錬金術の起源と伝播 ~東洋、エジプト、ギリシャ、アラブ~


 正直なところ、錬金術の正確な起源は良く分かってはいない。
 一般的には、我々の知っている西欧の錬金術は、エジプトのアレクサンドリアを中心に、紀元数世紀にかけて形成された思想である。それは、ヘレニズムの哲学や宗教思想が、医学や冶金技術の実用的な技術と結びついて生まれたものだとされている。
 これが無難かつ平均的な見方であろう。

 東洋にもまた、古くから錬金術は存在する。例えば中国の錬丹術との酷似ぶりは、よく知られていることである。
 また、インドにおいても、錬金術は盛んに研究、実践され、金属変性の技術に関する記述は実に紀元前4世紀にまで遡る(ゆえに、私はインドこそ錬金術の発祥の地ではないか? と一時期思ったことがあった。しかし、インドにおいて本格的な錬金術の研究が始まるのは2~6世紀であり、さらにタントラと結びついた錬金術が全盛を迎えるのは8~14世紀であり、インド紀元説は私のミスだったと考えている)。
 中国においても、錬丹術の歴史はかなり古い。水銀や金属変性の記述から、驚くほど西洋の錬金術と似た「抱朴子」は4世紀の作であり、この時代には、すでにかなり高度な技術が完成していたと思われる。最古の記録は紀元前2世紀であり、これはエジプトの最古の記録より、わずかに後世といった程度で、ほぼ同時代である。さらに一説には、中国では既に紀元前4~5世紀に、この思想の原型があったという主張もある。
 少なくとも、2~6世紀において、インドと中国では、錬金術の研究が行われ、相互で多くの交流があったことは確実である。
 中国の仏教僧たちもインドに留学したとき、多くの錬金術文献を中国に持ち帰ったらしい。また、逆にインドの錬金術文献にも中国思想の影響が認められるという。
 錬金術の起源が東洋にあるという説は、古くからあるが、確証もまた無い。
 つまるところ、どちらが先なのかは謎なのだ。あるいは、たまたま類似した思想が、中国とエジプトで生まれただけなのかもしれない。
 ともあれ、西洋錬金術と東洋錬金術に交流があったということは間違いないと思われるが、これについては、まだよくは分かっていないようである。

 ともあれ、西欧の錬金術の源流をたどれば、必ずエジプトに行き着く。
 実際、錬金術師達の多くは、エジプトこそが錬金術の発祥の地と考えていた。
 錬金術思想には、エジプトの神官達の秘教思想の影響があるのはあり、バビロニアの占星術を取り込み、各種ギリシャ哲学を取り込み、果てはヘブライの旧約聖書すら取り込まれている。
 ことに重要なのが、1~2世紀頃に思想形成され、3世紀頃から書かれるヘルメス文書である。一説には、ヘルメスを著者に冠した文書は2万巻を越えた(新プラトン主義者のヤンブリコスの記録)と言われている。
 また、当時のアレキサンドリアの哲学の中心であった新プラトン主義も多大な影響を持つ。この新プラトン主義は、ヘルメス文書の思想からも影響を受け、次第にキリスト教グノーシス的な思想へとなってゆく。
 こうしたキリスト教グノーシス思想もまた、錬金術の形成に不可分である。彼らは、宇宙論や神聖の説明に寓意を用いたが、これも錬金術との間に交感を生んだ。錬金術で好んで用いられるシンボルの「ウロボロスの蛇」も、もともとはグノーシスの一派が用いていた象徴なのだ。
 ともあれ、錬金術は、こうした哲学や思想を背景にして形成されていった。
 錬金術は、非常に古い時代から、単なる物欲を満たすための金属変性の技術などではなく、マクロコスモスとミクロコスモスの照応に関わる、神との一体化をはかる思想を含んでいたのである。そのため、錬金術は、すでにギリシャ時代から神々に関わる「聖なる術」と呼ばれてきた。
 これは、ずっと時代が下がった、多神教が根絶されたキリスト教の時代の錬金術においても同様である。後世のキリスト教徒の錬金術師達は、神への祈りが錬金術を成功させると考えた。

 ともあれ、エジプト、カルデア、ギリシャの思想、ヘルメス思想や新プラトン、旧約聖書などの思想が統合され、いわゆるギリシャ錬金術が全盛を迎えるのは、3~5世紀頃のようである。これはエジプトを中心としたローマ帝国領においてである。
 この時代の錬金術は、特にアレキサンドリアが中心であった。
 この頃に書かれた錬金術文書は、いずれもギリシャ語で書かれている。
 この頃書かれた錬金術の文書は、大きく4つに大別される。
 1つは、かのヘルメス文書のように、神を著書とした本である。ヘルメスの他にイシスやアガドダイモーンの名を冠した錬金術書も知られている。
 クフ王(ケオプス王)やアレキサンダー大王、ヘラクリウスなどの王を著者に冠した本。
 プラトン、アリストテレス、ターレス、ヘラクレイトス、ゾロアスター、ピタゴラス、モーゼなどの哲学者や宗教家の名を冠した本。
 そして、ゾシモス、オリュンピオドロス、シュネシオスと言った、本当の著者が判明している本である。

 パノポリスのゾシモスは3~4世紀の人物と思われる。多くの著書をものにし、28巻からなる錬金術の百科全書を書いたと言われる。
 彼の著書は、その多くが散逸したが、それでも「神聖なる水について」や「器具と炉に関する論文」などの著書が現存する。これらの書には水銀の重視、蒸留器の記述が現れる。
 彼は、プトレマイオス市のキリスト教司教でもあったらしい。彼の師匠は、かのキリスト教徒の暴徒に虐殺された女性学者ヒュパイアの弟子でもあったというから、何とも皮肉な話しである。
 オリュピンドロスは5世紀の人間で、アレクサンドリア学院の教授で、哲学と歴史の学者としても知られた人物だったらしい。
 もう一つ特筆すべきは、この時代には女性の錬金術師達も多く居て、様々な業績をあげていることである。著名な女性錬金術師としては、ユダヤ夫人マリヤ、コプト夫人クレオパトラ、テオセベイア等が知られている。
 
 アレキサンドリアの錬金術師達の宗教は、多神教、キリスト教、ユダヤ教と様々であったが、その大まかな思想は、ほぼ一致していた。すなわち、人間は大宇宙の縮図の小宇宙であり、宇宙は一者からの流出によって形成されたのであり、人間は一者との合一を目指す。金属変性の手順は、こうした人間の発展と進歩と同一のもある。
 錬金術は、聖なる学問であり、術であり、これを俗人にいたずらに知らせてはならない秘密の教えである。
 そして、最終的には錬金術師は、賢者の石を発見し、金属変性を成し遂げる。万能薬を発見し、不老不死すら手に入れる。
 この当時の錬金術テキストは、パピルスにギリシャ語で書かれていたわけであるが、現存するものもある。それは19世紀に発掘され、現代はオランダ政府に買収され、ライデンに保存されている。これが所謂「ライデン・パピルス・X」である。

 やがて、この錬金術研究の中心は、次第にアレクサンドリアからビザンチンに移って行く。
 これは6世紀頃に全盛を迎える。
 ビザンチンの錬金術師として重要なのが、ステファノスまたはガザのアエネアスである。彼はおそらく460年頃に生まれ、520年に没した。新プラトン主義を信望する哲学者であり、キリスト教徒でもあった。錬金術だけではなく、数学、天文学、音楽、占星術にも通じていたという。
 彼はビザンチンの皇帝ヘラクレイオス1世に寵愛された。この皇帝は若い頃は勇猛で知的な名君と言われたが、晩年には錬金術に夢中になりすぎて政治を疎かにしたと言われる皇帝である。
 ステファノスは、錬金術は物質的なものだけではなく、精神の変容をも現していると主張した。

 続いて錬金術が全盛をむかえるのはアラビヤ圏である。
 アラビヤへの錬金術の流入は、かなり古い時代から始まっていたらしい。ヘルメス哲学の本が盛んにアラビヤ語に翻訳された。
 伝説によると、最初に錬金術に興味を持ったイスラム教徒は、ウマイヤ朝の王子ハーリド・ブン・ヤズィードだという。彼は7世紀の人間である。この説について、歴史学者達は、疑わしいとしながらも、完全な否定もできないとしているようである。
 彼は醜いお家騒動に嫌気がさし、政治への興味を失い、学問に熱中した。エジプトから錬金術師たちを呼び寄せて、ギリシャ語やコプト語の書物をアラビヤ語に翻訳させたという。
 また、彼は上記のステファノス学派の錬金術師マリアヌスを呼んで錬金術を学んだと言う。ハーリドはマリアヌスを処刑しようとしたらしい。しかし、マリアヌスは間一髪のところで亡命に成功する。
 いっぽう、ハーリドは死ぬ前に、自分の知識を詩の形にして後世に残そうとした。
 後世の錬金術書には、このハーリドの作とされる詩が引用された形で現存する。

 8世紀には、かの錬金術史上あまりに有名なゲーベルが登場する。
 9~10世紀には、ラーゼスことアル・ラーズィなる錬金術師が、錬金術の技術を医学に応用しようとした。彼によって医学と錬金術は結び付けられ、かのアヴィケンナの登場の先触れなった。これは、遠くパラケルススへと繋がる潮流である。
 彼は今のテヘラン近くで865年頃生まれたらしい。彼は医学史においては、はしかと天然痘を見分ける方法の発見者として知られている。化学史においては、マニュアル的実験方法の先駆けとして知られている。
 彼は、20冊の錬金術書を書いたが、その多くは散逸した。しかし、「秘中の秘」は現存し、ドイツ語に訳され、大きな影響を持つことになる。

 アル・マジりーティーは、スペイン・アラブを代表する錬金術師である。10~11世紀の人間である。
 とはいうものの、実は彼は占星術師としての名声の方が大きい。
 彼はマドリードに居住し、イスラム百科全書派に傾倒した。
 彼は「賢者の階段」という錬金術書を残した。しかし、最近の研究によって、これは彼の名を冠しただけの別人の著書らしい。

 これらの錬金術は、キリスト教ヨーロッパ圏に輸入され、我々の知っている西洋錬金術へと発展してゆくのである。

 これと併行して、イスラム圏でも錬金術思想は発展し続けた。
 ことに12世紀にはアルテピウス(アル・トグラーイ)が登場する。彼は詩人でもあり、熱心な著述家でもあった。彼は錬金術を、神からの啓示と秘儀伝授を基礎にして実践されるべきものであるとして、錬金術啓示説を作る。この思想は、そのままキリスト教圏の錬金術師たちにも大きな影響を与えた。
 ……錬金術の成功には、神への祈りが不可分。
 さらに、アルテピウスの同時代人にして、もっと偉大なイスラム教神秘主義者のアル・ガザーリーは、錬金術から物質的な実験を完全に排除して、価値あるものは純然たる精神的な変容を目的とした錬金術だけであるとした。彼はこれを「至福の錬金術」と読んだ。
 薔薇十字思想の原型が、実に12世紀のイスラム神秘主義者によって作られていたのである。

 アラビヤの錬金術は、早くもイスパニアを経由してヨーロッパに入り始めた。これは10~11世紀頃のことらしい。
 しかし、大洪水のような錬金術の流入は、やはり十字軍によるところが大きい。
 そして、12世紀において、西欧では錬金術の大流行が起こる。これこそが、我々の知っている西洋錬金術へと繋がってゆくのである。


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「錬金術の歴史」 E・J・ホームヤード 朝倉書店
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