モーゼス・ルツァトー


 イサク・ルリアは、カバラ中興の祖とも言える。ルリア派のカバラは、少なくとも1625年頃から、ユダヤ教カバラの主流派となった。彼が後世のカバラに残した影響は計り知れない。しかし、彼が自分の後継者の教育にあたった期間は驚くほど短い。彼が本格的な活動を行ったのはサフェド移住から死去まで3年間だったし、弟子を持ったのは、それをいれて6年しかなかった。
 しかし、そのぶん彼の弟子の育成は濃密で、過激なまでに厳しいものでもあった。
 彼は、弟子の一人一人が、「樹」のどの位置、どの高さにいるのかを捉え、個人別に指導を行った。
 彼の弟子たちは祈り方や瞑想はもちろん、歩き方、食事の仕方まで細かく指導された。
 高弟のハイム・ビタルは、彼のことを「弟子たちの魂の医者」と呼んでいる。

 ルリアの思想が広まったのは、彼の弟子たちの活動によるところが大きい。
 しかし、彼のサークルは秘密主義の極めて強いものだった。事実上の彼の後継者とも言えるビタルも同様で、同門のヨゼフ・イブン・タブールの知識の公開には反対し対立した。
 しかし、皮肉なことに、ビタルが彼の秘密サークル用に書いた文書が、彼の意志に反して、彼の死後に公開された。これはカバラに関心を持つ学徒たちの間で回覧され、これによってルリア派のカバラが広まったのである。
 ビタルは、ダマスカスにて、1620年に死去した。
 彼の死を持って、ルリア派のサークルは黄金期を終える。
 しかし、その思想は広く普及し、ユダヤ教カバラの主流派にまで発展する。

 彼らの作業で重要なものが、「紐帯(イクド)の瞑想」である。これは複雑で膨大な内容の代物であり、また浄化のための前準備も色々と必要な難解なものである。
 これはビタルの文書によって解説されている。

 ルリア派のカバラを発展させた重要な人物が、モーゼス・ルツァトーである。
 彼はルリアの「霊的な息子」とまで呼ばれた。
 彼は1707年、イタリアのパトヴァで生まれた。裕福な家の出で、当時の有名なユダヤ人学者たちから文学やユダヤ神学を学んだ。
 彼は少年時代から、カバラに興味を持っていたらしく、青年期に達すると、師から秘伝を伝授されていたらしい。しかし、彼はそれだけでは満足できすに、独学でカバラ文書の研究を始めた。
 彼の周囲には、志を同じくする学生達がいつの間にか集まって来ていた。
 彼は当時、密かに回覧されていたルリア派の文書を読み、そこに書かれてあった瞑想を実践する。
 そのために彼は、7人の仲間達と共に、秘儀サークルを組織した。
 会則では、会員たちは案息日と祭日を除いて、毎日欠かさず朝晩「ゾハール」の暗唱と研究が義務付けられ、ルリアの瞑想を毎日欠かさず行った。
 しかも、こうした学習と修行は、自分の霊的進歩のために行うものではなく、聖なる楽園とイスラエルを完成させるためであるとされた(だが、これは一種の比喩であり、宇宙への奉仕活動と解釈すべきである。一部のルリア派には、これを字義通り捉え、選民主義、過激な民族主義と言った極右政治活動へと走り、悲惨な結果をもたらした)。
 このサークルの会員達は、昼夜「ゾハール」の章句を暗唱した。そうすることによって、「イスラエル国家を高める」ことが出来ると信じていた。
 彼らにとっては「ゾハール」の朗読も修行であり、集団断食の他、徹夜で「ゾハール」の朗読を行うこともあった。
 やがて、彼らは新たに9人の新会員を迎え入れた。それはルリアのサークルのそれに習ったものであった。

 ルツァトーによると、カバラとは「絶対にして一者、不変にして肉体を超越した存在である神、この神の本質を説き、讃えること」であるという。
 彼は経験によって得られる知識を重視した。頭の中での思索ももちろん大切であるが、経験に基づいた知識は、それを優越すると考えた。

 彼の体系では、タルムードに出て来る「戒心」、「熱意」、「清浄」、「中立」、「純粋」、「聖性」、「謙譲」、「畏敬」、「神性」の属性に基づいている。
 まず「戒心」であるが、ここにおいて修行者は、「トーラー」に照らして反省を行う。ただし、これは死後に天国に行くことを期待して行うような(結局は個人の利益追求)ものでは駄目で、あくまで神への畏敬の念を強め、「トーラー」と内省を結びつけ、自分自身への洞察力を強め、「戒心」の属性を身につける純粋な学習でなければならない。
 そして、「熱意」、「清浄」。
 修行者は個人の利益追求ではなく、純粋に「熱心」に学ぶ。そして、俗世の権益を放棄し、「神への奉仕」に至る。そうすれば、神への渇望は否が応でも増し、「清浄」の段階に入る。この時点で、修行者は自尊心、怒り、嫉妬を脱ぎ捨てる。
 続いて。「中立」の段階において、修行者は単なる倫理的なものから、「聖性」へと移る。この時に重要な「純粋」とは無欲で無私な善行(そこには霊的な進歩を含めて、報酬を期待してはならない)である。

 このようにして、修行者は「神性」を目指す。彼の体系は、一種の段階を順序良く登って行くものであった。
 ルツァトーは、「生命の樹」の瞑想を説いた。これは人間の魂の天界と地上との連続体について瞑想するものであった。
 それはより高い世界から働きかけを行い、人間の内にある天界の属性である「内なる光」を覚醒させ、それを下にある魂に与える。その結果、神の祝福は修行者の神聖な恍惚の赴くまま、下の世界に流れ続け、最終的に全ての世界が慈愛と恩恵を受ける。
 それこそが「神性」への到達であると。

 ただ、ルツァトーの思想は、四世界に関する解釈(ルリアは4世界を連続的に流出したと考えたが、彼は神性はアツィルト界の中に完全な栄光に包まれて顕現した後、残りの3つの世界を無から創造し呼び出したと考えた)やアイン・ソフに関する思想等、一般的なルリア派とは際立った違いもあることはある。
 しかし、、彼により「生命の樹」に基づいたカバラ体系は、大きな発展を遂げるのである。
 
 
「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム著 山下肇他訳 法政大学出版局
「カバラ」 箱崎総一著 青土社
「カバラーの世界」 パール・エプスタイン著 松田和也訳 青土社