キリスト教カバラの発展 ~ロイヒリン~
ピーコによって、ユダヤ教から切り離されたカバラは、独自の発展を遂げて行くことになる。それはキリスト教カバラとしてキリスト教神学の一部として取り込まれた。しかし、キリスト教カバラを奉じる者は、同時にヘルメス哲学者であり、自然魔術の探求者でもあることが多かった。こうしてキリスト教カバラは、近代魔術カバラへと発展して行くのである。
ピーコが、「哲学的カバラ思想と神学における結論」を著してから100年経つか経たないかのうちに、ジョン・ディーが召喚した天使の正体を特定するのに、カバラを用いるようになっていたのだ。
ピーコの後を継いでキリスト教カバラを発展させたのは、ヨハネス・ロイヒリンである。
ロイヒリンは、1455年ドイツで生を受ける。彼はエラスムスの弟子であり、ドイツで高い教育を受けた。当時ドイツは公の機関で最初にヘブライ語の教育が行われた国であって、中断していたキリスト教カバラ研究が、ここで再開されたのも必然的な結果だったのかもしれない。
ロイヒリンは、「奇跡の言葉」と「カバラの術」なる書を著した。
これらはいずれも対話形式で語られている。特に「奇跡の言葉」については、聖四文字名YHVHは、子音ばかりで発音が不確かだ。そこで、天と地を結ぶ一字Shが中央に挿入され、YHShVHとなり、「イエス」の名が現れる。これは、イエスこそ神の投影された光であり、神の自己実現である証拠なのだと主張した(このYHShVHの名は、儀式魔術でもお馴染みの名前だろう)。こうして、本来ユダヤ教のものであるはずのカバラは、キリスト教と融合する。
このようにして、ロイヒリンは、神の名に含まれる秘蹟を通じて、霊的知識を含んだ啓示が得られるとした。
「カバラの術」においては、新ピタゴラス学派とカバラの融合が図られる。数を重視するこの考えは、当然ゲマトリアの紹介へとつながる。ロイヒリンはさらに論を進め、ノタリコンやテムラーについて、詳述する。
ロイヒリンは、こうした具体的なカバラの技術を本格的に導入し始めるのである。
彼は、非常に熱心なカトリックであった。ルターを激しく嫌悪し、アウグスティノ修道会に入会し、聖職者となる。
彼が、カバラから「転生」の考えを排除したのも、こうした理由からであろう。
ともあれ、こうした彼の態度が幸いしてか、ピーコのように異端の嫌疑で破滅することもなく、彼の著書は多くの人々に読まれることとなった。これはカバラをキリスト教世界に広げる大きな力となったのである。
とはいうものの、やはりトラブルを避けることは出来なかった。
彼は1511年に「目の鏡」という著書を書き、ヘブライ語の文献の研究は、聖書のより深い理解に役立ち、キリスト教徒にとっても有益と考えた。そもそも旧約聖書の原書はヘブライ語で書かれたのだから、当然だろうというわけだ。
そして、ユダヤ人達に彼らの著書を大学に寄付させ、全ての大学にヘブライ語講座を置くべきだと主張した。
もちろんタルムードを始めとしたユダヤ教文献の焚書に反対した。
そのため、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒の知識人たちから、激しく排撃されたのは、何とも皮肉な話しである。いわゆるブフェッファールコン事件である。この時、幸いなことに、彼は神聖ローマ皇帝のマクシミリアンから一目置かれており、当時の名だたる人文学者たちが彼の味方をした。
これが宗教改革の前兆的な出来事だったと考える人もいる。
そのかいあってか、1520年に教会は、ベネチアでのタルムードの印刷、出版を許可した。その後、数十年にわたってタルムードは堂々と出版できるようになったのである。
それでも、ロイヒリンのヘブライ語文書を擁護し、異端審問官たちを厳しく批判した著書は1521年に発禁の憂き目を見ている。
彼はチュービンゲンに居住し、1522年にそこで没した。
彼のカバラを始めとした膨大な蔵書は、チュービンゲンに保存され、これがかの薔薇十字団文書が作られる源泉となるのだが、それはずっと先の話しである。
キリスト教カバラを奉じた者として無視できないのが、大修道院長ヨハネス・トリットハイムことトリテミウスである。
彼については別項で詳述したい。
続いてキリスト教カバラの伝承者として重要なのが、ベネチア在住のフランシスコ会修道士フランチェスコ・ジョルジである。彼はピーコとロイヒリンよりカバラを学び、1578年に「世界の調和について」なる著書を著す。
ジョルジは、この著書で「生命の樹」のセフィラと占星術の七惑星、天使の位階をそれぞれ照応させるという重要な仕事を行っている。
もっとも、彼の体系は、第9位の「天使」をマルクトに配したり、ケテルを「神そのもの」に配するなど、相当無茶苦茶なようにも思える。
だが、彼の体系は、キリスト教カバラの寓意に大きな影響を与え、シンボルとして採用されてゆくのである……。
ロイヒリンの後を継いだ巨人が、ここでやっと現れる。
そう、かの「オカルト哲学」の著者、コルネリウス・アグリッパである。
彼はロイヒリンの著書よりカバラを学び、思弁的に留まっていたそれを、「実践」に主眼を置いて発展させてゆくことになるである。
ロイヒリンは、せいぜいのところ人間が神の名前や天使の名前を呼ぶことによって神の領域に参入しようというのに留まっていたのに対し、アグリッパはその知識によって世界に影響を及ぼすことに関心を向けた。
しかも、キリスト教の教義にこだわったロイヒリンと違って、異端的な思想を持ち込むのにも躊躇はなかった。彼は72の天使の名前、位階、七惑星、黄道十二宮等を整理統合して、カバラと照応させた。またカバラに基ずいたシジルや惑星の精霊や護符魔術すら採用する。
さらに、自分達のカバラは、ユダヤ教カバラよりも優れている、とさえ言い放つ。
彼を通じて、キリスト教カバラは、魔術カバラへと大きく飛躍してゆくのである。
「バロックの神秘」 エルンスト・ハルニッシュフェガー 工作舎
「ルネサンスのオカルト学」 ウェイン・シューメイカー 平凡社