30歳になる前に書き残しておきたいこと。


40までは生きられないと云われたのは去年2018年の晩夏だった。

最初は生理が重くなったときに意識がなくなりかけることがあって「貧血か子宮筋腫が悪化したのかな」と思ったのが発端。検査してみると重い心不全だったことが分かった。貧血ではなく心臓が血液を正常に送れなくなっていたのだ。

秋の間は本当に一日が短かった。一日の大半は意識を手放している状態、というのが何度かあったからだ。すたすた歩けた下北沢を車いすでしか進むことができなかった。

病室で朦朧としていると鐘の音が聞こえた。
ああそうだ、下北沢は5時のチャイムで包まれるんだ。そして渋谷区のチャイムのメロディもかすかに聞こえる。下北沢は渋谷区と目と鼻の先だ。贅沢な場所だとつくづく思う。

日が短くなってきた秋空は5時にはもう綺麗な夕焼けだ。溶けるようなオレンジがきれいでいつもうっとりする。

昔ブラックジャックの漫画で最後に夕焼けを見ながら視力を失う患者の回があったのをよく思い出す。私も最後に見る景色はこんなきれいな夕焼けがいい。

今は車いすなしで歩ける日が増えた。意識を失うこともなくなってきたが快復したわけではない。
付き添いがいなければ遠出もできない。土日に出かける時は、緊急時の連絡先を引き受けてくれた親友とたいてい一緒に出掛ける。不便な生活になったと思うし親友には申し訳なさもある。


今日で私は30歳になる。
もし40歳までに生きれないのなら私の残された時間は10年を切ってる。
そう思うと今まで生きてきたことを度々よく思い返す。
そうすると、私はいつも死別した二人の彼氏を思い出すのだ。
私は不運も不運なことに、人生の中で二回恋人ができその二回とも死別だった。そして二人とも20歳で亡くなった。


17歳で生まれて初めて彼氏らしい彼氏ができた。
見た目がちょっとチャラいのに性格はインドア系のおっとりした感じの人だった。
共通の音楽の趣味があり、友人からの紹介だった。
彼は独り暮らしで、よく彼のアパートに行って二人で過ごしてた。彼のアパートにいるときは、部屋から夕暮れを二人でよく見ていた。その時私は初めて夕暮れがこんなに綺麗だなんて知った。大好きな人と見る夕暮れがこんなにも心を満たしてくれること思い知ったのだ。それから私は夕暮れを見るのが好きになった。
彼とはたくさんの楽しい時間を作った。将来の話もした。彼は美容師の専門学生で、いつか大きな自分の店を持ちたいと云っていた。
彼にはよく髪を切ってもらったりセットアップをしてもらったりした。髪の毛が長いのに凄くきれいなのを褒められてうれしかったのを覚えてる。そういえば、そのことがあったから私は今もスーパーロングヘアーなんだ。それでいて綺麗さを保つように人一倍お金も時間も費やしているのだ。

でもそんな楽しかった時間は一瞬で私の元から去ってしまった。
私が18の時に彼が肺炎で亡くなったのだ。彼はまだ20。もうすぐ21になるかという冬。
それから地獄のような日々が続いた。自分の命より大切な存在を失ったダメージを18の子どもが受け止められる訳がなかった。
とにかくこの苦しさから逃げ出したかった。その方法が結果的に去年の余命宣告につながるのだが。
私は誰かに必要とされることでなんとか自分を保とうとした。彼が私を好きでいてくれたように、誰かに必要とされたかったのだ。

私は異性に必要とされることでなんとか自分の心を保とうとした。
最初がどうだったか忘れたが、多分寂しさを忘れようと彼女のいる友人と寝たのが最初だったと思う。
それからしばらく一緒に過ごして、申し訳が立たなくなると他の知り合いと関係を持って、それがダメになると他の人と。そんなことを繰り返していた。
何処からそうだったのかはわからないけど、いわゆるセックス依存症になっていた。誰かに必要とされなくなって一人になるのが怖すぎた。だからずっとそんな感じだった。その時にはピルを毎日のように飲んでいたから体はボロボロになっていた。生理が6週間来ないと思ったら3週間たたないで来ることもあった。もう体がどうかしてた。

本当はたくさんの解決方法があったはずだ。でも当時の私にはそれを見つけることは難しかったと思う。なんとか見つけたのがよりによってこの最悪の方法だった。解決方法と云うより逃げる方法だったのだが。


性依存症を克服したのは21歳の時だった。
当時働いていたアパレルショップの年下の子に本気で怒られて心配されたのがきっかけだった。本気で怒られたのが初めての経験で頭が思考停止したのを覚えてる。多分ね、多分深層心理みたいなのがあって、誰かにこんなバカな自分を止めて欲しがってたんだと思う。気づかせてほしかったんだと思う。今思えば。

しばらく経ってからその子と付き合った。
すらっと背が高くて、色白でクールな印象だけど、可愛かった。笑った顔が子供みたいにすごく可愛くて、それが見たくてわざと笑わせることもあった。
年下で精神的に幼い部分も多かったけど、でも私よりもずっと大人な面もたくさんあった。

依存症もすぐには治らなかったけど、徐々に普通に過ごせるようになっていった。
まともな生活を送れるようになったときはまるで物語のハッピーエンドを迎えた気持ちだったのを覚えてる。ドラマや恋愛小説みたいに、困難を克服して物語が終わるみたいに。これからはずっと幸せなんだと思った。

私はその子のそばにずっといたいと思った。
私が大学を卒業したら一緒に東京で同棲しようと二人で決めた。
それでアパレルの勉強をして、二人でファッションデザイナーになろうって話し合っていた。
そのあとはどうしよう。
結婚もしたいな。
何歳までに子供産めたらいいかな。
子供ができたら名前はどうしよう。
ずっと東京に過ごせばいいかな。

未来のことをずっと話してた。
未来を話すのは素敵でしかない。
だってネガティヴが入らないから。
楽しさと希望と幸せしか期待してなかった。
その子といればどんなことがあっても幸せの真ん中に入れると思ってた。

人生で二回も死別するなんて誰も予想なんてできない。
そんなのはどうか小説の中だけで良かった。

2011年に起きた東日本大震災で目の前で家族が死んだ。
そして彼とも二度と逢えなくなった。

自分より大切な存在を、幸せを。
今度は絶対にこの手から離すまいと思っていたのに。
離れないように力強く握っていたのに。
幸せが消えてしまった。



さみしくてしょうがなかった。
一人の東京はたださみしくて心細くて。途方に暮れた。
でもそのさみしさを18歳の時のように紛らわさなかった(逃げなかった)のはなによりもあの子が私を助けてくれたからだと思う。そう思う。

それからは夢中で生きた。さみしさを紛らわすのと、悲しさを克服するのと、何よりも自分は幸せにならなくちゃと思ったのと。色んな目的で全力で走ってきた。

そしたら去年、体にガタが来てしまった。
心不全のもとをたどればピルの乱用からわずらった子宮筋腫と生理不順によるものだったの知った時は納得ではあった(他にも働き過ぎと云うのもあったが)。

30年生きてきて後悔は今のところない。
心不全も自分の行ったバカなことの報いだから受け止めよう。
ただ、死ぬ前にもう一回幸せになりたい。
一度とも幸せを知らない人は幸せがどんなものかは知らないだろうが私は知っている。その幸せをもう一度つかみたいのだ。最後は幸せで死にたいのだ。

そしてあの世で二人に逢ったら胸を張って再会したい。
精一杯立派に生きたよ、って。



今日で私は30歳になる。
随分と遠くまで来てしまったよ。
10年も長く生きてるけどもう一度幸せになるにはまだ足らないかな。
だからもっと生きてみたいと思う。

私の人生がどうか素敵でありますように。

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