「ラヅィエルの書」
天使ラヅイエルは、カバラの文献や「モーセの剣」等の魔術書にさかんに登場する。一説にはアダムを指導した天使でもあるという。
そして、「天使ラヅィエルの書」の著者であるともいう。
伝説によると、このカバラの魔術書は、天使ラヅイエルが「天と地の全ての知識を書き記した」書であるという。天使は、この書をアダムに直接手渡した。
天使ラヅィエルは、この書をアダムに手渡すことにより、「楽園に再び入る法、およびアダムは「神の形」として「神の顔」を映す鏡を見る者であるということ思い出させようとしたという。
しかし、それに嫉妬した他の天使が、これをアダムのもとから盗み出し、これを海に投げ込んでしまった。そこで、ラヅィエルは、海の天使ラハブに命じてこれを拾いアダムに返還させた。
後にこれはエノクの手に渡り、これの一部を剽窃して「エノク書」を書いたという。
さらにこれは、かのソロモン王の手に渡り、ソロモンの魔術の源泉にもなったという。
このような大袈裟な伝承を持つ魔術書であるが、これの起源はよくは分らない。しかし、「ゾハール」に「世界の神秘を説明する1500の鍵を説明する書」であり、これこそがラヅィエルの書ではないかとも言われている。
また、14世紀のカバリストであるユダ・ベン・ニシム・イブン・マルカが、モロッコのハシティズムを学ぶ神秘サークルの存在を報告しているが、そこでは「創造の書」が研究されているが、そこの学徒には「ラヅィエルの書」という秘伝書が伝授され、そこには様々な封印、秘密の名前、呪文、呪力を帯びた図などが記されていたと報告している。
少なくとも「ラヅィエルの書」なる魔術書が13~14世紀に出回っていた可能性は強い。そして、その本当の著者については、諸説がある。
一つは盲人イサクその人ではないかという説、中世の著述家ヴォルムスのエレアザールではないかという説が知られている。他にはアブラフィア説、彼はしばしばラヅィエルをペンネームにしたからである。
ともあれ、もともとの「ラヅィエルの書」は、魔術書というよりは、カバラの神秘主義思想の奥義書であった可能性が強い。しかし、それは多くの異本や贋作を生み出し、次第に魔術書と解釈され、ついにはグリモワール的な本に変形してしまったものと思われる。
現存する「ラヅィエルの書」は、おそらく17世紀頃にオランダで成立したものと思われる。
そこには、天使文字や護符、六ぼう星形を使った魔術が紹介され、中身も「邪視よけ」や「安産の護符」といった俗っぽい内容を多分に含んでいる。
「ラヅィエルの書」は、シェムを非常に重視した。シェムとは「神の名を正しく発音すること」である。シェムを用いれば、悪霊を追い払い、火事を鎮め、病気を癒し、思考を抑制し、権力者の寵愛を得たり、変身したり、水の上を歩くことも可能だという。
そして、あらゆる言語、動物や天使、悪魔の会話も理解できるようになり、人の心も読めるようになるという。ついには死者の霊を呼び出したり、死者を復活させたり、敵に思いのままに害を及ぼすことも可能であるという。
また、シェムを書くことによっても、あるいは金属や石に刻むことによっても、同様の効果が得られるという。
モーセの奇跡も、このシェムの応用に他ならないという。
また、同書には、護符についても書かれている。
口で唱えるシェムは効果が大きい反面、効き目は継続しない。しかし、護符は効果は緩慢だが、効果は一定で継続するという。「ダビデの星」こと六ぼう星がよく用いられたが、これは火事を鎮めたり、安産の効果、邪眼を防ぐ効果があるという。
ともあれ、この「ラヅィエルの書」は、「創造の書」の宇宙論から、一種の実践的神秘主義への橋渡しを行ったことは間違いない。そして、霊的な現象と世俗的な世界には関連があることもしめした。
なにより、この書は占星術とカバラとを結びつけた。
魔術に批判的なユダヤ教カバリストは、「ラヅィエルの書」はカバラが堕落した姿の一面であると批判する一方、こうしたカバラの歴史の一端として、ある程度の意味も認めている。
「カバラとその象徴的表現」 G・ショーレム著 小岸昭・岡部仁訳 法政大学出版局
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ著 林睦子訳 三交社
「ユダヤの秘儀 カバラの象徴学」 せヴ・ベン・シモン・ハレヴィ著 大沼忠弘訳 平凡社
「天使辞典」 グスタフ・デヴィッドスン著 吉永進一訳 創元社