イサク・ルリア
カバラの歴史の中でも非常に重要な地位を占めるイサク・ルリアは、1534年エルサレムでアシュケナジー・ユダヤ人の家で生まれた。
彼の父親は、もともとポーランド在住のドイツ系のアシュケナジー・ユダヤ人で、エルサレムに移住し、地元のスファルディ・ユダヤ人の女性と結婚した。この二人の間に生まれたのが、イサク・ルリアである。
彼の父親は幼少時に死亡した。おそらく1541年頃、カイロに住んでいた豪農の叔父モルデカイ・フランセスに引き取られた。既に彼は8歳の頃から「タルムード」を学び、神童と呼ばれた。彼の天才ぶりを認めた叔父によって、高い教育を受けた。彼はカイロのタルムード大学に入学し、ユダヤ教神学を学んだ。
15歳の時に従姉妹と結婚したが、学生としてそのまま勉学は続け、22歳の時に「ゾハール」を読んだことがきっかけで、カバラに魅せられる。そして、彼はカバラの研究に一生を捧げる決意をする。
彼はタルムードの研究をしながら商売も熱心に行っていた。学問と仕事の両立である。こうした彼の商売と学問との兼業は、隠遁期間を除いて、一生続けた。それは、彼の弟子や学問サークルのメンバー達も同様であった。
彼は1550年代に、ナイル川の島の一軒家に住み、そこで7年間にもおよぶ隠遁生活に入る。そこでカバラの研究と瞑想に明け暮れた。彼が家族に会うのは、安息日か祭りの日だけだったという。
この間、ほとんど言葉も話さず、たまに喋っても、それは全て古代ヘブライ語であったという。
1558年、彼は「ゾハール」の研究と、同時代のカバラの大家モーゼス・コルドベロの研究を始める。彼はコルドベロを「われらの師」と呼んで尊敬した。事実、彼の思想体系はコルドベロの思想を基盤の一つにしている。
例えば、アツィルト、ブリアー、イエツィラー、アッシャーの4世界の概念は従来の「ゾハール」研究では、あまり重視されてはいなかった。しかし、それに注目したのがコルドベロであり、さらにこれを重要視して、カバラの重要な教義に据えたのが、ルリア達であるという。
事実、ルリアはコルドベロと親交を持った。両者の関係は互いを尊敬し合いながらも馴れ合うこともなく、どことなく冷たい関係であったらしい。
1569年に彼はパレスチナに移住する。途中エルサレムに短期間立ち寄った後、サフェドに定住し、1572年にそこで死去することになる。
サフェドでは、彼はラビ・イサク・アシュケナジー・ルーリアと呼ばれ、弟子達と共に「聖人たち」と呼ばれ、町の住民たちから尊敬された。
彼がサフェドに移住してから伝染病で急死するまでの期間は、わずか3年であるが、彼の重要なカバラ研究は、この期間に集中している。
彼の弟子は30人ほどいたが、彼らは毎週金曜日に会合をもって、カバラの研究を行った。
ルリアは、自分の思想を系統だてて文章にはしなかった。したがって、著書は一冊も無い。現存するのは、散発的な原稿が多い。
彼の重要な書は、弟子達によって記述された言行録であり、「聖なる獅子の著作」や「ゾハール注釈」が有名で、いずれも弟子との対話形式で書かれている。
他に彼の高弟のハイム・ビタルによって、思想がまとめられ、「八つの門」という本にもなっている。
また、彼の死後、様々な伝説が生み出され、そうした伝説を集めた本「聖なる獅子への賞賛」、「奇跡」なども出版された。
「獅子(アリ)」とは、ルリアの尊称である。しばしば彼は、この名で呼ばれる。
また、彼の弟子たち、サークルの会員たちを「仔獅子」と呼ばれることもある。
ルリアのサークルは極めて秘密主義の強いもので、彼の死後もこの秘密主義はしばらく続いた。
彼の高弟でサークルの後継者のハイム・ビタルも、この秘密主義にこだわっており、彼らの研究成果が、本となって公開されるのは、このビタルの死後である。実にルリアの死後50年以上を過ぎてからのことである。
こうしたルリア学派の書物は1629年頃から出版され、ビタル編集によるルリア思想の本がオランダで1648年に出された。
ルリア学派の学者として重要な人物がヨゼフ・イブン・タブールであり、サークルの会員でもあった。
彼はビタルの秘密主義には批判的で、何人かの弟子達に秘伝を教授した。そのため、ビタルと対立した。
彼は多くのルリア思想に関する原稿を残し、これが後の研究者たちにとって貴重な資料となった。
また、もう一人重要な人物が、イスラエル・サルグである。彼はルリアのサークルの会員ではなかったが、ルリアの思想に心酔し、ヨーロッパ中を旅してはルリアの思想を広めた。
ルリアの思想は、あっというまにヨーロッパ中のカバリストの間に広がり、非常に大きな影響を与えた。
ルリアの考える瞑想は極めて禁欲的であった。
彼によると、カバリストは、精神を集中し、強い意志をもって、ひたすら思索を行わなければならないとした。「ゾハール」に没頭し続け、カバラの教義を暗証し、祈りと瞑想に浸りきること。こうすることによって、人は神性に近づき、結果的に世界の救済にもつながると考えた。
彼は、同時に輪廻転生を信じた。霊魂がどの程度の精神的あるいは道徳的レベルに達したかによって、それにふさわしい形で、転生すると考えた。
彼は幻視を頻繁に体験し、預言者エリヤと交感し秘儀を伝授されたという。
伝説によると、さらに一種の予知能力を身に付け、人と会う前にその人間の特徴が分かるようになり、その人の輪廻転生についても分かるようになったという。さらに、蝋燭の炎を見つめることにより、未来を幻視したり、死者の魂と交信したりすることも出来るようになったという。
また、彼は神の名前によって、悪魔祓いを行った。
さらに、人相術をみとめ、弟子を選ぶ際に、人相術を用いていたほどである。
ルリアは「ゾハール」の思想を発展させた。流出の概念を研究するのに、グノーシス主義に極めて近い思想を取り込んだのも彼である。
また彼は、瞑想をも重視し、彼と彼の弟子たちは、様々な幻視体験をする。ルリア自身も、自分を天界にまで飛ばし、古代の賢人たちとも会見をしたという。
彼もまた、カバラの中興の祖の一人である。
彼によって、これまで曖昧としていたカバラの理論は統合された思想体系となり、新しい専門用語が多く作られ、シンボリズムの体系も複雑化した。
ルリアによると、原始にはイデアが存在し、これが流出の過程を支配する。宇宙の創造は二重に進行するもので、一つは「神性の産出」であり、もう一つは「神性の退廃」である。流出は、この2つの過程が基本的な要素となっている。
これは世界の創造には退廃が内在することにもつながり、ゆえに世界の創造には、心理的なドラマが起こる。これが縮小したものが人間の心であり、祈りであり、祈りによってもたらされる効果であるという。
ルリアの思想の中で特に重要なものがツィムツーム思想と呼ばれるものだ。これは「集中」とか「収縮」とも訳される。あるいは、「退却」、「撤退」とも訳される。
宇宙の存在は、神に内における「収縮」によって成されるという思想だ。これは彼独自のアイン・ソフの概念を構築した。
もう一つが「容器の破裂」説であり、この破裂によって作り出された欠損の回復、再構築説である。これはクリフォトの思想とも密接につながっている重要な思想である。
これらは、後世のカバリスト達に非常に大きな影響を与えてゆくことになるのである。
ルリア派のカバラは、少なくとも1625年頃から、ユダヤ教カバラの主流派となった。
そして、ユダヤ教における、国籍を越えて伝播した最後の思想運動でもあったという。
彼が後世のカバラに残した影響は計り知れない。
「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム 法政大学出版局
「カバラ」 箱崎総一 青土社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「カバラーの世界」 パール・エプスタイン 青土社