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【ドラニュース】

【龍の背に乗って】恐怖を克服した「明治魂」とリナレスのささやき

2019年4月3日 紙面から

阿部(左)を迎える与田監督(中嶋大撮影)

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 平成生まれのヒーローには「明治の気概」が詰まっていた。同点打を3本、勝ち越し打を2本打って、逆転のカープから逆転星をつかみ取った。代打・阿部の決勝打。予感がしたのは直前の8球目だ。インハイへの153キロでフルカウント。恐怖心を抱くはずの1球だが、彼がそれをはねのけたシーンが僕の頭でよみがえった。

 2月24日の阪神とのオープン戦(北谷)は藤浪が先発だった。野球ファンには知られているが、彼の剛球は右打者の頭部目がけてよく抜ける。故障を防ぐためにも左打者を並べたが、守備位置の都合から阿部を含む3人の右打者が先発した。案の定、藤浪の剛球はすっぽ抜け、かろうじて避けたが倒れた。直後のストレート、阿部は目の覚めるような打球をレフト前に打ち返した。記者席で見ていた先輩の広沢克実さんが「これが明治魂だ!」とたたえた一振り。試合後の阿部は「死ぬかと思いました」と笑っていた。

 体制が変わり、チャンスは与えられたが12月で三十路(みそじ)。若くはない。恐怖を克服した一打から、首脳陣の評価も上がっていった。この日もそう。「(直前の)あの球は怖くなかった。藤浪の方が怖かったです」と言い切った。

 人生を切り開いたのは阿部だが、ヒントを与えたのは「キューバの至宝」と呼ばれたオマール・リナレスだ。現在は巡回コーチと通訳、キューバ担当という何だかわからない肩書をもつ。3月下旬。阿部に近づき、こうささやいた。「打ちたい、打ちたいと思いすぎてるんじゃないのか?」。結果が欲しいと左肩がわずかに早く開く。阿部の悪癖を見抜いていた。

 「練習を見ていて、気付いたから声をかけたんだ。今日の打撃は良かったぜ」。国際大会では何度も危険な球を投げられながら、五輪の金メダルを2個、銀を1個持っている。そんなリナレスの華麗すぎる球歴を、阿部はよく知らない。だが、的確な指摘は受け取った。殊勲の一打は左肩を開かなかったからこそ、中前に落ちてくれた。

(渋谷真)

 

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