天皇陛下について報じた韓国紙(時事通信フォト)

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 韓国では日本の天皇を「日王」と呼ぶのが一般化しているが、実はかつては韓国でも「天皇」呼称が使われていた。いつ、なぜ「日王」に変わったのか。韓国人のノンフィクション・ライター崔碩栄氏が解説する。

【図解】韓国の新聞では「天皇」と呼んでいた

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 日本の天皇を表す言葉として、韓国で現在一般的に使用される表現は「日王」である。天皇という表現を誰かが使いでもしたなら、すぐに批判が起こる。そして、騒動となればメディアを通してすぐに日本に伝わる。その報道を見た日本人は、韓国に対し「負のイメージ」を抱くようになるだろう。

 これについては、韓国で「親韓派」と呼ばれていた朝日新聞の若宮啓文元主筆が2015年8月12日の韓国日報への寄稿コラムで「勝手につけた『日王』という呼称に、ほぼすべての日本人が侮辱されたような気持ちになるに違いない。可能であれば、韓国政府とすべてのメディアが意見をまとめて『天皇と呼びます』と宣言しよう。それだけで、日本内の韓国に対するイメージははるかに良くなるに違いない」と指摘し、天皇という正式呼称で呼んで欲しいと訴えたことがある。

 まず、この問題の概要を説明する。

 そもそも、韓国社会が示す「天皇」という言葉への拒否反応は自然なものではない。というのは、過去には「天皇」という表現に対する反感など、まったくなかったからである。

 日本人の中には、韓国は日本の統治を受けた「過去」があるため、自尊心を傷つけられた韓国人が「天皇」という文字を見るだけで反感を抱いてしまうと思っている人が多いようだが、それは誤解である。韓国は戦後も「天皇」という表現を数十年間使ってきたし、それはごく当たり前の表現として受け入れられていた。

 もちろん、日本の統治を受けたという「過去」が韓国人の自尊心を傷付けたという事実は動かしがたい。それゆえに「天皇」という言葉がニュースや新聞で取り上げられるときは、たいてい、日本の朝鮮統治や太平洋戦争など、日本に対する良くないイメージが付加されてきた。しかし、そのような記事であっても韓国人は「天皇」という言葉自体には抵抗はなかったと断言できる。それだけ新聞や放送で当たり前に使用されていたのだ。

 それでは、終戦から数十年も経ったある日、唐突に発生した新型の「天皇アレルギー」の原因は何だったのだろうか? 韓国メディアはその由来を日本の「在日韓国人への指紋押捺強制」で説明しようとする。日本政府の在日韓国人に対する指紋押捺強制と在日韓国人たちの拒否運動が韓国で報じられ、対日感情が悪化した時から「天皇」に対する反感が生じたという主張だ。

〈1989年、在日同胞の指紋押捺問題で対日感情が悪化した時に、マスコミが「日王」と表記し始めて以降、天皇と日王の中間ぐらいの「日皇」という呼称も使ってきた〉(京郷新聞 1998年5月14日)

 指紋押捺問題というのは、1980年代に在日韓国・朝鮮人らが外国人登録証の指紋押捺を拒否して広がった運動である。一部の在日韓国・朝鮮人が「差別」だと抗議し、社会運動に発展した。京郷新聞は、この事件が対日感情を悪化させ、この時から「日王」と表記し始めたのだとしている。

 しかし、これは事実ではない。1989年の記事を探しても指紋押捺拒否運動は韓国内で短く報道されただけで、これに対し韓国社会が怒ったり、または反日感情に繋げるような反応はなかったからである。指紋押捺拒否は韓国から見ると海の向こう側で起きた小さな「ハプニング」程度の意味しかなかった。

 そして、反日感情のために「日王」という呼称が使われるようになったという説明も納得できない。反日感情といえば、戒厳令まで宣布された1965年の日韓国交正常化反対デモの時の方がはるかに激しかったが、その後も何の抵抗もなく「天皇」という言葉が使われていた。では、韓国はいつ、何をきっかけに「天皇」から「日王」と呼ぶようになったのか。そのきっかけとなったのは、1989年の「昭和天皇崩御」である。

◆「天皇」が「日王」に変わったきっかけ

 韓国のポータルサイトNAVERで「記事検索」機能を利用し、過去のデータベースを検索してみると面白い結果がわかる。現在、韓国メディアが使う「日王」という表現は「ある時点」を境に爆発的に増加しているのだ。次のグラフを見るとその変化が一目でわかる。

 それまで韓国で見られなかった「日王」という表現はなぜ急に広がったのか。グラフを見ると1989年1月の昭和天皇の死が転換点になっている。昭和天皇危篤のニュースが伝わった時期に姿を見せ始め、崩御の一報とともに急激に増え、それがメジャーな呼び名になってしまった。そして30年が経った今では「日王」が完全に定着し、「天皇」は禁句扱いなのである。

 なぜ昭和という時代の幕が下りたとたん韓国が態度を変えたのかはわからない。それは誰かの訴えでもなく、誰かが決めた方針でもなく自然な流れだった。私見では、「世代交代」と関係があったのではないかと思っている。この時、各メディアで主戦力といえるクラスは30~40代の「戦後生まれ」の人たちで、彼らにとって天皇はただ新聞とニュースでしか接したことがない存在だった。日本統治時代に、小学生もしくは中学生だった人たちの頭の中に残っている「天皇」の存在感とは雲泥の差がある。

 日本統治時代を経験した韓国人の中には、天皇に反感を持っていた人は少なくなかった。しかし、彼らには、呼称を変えることで、その権威や存在感を引き下ろすという発想がなかったのではないか。彼らは日本人と変わらない価値観、思考を持っていた世代、あるいは持つように育てられた世代だからだ。彼らが「天皇」を「日王」という変な名前に変えることに痛快さを覚えたなら、それを1989年まで44年間も待つ理由がない。日本統治時代を経験した世代が社会の第一線から身を引き始めたのがちょうど1989年頃だ。15歳で終戦を迎えた人が1989年には59歳になっていた。韓国のメディア各社で定年となる年齢である。日本統治時代を知る人たちが「天皇」という言葉とともに韓国社会の第一線から退いたのである。

※崔碩栄・著『韓国「反日フェイク」の病理学』(小学館)より一部抜粋

【プロフィール】チェ・ソギョン/1972年、韓国ソウル生まれ。高校時代より日本語を勉強し、大学で日本学を専攻。1999年来日し、関東地方の国立大学大学院で教育学修士号を取得。大学院修了後は劇団四季、ガンホー・オンライン・エンターテイメントなど日本の企業で、国際・開発業務に従事する。その後、ノンフィクション・ライターに転身。著書に『韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由』、『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』(以上、彩図社)、『「反日モンスター」はこうして作られた』(講談社)などがある。