末満健一氏によるハロプロ舞台は『ステーシーズ ~少女再殺歌劇~』、『我らジャンヌ~少女聖戦歌劇~』に続いて3作目。末満さんの舞台は「アイドルだからこんなもんだろ」でも「アイドルだけどここまでちゃんとできました」でもなく、ちゃんとアイドルとしての彼女たちの魅力や性能に向かい合った上で、それを使ってどれだけ面白い作品を作れるか、という姿勢が見え、これぞ私がアイドル舞台に求める方向性だと感じました。そしてそのクオリティに関しても『ステーシーズ』で全幅の信頼をおいていたので、安心して楽しむことができました。そしてまた、今の爛熟したアイドルシーンにおいても これだけの舞台を作り上げることができるのは やはりハロプロだけなのではないかとも思わされました。志しの高さ、 作品作りへの集中力、そして品の良さ。贔屓目かもしれませんが、末満さんが他のアイドルと組んだとして、これだけの作品に仕上がるビジョンがどうしても浮かばないのです。末満さん自身Twitterで「この内容をここまで魂込めてやってくれるアイドルがほかにどこにいるだろうか」とつぶやいておられますしね。
今回はサナトリウムという閉鎖空間での思春期の少女達によるゴシック・ホラー愛憎劇ということで、萩尾望都『ポーの一族』の影響が色濃く見て取れますね(というか今活躍してる世代の舞台人で萩尾望都の影響を受けていない人は少ないと思うけど)。すべての場面や演出が萩尾望都絵に余裕で脳内変換できました(笑) 実は私はハロプロ舞台において男役を何の必然もなく女性であるメンバーが演じることがあまり好きではないのですが、今回に関しては体現しているのが「萩尾望都絵の美少年」ということで、男性キャストが演じるよりもハロプロメンバーが演じていて大正解でしたね。
なんせコレだからね。ファルスー!
自分の中の繭期な部分に刺さる内容で、閉鎖された耽美な世界とそれが最悪の形で崩壊する絶望にクラクラしました。テンションが高いクライマックス部分も好きなんですが、それよりも私は中盤の、欠けたピースが一つ また一つと埋まっていって、はっきりと破滅の予感を感じながらも目を逸らすことができないあの追い詰められる感覚こそ最高にゾクゾクしました。
そしてシンプルな舞台セットで時間軸や場所を入れ子にして見せる演出が見事の一言。時には効果音一つ、スポットライト一つで別の時間軸の場面を挿入してみせたり。これは今までのハロプロの舞台では見られなかった要素ですね。そしてこれは志しとかアイドルへの姿勢とは関係がない 純粋に舞台人としての職業スキルの面でも今回のスタッフ(末満氏の領分なのか舞台監督の領分なのか?)が優れているという事なのでしょう。特に中盤の あちこちで始まったクランの崩壊を同時進行で見せる様は素晴らしたかったです。なにせまったく疾走感と緊張感が損なわれることなく、一つのステージ上でいろんな場面を行き来してましたもの。見ていて「舞台ってこんなに自由なんだ!」と感動しました。舞台は作り手の力量が物語の自由度にストレートに反映される表現なんですね。
リリー -鞘師里保 -
「あなたは永遠に独りぼっちよ」
クランにおいてシルベチカの失踪にただ一人気づき、その謎を追う少女。クランの真相を知った後は逆上し、イニシアチブを使って生徒全員を自死させた後に自らも死を選ぶ。しかしファルスの血の影響を強く受けた彼女の体は既に不老不死となっていた。永遠の孤独に突き落とされたことを悟った彼女の慟哭が終焉の闇の中に響き渡る。
鞘師について特筆すべきはやはり主役としての磁場でしょう。実は役どころとしてはリリーという役はかなり人を選ぶと思うのです。誰でもできるけど、誰にもできない。なんせ物語前半では感情演技の面で見せ場がなく、優等生的主人公に終始しているのですから。それでいてその「場」の基準点にごく自然に納まり、観客の意識を物語の主軸に引きつけておかねばならない。これには主役としての磁場が不可欠であったはずです。「鞘師が演じるリリー」という揺るぎない中心線があるからこそ、場所や時間軸が複雑に入れ代わったり、騒がしいコメディパートがあったりしても、スッと物語の主軸に戻ることができるのだと思います。
この舞台を初めて見た人は前半を見ながらこう感じるのではないでしょうか。
「リリーって主役なのに実はあまり見せ場がないな」
と。しかしそれは正しい感じ方でもあるのです。というのも、スノウの秘めた哀しみ、マリーゴールドの激情、シルベチカの決意とキャメリアの悲恋、そういったものに比べてリリーには誰かへの深い情愛を表す場面がないのですから。シルベチカを探すにしても「自分だけが覚えている」という謎を追っているだけで、シルベチカへの特別な想いがあるわけではないようですし、ダンピールとして差別されていたマリーゴールドに普通に接したのも優等生としてただ平等に接しただけに見えます(だからこそリリーはマリーゴールドのあれほどの想いに対し基本的にはリアクションも返さない)。先程も述べた通り、いかにも主人公然とした優等生でしかないのです。しかし実はそれこそが製作者が仕掛けた罠であり、必然の結末へと導く伏線なのでしょう。そう、彼女は他の生徒のように深く誰かを愛してはおらず、自分のことしか見ていない。だからこそリリーはクランの恐るべき真実を目の当たりにした時、逆上した感情のままに全生徒を巻き添えにする道を選んでしまいます。それは実に自分勝手な行動です(特にファルスの意図を理解した上で協力していた紫蘭・竜胆に至ってはとばっちり以外の何物でもない)。「みんなを呪いから解放しただけ」なんて言っていますが、とてもじゃないけど深い考えや同級生たちへの思いやりがあっての行動には見えません。
スノウの哀しみに寄り添っていれば…
マリーゴールドの想いを受け止めていれば…
チェリーとの距離をもっと詰めていれば…
ローズたちのように楽しく仲間と一緒の時間を過ごしていれば…
シルベチカのように誰かと愛し合っていれば…
紫蘭と竜胆のように支え合う誰かがいれば…
クランの中に深く想う誰かがいれば、きっとあんな事をする前に思い止まる事ができたはずなのです。 でもそうはならなかった! だからこそ… だからこそ彼女は 物語の結末において、もっとも残酷な罰を受けることになるのです。終焉の闇の中で彼女が上げる絶望の叫びは、もう一匹の愛を知らぬ化け物-TRUMP- の誕生の産声でもあるのでした。誰も愛さなかった彼女は、その行く末まで含めてまさにファルスの写し鏡。そして…
「私を忘れないで」という少女たちの祈りは、 永遠に彼女を苦しめる最悪の呪いへと その意味を変えるのです。
スノウ-和田彩花 -
「醒めない方がいい夢もあるのよ」
クランの中で騒がしい少女たちから距離を置き、ひとり読書に耽る寡黙な少女。シルベチカのことを覚えている様子で、リリーにシルベチカを探すことをやめるよう忠告する。実はリリーと同じくクランの最古参であり、血清薬を飲み続けた結果、ファルスの記憶操作を受け付けなくなっていた。それでもシルベチカのように自ら死を選ぶおとはできず、クランで生き続けている。仲良くなった相手が自分の思い出を忘れてしまうという経験を繰り返した結果、思い出を作ることそのものを拒否し、仲間と距離をとる道を選んだ。
「周囲がどれだけ騒がしかろうと その内面に侵せざる静寂を抱く少女」-これを演じるのに和田彩花ほど適したメンバーはいないでしょう。いや、別にスマイレージの楽屋が騒がしいと言ってるわけではなく(w 少女側メインの3役はそれぞれの特性が最大化されるよう配置されていましたが(鞘師=磁場、田村=圧倒的スキル)、あやちょの特性とは存在感そのものであったと思います。特にその声。スノウはクランの真相を知りながら物語後半までそのことを黙している役、つまり 前半では自身の心情をひた隠しにしています。当然そこには派手な感情演技はないわけだけど、それでもその状態で 「物語上の最重要人物」 である事を観る者に確信させねばならない。これは演技スキルだけでは難しい部分であり、彼女の佇まい、ビジュアル、そして何よりその声の存在感が不可欠であったように思います。『TRUE OF VAMP』において歌唱力に勝る田村芽実とのガチ勝負で拮抗できるのも、この声の存在感あってこそかと(欲を言えば、その特性を極限まで際立たせるために、前半の演技をもっともっと抑え、それこそ棒読みのレベルまで抑えてみても面白かったように思います。それでも「何かある」と伝わるだけの説得力が彼女の声にはあったハズ)。そんなわけで、サントラCDは現場で聴く生歌と比べれば物足りなさを感じてしまうものですが、その中で スノウの独唱 『幻想幻惑イノセンス』 だけはその声質を魅力の原資としている分、現場で聴くのに近い魅力を有しているように感じました。
かつての親友を一方的に想い、なおかつ知らないフリをしているという点では『魔法少女まどかマギカ』における暁美ほむらの役所を連想させますが、ほむらがその想いを最終的にはまどかに受け止めてもらい「報われた」瞬間を迎えたのに対してスノウはどうでしょう? 「私とあなたは親友だったのよ…」といまわの際にリリーに告げましたが、これを受けてリリーがスノウとの記憶を取り戻したという描写はありません。そのあたりがこの舞台のストーリーの絶望が深い部分でもあります。
ファルス-工藤遙 -」
「僕はね…死ぬことができないんだ」
貧血気味の少年。その正体は真なる吸血種 「TRUMP」であるソフィ・アンダーソン。永遠に生きる自身の孤独を埋めるために、800年前にクランを創設した。自身の血を使った血清薬「ウル」を飲ませることで少女たちの若さを保ち、時にその記憶を操作することでクランを維持している。
末満氏が以前に手がけた世界観を共有する舞台『TRUMP』の登場人物ソフィ・アンダーソンであったファルス。『TRUMP』の劇中においては意に反してTRUMPから永遠の命を与えられたのに、その彼が永劫の時の中で狂気を育み、かつてのTRUMPと同じ因業を繰り返しているという救いのなさ。ファルスの正体が明かされるシーンでは、観に来ていた『TRUMP』ファンの方々が悲鳴を飲み込んだとか。
そのハスキーボイスから来るはすっぱな響き、自惚れ屋で生意気なのにどこか憎めない愛嬌。私の本能が語り掛ける…こいつは男の敵だ! 前半は舞台をひっかき回す自惚れ屋でお調子者のイケメンとして、後半は孤独に狂った黒幕のTRUMPとして、舞台上を縦横無尽に活躍していました。出演時間の多さ、セリフの多様さ、そしてクライマックスでの熱演と絶叫、あらゆる意味で難しい役どころであったと思いますが、工藤さんは体当たりで見事にやり切ってましたね。役者としても一つ上のステージに上がったのでは(しかし「女優」と呼ぶには抵抗がw)。そりゃあ共演してるキャスト陣はイケメンとかそういうんじゃなくても惚れますわ。『ステーシーズ』の頃にはテンションが高まると早口になるクセが結構見られましたが、今回はそれも解消され、語尾のニュアンスも含めた演技まで、見事に一つの人物を作り上げていました。
さようなら、ファルス、ソフィ・アンダーソン。工藤 遥☆
またblogを見ると自分が演じたファルスというキャラクターに対する愛情がひしと感じられます。ソフィの愚かさ、哀しさ、そのすべてを愛おしみながら、せめて舞台の上での生を全うさせてあげようと熱演していたのでしょう。その渾身は見た人すべての胸を打ったことと思います。
ところでファルスさんは真相がバレた時にあんな偽悪的で派手な演説をぶたずに普通にリリーを説得してたら全てが丸く収まったような気がしないでもないです。あとなんか純潔に拘ってたけど、よく考えたら彼の孤独を癒すのに少女たちが純潔である必要は別にないので、こいつただの変態なんじゃねーかという気も。
冒頭の キャストが順番に紹介されるキャストパレード 『Eli.Eli.Lema Sabachthabi?』 でのファルスが出て来た時のラスボス感がハンパない。『愛の軍団』の間奏明けでの道重さんを彷彿させます。
『共同幻想ユートピア』は音源版だとサビまでファルスのソロなんですが、舞台では間の英語部分は全員歌唱でここでモブが登場してましたね。英語部分をユニゾンにしたことで、その後のサビ前のファルスのソロパート「時よ止まれ 君に永久の美しさを」がより際立ってました。
ちなみに14日昼のアフタートークショーによると工藤は少年役がハマり過ぎていて、キャスト陣が楽屋で工藤と一緒に着替えていると「ファルス…」と微妙な空気になるそうです (w
マリーゴールド-田村芽実 -
「あの子と、話さないで欲しいの…」
人間とヴァンプの混血であるダンピール。クランに入る前の人間世界でも、そしてクランに入った後も、混血として迫害され誰からも愛されずに生きて来た。そんな時に唯一手を差し伸べてくれたリリーに信仰にも近い愛情と執着を抱く。リリーとスノウの間の分かち難い絆を本能的に感じ取ってかスノウを敵視、マーガレットとその取り巻きのイニシアチブを奪ってスノウを殺すように命じる。
いや凄かった! 演劇子役の経験があることは知っていたけど正直ちょっとなめてました。他のメンバーの演技だって素晴らしくはあったんですけど、めいめいの演技ははっきりと立ってるステージが違いましたね。それこそ月影先生が「ついに見つけたわ…」と呟きながら杖を落とし、亜弓さんが目を真っ白にするレベル。彼女がいるだけで舞台全体の格が一つ上がった気すらしましたから。多分「アイドルの舞台だってぇ?」と軽い気持ちで見に来たどんな演劇人も、彼女一人がいることで決してハロプロ舞台をなめる事はできなかったと思います。私も彼女の演技を見るためだけに秋のスマイレージの舞台も申し込んじゃいましたもの。マリーゴールドは登場人物の中では唯一クランに入る以前のこれまでの人生が語られる役。そういった役柄が割り振られたのも、めいめいの演技スキルだけが「それまでの人生を踏まえた役作り」というレベルに達していたからなのでしょう。内面に抑え込む演技を末満氏から指導されていたそうですが、前半の抑制された演技からも、その背後にある激情をビンビンに感じさせてくれます。しかもそれが明らかに決壊寸前の気配を見せていて、「こいつ絶対ヤバイ…!」感がハンパない。そしてついにその激情を一気に解放する魂の熱唱『もう泣かないと決めた』。ここを頂点に据えた演技の組み立てプランが見えた時点で勝ったも同然だったのでしょう。実はこの舞台でステージ上で完全に独りになって歌うシーンはこの『もう泣かないと決めた』のみ。あの破格の間をとった独唱タイムは、雰囲気や佇まいといった資質ではなく、地を這う努力によってしか身につかない種類の「スキル」に対して、同じ表現者たる製作者陣が敬意を表しているのだと思っています。
マリーゴールドは愛された経験がないが故に、リリーに優しくされた事を心の拠り所として縋り付きます。リリーのそれが実は「無関心であるが故の平等」に過ぎないというのが どこまでも救われないところ。同時にそれに気づかずに盛り上がっている点から見ても、マリーゴールドの愛もまた自分勝手でいびつに歪んでいます。愛されたことがないから、愛し方もわからない。愛されずに生きるというのはどこまでも悲しい。
シルベチカ-小田さくら -
「私を忘れないで」
勿忘草。forget -me- not 「シルベチカなんて知らないわ」。クランから失踪し、少女達の記憶から消えた少女。リリーだけがその存在を覚えている。ソフィから与えられる永遠の命を否定し、若さを保つ薬を飲むことを拒む。薬を断った反動で老いさばらえた姿を愛するキャメリアの目から隠しつつ、塔から身を投げて自ら命を絶った。しかしそれは50年も前のことだった。
シルベチカ、クランを辞めたってよ。不在による遍在。少女たちの記憶の断片として、割れて散らばったステンドグラスのように ハレーションを起こしながら舞台上に現れては消える幻影。物語の序盤において、その不在とそれにまつわる謎が物語を牽引する縦軸となります。最後までそれを主軸としていても面白そうなほどその不在(=存在)は魅力的ではありましたが、その謎はやがて「ソフィの正体と目論み」という真相に辿り着いた時点でそちらに主軸を明け渡します。
小田さくらは信じ難いことにこれが初舞台。そのスキルから歌の面である程度優遇されることは予測されていたけど、それでも舞台の幕明けを堂々と独唱で飾る『Forget-me-not~私を忘れないで』に始まり、リリーとのデュエット『或る庭師の物語』、そしてキャメリアとの愛を歌う『あなたを愛した記憶』と、これでもかと披露されるその歌声には改めて震えさせられました。モーニング娘。への加入当初は声の強さと節回しによる歌唱スキルがまずは目についた彼女でしたが、2つのツアーを経て歌に込めるソウルの面でも格段にエヴォリューションしています。また小田イズムと言われる彼女独特の感性もその醸成に多いに貢献しているようで、特にこの舞台では、小田さくらによる作品世界への理解、シルベチカという人物への理解、そして作劇上のシルベチカが果たす役割への理解が、その歌に説得力を付与していたように思います。物事を理解し、そしてそれを客観視できる能力。彼女のそうした特性はポップシンガーよりもむしろミュージカルシンガーの方に適正があるのではないかと思わせるほどに。
また、元より独特の雰囲気を纏ったメンバーではありましたが、その空気感は舞台でも存分に発揮されていました。特にそのビジュアルは、キャスト陣の中で格別に美人というわけでも、年長というわけでもないのに、あの中で唯一「男に全霊で愛されたことがある女」であることを見る者に納得させます。これがまだローティーンなのだから恐ろしい。末満氏から見ても「演技未経験とは思えなかった」そうな小田ちゃんですが、彼女にとっては日常の全てがある種の演技であるような気がしてなりません。blogの自撮りも含めて。
キャメリア -中西香菜 -
「あれ? 僕はどうしてここに…」
愛する女性(シルベチカ)の記憶を奪われ、何を失ったかもわからず、ただ喪失感だけを抱えてクランを彷徨う憐れな少年。身を焦がした愛すら自在に操られてしまうという恐怖と哀しみ。自分という存在の依って立つ支えさえ失う底抜けの不安。
普段は生意気に振る舞っているけど、本当に奔放なファルスの無茶を前にすると気弱な地金が見えるという絶妙の格下感。
めいめいのように歌声が太く強いわけでもなく、工藤のように元からボーイッシュなイメージがあるわけでもない彼女の男役への起用はいかにも不安がありました。しかしその熱演と「憐れな少年」という役柄とのマッチングもあって、私の不安を見事に払拭してくれました。シルベチカとのデュエット曲『あなたを愛した記憶』ではスマイレージのシングル曲では活かされる機会の少ないポテンシャルを示し、あの小田さくらと堂々と歌い競ってみせた。本人もラジオで語っていた通り(「スマイレージステーション1422」 2014.06.08)、ミュージカルの曲の方がキーが低くて歌いやすいようです。「スマイレージはシングル曲なら知ってるんだけど」という私のような者にとっては、この演劇でもっとも評価が上がったメンバーでもあります。
マーガレット -佐藤優樹 -
「キャハ☆ ドブネズミの臭いがするぅ~☆」
常に3人の取り巻きを引き連れた、天真爛漫で高慢なお嬢様。繭期の妄想で自分が某国のプリンセスだと思い込んでいる。ダンピールであるマリーゴールドを苛めていたが、逆にマリーゴールドに噛まれてイニシアチブを奪われ、その下僕と成り果てる。
作劇上マリーゴールドの心を追い詰めるために 彼女の現在の居場所を奪う役柄が必要なわけですが、ストレートにマリーゴールドを苛めたのでは苛める側があまりに憎いらしい悪役となってしまう。そのためプリンセス妄想とまーちゃんの天真爛漫成分で中和させたのでしょう。そのために『プリンセス・マーガレット』という可愛いらしいダンスを伴うテーマソングまで用意してファンが愛する「まーちゃん」の明るい個性を存分に見せつけています。しかも物語後半にその明るさを跡形もなく奪うことで、人格の根幹すら消し去るイニシアチブの恐ろしさを観客に印象づけることができて一石二鳥という。見事としか言いようがない作劇の組み立てですね。この両極端な演じ分けをまーちゃんはどこまで理解して演じているのか? まぁ、シリアスなはずの群舞で笑っちゃってるとこを見るとわかってないんだろうなw 「バターンキュー」の発音が可愛い過ぎて聞いてるこっちがバターンキュー。前半の明るく甘い発声が往年の辻ちゃんを彷彿させます。「しもてはけ~」。
ちなみにこの退場時のセリフ「上手(カミテ)にハケるわよ!」は他に「じょうずにハケるわよ」→「カミテです姫姉様!」など、いくつかのバリエーションがありました。
ジャスミン-田辺奈菜美、 クレマチス-加賀楓、 ミモザ-佐々木莉佳子
「姫姉さま!」
マーガレットの取り巻きの下級生3人衆。マーガレットと同様、苛めていたマリーゴールドにイニシアチブを掌握され、その下僕としてスノウの命を狙う。
何やら可愛かった気がするけど、4人の出番では基本的にまーちゃんを見ていたので…(汗 群舞でシリアスな顔で踊る佐々木さんは美しかったです。あれはシリアスが映える美形だわ。「姫姉さま」って呼び方、『ナウシカ』以来で聞いたな。
チェリー 石田亜佑美-
「おいとくんかーーい!」
基本的には3バカトリオと共に行動をしているが、何かとリリーにからむ。
基本的にはコメディリリーフなんですけど、リリーに対して何かを説明したり、本筋の事態を進行させる役割を担うことも多い。出番が比較的多い割にはチェリーの内面にスポットが当てられる場面はなく、担当する歌にしても、『ひとりぼっちのスノウ』や地下室での『秘密の花が綻ぶ』など、人物や場面の説明に終始しているというやや損な役どころか。『ステーシーズ』、『ごがくゆう』と準主役級の役が続いただけに、ややもの足りなさを感じますね。まぁ、今回も動きのキレとテンポで魅せるコメディエンヌとしての反射神経は十分に見せてくれましたが(あと弾丸を避ける脅威の運動神経もw)。他のキャラの役作りがこれしかあり得ないという最適解を感じさせた一方で、チェリーだけはいろんな演じ方を見てみたい気にさせる役ではありました。あとチェリーがリリーの立場だった場合、どのような物語となったかも想像すると楽しいです。
チェリーは3バカトリオほど常にツルんでるわけではなく、かと言ってリリーたちシリアス組のノリにも馴染んでるというわけではない中途半端なポジションで、実はマリーゴールド並みに孤独なんじゃ…と心配したり(友達が少ない石田さんにはある意味ピッタリ)。なんだかんだでチェリーは「薬の時間よ」とリリーの手を引いたり、マーガレットに臭いと苛められたらリリーにすがりついたりと、リリーと仲良くなりたいって気持ちは強かったはず。…けどそうはならなかった! チェリーの気持ちが実っていればあの結末は避けられたはずなのに。まぁ、実らないよね。「チェリー」って名前はそういうことでしょ?
カトレア -竹内朱莉-
「退屈過ぎて女豹よ」 クランの「明るい日常」を担当するコメディリリーフ(3バカトリオ)の一人。常に元気を持て余し、何か面白いことはないかとボヤいている。おバカならではの行動力で立ち入り禁止の地下室に辿り着き、クランの隠された真実の手がかりを見つける。
ローズ -鈴木香音-
「あんたもつき合うらしいわよ」 3バカの一人。行動的なカトレアに振り回されているがつき合いはいい。主にツッコミ担当。
ナスターシャム -勝田里奈-
「拳でねじ伏せる」 3バカの一人。絶妙の空気感でつぶやきボケをかます。
3バカが描き出す「明るい日常」があってこそ、後半の凄惨な展開が際立つ。バカ元気、ツッコミ、天然ボヤきの割り振りはメンバーの個性とも合致していて無理なく楽しめます。ただ、そうは言ってもこの3人のやり取りは騒がし過ぎだったような気もしないではない。『ポーの一族』において語られたようにヴァンパイアの伝承は「生きることのあまりの辛さから 永遠の生に憧れた人間が作り出した」ものなのです。当然、クランも「少女たちを閉じ込めた悲惨な場所」であると同時に、観客にとっての「どこかに存在していて欲しい、行き着くことの叶わぬ永遠の楽園」でもあります。なので3人があまり騒がしくすると、そのクランが憧れの園ではなく、やたら騒がしい俗世的な場所に見えてしまうのです。あと個人的には「STAP細胞」云々とか「ドラクエ」だとか舞台であることをメタ視したネタを挟むのは世界観を損ねるので避けて欲しかった。ギャグは「壁ドン…!」ぐらいのバランスが好きです。
3バカトリオとチェリーが地下室で隠された真実を知り、冒頭から一貫してクランの陰陽の「陽」の部分を担って来た4人が いよいよ「陰」の部分へと足を踏み入れた時、ついにクランの崩壊が雪崩式に始まります。その幕開けを飾るのが4人で歌われる 『秘密の花が綻ぶ』。当初発売されたCDでは収録されていないのが残念でしたが、DVDの特典CDにてめでたく音源化が実現しました。
関係ないけど「3バカトリオ」って「頭痛が痛い」的に意味がかぶってますね。
紫蘭 -福田花音 -
「永遠の繭期を終わらせてはならないのだ」
竜胆とともにクランの監督生を勤める “お姉さま”。実はクランの真実とソフィ・アンダーソンたるファルスの意図を知った上で、永遠の若さを維持するためにファルスのクラン運営に協力している。中二病をこじらせたような「~のだ」しゃべり。
「実は謎の真相を知っている」というのは損な役どころで、素の心情を語るわけにはいかないので、必然的に心情演技面での見せ場は少なくなってしまいます。これはスノウにしても一緒ですが、スノウの場合はまだ「真相を知ってる」ことを仄めかす場面でフィーチャーされてますからね。歌にしても『繭期のティーチング』みたいな設定説明ソングになってしまうし。それが巧いからこそまた惜しくもあり…。紫蘭に関してはまだ「~なのだ」口調でキャラが立ってたのと、ムチやマスケット銃といったフェティッシュな小道具があったこと、『葬送終曲 聖痕(スティグマ)』に雪崩れ込む場面のマリーゴールドと重なり合う「我は守護者なり!」のセリフ部分があったので、まだ見せ場はあったと言えるでしょうか。
「~なのだ」と 身の丈に合わぬ口調で心に鎧を纏っている彼女は、同じ秘密を分かち合う竜胆と2人きりの時だけは弱音を吐きます。そしてそんな紫蘭を優しく慰める竜胆…。普段は勝気な紫蘭が竜胆を牽引しているように見えて、実は精神的に優位に立っているのは竜胆…。そういった関係性の逆転が見える場面がもっと用意されていれば、2人のキャラクターはより百合百合しさが深まって良かったかと 。
竜胆 -譜久村聖 -
「お館様がなんとかして下さるわ」
紫蘭と共にクランの監督生を務める上級生。「~なのです」という紫蘭より穏やかな口調で話すお姉様。
ソフィのクラン維持に協力しているが、紫蘭ほど積極的なわけではないようにも見えます。どちらかと言えば親友・紫蘭の意志に寄り沿うというモチベーションの方が強いのかもしれません。もしくは逆で、竜胆の願いを叶えるために紫蘭が暴走しちゃってるパターンか。いずれにせよ、実はこの2人は物語中で唯一 「秘密を分かち合う者同士のカップリング」 なのです。そこには濃密な感情があるはずで、キャラクターとして掘り下げ甲斐はありそうでした。しかし、おそらくは尺の問題と主軸がブレる恐れから却下されたのでしょう。残念。
それにしてもゴスロリ衣装の彼女は美しかった。単純なビジュアル面での美しさはキャスト陣の中でも群を抜いていたと思います。概ね、ビジュアルと役柄のマッチングが見事であったこの舞台の中で、彼女の突出した美しさだけが物語の中に十全に活かされておらず、通行人A役をトム・クルーズが演じているかのように、配役の重要度とビジュアルとの相関を阻害していたように思います。例えばですが--このクランに唯一の人間である庭師の老人。その老人が少年の頃に一目惚れした相手こそ竜胆であり、彼は人としての幸せをすべて捨て、そのままこのクランで何十年と変わらぬ姿の彼女を愛し、見守り続ける人生を選択していた -- とか、それぐらいのバイエピソードがあって初めて彼女の美しさは物語とのバランスが取れるものだったように思えます。というかそれだけで一本劇ができそう。これだけのビジュアルでサブリーダーというポジションもあり、それでも『ステーシーズ』、『ごがくゆう』に続き活躍の少ない役柄っていうのは、やっぱりふくちゃんの演技力に問題があるってことなんでしょうかね…(汗
あとOP『Eli.Eli.Lema Sabachthabi?』での「風がたどる~ Distonation!」のパートが最高に好きです。
■『ステーシーズ』との比較
実はインパクトとしては『ステーシーズ ~少女再殺歌劇~』の方が強くはありました。やはりあちらには男の愚かさを仮託する自己投影の対象が登場するので、男としてはガッツリ感情移入できましたから。そして男性と対比させることで少女の少女性といったものはより鮮明に描き出されていたように思います。また儚く美しい少女たちの実像が呻き声を上げ涎を垂らすゾンビであるという、あの幻想の美と現実の醜の落差の大きさがそのまま見た者の心の振れ幅の大きさとなっていました。
ただ、やはりメンバーの出番が多いことと、ストーリーのまとまり、ギャグパートのバランスの面では『LILIUM』の方が良かったようにも思っていますし、何よりボーカル的な見せ場という点では『LILIUM』が圧倒していました。まぁ、どちらも良いか悪いかと言うよりは「すごい! すごいものを見た!」という感想が一番なのですが。『LILIUM』は当日券を買い足して何度も見、一方『ステーシーズ』はその作品世界に打ちのめされてしばらくあっちの世界から帰って来れず一度しか見れませんでした。『LILIUM』がより「好き」で、『ステーシーズ』の方がより「刺さった」という、受けた感動の質が違ったのですね。あと『LILIUM』は残酷劇(グランギニョル)とは言え、一貫して耽美的で美しくはありましたからね。醜いものを排斥したユートピア。対比は現実世界である「こちら側」と行うものなのでしょう。
P.S.
しかしあの結末って、「思春期に人を愛せないと、その後 地獄の一生を送ることになる」という事の暗示だと思って見ると、また別の種類の恐ろしさを感じますよネ…。
※)特に言及はしませんでしたが、TRUMPとの関連についてはこちらのサイトを参考にさせて頂きました。
ステーシーズからハロプロ好きになったTRUMP観劇済D2クラスタによるリリウム観劇ネタバレ