「京都市歌」にじむ京都人のプライド 歌詞など独自調査で分析
明治以降に制定された京都市歌について、佛教大1年の西村優汰さん(19)=左京区=が独自に調査、研究している。「地元やふるさとを見直してもらうきっかけになれば」と、当時の新聞記事などを参考に、歌が作られた経緯や歴史的な背景などを冊子にまとめた。
市町村歌は、行政が告示などの手続きを経て制定し、その地域の歴史や風土、市民生活、将来の抱負などが盛り込まれた歌。京都市では市小学校長会が1898(明治31)年に制定した初代市歌がその先駆けで、1951(昭和26)年に公募で選ばれた現在のものまで4曲ある。
西村さんは小学生の時に参加した学童大音楽会で初めて現在の市歌に触れ、「迫力があり、引き込まれた」という。
下鴨神社の古本市で偶然市歌に関する史料を入手し、歴代市歌について本格的に調べ始めた。市歌に関する研究はほとんど行われておらず「史料集めに苦労した」と振り返る。学芸員に話を聞いたり新聞のマイクロフィルムを参考にするなどした。当時の行政冊子や報道などから、募集要項や選考過程、発表の様子などが明らかになったという。
初代の歌詞について西村さんは「『宮どころ』という皇居があることを表す言葉が繰り返し使われており、都が東京に移って30年たっているのに京都人の意識が強く表れている」「『京都の工芸は繊細で美しく、周り(他府県)はこれを尊敬すべきだ』というニュアンスが書かれ、昔からいかに京都人のプライドが高かったかが分かる」などと分析した。
2代目とされている1906年の「地理歴史唱歌 京都」については、独自の考察から、特定の地名や社寺名が多く出てくるなどの理由から「市歌には位置づけられないのではないか」と結論づけた。
市歌以外にも、戦争に対する市民の士気高揚を目的につくられた「決戦京都市民の歌」(45年)や、京都新聞の前身の京都日出新聞が主体となって制定した「銃後市民の歌」(40年)など京都にまつわる歌も紹介している。
A4判、104ページ。非売品。
【 2019年04月02日 14時50分 】