ピーコ、ロイヒリンによるキリスト教カバラ


 ユダヤ教カバラの発展による業績は、ユダヤ教だけの手柄ではない。ユダヤ人のカバリスト達は、自分たちの哲学を深めるために、異教徒の思想、ピタゴラス主義、新プラトン主義をも取り込んだ。また、キリスト教神学も取り込んでいたのでは無いか? という仮説も出されてきている。

 ともかくも、カバラをキリスト教神学に移植することは、さほど不自然なことでもなかった。
 ピーコは、盲人イサクに始まり、イサク・ルリアと弟子達によって大成されたスファルディ・ユダヤ人による、いわゆるスペイン系カバラを学んだ。
 そして、ピーコが試みた仕事は、このイサク・ルリア派のカバラの宇宙論と、偽ディオニシオスによって体系化されたキリスト教の天界構造を照応させることであった。
 ピーコは、ルネサンス人らしく、両者を結びつける接着剤として、フィチーノによって広められていた新プラトン主義を用いた。すなわち、彼は新プラトン主義で言うところの「可想界」と「イデア界(叡智界)」を偽ディオニシオスによる天の「天使界」と同じものであるとし、十のセフィラと偽ディオニシオスの天使の位階論を合体させて、「超天界」なる概念を作り出した。ピーコによると、宇宙の構造は3段階の階層かなるという。そのなかで最上位にあるのが、この「超天界」であり、ここはセフィラと天使が属する領域である。その下が天体の属する天球たる「天界」、そして元素的自然から成る「元素界」である。
 彼のこの神学的宇宙論は、「ヘプタプルス」に書かれている。
 さらに彼は、「72のカバラ的結論」なる著書の中で、先の「超天界」に属する10のセフィラと「天界」に属する10の天球層(「月天」、「水星天」…「恒星天」、「原動天」と続くあれ)との照応が語られる。
 こうなると、我々はユダヤ教カバラにおける各セフィラへの天使の位階や名前、偽デォニスオスのキリスト教神学の天使の位階の照応を期待したくなる。しかし、ピーコは、セフィラと天使の位階と各天球層との照応については、何も触れてはいない。 
 その理由として、当時のユダヤ教カバラにおいては、まだセフィラと天使の位階の照応に関する体系化が未完成だったらしく、それゆえかもしれない。あるいは、ピーコは天使の位階の介在なしに、セフィラと天球層が直接連結するという独自の理論を持っていたのかもしれない。
 カバラ魔術の実践においては、天使の位階や天使の名前の考察は不可欠である。そういった意味では、現代の視点に立って見るならば、ピーコの仕事は未完成であったとも言える。しかしながら、カバラをユダヤ教から一人歩きさせ、非ユダヤ教徒にも仕えるものにしたという意味でも、ピーコの業績は極めて大きい。

 ピーコの研究をひきついだロイヒリンは、これに対して、天使の位階や名前を深く研究し、ついには天使の召喚方法についてまで研究を行った。
 彼は、「奇跡の言葉」と「カバラの術」なる書を著した。「奇跡の言葉」はギリシャ哲学、カバラ、キリスト教神学を象徴する三人の賢者の対話形式で語られる。
 この中でロイヒリンは、カバラこそ「聖書」のモーセの神の啓示に至る神学の源泉を開く鍵であると主張した。そして、ヘブライ文字の操作によって得られる神聖な名前、天使の名前を用いて天使を召喚することこそが、フィチーノによって広められた新プラトン主義、またヘルメス哲学の効果を上げることが出来ると考えていた。
 もっとも、ロイヒリンは天使の召喚を、一種の神への祈りのようなものと捉え、魔術カバラのように召喚した天使によって、積極的に自然界を操作しようとまでは考えていなかった。
 彼は、あくまでキリスト教徒であった。
 「カバラの術」はギリシャ哲学、イスラム神学、カバラを代表する三人の賢者の対話方式で語られる。
 この著の主目的は、異なる3つの宗教の融合を計り、こうした叡智が元々は同じ物を基盤にしていることを説くことだ。その同じ基盤こそが、古代バビロンやエジプトに遡る一種の数秘術であるという。
 数秘術となると、もちろんゲマトリアである。ロイヒリンは、この数秘術を通して、宇宙創造の秘密を解き明かすことが出来ると主張した。
 神は「言葉」で世界を創造した。神の「言葉」はヘブライ文字から形成されている。ゆえに神の創造物は、ヘブライ文字で表現されるものと密接な照応関係を持つわけである。
 当然、天使の名前もヘブライ文字であらわされる。
 天使は神の命令を受けて仕事を行う。これはひいては、天使の名前は、神が自らの隠れた自己を「言葉」を使って開示するということをもあらわしている。
 ゆえに、ゲマトリアを用いて、天使の名前を数秘術によって研究することによって、神による世界創造の過程や宇宙の階層的構造を理解することができる。
 同時にこれは、天使の名前を用いて、天使を召喚することによって、天使という高次の存在によって修行者の魂が活性化され、知的な作用を引き起こし、階層的な宇宙を上昇し、より高次のセフィラとの連結が可能であると考えた。
 かくして、彼は「旧約聖書」の中から引き出された天使の名を研究し、これを召喚しようとしたのである。

 やがてロイヒリンの研究はフランチェスコ・ジョルジによって引き継がれ、偽ディオニシオスの天使論とセフィロトとの照応が成される。
 さらに、トルテミウスによって、こうした天使の名前を記号化する技術が発見され、やがてコルネリウス・アグリッパに至って、本格的な魔術カバラの完成を見るのである。



「カバラ」 箱崎総一 青土社
「偽ジョン・ディーの金星の小冊子」 森正樹 リーベル出版
「カバラ Q&A」 エーリヒ・ビショップ 三交社
「神々の再生」 伊藤博明 東京書籍
「魔術的ルネサンス」 フランシス・イエイツ 晶文社
「バロックの神秘」 エルンスト・ハルニッシュフェガー 工作舎