いぬねこぐらし|國森由美子のキャッツアイ通信「世のねこ」

この連載では、「世の中」の諸地域の猫事情をご紹介! 猫や動物が大好きな方、猫と暮らしている方はぜひご覧ください。
筆者と愛猫ミルテのオランダねこ暮らしも毎月お届けします♪

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ルイ・クペールスの猫、インペリア(その3)

ルイ・クペールスの猫、インペリア(その3)

(前号よりのつづきです)
わたしたちは、セントラルヒーティングの暖房装置のそばに、ここがインペリアの産屋だとわかるよう、広々として温かい籐のバスケットを置いてやった。

しかし、インペリアはそれを受け入れない。
そして、家じゅうあちらこちらを探しまわるも、わたしたちのベッドルームは今はインペリアのために厳重に閉ざされている。それが本人にはわからなくても。

さて、すさまじいミストラルの吹くある日のこと、メイドが来て言う。
「だんな様、猫が子猫を産みました…そして、お産はまだ終わっていません…」
「どこにいるんだ?」わたしは言い、あわてて立ちあがる。
「どこだと思います?」メイドは言う「子猫を産んだのは…庭師が芝生を刈っていた足元でなんです!」
まったく、猫の心を解き明かすなどということが、どこの誰にできようか!
セントラルヒーティング完備の温かい産室の代わりに、吹きさらしの、庭師の無骨な長靴が目の前に見える芝生の上をインペリアは選んだのだ。しかも、剪定ナイフで危うく手術される危険にさらされてまで!
わたしは、猫精神科医などには決してなるまい!
料理番のメイドは、インペリアに近寄り、励まして、産屋へ連れて行こうとしている。
別のメイドは、新生猫の初めのニ匹を連れて従う。
インペリアは、さらに三匹の猫の民を世に送り出した…

ああ、犯罪だ!
三匹はすぐさま溺死させられた。そしてニ匹、つまり、オスの黒猫とインペリアにうり二つのもう一匹の猫は、インペリアのもとにいることが許された。
ああ、猫殺しだ!
インペリアはしばらく鳴き…籐のバスケットから出て歩みさえした…
しかし、次の瞬間には、子猫が三匹いなくなったことなどすでに忘れている。
インペリアの母性はニ匹の乳児だけで満足している。
その瞳は、すっかり落ち着きを取り戻している。インペリアは満ち足りたまなざしをわたしに向け、そして喉を鳴らす…
「これがあれだったの?」そう、私に言っているかのように。
「それならそうと、教えてくれればよかったのに…」
子猫たちが乳をむさぼる中、インペリアはわたしの愛撫に喉を鳴らす。

それから二日後に、ミステリーは起きた…いまだ未解決なままの…
黒い子猫が消えたのだ…!
インペリアは、娘を、今となっては唯一のわが子を静かに舐めている!なにが起きたのだろう?
「父猫が食ってしまったんだわ!」と、小間使いのメイドが言う。
料理番のメイドが言う「きっと、あやまって窒息させてしまったにちがいありません。そして、死んでしまったのに気づいて連れ去り、埋めたのでは…」

消えた黒い子猫

「二匹めんどう見るのがやっかいだと思ったんでしょう、それで一匹おはらい箱にしたんだ!」と、下男は言う。
このミステリーは、決して解き明かされることはない。
インペリアは、スフィンクスさながら黙して語らず、しかし満ち足りて、唯一の小さなわが娘のよき母になりきっている。

ああ、猫よ、猫たちよ、おまえ達の心は謎である!
「猫は謎めいた生き物である」と、私の友人、クエリド(*注)は言った…

*注)クエリド(前回も登場しています)というのは、イスラエル・クエリドという作家のことで、現在オランダの最大手出版社クエリドの創始者、エマニュエル・クエリドの兄弟にあたります。

ルイ・クペールス(1863~1923)

いかがでしたか?
3回にわたり、クペールスの猫エッセイをご紹介しました。
字数の関係もあり、立派な(?)猫バカの私にとって「おいしい」部分を抜き出し、翻訳・編集してみました。
クペールスの時代の猫との接し方は、公的殺処分ゼロという21世紀オランダの状況とはかなり異なっていたようです。
飼い猫をこうして間引くのは、当時はさして珍しいことではなかったのかもしれません。
余談ですが、クペールスには、大正11年(1922年)に夫人とともに日本を訪れた際の旅行記(1925年出版)もあり、そこに記されている日本や日本人についての事柄にも興味深いものがあります。
折をみて、また別のオランダ作家の猫文学をご紹介できたらと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

今月のミルテ「8月4日にたんじょうびを迎え、9歳になりました。」

シニアにゃん?

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