」いたのであるから、耳と同じように聞こえるようになるには、大変な努力を要することだろう。

誤解を招いたボトルシップ

 昔は手術といえば、開腹手術が当たり前だったが、近年は、腹腔鏡手術が飛躍的に増えている。とりわけ、大腸癌の手術は、今では、ほとんどが腹腔鏡手術だそうだ【がん研有明病院 大腸癌に対する腹腔鏡手術

 腹部の小さな穴から腹腔内に入れた鉗子などを操作するのであるから、開腹手術と比べて、遙かに手先の器用さが求められることになるし、時間もかかる。それでも、患者の身体的な負担が少ないため、これだけ普及しているのである。

 小さな穴から通した器具で操作をするという点で似ているのが、ボトルシップだ。ビンの中でピンセットで船の模型を組み立てるもので、これも、腹腔鏡手術と同じく繊細な手先の器用さと忍耐強さが必要だ。

 学生時代、私の部屋にボトルシップを飾っていたのだが、たまたま遊びに来た友人が、私が自分でボトルシップを組み立てたと思い込んで、人に話し、私が手先が器用な奴だという噂が拡がったことがある。

 けれども、これは全くの誤解であって、そのボトルシップは誕生日のプレゼントにもらったものだった。

 さらに言うと、このボトルシップは、「なんちゃってボトルシップ」だったのだ。

 つまり、ビンの口にピンセットから差し込んで船を組み立てたのではなく、できあがった船を、底の部分を切り離したガラスビンの中に入れた後、その底を繋ぎ合わせた上、つなぎ目が見えないように、直径1センチ弱の縄を鉢巻きのようにビンに巻いたものだったのだ。

 二重の誤解によって、思いがけずに、誤った評価がなされてしまったのだが、人の人に対する評価は、この類のものが結構、多いような気がする。



テロリストの独り言

 私が任務を帯びて滞在している日本では、来年からガスが自由化されるとのことである。

 これで、私の活躍できる場も拡がったというものだ。

 ガスの自由化といっても、ガス会社ごとにガス管を敷設するわけではない。既存のガス管に複数のガス会社のガスが混合されて送られてくるのだ。詳しくは、【ガス管の共同利用】に出ている。

 だからこそ、我々の活躍の余地があるのだ。

 とりえあえず、ガス会社を作る。もちろん、契約を取らなければならないが、ガス会社として利益を上げるのが目的ではない。私はテロリストだ。いかに効率よく、大量殺人を実行するかで評価される存在だ。

 ガスの供給契約の数は、極端な話、1人でもよい。1人でも我々のガス会社と供給してくれれば、共通のガス管に我々が合法的にガスを供給することができる。

 そのガスに高濃度のVXガスやサリンを混入させておけば、地域のガス管を通して、その地域の全家庭に致死性のガスを供給することができるのだ。

 私の赴任している日本は、各地で原発の再稼働を始めており、我々が任務を遂行するには、最適な条件の国なのだが、原発を対象とすると、一つ間違えば、我々自身も被害に巻き込まれかねない危険がある。

 サリン入りガスの供給なら、その心配はない。そういうわけで、ガスの自由化は、我々に絶好の環境を提供してくるわけである。

 自由化は来年の4月とのことだ。今から周到に準備をすれば、4月には任務を遂行して、晴れて帰国できるに違いない。

 なお、念のため言っておくが、有毒ガスは品質検査で引っかかるから大丈夫と高を括っているひともいるかも知れないが、決して、万全ではない。先のサイト【気になる安全性】の説明では、こう言っている。

少なくとも、特定のガス会社を使っている家だけに有毒なガスが送られてくる、ということは絶対にありえないです。


 つまり、当社と契約した家だけが被害を被るのではなく、死ぬときは皆いっしょ、ということである。少しは、気が軽くなっただろうか。

今でしょ!

 「いつやるか? 今でしょ!」が流行語大賞の年間大賞を受賞したのは、もう、3年も前のことである。

 この言葉のとおり、なんでも、すぐにやっていれば、どれだけ仕事が捗ったかしれない。ほとんどの人が、そう思っているに違いない。
 
 その気になれば5分、10分でできること、そんな簡単なことでも、つい、先延ばしにしてしまう。

 そんなことを積み重ねているうちに、細々とした、けれども、いつかはやらなければならないことが、山のように溜まってしまう。その結果、じっくり時間をかけて取り組まなければならない大事な仕事にまで影響をしてくる。

 分かっていても、なかなか実行できない。だれでも思い当たる節があり、つねづね、そう思っているからこそ、流行語になったのだろう。

 話は変わって、ときどき、携帯電話にメールをしてくる友人がいる。返事をするときは、携帯では入力が面倒なので、パソコンからするのだが、先方は携帯電話で、迷惑メール防止のためパソコンからのメールは一律に拒否する設定になっている。

 そこで、いったん、自分の携帯にメールを送って、その携帯から、友人の携帯にメールを転送するという、面倒なことをしている。

 少なくとも私のパソコンのアドレスからのメールは受け取れる設定に変更するように何度か言っているのだが、「今度、携帯ショップに行って、設定変更してもらう」という返事は何度か聞いた記憶はあるのものの、未だに、設定は、そのままだ。

 先日、電話した際に、どんな小さなことでも、さっさとやらなければ、どんどん溜まって行くのだから、設定変更も、すぐにやるようにと、お説教をしたのだが、しばらくしてパソコンからメールをしたときも、やはり拒否されてしまった。

 また、携帯電話経由のメールで発破をかけるしかなそうだ。

 「いつ設定変更するの? 今でしょ!」

シケイン、パリピ、バナナバレッタ

 フェイスブックをやっていると、友人を通して自分の全然しらない世界と繋がっていることに気づかされる。文章を読んでも、聞いたことのない言葉が出てきて、グーグルで調べて納得する、という機会も多くなる。たとえば、こんな言葉たちである。

シケイン


 「マケイン」という上院議員がいたな、と思ったのだが、親戚でもなんでもなそうだ。文脈から、人の名前ですらなさそうだ。調べてみると、車のレースで、スピードを出しすぎないようにするための、障害物、ないし、曲線のコースのことを指すということだった。

パリピ


 パーティーピープル、つまり、パーティーなどの派手なイベントを好む人のことだそうだ。ちなみに、パーティーという単語をネイティブ風に発音すると、「パーリー」となり、それとピープルを繋げて、さらに、それを短縮して、この単語になったそうである。

バナナバレッタ


 はじめて目にしたのは、梅雨も終わりを迎えて暑さが厳しくなってきた頃のことだった。「バナナ」という単語と、なんとなく南方系の語感から、「ナタデココ」のような冷たい食べ物の類かと思った。ところが、実は、そんなものとは縁もゆかりもなく、バナナの形をした髪留めのことだった。

 どれも私の日常生活にも仕事の上でも全然しらなくてもいい単語であり、おそらく、今後、自分の口から発することもなさそうな単語なのだが、こうやって知識だけが増えて行く。
 
 もっと大事なことが山ほどあるはずなのに、全く使いそうもない単語を頭に詰め込んでしまって、そのうち、「空き容量が足りません」なんてことにならないか心配である。

鉄棒

 御所の散歩の際に腹筋運動を始めたということは、先日のブログ【腹筋運動】に書いた。

 回数を、1回ずつ増やして行って、今日は15回に挑戦という日のことだった。腹の右下付近に痛みが走った。それも、疲労が蓄積したときの、ある意味「心地好い」痛みではなく、筋肉が切れる「肉離れ」の前兆のような「嫌な感じ」の痛みだった。

 これは、まずい。ここで無理をして、本当に筋肉が切れてしまったら大変だ。そこで、腹筋運動は、痛みが消えるまで、お休み、ということになった。

 そんな話を知人にしたところ、代わりに鉄棒をやるといいと言われた。いきなり懸垂運動をするのではなくても、ただ、ぶら下がるだけでも、腕だけでなく、腹筋その他の全身の筋肉の運動になるという。

 そこで、早速、鉄棒を始めることにした。御所の児童公園には鉄棒があったような気がしたのだが見当たらない。代わりに雲梯(うんてい)があったので、雲梯にぶら下がることにした。
 
雲梯


 子供用の遊具なので、ただぶら下がろうとしても足が地面についてしまうので、膝を折り曲げてぶら下がったのだが、これが結構きつい。懸垂など、とても無理だ。ほんの10秒足らず、ぶら下がっているのがやっとだった。

 小学生の頃は、懸垂だって何十回もできたし、蹴上がりだって楽々こなしていた。なのに、何という体たらくだ。

 振り返って見れば、他のスポーツは、少なくとも高校までは色々やっていたけれど、鉄棒は、小学生を卒業して以来、ほとんどやっていない。だから、腕の筋肉は、ほとんど鍛えられていなかったわけで、他方で、体重は、ずっと増えているのだから、この結果も仕方ないのかと思った。

 それにしても、ここまで酷いとは思っていなかった。歩きながら、もう少し原因を考えてみようと思った。

 子どもの時と比べて、単純に身長が2倍になったとする。体型が変わらなければ、体重は、2×2×2=8倍になる。

 他方、腕の断面積は、2×2=4倍にしかならない。筋力は断面積に比例するとしたら、筋力は4倍にしかならない。

 体重は8倍、筋力は4倍になるのだから、実質的には、体重はそのままで、筋力が半分になったのに等しいことになる。

 確かに、動物だって、小さい動物ほど俊敏で運動能力が高く見える。

 たとえば、蚤は、自分の体長の何十倍もの高さまで飛び跳ねることができる。

 これに対して、象は、自分の体長の何分の1の高さですら飛び上がることができない。仮に象が蚤のように飛び跳ねる姿を想像すると、滑稽だし、本当にそうなったら危なくて仕方ないだろう。

 そう考えると、鉄棒で小学生のときにできたことが大人になってできなくなるのも、当然のことと肯けるのだ。

 そうは言っても、今の腕の筋力は、まだまだ鍛えることはできるはずだから、明日から、鉄棒にぶら下がる時間を、毎日、1秒ずつでも増やして行くことにしよう。

 計算上は、十年後には、1時間だってぶら下がれるようになるはずだ。

腹筋運動

 早朝の御所の散歩を再開して一か月になる。

 最近、これに新しいメニューが加わった。腹筋運動だ。

 ちょうど、京都御苑の西北角付近に児童公園があり、そこのベンチの一つに、直径5センチくらいのパイプを組み合わせてT字型にした器具が取り付けられており、その下に足先を入れて、腹筋の練習ができるようになっているのだ。

腹筋


 長いこと腹筋運動などしていなかったので、無理をせず、初日は5回だけにした。翌日は6回、その次は7回と、毎日1回ずつ増やして行った。回数を永久に増せるわけはないが、前日より、1回だけ増やすというのは、さほどハードルが高い話ではなく、10日ほど続いている。

 ただ、問題は、ベンチが固く、尾てい骨とベンチに挟まれた皮膚の部分が強く圧迫されることである。下手をすれば、尾てい骨が皮膚を突き破ってしまいかねない。

 そこで、腹筋の運動を終えて歩きながら、何かクッションになる物はないかと考えているうちに、ハンカチを使えばいいと思いついた。
 
 ただ、ハンカチ1枚の厚さは知れている。だが、折り畳んでいけば結構な厚さになるはずだ。では、何回くらい折りたためるのだろう。そう考えて頭の中でシミュレーションをしてみた。

 ハンカチを2回折ると、一辺の長さは半分になり、厚さは4倍になる。もともとのハンカチの一辺の長さは30センチくらいである。2回折る毎に、15→7.5→3.75となり、これくらいが限界のようである。それでも、厚さの方は4×4×4で64倍、つまり、ハンカチを64枚重ねたのと同じになるのだから、十分過ぎるくらいである。

 翌日、ハンカチをクッションとして利用したのだが、一辺が4センチ足らずでは安定が悪い。とはいえ、家から座布団を持ち出すのも大げさな話である。ハンカチではなく、小さめのタオルくらいがちょうどいいのかも知れない。明日からやってみることにしよう。

悩みの種 ポケモンGO

 ポケモンGOが日本でもサービスを開始し、社会現象になっている。

 目の前の景色がスマホの画面に映し出され、そこに、ポケモンのキャラクターが現れる。ユーザーは、スマホの画面をタップしてボールを投げるなどして、そのキャラクターを捕獲する。そうやって、次々、珍しいキャラクターを捕獲して行くという、他愛ないゲームであり、いったい何が面白いのだろうと思ってしまう。

 そうは言っても、世間に遅れないように、一度くらいは自分でもやってみようという気にならないではない。

 他方で、実際にやり始めたら、ゲームに嵌ってしまうのではないかという一抹の不安も拭いきれない。

 30数年前のこと、スーパーマリオが大ブームになった。

 同じアパートの住人がマリオに興じているのを見ても、何が面白いのか全く不思議でならなかった。

 ある日のこと、その住人が鳥取に帰省するので、その間、私にゲーム機(スーパーファミコン)を貸してくれると言ってきた。

 私は、別に貸してほしくも何ともなかったのだが、「絶対に面白いから」と、半ば押しつけられるように、ファミコンを置いて行かれた。

 そうなると、一度くらいは、ゲームをしてみなければ悪いような気もしてきて、ゲームを始めてみた。

 気がつくと、あっという間に一時間くらい経ってしまった。

 架空の世界で敵の攻撃を避けながら、目標に向かって進んで行くだけなのだが、次々と現れる新手の敵キャラの攻撃を避けつつ、一つのステージをクリアすると、また、全く別の世界が現れ、すっかりゲームの世界に浸ってしまったのである。

 新しい敵が現れれば、何とか攻撃を避けようと、ジャンプしたり、高速でボタンを押し続けたりと、夢中になるのだ。

 空中で浮遊する足場に飛び移ろうとして失敗すると、現実の世界で高い所から転落したかのような感覚がして、たかがテレビの画面の世界と分かっていても、現実と変わらないくらいのスリルを感じてしまう。

 一週間後、帰省していた知人は戻って来たのだが、ファミコンは、しばらく、そのまま、貸してもらった。

 あれから、30年以上も経ったのだ。ゲームの世界は、マリオの時代よりも遙かに魅力的になっているはずだ。

 ポケモンGOも、手を出したら最後、手放せなくなってしまうかもしれない。明日から、御所の散歩の際に、スマホを見ながらポケモンのキャラクターを追い求める自分がいるかも知れない。

諦めるのは、100年、早い

 

40過ぎたら駄目ですね。


 もう何年も前のこと、41歳のAさんの話だが、再就職をしようと、ハローワークに行ったのだが、求人広告が、皆、40歳までとなっていたという。

 それから、一月も経たないうちに、53歳のBさんからも、同じような話を聞いた。
 

50過ぎたら駄目ですね。50までなら、いくらでも、あるんですけど。


 その数日後、今度は、62歳のCさんから、こんな話を聞いた。 

60過ぎたら駄目ですね。60までなら、なんぼでも、あるんですけど。


 一か月やそこらで求人環境が激変するわけではない。Cさんから見れば、Aさんなど、「引く手あまた」の就職天国のように見えるだことだろう。悲観している場合ではないのだ。

 さて、今日は、私の誕生日なのだが、「と夢」の時からの飲み仲間で、今年、80歳になった人に、メールをしたついでに、そのことに触れたら、こんなメールが返ってきた。
 

63歳とは、まだまだ、お若い。一番仕事が出来る時期ですね。


 「今が一番若い」という言葉があるように、自分に残された人生の中で、今が一番、若いのだ。今がんばらなくて、いつ頑張る?ということである。

 日野原重明さんのように、104歳になっても、講演などの予定がびっしり、と言う人もいる。日野原さんに比べれば、90歳、80歳の人だって、まだまだ、若いに違いない。今が、働き盛りといっていもいいかもしれないのだ。

 なお、求人広告で年齢制限を設けることは、現在では禁止されている【厚労省(募集・採用における年齢制限禁止について)】。

恐怖の教訓

 大人になると、たいてい横着になるものだ。

 小さい頃は、脱いだ衣服もちゃんと畳んで枕元に置いていたし、外から帰ったら必ずうがいをしていたが、中学、高校と成長するにつれて、そういう習慣も薄れていった。

 子どもは護るが大人は護らない習慣に、道路は横断歩道を渡る、というのがある。

 小学校の4年生くらいのときに見たテレビ番組で、横断歩道から50メートルくらい離れた所にテレビカメラを据え付けて、人が、ちゃんと横断歩道を渡るか、あるいは、そのまま道路を横切るかを記録した結果が報じられていた。子どもは皆、横断歩道を渡っているのに、大人は、半分くらいしか横断歩道を渡っていなかった。

 そのときは、どうして、大人は、こんな大事なことを護らないのだろうと不思議でしようがなかった。けれども、自分が大人になってみると、つい面倒だという気持ちから、近くに横断歩道があるのに、そこまで行かずに道路を横切ることも増えて来た。

 横断歩道でなくても、ちゃんと左右を見て車を確認しておけば大丈夫と言われれば、その通りなのだが、100パーセント確認できるかというと、その保証はない。

 十数年前、中国に行ったときのことだ。

 片側2車線の道路だが、左右を見てセンターラインの所まで歩を進めた。そこで、いったん立ち止まり、もう一度、左方向を見て車が来ていないのを確認し、一歩踏み出そうとした。そのときだった。

 右方向から、轟音が聞こえてきた。驚いて右手を見ると、大型トラックが私の方に疾走してくる。一瞬のうちに、体が凍りついた。その目の前をトラックが地響きをたてて通り過ぎて行く。

 ここは、日本ではなかったのだ。日本にいるときの感覚で、センターラインのところで左を見ても意味はないのだ。もちろん、中国では車が右側通行だということは知識としては分かっているし、実際、それまでの数日間、その中で暮らしてきたのだ。

 けれでも、その時に限って、日本にいるときと同じように、センターラインのところで、左方向だけを確認して、道路を渡ろうとしたのだ。

 もし、あのとき、右方向の轟音が聞こえなかったら、私は何の躊躇いもなく右方向から来るトラックの前に歩を進めて、今頃は、この世にいなかったでに違いない。

 以来、絶対に、横断歩道のないところは渡らないようにしている。

 

犬の気持ち

 今朝、散歩のために御所に向かっていると、コインパーキングに停まっている車から犬が降りてきた。

 どうやら、御所で散歩させるために、わざわざ車に乗せて来たらしい。

 最近よく見かけることだが、犬は、胴体全体を覆うような、犬用のジャケットを着せられていた。

 飼い主からすれば、愛犬に可愛い格好をさせたいというのは自然だろうし、今朝のような雨に日には、背中が濡れるのはかわいそう、ということだろう。

 だが、犬は、何も着ないのが自然のはずだし、雨で背中が濡れるといっても、人間と違って、皮膚まで濡れるわけではなく、水滴は、背中に密生した毛のところでシャットアウトされるはずである。水滴が溜まってきたら、体をブルブルッと揺すれば、どこかに飛んでいく。

 むしろ、こんな蒸し暑い季節に、ジャケットなど着せられたら、暑苦しくて仕方ないだろう。飼い主は、そんなことが分からないのだろうか。私が犬なら、飼い主に対して、お節介はやめてくれと吠えることだろう。

 そもそも、雨で背中が濡れるのがかわいそうというのなら、頭は、どうなんだろう。雨の日に帽子を被っている犬など、見たことがない。背中はジャケットで守れていても、頭は、そのままで、まるで濡れ鼠だ(犬だけど)。

 犬にしてみれば、こんな御都合主義の飼い主のお節介など、まっぴらご免だろう。

 さて、お節介と言えば、先日、お節介の極致というべき事件があった。Windows10の強制インストール問題だ。

 この春先から、パソコンを立ち上げる度に、ポップアップウィンドウが出てきて、Windows10に更新しませんか、と表示されるようになった。一度ことわっても、何度も何度も同じウィンドウが出てきて、鬱陶しいこと、この上なかった。

 それが、6月始め頃からは、Windows10が強制的にインストールされるといった事態が生じるようになった。

 「強制」と言っても、マイクロソフトに言わせると、キャンセルの手段があるとのことだが、インストールの表示が出てから一定時間内にキャンセルをしない限り、インストールされる仕様になっていた。

 だれもが、パソコンに張り付いているわけではないのだから、電源を入れて、そのまま放置していたりすると、勝手にインストールされるのである。「強制」以外の何ものでもない。

 その後、この問題で記者会見が行われ、記者から、「自動車メーカーなら、新型車が出たからと言って、わざわざ新型車を届けて、慣れ親しんだ旧型車を勝手に引き揚げるようなことはしないはずだが・・・」と追及されていた。

 「確かに不適切なことで・・・」と、お詫びでもするかと思ったのだが、マイクロソフトの担当者の対応は違った。
 
 いかにWindows10が優れているかを説明し、ご理解をしていただきたいと、述べるだけであった。

 マイクロソフトにしてみれば、一般ユーザーは、飼い犬みたいな存在なのかも知れない。

やはり、継続は力

 昨年9月から、1日も欠かすことなく、毎日1万歩を歩いていたのだが、中断してしまった。

 5月の半ばに、雨がしとしと降って肌寒い日があったのだが、久しぶりに外食をして、夜の街を歩いたことがあった。

 日中は結構、暑かったことの反動もあって、翌朝、目覚めると、若干、微熱があり、なんとなく体がだるい。毎日の日課となっている御所の散歩に出かけて、こじらせて、本格的に風邪をひいたら大変だ、そう思って、その日は散歩を取りやめた。

 その日も、昼間は結構歩いたので、晩、家に帰るときに万歩計を見ると、9000歩に達していた。あと、1000歩弱なら、少し遠回りをして帰れば、1万歩は達成できると考えた。そう思って歩き始めたものの、やはり、僅かではあるが、まだ、微熱があるように感じた。

 このまま、1万歩を目指すべきか、諦めるべきか、ここで無理をして、こじらせては大変だ、朝の散歩も取りやめたのだ、半年間続いた、毎日一万歩の週間を、ここで中断するのは忍びなかったのだが、大事をとって、そのまま家に帰った。

 その翌朝のこと。微熱はなかったのだが、まだ、体調は万全ではない。きのう大事をとったのだから、もう一日、自重しよう、そう考えて、その日も、御所の散歩を取りやめた。

 その翌朝のこと。体調は、ほとんど問題なかったのだが、2日空いてしまうと、散歩に出かけるには、結構なエネルギーがいる。結局、この日も、散歩には行かなかった。

 こうして、朝の散歩を取りやめて、あっという間に、1月ほど経った。その間、何度か、今日こそは、という思いになるのだが、どうしても、ぬくぬくとした布団を抜け出して、出かける気にはなれなかった。

 ようやく、2日前の晩のこと、そんな話を知人と電話で話している際に、明日から御所の散歩を再開するという話をした。

 人に話してしまえば、意地でも、そんな気になるもので、昨日、一か月ぶりに散歩をした。

 いったん再開してみると、せっかく再開したのだから、という気になり、今朝は、さしたる葛藤もなく、散歩に出かけることができた。

 この調子なら、明日からも続けられそうである。

浦島太郎を理解する

 京都での十数年の生活を終えて、もとの街に戻った知人がいる。

 その街で過ごした思い出などを色々と聞いていたことから、その街に戻ったら以前のような生活をしているのだろうと思い込んでいた。

 ところが、そうではなかった。電話で話を聞くと、以前の仲のよかった人々のなかには、既に、この世を去った人もあり、そうでなくても、それぞれ、健康、家族、人間関係の変化などにより、十数年前の楽しい日々の再現、というわけには行かなかったようである。

 この話を聞いて、私は、浦島太郎を思い出した。

 自分が目にしていない世界は、なぜか、時間が止まったように思えてしまうのだろう。けれども、世界中、どこでも平等に時間は流れているのであり、自分の目に触れない世界が、ずっと、そのままだという思い込みが間違いなのだ。

 中学、高校の同窓会で何十年ぶりに会ったりすると、一気に、当時のことを思い出したりするのだが、実際に目の前にいるのは、数十年前の中学生、高校生ではなく、数十年の様々な体験をしてきた人たちなのである。

宝くじの経済学

 私が時おり行く銀行には宝くじ売り場が併設されている。

 それを見ると、どうしても、買わずにいられない。

 「もし、ここで買わなくて、後から、この売り場で1億円が当選したという話を聞いたら、絶対に後悔するに違いない」という思いから買ってしまうのである。

 ただ、買うのは、1枚だけと決めている。人によっては、10枚、100枚と爆買いする人もいる。

 そんな人の言い分としては、たくさん買ったほうが、あたる確率が高くなる、ということのようだが、客観的には、そのとおりであり、t;うきつめていけば、全部の宝くじを買えば、100%あたることになる。

 けれども、所詮、自治体が税収不足を補うために行っている事業であり、購入金額の半分しか戻って来ないというのが実態である。

 そういうわけで、1枚しか買わないのである。

 そうは言っても、たまに2種類売り出されていることがあり、その場合は、それぞれ1枚買うのである。

 客観的に見れば、同じ種類を2枚買うのも、違う種類を1枚ずつ買うのも、当選確率は同じはずであるが、そのような買い方をするのである。

 結局、主観的には、ある種類の宝くじを買うというのは、主観的には、1枚だろうが、2枚だろうが同じと言うことである。けれども、別の種類となると、2枚か買うほうが確率が高いということである。

 まあ、宝くじを買うのは、合理的な「投資」ではなく、主観的な「夢」を買うのであるから、人それぞれ、ということである。

 色々書こうと思ったのだが、あまり大したことを書けず、「宝くじの経済学」というのは、羊頭狗肉になってしまったようだ。

機密漏洩罪の「機密」とは

 ときの権力者を表立って批判できない社会でも、人々は様々な形で批判を試みる。

 我が国では、古くは、建武の新政のころの「二条河原の落書」が知られている。

 昭和の時代に入ってからでは、戦時体制下の「贅沢は敵だ」というスローガンに対して、「敵」の前に「素」を書き込んだりといった話を聞いたことがある。

 旧ソ連でも、アネクドート(政治風刺の小話)が流行って、こんな話を聞いたことがある。
 

A:友人が「赤の広場」で、「ブレジネフは馬鹿だ」と言ったら逮捕されてしまった。
B:国家元首侮辱罪で逮捕されたのか
A:いや、そうじゃない。国家機密漏洩罪だ。


 我が国でも、最近、この続編ができたそうである。
 

A:首相官邸前で「●●●●●●は馬鹿だ」と叫んだら、どうなると思う?
B:どうせ、機密漏洩罪で逮捕されるっていうんだろう。
A:やっぱり、ひっかかった。誰でも知っていることが「機密」になるはずないだろう。
B:・・・


「継続は力」なんて言いたくない

 私は結構、頑固である。だから、こちらが納得できないのに、いくら私を説得しようとしても、「嫌なものは嫌」なのだから、説得のための努力は無駄に終わるのである。

 ただ、頑固と言っても、決して、「聞く耳をもたない」というわけではない。

 「なるほど」と思ったことは素直に聞き入れる。

 半年前に、このブログで、【「ちょっと、太った?」】という記事を書いた。

 腹部がだらしなくなってきているのを何となく自覚していたときに、「ちょっと、太った」と言われたのである。「これでは、いけない。」と、毎日、1万歩を歩くようになった。

 何日か続けると、スマホの万歩計を見るのが楽しくなった。目標の1万歩の赤いラインを超えている棒グラフがずらっと並んでいるのを見ると、達成感に浸ることができる。

 そのうち、1日単位で1万歩というだけでなく、1週間単位で、必ず、前の週の記録を上回る、という目標を掲げているうちに、あっという間に、1週間、10万歩を超えるようになった。

 ただ、必ず前の週を上回る、というのは、結構大変なことで、目標としては、1週間10万歩とすることに軌道修正した。この目標も、もう、4か月間、1週も達成できなかった週はない。

 こうして、半年が過ぎ、体重を量ったら、4キロ減っていた。やはり、努力はするものである。「継続は力」という言葉を、身にしみて感じたものである。

 以前のブログにも書いたが【「当たり前のこと」を徹底する】【出したら、しまう】、とにかく、「継続は力」である。

 だが、こんなに、何度も「継続は力」と書かなければならないと言うことは、私自身が、「継続は力」ということが身についていない証左とも言えるだろう。自分とって当たり前のことになってしまえば、ことさら口にする必要もないはずである。

 「継続は力」と言う言葉を早く忘れたいものである。

超インフレ(ハイパーインフレ)体験談

 国の借金が国民総生産を上回って、既に、20年になる【財務省:債務残高の国際比較(対GDP比)】。

 この間、日本の財政は破綻する、円が暴落し超インフレの時代がやってくる、等と言われて久しいが、暴落どころか高止まりしていた円を無理矢理、円安に誘導しているのが現状だし、未だに、デフレから完全には脱却できない状態である。

 インフレと言えば、第一次大戦後のドイツで手押し車に札束を積んで買い物に行く市民の写真を見た記憶がある【事例で見るドイツのハイパーインフレーション 】。

 暖房用の石炭を買う代わりに、マルク紙幣を、そのまま燃やした方が安上がりという話を聞いたような気もするが、いかにももっともらしい話ではあるが、それは、誰かが面白おかしく作り上げた話だろう。

 現実に超インフレを体験していない以上、想像をするほかないが、たとえば、85円の御座候【御座候、85円に】が、85万円になったと考えれば分かりやすい。御座候を買うのに、100万円の札束を持っていかなければならないのだから、大変なことである。

 ところで、そんな超インフレであるが、実は、私は、小学校2年生のときに、インフレの疑似体験をしている。

 当時、毎日、升目の入った漢字練習帳1頁に漢字を100字書いて提出することになっていた。ただ、他の宿題とは違って、これは、「できたらやる」という程度の位置づけだったように思う。

 そのため、先生は、子どものモチベーションを上げようと、工夫を凝らしていた。

 動物の絵柄と評価の言葉が書かれた3種類のスタンプを用意して、子どもの頑張り具合に応じて、そのスタンプを押してくれたのだ。どんなスタンプかというと、ブルドッグの絵が「がんばりましょう」、ウサギが「よくできました」、猿が「たいへん、よくできました」だった。

 始めの頃は、ウサギか猿だったのだが、そのうち、いつも猿になった。

 先生も、ずっと猿だけでは、励みにならないと思ったのだろう、ときおり、猿のスタンプを2つ押してくれた。けれども、いつも2つだと、こちらも、大して嬉しくはない。先生は、そんな子どもの気持ちを察して、ときに、3つ猿のスタンプを押してくれるようになった。

 私が猿のスタンプを3個もらっているときにも、猿1個や、ウサギのスタンプの子もいたのだが、私は、もう、3個でも、さほどありがたいとは感じなくなっていた。

 たまに、手抜きをして、「心」とか画数の少ない漢字ばかりを書いて1頁を埋めることもあったのだが、さすがに、そんなときは、スタンプを猿2個に減らされた。

 猿がたった2個だと、物凄く悪い評価を受けたように感じて、今度は、もっと難しい漢字、たとえば、雪とか朝といった漢字を書くのだった。そうすれば、翌日は、ちゃんと、猿3個をもらうことができたのだった。

 こうして半年が過ぎ、運動会のシーズンになった。その頃には、スタンプの数は、10個を超えていた。年末が近づくと、更に増え、15個になった。

 さすがに先生も、15個もスタンプを押すのは面倒になったのだろう。ある日のこと、返された漢字練習帳を見ると、猿のスタンプが押していない。その代わり、なにやら難しい漢字と、周囲に月桂冠の輪のよう飾りがついたスタンプが押されている。

 先生に尋ねると、その漢字は、「優」という、とてもよくできましたという意味の漢字だそうで、「優」1個は、猿のスタンプ15個分だということだった。

 猿から「優」になって、とても凄いことのように感じて嬉しくなって、ますます漢字の練習に励むようになったのだが、そのうち、優1個では物足りなくなった。

 そんな私の気持ちを察してか、ある日、「優」の横に、猿のスタンプが1個付け加えられた。その後は、猿のスタンプもどんどん増えて行き、3月に入ると、優1個に、猿14個にまでなった。

 終業式の前の日のことだった。返ってきた漢字練習帳には、優が2個ついていた。これが、2年生の最後だった。

 3年になって「優」がどんどん増えていったら、また別のスタンプになるのだろうかと期待をしていたのだが、担任の先生が替わり、私のインフレ疑似体験は終わりを告げたのだった。

鳥の距離感、人の距離感

 御所の中は、鴨川と並んで、鳥たちにとっては絶好の安息場所らしく、人が歩く砂利道でも、様々な鳥たちが戯れている。

 何という名前の鳥か分かれば、より楽しいと思うのだが、残念ながら、私は、鳥の名前をほとんど知らず、ウグイスとメジロの区別も怪しく、自信を持って識別できるのは、烏と白鳥の違いくらいなのである。

 それはともかく、今朝の散歩のときのこと、私が近づいて行っても、間隔が2メートル位になるまで飛び立たない鳥がいた。だが、2メートルというのが境界領域なのか、それ以上、近づこうとすると、さっと飛び立ってしまうのである。

 人間同士でも、微妙な距離感というのがあるが、人それぞれ、許容できる距離感というのが違うようだ。

 学生時代、生協の食堂で、8人がけのテーブルに一人で座っていると、たまにではあるが、他に空いたテーブルがいくらでもあるのに、わざわざ、私と同じテーブル、それも中には、私の正面に席をとる学生がいた。

 そういう人は、普通の人よりも、許容できる距離がずっと短いのだろう。

 もちろん、私だって、混雑時に食堂に行くこともあるのだから、テーブルに8人全員が席に着いていても、それは、それで、どうと言うことはないのだが、がらがらの時に、同じテーブルに座られるのは耐え難いのだ。

 そんなときは、わざわざ、席を立って、別のテーブルに移るのだ。相手にとっては気分の悪いことかも知れないと思って、少しは我慢しようと思うこともあるのだが、やはり、どうして自分が我慢しなければ行けないのだという思いから、別のテーブルに移るのだ。

 食堂のような広い空間ならまだしも、エレベーターのような密室だと、より、神経質になってしまう。

 先日、エレベーターが何機もある大きな施設に行った帰りのことだった。

 見るからに波長の合わない、こんな奴とは同じ空間の空気を吸いたくないと思わせるような男が、私が待っているのと同じエレベーターの所にやって来た。

 すぐに別のエレベーターに移ろうかと思ったのだが、自分一人ではなかったので、しばらく、エレベーターを待っていた。ふと、同行者に顔を向けると、彼女も、私と同じ思いを抱いていたようで、どちらからともなく、目配せして、別のエレベーターに移ったのだった。

 あのまま、同じエレベーターに乗り合わせて、エレベーターが故障して、何時間も同じ空気を吸わなければならなかったかも知れないと思うと、大げさかも知れないが、あの場面で決断して、つくづく、よかったと思ったのだった。

砂糖壺は隔離する

 まだ、「戦後」と言われた時代、母から聞いた話だ。

 私が生まれる前のこと、叔母が従兄弟を連れて、我が家に遊びに来たことがあった。夕方になり、母が何かの料理で砂糖を使おうとしたところ、その従兄弟が、砂糖を全部、食べて尽くしていた、ということがあったそうだ。

 当時、砂糖は、まだ貴重品で、母も困ってしまったのだが、小さな子も、今のように甘いものが、いつでも食べられる時代ではなく、親戚の家で見つけた砂糖の壺は、またとない、宝物だったのだ。

 母は、小さな子が遊びに来たのに、目につくところに砂糖壺を置いていた自分悪いと諦め、その従兄弟を怒るに怒れなかったということだった。

 そんなことがあってから、半世紀が経った。
 
 父が亡くなり、母の認知症が進んで、味覚についても、だんだんと幼児化して行った。

 ただ、大好きな珈琲については、私よりも、よほど味の善し悪しが分かるようで、連れて行った喫茶店の味が気に入らなければ、遠慮なく、この店は駄目だと言うのだった。

 そんな母だったが、珈琲の後には、無性に甘いものが欲しくなるようで、角砂糖を何個も珈琲茶碗にとって、舐めていた。

 3つ、4つなら、まだしも、放っておけば、10でも、20でも口に入れそうな勢いで、それを制すると、恨めしそうに私の方を見るのだった。

 外で、そんな調子なので、家でも、目につくところに砂糖があれば、どれだけ食べるか知れたものではない。

 その頃は、母は、自分で料理をすることはなく、すべて、ヘルパーさん頼りだったので、砂糖の壺は、母の目の届かないところに置くようにしていた。

 ときどき、私が訪ねて行くと、必ず口をついて出てくる言葉は、「何か甘いもの食べたい」だった。

 そう言われると、私もむげに断ることもできず、私自身も甘いものは大好きなこともあり、粒あんが隅々までたっぷりと入ったアンパンを買いに、近所のパン屋さんまで出かけるのだった。

免罪符としての、白い胡蝶蘭

 近くの家具屋さんが新装オープンしたときのこと。

 店頭に御祝いの白い胡蝶蘭が30鉢近く、ずらっと、並んでいた。他に、2,3鉢だけ、違う花の鉢があった。

 なぜ、揃いも揃って白い胡蝶蘭なのか。御祝いをする側は、送り先が、どんな所なのか考えることなく、白い胡蝶蘭さえ送っておけば、義理が果たせたと考えているのだろう。

 本当に御祝いをしようという気持ちがあれば、相手が、どんな花が好きかとか、相手の店舗には、どんな花が相応しいかと考えるはずだし、そうすれば、そろって白い胡蝶蘭、ということはないはずである。

 この家具屋さんの場合は極端な例ではあるが、知人の事務所の事務所開きに行っても、白い胡蝶蘭が並んでいて辟易することがある。

 会社同士の付き合いであれば、総務担当者が、慣例に従って、無難な「白い胡蝶蘭」を送る、というのも分からないではないが、個人的な付き合いの者どうしのはずなのに、どうして、こうも、白い胡蝶蘭にこだわるのか不思議でならない。

 白い胡蝶蘭であれば、花の大きさなどで、送られた側は、大体、いくら位の金額か、分かるのかも知れない。送る側は、それだけの金額のものを送りましたよ、というメッセージを伝えるためには、白い胡蝶蘭を送るのいいのかも知れない。

 御祝いをするというよりも、これだけの御祝いをしましたよ、ということをアピールするためのもの、いわば、免罪符のようなものだと思えば納得も行く。

 とはいえ、白い胡蝶蘭を見る度に、「ああ、この両者は、その程度の関係なのか」と思ってしまうのである。

かけがえのない健康

 と夢の常連で、私より10才くらい年上のKさんという人がいた。

 私の場合、と夢には、晩ご飯を食べに行き、ついでに、お酒を飲む、という感じだったが、Kさんは違った。

 とにかく、お酒が好きで、しかも、食べるものは、イクラ、ウニ、アン肝、白子といった、こってり系のものばかりだった。

 「いつか病気になるに違いない」と思っていたら、ある日、女将さんから、Kさんが脳梗塞で入院したという話を聞いた。

 数か月後、右足を引きずるように歩くKさんに近所で、ばったり出会った。言葉も不明瞭だったが、量を減らしながらも仕事には何とか復帰したとのことだった。もう、お酒も飲んでいないし、食生活も、以前とは打って変わったそうだった。

 可哀想にと思いながらも、他方で、自業自得、という思いも禁じ得なかった。

 私自身は、食生活が原因の病気、いわゆる生活習慣病にだけは、絶対にならないと心に決めている。もしも、生活習慣病になったら、絶対、後悔するに違いなく、悔やんでも悔やみきれないはずだ。

 だから、人一倍、食生活には気を遣っており、食事は野菜中心だし、もう一品食べたいと思っても控えるようにしているし、冷や奴にかける醤油も必要最小限度の数滴だけにしている。

 といっても、ベジタリアンでないし、それほど禁欲的な食生活をしているわけではない。たまには焼き肉を食べにも行くし、無性にラーメンが食べたくなって、お気に入りのラーメン屋(一風堂)に行くこともある。

 私の食生活を他人に押しつけるつもりはないし、だれもが、私のような食生活で満足できるわけでもないし、結局は、自己責任だというものの、やはり、度を超して危険な食生活をしている人には、お節介とは思いながらも、多少のアドバイスは行っている。

 以前ブログにも書いた【肉食注意報】は、その例である。

 現時点で、気になるのは、フェイスブックの友達である。

 会ったことも話したこともないのに、どういう経緯かフェイスブックの友達になり、結構、その友達の投稿に「いいね」をしたり、コメントを書き込んでいる仲なのだが、彼の投稿を見ていると、「危ない」のである。

 というのも、投稿の半分くらいが食べものネタで、それも、先のKさんと同じように、こってり系のものが大好きなようなのである。年は、ずっと若いのだが、このままだと、糖尿病、痛風、脳梗塞、のどれかになっても、おかしくないと思えるのである。

 親しい友人なら、「命を縮めてどうするんだ」と、面と向かって注意するところだが、単にフェイスブックの友人と言うだけの間柄に過ぎないし、こうしてブログを書いて、そっと、ブログのアドレスでも教えてあげるのが関の山と思った次第である。

有言実行

 一昨日のことだが、事務所の机の廻りを片付けた。

 机の上に置かれたファイルは、すべて、定位置であるキャビネットの中に仕舞い込んだ。

 机の周囲の床におかれていた、ファイルが入った箱も全部、片付けた。

 キャビネットにマグネットで貼り付けていた研修会の案内、メモの類も、全部、取り除いた。

 机、床、キャビネットの面が目に触れるようになった。なんと心地好いことか。山道で樹木の間を抜け出て、急に視界が開けたときのような爽快な気持ちになった。

 今の事務所に越してきて、十年以上になるが、少しずつ、少しずつ、机の廻りの物が増え、なんとかしなければと思いながら、ときおり多少の片付けはするものの、これだけの片付けをしたことはなかった。

 それが、これだけの片付けができたのは、知人に、机の廻りを片付けると宣言をしたからである。

 「不言実行」という言葉があるが、できれば、それに越したことはない。だが、それができないなら、「有言実行」で行くほかはない。「不言実行」を目指して、「不言無策」になるよりも、ずっとましである。

 では、なぜ、机廻りを片付けるという話になったかというと、話は半年くらい前に遡る。
 
 友人の弁護士の奥さんに誘われて、昼ご飯に、ある料理屋さんで食事をしたのだが、カウンターの端の席で、なんと呼べばいいのか知らないが、要するに料理人の人が、目の前で料理を作るのを目の当たりにした。

 そのとき、驚いたのが、一品作る毎に、調理台の上を布巾で丁寧に拭いて、ぴかぴかにしてから次の料理に取りかかる、ということを繰り返していたのである。

 これまで、間近に料理を作るのを見たことがなかったのだが、一方で、「何もそこまでしなくても」という思いをしながらも、他方で、一つ終わる毎に綺麗になる調理台を見ていて、非常にいい気持ちになったのだ。

 一昨日、ある飲食店経営者の人と話をしているうちに、掃除のことが話題になり、私が、この半年前の話をして、料理に限らず、何をするにも、きちんと片付いていた方が、仕事が捗るという話になり、それが私の机の廻りの話になって、机廻りを片付けると宣言するに至ったというわけである。

 この、机の廻りを片付けるという話は、実は、半年前に、【出したら、しまう】で書いていたのだが、結局、実行できなかったのである。

 どうやら、不特定の人に向けて、ブログに書くよりは、特定の人に向けて口頭で宣言する方が実効性があるようだ。

パソコン110番

 自分の苦手な分野で問題が発生した場合、その分野に得意な友人がいたりすると、ついつい、その友人に頼ってしまう。

 だが、「問題」といっても、ぴんからきりまである。

 だいぶ前のことだが、プリンターが動かないので診てほしいという電話があった。

 歩いて5分くらいの所にある事務所だったので、あれこれ状況を聞くよりも現場を見る方が手っ取り早い思い、すぐに、その事務所に向かった。

 プリンタドライバーのバージョンが違うのだろうか、あるいは、OSが使用するパソコンの設定がうまくできていないのだろうか、あれこれ、問題となりそうなことを考えていたのだが、あっというまに現場に到着した。

 まず、最初に、どのパソコンから、どのプリンターを使って印刷できないのかを確認した。

 次に、どこから手をつけようかと考えながら、ふと、プリンターの裏側に目をやると、プリンターケーブルが外れている。「なんだ、これは!」と思いながらも、ケーブルを繋いでやると、当然のように、プリンターは印刷を始めたのである。

 先日は、こんなことがあった。

 晩の携帯の着信に気づかず、翌朝、折り返しの電話を入れたところ、パソコンのことで聞きたいことがあったのだが、もう解決したとのことだった。

 どんな問題かというと、ゲームをやろうとしたのだが、音が出なかったそうである。

 どうすればいいか分からず私に電話をしたのだが携帯に出てもらえず、仕方なく自分であれこれやっているうちに、解決したとのことだった。

 原因は、スカイプ(インターネットを使った無料のテレビ電話サービス)を使うためにヘッドセット(マイクとイヤホンが一体となったもの)をパソコンに接続して、そのままにしていたということだった。

 ヘッドセットを外せば、当然、パソコン本体から音が出てくるわけで、それで問題解決、というわけである。

 こんなふうに、何も私に尋ねてこなくても自分で解決できるような問題もあるのだが、苦手意識があると、問題が生じると思考停止になってしまい、私に電話をしてしまうのである。

 パソコンでなく、電子レンジや洗濯機といった普通の家電製品であれば、こんなことはないはずだ。動かなければ、電源が入っているか、蓋が閉じられているかなど、自分で確認するはずである。ところが、パソコンだと、そのレベルのことさえ、思考停止に陥り、人に頼ってしまうのである。

 おそらく、私に質問の電話をしてくる、Iさん、Sさん、Rさん、Mさん達も、このブログを見ているだろうが、私が心配なのは、このブログを見て、「こんなので電話したら申し訳ない」と思って、電話を遠慮してしまうことである。

 人間誰しも、どんな些細なことであっても、人に頼られるというのは、心地好いことであり、聞かれれば、張り切って教えてあげようという気になるものである。だから、絶対に、「遠慮は無用」である。

ときおり、御座候の赤と白をひとつずつ、用意しておいてくれたら、それで十分なのである。 

早朝の先制攻撃

 山らしい山に初めて登ったのは、大学一回生のときだった。クラスの仲間10人くらいで、大学の山の家がある白馬岳に登った。

 山を下りてくる人が、見ず知らずの他人であるにもかかわらず、向こうから、「こんにちは」と声をかけてくる。はじめは、「全然、知らない人なのに・・」と戸惑ったのだが、例外なく、向こうから声をかけてくる。

 山登りの経験のある友人が、山では、そういうものなのだ、と説明してくれて、そのうち、自分の方からも「こんにちは」と声をかけるようになった。

 見ず知らずの人に誰彼なく挨拶をするなど、街中でやったら、きっと気持ち悪がられるに違いない。山という特殊な空間だからこそ、みな、特別な気分になって、そういう習慣ができあがったのだろう。

 山歩きし似ているのが、早朝の御所の散歩である。

 昼間の散歩なら、そんなことはないのだが、早朝に散歩をしていると、向こうから「おはようございます」と声をかけられることが、結構ある。割合にして、3、4割といったところだろう。

 限られた空間、特に、何か他の用事のために歩いているのではなく、ただ、そこを歩くということ自体に意味がある、そんな連帯感から、山と同じように、挨拶をする人が多いのだろう。

 ただ、山のように、必ず挨拶をされるというわけでもない。

 だから、こちらの方も、突然、挨拶をされて、慌てて「おはようございます」と返すことになる。

 だが、寒さでこわばっている口を開いて「おはようございます」というのは、なかなか大変なことで、「オワヨーゴジャー・・」といった、何を言っているのか分からないような返事になってしまう。

 そこで、今日から始めたのだが、向こうから挨拶をされる前に、こちらから挨拶をすることにした。

 これなら、自分の選んだタイミングで挨拶をするわけだから、明瞭に、「おはようございます」と発音することが可能なのだ。

 私の挨拶に驚いたように、「オワヨー・・・」と返事をする相手の人を見ていると、昨日までの自分を見ているようで、ちょっとした優越感に浸ってしまう。

 「先んずれば人を制す」 挨拶は、先制攻撃に限るというわけである。

誰にも甘く

皆さんは、自身の性格を、どのように認識しているだろうか。 

a. 自分に甘く、他人にも甘い
b. 自分に厳しく、他人にも厳しい
c. 自分に厳しく、他人に甘い
d. 自分に甘く、他人に厳しい


 私は、躊躇することなく、a.と答える。

 たとえば、車が渋滞して約束の時刻に30分くらい遅れそうだという電話が入ったとする。そんなときの私の返事は、こうだ。

全然、構わないですよ。1時間くらいなら大丈夫ですよ。決して慌てたりしないで、安全運転で来て下さいね。


 これが、たとえば、こう言ったら、どうだろうか。

渋滞がありうることは見越して、早めに家を出るべきではないんですか。30分で来れるんですね。


 それで、どうなるものでもない。むしろ、スピード違反で捕まったり、事故を起こしたりすれば、元も子もないではないか。

 それに、相手だって、本当に申し訳ないと思っているのに、厳しく指摘されたら、理不尽なことではあるが、逆に反発しかねない。

 それよりも、自分の不手際を許してくれた、ありがたいことだ、これからは絶対に迷惑をかけないようにしよう、そう思ってくれた方が、ずっといいではないか。

 まだ弁護士になる前に見た映画だが、「マルサの女」で、弁護士が依頼者から、実は、あることを隠していたことを打ち明けられたシーンがあった。

 その時の弁護士の言葉がとても印象に残っている。隠していたことを咎めるのではなく、こういったのだ。

また後で思い出したことがあったら、いつでも、教えて下さいね。


 なるほどと思ったものだ。もしも、これでもかというくらい叱りつけていたら、他に隠し事があった場合、依頼者は、もう話せなくなってしまう。ところが映画の弁護士のように言われたら、隠し通すか迷っていたことでも、話そうという気になるはずだ。

 弁護士になってから、こういったシーンは少なからず経験したが、いつも、映画の弁護士のように答えている。

小生意気な国際政治学者

 今日は、このブログに似つかわしくなく、国際政治の話である。

 といっても、小豆需要の増大による価格高騰と、これに伴う各国による小豆争奪戦といった、当協会に関わりのある問題ではなく、戦争や民主主義の話である。

 子どもの頃、日本が戦争に突き進んだのは、東条英機のような好戦的な一部の軍人が国民を洗脳、抑圧したからだ、と教えられた。

 だから、そんなことにならないよう、戦後は、民主主義を徹底したのだ、と教えられた。

 ところが、民主主義の国であるはずのアメリカがベトナム戦争を始めたり、イラクやアフガニスタンにまで軍隊を送り込むのを見るうちに、どうしてアメリカ国民は、こんなにも好戦的なのだろう、という疑問が頭をもたげてきたり、民主主義が平和を保証するという命題が、正しいとは言えないということに、何となく気づいてきた。

 こんな私の思いは、明確に意識しているか否かは別として、多くの人に共通なものではないだろうか。

 ずっと、そんな思いをしていたところに、その疑問に答えてくれる書籍が登場した。

 三浦瑠璃の「シビリアンの戦争」【BOOK asahi.com】である。

 図書館で借りて読み始めたのだが、過去の戦争(イギリスのクリミア戦争、レバノン戦争、フォークランド戦争、アメリカのイラク戦争)を取り上げて、国民の声を反映しているはずの「シビリアン」が、なぜ、戦争を主導していったのかを分析しており、なかなか面白そうである。

 三浦瑠璃の本を紹介はしたものの、実は、私は、この国際政治学者が、大嫌いである。

 第一の理由は、恐ろしく、「小生意気」な人間だということである。

 ここ、1年くらい、朝まで生テレビや、NHKの、主に若い世代を中心とした討論番組に頻繁に登場するようになり、その言動を見聞きする機会が否応なく増えている。

 こういった番組では、一人が発言している時に他の出演者の表情が映し出されることが結構があるが、そのときの三浦瑠璃の表情が際立っているのである。

 話を聞きながら、「ふーん。そんなことは、私は百も承知よ。結局、言いたいのは、こういうことでしょ。所詮、その程度のことしか考えられないんだね。あとで私が教えてあげるからね。さっさと話を終わらせてよ」といった、とことん、「上から目線」の表情をしているのである。

 表情から、そんなことまで読み取れるのかと言われそうだが、実際、この三浦瑠璃は、まるで顔にそう書いているみたいな表情をみせるのである。

 どんな名女優でも、ここまで「上から目線」の演技をすることは不可能だと思わせるくらい、見事な表情なのである。嘘だと思ったら、一度、彼女が登場する番組をご覧になるといい。

 演技派女優と言われる大竹しのぶなら、そこそこ、そういった演技はできるだろうが、やはり「演技」は「演技」である。「現実」の三浦瑠璃には、とうてい及ばないのである。

 もちろん、彼女が突出しているのは、表情だけではない。

 しゃべり出したら、いかにももっともらしいことを延々と話しながらも、だからどうなんだということについては、巧みはぐらかしているのであるが、一貫しているのは、戦後の民主主義、平和主義に対する、醒めた立場であり、その限りではあるが、安倍晋三や橋下徹といった連中と、極めて親和的なものを感じるのである。

 実際、彼女は、自民党に対抗する政治勢力としては、現実的には、橋下徹の率いる維新の勢力しか考えられない等と発言したり【維新分裂と安保法制を繋ぐもの】、民主主義の下で戦争を抑止するには国民が戦争の痛みを実感するしかなく、そのためには徴兵制を実施するほかはないなどの、倒錯した発言【諸般の事情はどうですか】をしているのである。

 私は、こういった、人間としての「小生意気さ」と、橋下を評価する政治的スタンスから、彼女が大嫌いであり、「橋下首相、三浦官房長官」という悪夢のような時代が到来することを真剣に危惧しているのである。

 とはいえ、いくら嫌いだからと行っても、「食わず嫌い」はだめである。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」である。だからこそ、最近、彼女の本を読んだり、ブログ【山猫日記】を見たりしているのである。

 こんなことを言ってても、結構、ミーハーな私である【結構、ミーハー】。彼女に会った途端、サインや握手を求めている自分の姿が想像されるのである。

 ミイラ取りがミイラにならぬよう、気をつけなければならない。

Rロス

 「●●ロス」という言葉が人口に膾炙するようになったのは、ここ2,3年のことだろう。

 NHKの人気の朝ドラ「あまちゃん」が終わって間もなく、「あまロス」という言葉を耳にするようになった。

 ドラマ終了による喪失感、ないし、喪失感を埋めるための行動を、「あまロス」と呼んでいたようだ。

 昨年の夏には、福山雅治の結婚で、女性の間で「福山ロス」という現象が生じたようだが、私自身は、周囲で「●●ロス」というのを直接に見聞きすることはなかった。

 ところが、ここ数日の間に、「Rロス」現象を目の当たりにした。

 Rというのは、「と夢」の常連で、日本粒あん協会の会員、飲み友達、かつ、雀友達の女性だが、このRさんが、先日、10年ほどの京都生活を終えて、以前に住んでいた横浜に帰って行ったのだ。

 それから1週間ほど経って、周囲の男性たちから、こんな話を聞かされた。

Rさん、もう、落ち着いたでしょうかね。電話でもしようかと思ってるんですけど、まだ、歓迎会や何やで大変でしょうし、我慢してるんです。


Rさんにメールしたんだけど、まだ、返事が来てない。どうしてんやろか。


そんな愚痴に、私は、こう答えている。

10年ぶりの横浜で、地元では、歓迎会ラッシュなのと違いますか。京都でも送別会続きで大変だったみたいだし、もうしばらくは、落ち着かないんじゃないですか


 私自身も、Rさんの住んでいたマンションは、すぐ近くだったので、その側を通る度に、マンションを見上げて、6階の角部屋で彼女と過ごした時間のことを思い浮かべていた。

 というのも、Rさん宅には、知人から譲り受けたという自動雀卓があり、年に数回、そこで麻雀をして、そのまま、部屋で飲み会をするのが恒例だったからだ。

 私の場合、「Rロス」ではなく、「雀ロス」なんだ、と自分に言い聞かせてはいるものの、では、自動雀卓を手に入れたら、それで解消するのかと言われると、答えに困ってしまうのだ。

徒然草を読んでみませんか

 早朝、暗いうちから御所を散歩していると、木の小枝に顔を引っ掻かれることがある。

 そんなことにならないよう、暗い中を目を凝らしているのだが、それでも、時々、引っ掻かれてしまう。

 今朝、御所を歩いているときに、樹木の間隔が狭く、結構、横に枝が張りだしているところにさしかかった。

 これでは、いくら注意をしても、きっと顔に小枝を引っかけてしまうだろうと思い、迂回して、砂利道との境の辺りを歩くように路線変更した。

 ここなら、小枝に顔を引っ掻かれる心配はないと思って、足を速めた瞬間だった。

 額に、ゴツン、と衝撃を受けた。前身の神経の全てが額に集中したのか、体中の力が抜けて、顔面に強力なパンチを食らったボクサーのように、ふらふらと、その場に座り込んでしまった。

 見上げると、小枝どころか、直径10センチくらいの枝が張りだしており、その枝の瘤のようなところに額があたったのだと分かった。

 それを見た瞬間、徒然草の一節を思い出した。

 教科書にも載っている有名な「高名の木登り」の話だ。

 木登りの名人が、弟子が高いところを登っているときは黙っていて、もうすぐ地上に降り立つというところで注意を与えたのを見て、見物人の一人が不思議に思って名人に尋ねた。

 名人が言うには、高いところだと嫌でも自分で注意をするが、低いところだと、本人は安心してしまい、注意が散漫になるから、自分が注意をしたのだ、ということだった。

 そんなことを思い出した後、ニュースを見たら、東京の蒲田駅前で、観光バスが中央分離帯に激突したという事故の話が出ていた。運転手は、「あと、500メートルで終点の蒲田駅だという安堵感があった」と述べたという。

 まさに、木登りの名人の話したとおりである。

 この話に限らず、徒然草には、今でも通用する話が、満載である。

 書店に行けば、数々の自己啓発書が並んでいるが、徒然草を再読する方が、ずっとためになるのではないかと思う。

 「駄目社員を3日でトップエリートに変身させる」とか、「できる社員は、ここが違う」とか、「ハーバード流●●術」とか、次から次へと、何とか人目を惹こうと工夫を凝らした題名の書籍が登場するが、中身は、大同小異で、これまで何度となく言われてきたことの焼き直しである。

 そんな本に無駄なお金を払うより、徒然草をじっくり読む方が、ずっと合理的である。書店の自己啓発書コーナーに、「徒然草は、エリートのバイブルだった」なんていう題名の本が並んでていてもいいくらいである。

 実は、10日ほど前に、徒然草の原文、現代語訳、解説を無料で朗読してくれるサイト【左大臣 徒然草】に登録して、徒然草の再読を始めたばかりなのだ。読めば読むほど、徒然草の価値を再認識し、吉田兼好の観察力、洞察力に感嘆するばかりである。

究極のビジネスモデル

 カレーの「壱番屋」に廃棄処理を依頼されたビーフカツを、産廃業者の「ダイコー」が食品卸業者の「みのりフーズ」に転売し、仲卸を転々としてスーパーで販売されるという、とんでもない事件が発覚した。

 その後の調査で、「ダイコー」「みのりフーズ」を経由して、廃棄依頼された食品がスーパーで販売されていたという事例が次々と明るみに出ている。

 どんな商品でも、製造、仕入れに費用がかかっている。ところが、「ダイコー」は、仕入れコストは「ゼロ」である。さらに、廃棄処理代金という「おまけ」まで、もらっているのである。こんな凄い「仕入れ」方法は、存在しない。どんな腕利きのバイヤーでも、できない芸当である。

 また、廃棄物処理業者は、受注競争に勝つため、自らの処理に要す経費を削減し、利益が出せるぎりぎりの金額で鎬を削っているのである。

 ところが、「ダイコー」は、そもそも、廃棄物処理費用を負担しなくていいのだから、「同業」他社よりも安い「廃棄物処理料金」を提示して、受注競争を勝ち抜くことができるのである。

 「ダイコー」は、「廃棄物処理業者」としても、「食品流通業者」としても、際立った優位性のもとに事業を展開しているのであって、究極の理想のビジネスモデルといっていいだろう。

 しかも、単に「ビジネス」として優れているだけではない。

 本来、まだ食べられる商品が、製造者や流通業者の都合で、いとも簡単に廃棄されているという現状に反旗を翻して、食品の使命を全うさせるという、「もったいない」精神を地で行く、見上げた存在なのである。
 

白い悪魔

 昨日のブログ【真冬の天気図】で、吹雪いていれば北海道のスキー場を思い浮かべるから寒さなんて平気だと書いたが、今朝は、まさに、そんな天気だった。

 御所の砂利道は、うっすらとではあるが、一面の銀世界となっており、私は、すっかり北海道のゲレンデにいる気分になった。
 
 砂利道のゲレンデを離れて、落ち葉が堆積した上に雪が積もっているところに足を踏み入れると、雪は1,2センチしか積もっていないのに、20~30センチも積もった新雪を踏み分けていくような感覚で、爽快この上ない。

 本物のスキー場なら、コースの周辺には、中央付近から除雪された雪が深く堆積して、その上に新雪が厚く降り積もっているため、下手に足を踏み入れると、爽快どころか、ずぼずぼと、そのまま、雪の中に沈んでしまいかねないが、御所の中では、そのような心配は、これっぽっちもない。

 この点に関しては、初めてスキーをしたときの苦い思い出がある。

 少し滑るのに慣れてきて、コースの端の方の新雪に足を踏み入れたのだった。

 すると、雪は思いのほかに柔らかく、あっという間に、体ごと雪の中に飲み込まれてしまったのだ。

 すぐに這い出そうと藻掻いていたのだが、ふと、自分が進もうとしている方向が、本当に上なのか、下なのか分からなくなった。

 どちらを向いても、白くぼやっと明るいだけで、明るさだけの違いで上下を判断することはできなかった。

 このまま、どちらが上か下か分からないまま、雪の中で窒息死するのではないか、そんな不安が頭をよぎった。

 テレビドラマや映画では、主人公が絶対絶命の危機に瀕したときに、智恵を巡らした上、これだという脱出手段を思いついて九死に一生を得るというのは、おなじみのシーンである。

 そんなシーンを、あれこれ思い浮かべるうちに、森の中で方角が分からなくなったときは、切り株の年輪を見て、密になっている方が北と判断するとか、洞窟の中で、どちらに出口があるかを探るために、舐めた人差し指をかざして、冷たく感じた方から空気が流れてくるのだから、そちらに進むとか、そういったシーンが浮かんできた。

 でも、今は、そんな場面ではない。どちらが上か下かが問題なのだ。

 道具も何もないのだから、使えるのは自分の体だけだ。そうだ。唾液だ。

 すぐに、唾液を口から、たらりと出してみた。すると、右の口角から頬を伝って流れて行く。

 ということは、そちらが下のはずだ。少し頭を動かして空間を作り、真下と思われる方向に向けて唾液を垂らしてみた。すると、まっすぐ、思った通りの方向に落ちていく。

 これで生還できる! あとは、反対方向に向けて、少しずつ、這い上がっていくだけである。

 こうして九死に一生を得たのであるが、唾液を垂らす、というアイデアは、本当に自分で思いついたのか、ひょっとしたら、遠い記憶の底に沈んでいたものが、窮地に追い込まれて覚醒してきたのか、真相は不明である。

 もし、そんなシーンを見たことがあるという方がいれば、ぜひ、コメント欄で教えてほしい。

真冬の天気図

 私は、天気予報には無頓着なほうである。

 なぜかというと、まず、仕事柄、晴れていようが、雨が降っていようが、また、暑かろうが寒かろうが、ほとんど、関係ないからだ。

 だが、理由は、それだけではない。

 というのも、同じ事務所の同僚でも、やたらと天気予報を気にする者がいたからだ。それも、明日は、暑くなりそうだとか、寒さが厳しそうだとか、天気予報はどうだった、という話をするのである。

 まず、寒さの点であるが、私は、大人になってからは、寒くて嫌だなと思ったことはない。

 子どもの頃は、寒い寒いと泣いていて、父に酷く怒られた記憶があるが、確かに、子どもの頃の寒さは耐え難かった。

 当時は、断熱壁などない木造家屋で、幼稚園に入る前は、暖房と言えば、木炭の火鉢しかなかったのであり、暖をとるといえば、火鉢の上に手をかざすしかったのである。

 それが、火鉢も、練炭火鉢になって少し火力が強くなり、そのうち、電気ごたつが我が家に入って来て、さらに、石油ストーブが、やって来た。その後に鉄筋のアパートに転居した。こうして、家の中で寒いという思いをすることはほとんどなくなった。

 もちろん、朝、目覚めたときには、ぬくぬくとした布団の中から抜け出すのは、一大決心が必要だが、子どもの頃のことを思えば、何と言うことはない。

 それでも、なかなか布団から抜け出せないこともある。そんなときは、父の若い頃のことを思い浮かべるのだ。

 父は、ほとんど、その話題に触れることはなかったのだが、戦後間もなく、シベリアに抑留されていた。当然、毎日決まった時間に起こされて強制労働に従事する生活だったはずである。

 となれば、寒いから布団から出ないなどという選択肢はあり得ない。ぐずぐず言っていれば、監視のソ連兵から、どのような懲罰を加えられるか分からないし、下手をすれば、命の保証もないのである。

 そんなことに思いを馳せると、何と幸せなことかと思うのである。自分は、布団から出ても、鼻水も凍るような極寒の地で重労働をしなければならないわけではないのである。そのことを思えば、これくらいの寒さなんか、なんでもない、そう思って、布団をはねのけるのだった。

 いったん布団から出てしまえば、もう平気である。しっかり着込んでいれば、外に出て粉雪が舞っていようと平気である。むしろ、多少、吹雪いていたりすると、北海道のスキー場に行った気分になったりして、むしろ爽快な気分になる。

 この感覚は、寒さが苦手な人には理解できないだろうが、私は、そんなふうに寒さは平気なのである。

 では、暑さはどうかというと、ガスバーナーを吹き付けられるような炎天下を歩くのは嫌ではあるが、天気予報を聞いて、明日は暑くなりそうだなどと、何も、嫌な気分を先取りすることはない。

 また、実際に暑いからと言って、「暑い、暑い」などと言っていたら、余計に暑く感じるだけである。

 そんなわけで、私は天気予報に関心はないのであるが、たまたま、昨日のテレビで流れていた天気予報で、等圧線が本州に5本以上かかったら寒さが厳しいという話をしていた。

 つまり、冬の天気図と言えば、西高東低の気圧配置で、等圧線が、ほとんど、南北に走っており、それが密になれば、それだけ大陸の寒気が北西の方角から日本列島に流れ込んできて、寒さが厳しくなると言うのである。

 さきほど、御所を散歩していたとき、やけに風がきついなと思ったのだが、ふと、前日の天気予報の話を思い出した。昨日の天気図では、等圧線が10本近く本州にかかっていたのであり、今朝の寒風の強さも納得したというわけだ。

「ゆうの字」の合理性

 伝統文化というものは、一種の様式美で構成されているといっていいだろう。

 ただ、様式美といっても、決して「様式」だけを追究しているわけではなく、「機能」を追究した結果として、「様式」が確立されたのだろう。

 とはいっても、習う側は、とにかく、その「様式」を真似ることに精一杯で、その背後にある由来までも、なかなか思いが至らないものである。

 また、教える側も、面倒なのか、そんなことは生徒が自分で見つけるものだと思っているのか、手取り足取り教えてくれるものではない。

 先日のブログ【「ゆうの字」】の話は、そのギャップによる失敗談だったが、釜の蓋をとって置くときの動きの「U」の字にしても、ちゃんと考えてみれば、それなりの合理性があったのであり、「ゆ」の字に動かすことなど、考えられなかったはずである。

 つまり、蓋を取る場合は、かなりの前傾姿勢になるので、その蓋を、まず、手前に引きつけた方が体が楽になる。ところが、前傾姿勢のまま右前方にある蓋置きに蓋を置こうとすると、体が不安定になり、場合によっては前に倒れたり、手から蓋が滑ったり、ということも考えられないではない。

 なんでも、体に引きつけて持つのが負担が少なく楽であり、アフリカ等には大きな壺を頭の上に載せて運んでいる民族がいるし、この京都にも薪を頭に載せて売り歩く「大原女」という例があった。

 この「頭上運搬」というのは、運搬対象物の重心が体の重心の真上にくるため、対象物を支えるための余分な力を必要としないことから、重量物の運搬方法としては極めて合理的なのである。

 茶道で、手に取った蓋をまず、体の方に引きつけて、次に、右前方の蓋置きに置く、という動作は、極めて合理的ということである。

「ゆうの字」

 形を文字で喩えることがある。

 たとえば、「口を『への字』に曲げる」とか「『コの字』型の校舎」などである。

 ただ、同じ文字でも、「へ」ならカタカナでも平仮名でも一緒のようなものだが、「コ」の字を「こ」の字と受け止めてしまったら、とんでもない誤解を招くことになる。

 「コ」の字型の校舎なら、どの教室に行くにも、建物の中を通って行ける。ところが、「こ」の字型の校舎だったら、先生は大変である。雨の日は傘をさして教室間の移動をしなければならなくなってしまうのだ。

 ところで、茶道でも、動作を説明するのに、この「文字に喩える」という方法が、よく使われている。

 棗を拭くのに「こ」の字を描くようにするとか、茶碗から茶筅を引き揚げる前に「の」の字を描くとかである。

 ただ、この説明も、文字の種類を取り違えると、大変なことになる。実際、ずっと以前に茶道を習ったときに、とんでもない失敗をしたことがある。

 釜の蓋を持ち上げて、それを蓋置きに置くときのことである。

 先生から、「ゆうの字にして」と言われたのだ。

 京都弁では、「路地(ろじ)」のことを「ろうじ」と言う等、発音を延ばすことがあり、このときも、「ゆの字」のことを「ゆうの字」と言われたと思ったのだ。

 だが、「ゆ」とは、どう考えても複雑な動きである。

 では、カタカナの「ユ」だろうかと思ったのだが、これは、一筆書きはできないし、第一画で直角に曲がるのであり、茶道の世界で、そんな角張った動きはないだろうと思い、カタカナではないと判断したのだった。

 確かに「ゆ」も不可解な動きではあるが、先生に言われたのだからと、私は、蓋をもった手で、平仮名の「ゆ」の字を描いたのだった。

 これでいいのだろうかと思いながら先生のほうを見ると、大きく前後に行き来する蓋の動きを見て、先生が目を見開いて驚いているのがのが、はっきりと見て取れた。

 「なにしてますのや、ゆーのじどすえ」

 その瞬間、私は、「ゆーの字」は、アルファベットの「U」の字だということに気づいたのだった。

 確かに、「U」の字であれば、蓋の動きとしても、納得が行く。だが、日本の伝統文化を70過ぎの先生から習う場面で、まさか、アルファベットが出てくるなどとは思いも寄らなかったのだった。

 【「ゆうの字」の合理性】へ続く。

美容師さんは取調官?

 若い頃、今ほどタクシーに乗る機会はなかったが、たまに乗ると、運転手さんから親しげに話かけられることがあり、それが結構、苦手だった。

 いろいろ話しかけられても、「ええ」とか「はあ」とか、曖昧な返事をするのだけが、そんなことには、お構いなく話しかけられてきて、こちらは、早く目的地に着かないか、それだけを考えていた。

 だから、ときおり年配の人と一緒にタクシーに乗って、その人が積極的に運転手さんに話しかけているのを側で見ると、何がそんなに楽しいんだろうと不思議でしょうがなかった。

 だが、自分が年を取るに連れて、運転手さんから話しかけられたら、こちらも、会話が続くように積極的に返事をするようになっていった。

 そのうち、運転手さんのほうが黙っていても、自分のほうから、「景気はどうですか」とか「最近、外国人の観光客が多いでしょう」などと話しかけるようになった。

 ところが、こちらが話しかけても、若い運転手さんだと、逆に、「はあ」とか気のない返事しか返ってこないこともある。

 「愛想のないやつだ」などと内心では思いながらも、タクシーは、目的地に正確に速く安全に体を運んでくれるのが第一なのであり、それ以上の「接客」を求めるのは、過剰な要求という外はない。

 無理に話を続けるのは、先方にとっては迷惑な話に違いない。だから、こちらも、それ以上、話しかけることもない。

 逆に、今でも、こちらが疲れていたり、真剣に考え事をしていたりすると、話しかけられること自体が鬱陶しくなることがある。

 そんなときは気のない返事をするのだが、それを察することもなく、しつこく話しかけてくる人もいる。だが、こちらだって、運転手さんのご機嫌を取る必要などないはずだ。

 だから、そんなときは、遠慮なく、「今、考え事しているんで一人にさせてもらえますか」と答えるようにしている。
  
 先日、粒あん協会の会員の一人が、美容院で美容師さんに、あれこれ話しかけられて困っているという話をしていた。

 始めは当たり障りのない話でも、次第に、家族はどうだとか、いつから京都にいるか、なぜ京都に来たのかなど、どんどんプライベートなことに踏み込んでくるので敵わないと言っていた。

 おくゆかしい彼女は、美容師さんの質問を制することもできずに、困惑しながらも、受け答えしているようだった。

 タクシーにせよ、美容院、理容院にせよ、色んな場面で、不本意な会話につきあわされそうになることがあるが、どうして、相手が会話を嫌がっていることに気づかないのか不思議である。

 このブログが日本中に拡がって、日本中の美容師さんが読んでくれたら、遠慮のない美容師さんに辟易している人たちのストレスも解消されるに違いない。

 そんなことを考えながら、自分は、何て人のためになるブログを書いているのだろうと、自分を褒めてやりたくなるのである。

 ・・・というのは、冗談で、本当のねらいは、①ブログの読者が増える、②ブログを出版しませんかと、声がかかる、③ブログを書籍したものがベストセラーになる、④夢の印税生活、というところである。・・・まあ、これも冗談みたいな話かもしれないが・・・

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