コルドベロと石榴の園
ユダヤ教カバラは16~17世紀頃に、ほぼ完成し円熟期をむかえる。この時期に、我々の知っているカバラの体系が出来上がったと考えても良いであろう。いわゆる第4期(後期完成期)である。
この時期に活躍した偉大なカバリストの名を挙げるとすれば、やはりイサク・ルリアとモーゼス・コルドベロであろう。
モーゼス・コルドベロは、1522年ポーランドのサフェドで生まれた。
ポーランドでは既に中世からユダヤ人のゲットーが存在した。そして、ペストの流行時にユダヤ人は格好のスケープゴートにされたが、15世紀後半のスペインでの大迫害をきっかけに多くのユダヤ人の避難所となり、知識人も流れ込んだ。その結果、カバラの研究の中心地はスペインからポーランドに移ることになる。いや、カバラだけではない。ポーランドはユダヤ文化発展の中心地の一つとなるのである。そして、これは20世紀のナチスによるホロコーストで全滅寸前に追い込まれるまで続くことになる。
コルドベロはスファルディ・ユダヤ人であり、その家系はコルドバに遡ると思われる。
彼は、「偉大な師」ヨセフ・カロの弟子であり、イサク・ルリアの盟友でもあった。彼はルリアの思想サークルと接触し、互いに啓発しあった。
コロドベロの業績は、やはり何と言っても「石榴の園」なる著書をものにしたことであろう。
この書は1591年クラクフにてヘブライ語版が出版された。やがてヨセフ・シアンテスによってラテン語の抄訳版も作られ、これは1664年にローマで出版された。
この書は13章から成り立っており、当時のカバラ思想の総論とも言うべき内容を含んでいる。それは、セフィロト、流出説、聖なる名前、ヘブライ文字の象意などについて詳述される。
また、彼独自の独創的な思想も含んでいた。
彼の思想は、ツィム・ツムの思想に集約される。
彼の思想で重要なのは、セフィロトがその流出において、その発展の中で通って行く一つ一つのセフィラの内部で起こる弁証法的過程を解明しようと試みた最初のカバリストであったということである。
要するに、彼は流出の諸段階を神の思考の「留」、「中枢」として解釈したのである。
初心者が生命の樹を学ぶ際、よく仕出かしてしまう誤解は、四界であれ、各セフィラであれ、それを独立した存在だと思ってしまうことだ。流出は連続であり、断絶した存在ではない。それは、神から流出中の思考の「留」である、ということだ。そして、それは神に内包されている。
彼は世界と神との関係について述べる。
実在する全ての物が神の内に包括されている限りにおいては、神は全ての実在を包括しているが、しかし分離して地上に存在するする全ての物の形に従って包括しているのではなく、むしろ統一的な実体の実在の中に包括しているのである。
というのも、神と実在する全ての物は、もともと一者であり、分離などしておらず、多様でもなく、また外へ顕在化しているのでもなく、神の実在はその各セフィラの内部に臨在しているからである。神自身は全てであり、何者も神の外部に実在することはあり得ない、ということだ。
これはある意味、カバリストの頭痛の種だった唯神論と汎神論との衝突を解決する考え方を、作り上げたとも言える。
そして同時に、無限な神が、なにゆえ有限な被創造物を流出したのか? という流出説に共通に見られる問題に対して、一つの答えをもあらわした。
この問題に対して彼は、光の凝縮という考え方を示した。神聖な光の凝縮によって継続的に流出する十のセフィラという神の力動的な道具によって、全ての「創造物における変化」が形作られた、ということである。
すなわち、(上記の繰り返しになるが)全ての存在は神から導かれ、神の内に含まれる、ということである。全ては一つの回転する車輪の内に含まれ、時には上位にあがり、下位に向かうこともある。
ぶっちゃけ、最初から神から離れたものなど無いのだ。有限も無限も何も、最初っから、全ては神の内に包括されていたということである。
ただ、ここで注意すべきは、汎神論との混同を避ける、ということだ。そもそも唯一神教であるユダヤ教は汎神論を受け入れるわけには行かなかった。しかし、全てが神に内包されるなら、それは汎神論ではないのか?
先にも書いた通り、コルドベロは、ある意味、汎神論と唯神論との葛藤の矛盾の解決を試みた。
なるほど、この考え方は非常に汎神論に近い。
しかし、それは純粋な意味での汎神論ではないのだ。
神が同時に全てを意味する「万物」なのではなく、他の全ての物のために存在する。そして、神の内には、他の全ての物の基盤と起源が存在する。しかし、それでいて神は不可分な存在であり、不変な神であり続ける、という大前提が常に付いて回る。これがカバラの鉄則である。
これについて、コルドベロはこう述べる。
「神はあらゆる現実であるが、だからといってあらゆる現実が神とは限らない」
神は全ての実在を包括しているが、しかし分離して地上に存在するする全ての物の形に従って包括しているのではなく、むしろ統一的な実体の実在の中に包括しているのである。ここがインド思想等に見られる典型的な汎神論と異なるところである。
彼の神に関する定式の思想は、1世紀後に現れる哲学者のスピノザと酷似していると言われる。
スピノザはカバリストではなかったが、自分の思想の構築にあたって、「古いユダヤ哲学者の思想から引用した」と認めている。これはコルドベロと見て間違いない。
彼は1570年に他界した。
彼の思想は、ラテン語に訳された著書を通じて、キリスト教カバラにも大きな影響を与えた。
そして、盟友イサク・ルリアにも。
彼の弟子として有名なカバリストとしては、サミュエル・ガリコ、彼の学派の際立ったカバリストには、ファーノのアザリア、ナタン・ベン・サロモ・スピロ、シェフテル・ホロヴィッツ等がいる。
「ユダヤ教神秘主義」 G・ショーレム 法政大学出版局
「カバラ」 箱崎総一 青土社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社