フジテレビで暴露してから「映画監督に無理やりキスされたのに訴えなかったのか?」と言われることが増えた。
あまりにも増えた。
その度にこたえるのがめんどくさくなってきたのと、ネット時代だから知識として知ってもらってこういう被害が減ればいいなと少しの希望を持って書いている。
特殊な例だと思うけども。

結論から言うと警察に助けを求めたが相手にされなかったのだ。
「げーのーかいってそーゆーとこでしょ?嫌だったらヤメれば?」からはじまり色々言われたけど、この時の対応は時系列で書こうと思う。

経緯は長くなるけどこう。
最初はまだ20歳になる前だったと思う、自分の性別に悩みが強くどちらの性別にも違和感が強いことで悩んでいた。
高校の時はすべての性別を感じる性器を手術ですべてとってもらうということまで悩んでいた。
その時偶然見に行った映画の監督は女装をして舞台に立っていた。
田舎に住んでいる私はネットが普及してなかったので周りにそんな人がいなかった。
当時性別がわからないという漠然な意味のわからない発言をしては制服を着てる事や女子トイレに入ることなどささいなことで揚げ足を取られいじめられていた。
その映画監督は「芸能の世界にはレズやゲイやバイも沢山いる。仲良くなればオープンだよ。」と言っていた。
性別にとらわれているのは自分だと思えた。
一年くらいして「映画に出てよ」と声がかかった。無名の私はギャラも交通費も出なかったので夜行バスで行った。
その時は女の子も沢山いて楽しくみんなで撮影して終わった。

それからまたしばらくして東京でライブをさせてもらえる依頼が来た。
その時は性別に迷いはあるけど女として生まれたのだから女として楽しんでいる人たちのように振る舞えば性別が定まるかもしれない、そんな気持ちでライブアイドルをしていた。
まだ地下アイドルというジャンルもはっきりなくアンダーグラウンドのイベントでカラオケ音源にあわせて歌って寸劇も混ぜたり色々していた。
東京に呼ばれるなんて思ってもいなかった。
はじめて交通費もいただけた。
でも土地勘もないので数少ない知り合いに頼るしかなかった。
高円寺でライブだった、高円寺の映画監督しか知り合いがいなかったし少数派の理解者で友達だと思っていた。
ライブの日、監督きっかけで知り合いになった友人セクシャルマイノリティの方の家に泊めてもらう。
翌日東京観光していたとき映画監督から「高円寺を案内したい」と誘われて夜行バスまで時間もあったので高円寺に戻った。
バーとカフェ2店舗ほどに入ったように思う。
その時酒の入った監督の言葉に耳を疑った。「女装って最高だよ、楽屋は女性の楽屋使えてみんな安心しきってるからおっぱいとか丸見えなわけ、スキンヘッドもウイッグかぶりやすいし」と。裸を見るために、あわよくば女性に隙を見せてもらうために女装していたことをカミングアウト。
動揺したけれども同時に土地勘もないのでこの人についていかないと帰れない、当時はガラケーで駅まで道筋わからない、ライブ帰りの重たい荷物と疲れで相手の機嫌を損ねないように話を上の空で聞いていた。
新宿からバスが出る一時間ほど前、ようやく駅まで送ると言ってくれてホッとした。
この人とは距離を考えよう、そう思って両手に衣装とグッズをつめた荷物を持ってついていった。
近道があると細いくらい路地に入った、その時に帰したくないと抱きしめられいきなりキスをされた。20歳位離れたただの女装癖のおっさんに。
無理やりふりきり明かりのある方へ歩いて行った。私の後ろをついてきながら駅までの案内をしてるセクハラ監督、混乱と同様を隠しながら駅に向かう。
高円寺の駅で別れを告げ、泣きながら新宿に向かった。性別が迷子の私は恋愛の前に無理やりキスをされたことが悔しかった。

あの出来事は夢だったんだと思うようにした。
すごく悲しい悪い夢。
でもそうはいかなかった、メールが来た。
「今度二人で温泉に行こうか?」
耐えられず周りに相談した。映画に出てる女の子が二人言い寄られていた。その映画監督と古い知り合いの行きつけの店のマスターとも偶然高円寺で仲良くなったのでさかのぼってきいてみると、映画に出てる女の子何人かが映画に出てから表現活動をやめたということまでわかった。
私一人ではなかった。
そして理解者だと思って監督を調べてなかった自分を恥じた。ネットになんか載ってなくて知り合いができるまでは調べる方法も無かったんだけども。
被害が私だけならライブ関係者に監督の女装は裸を見るためですから楽屋をわけてください、とイベント側に連絡するだけだっただろう。

他にも被害が出ないように軽い頭で考えた結果、地元の警察に連絡をした。
「それは東京ですか?管轄外ですので杉並の方に連絡してください。電話番号?しらべならでできますよ。」
しらべて杉並警察署に連絡をした。
「現場がわからないので東京にきてもらわないといけない。暗くて場所がわからないかもしれないの?からかってるの?あとレイプされたんじゃないよね?体液が残ってたらすぐ捕まえられるんだけど。それでも2日たってるから妊娠とかしてないと無理かなー。怪我とかしてたら暴行罪にもできるけど。とりあえず杉並警察署まで通ってもらわないといけないね。あとげーのーかいってそーゆーとこでしょ?嫌だったらヤメれば?そんな小さなことで問い合わせされても困るんだよ。」
言葉の暴力に、何も言い返せなかった。

監督に言い寄られたの女の子に一緒に協力してほしいと頼んだ。
でも彼女たちはそんな被害にあっていないから協力できない、被害にあってたとしても思い出すだけで虫唾が走ると言われた。

私が甘かったのは認める。
でも映画が儲からないからと言われ割り勘で食事もしたし、カミングアウトされるまでは理解者だと思っていた。
しばらくは名指しでネットに書き込んだりもしていた。
逆に誹謗中傷で訴えられかねないと言われ、追い込まれた私はだんだんそれも言えなくなっていた。

その映画監督だけで決めてしまうのはいけないと思い、映画の世界がどういうものなのか知るために特技の独学の傷メイクで映画の裏方をさせてもらえないかとびこみで色々回った。
裏方で関わらせていただいた作品、役で関わらせていただいた作品でもそういう事をしてくる人はいなかった。
関西の自主映画だからというかもしれないけれども、その作品の中にはゆうばり映画祭受賞作品や海外映画祭上映作品もある。

どこの世界でも目立つ商売であれば一人の人間がそういうことをやるとみんなそう見えてしまう。
そして、運悪くそういう人にあたってしまうこともないとは言えないということ。


夢を語る人が、夢を見せる人が、夢を見てる子が無抵抗だからと欲望のままに暴力を振るうことが許されてはいけない。
そしてその暴力を受け入れるよう強要もあってはならない。

言わない美学が強い国でいう方が損だと理解はしている。
黙ってたら傷を隠せる。
ファンにもバレないからクリーンに見せることはできる。
売名行為といわれたり、こういうことを語る度にファンが減っても自分みたいな子を見つけてしまうよりはよっぽどいい。
私はギリギリのとこでいつもかわせているだけだと思う。
でも傷ついたことがあったからだ。

若い才能に傷ついてほしくないから私はこの生き方をつづけます。