イヴァン・シェレポフ3
―突撃に参加することは頻繁にあったのですか?
何と答えたものかなあ?あったことはあったよ。ただ、一口に突撃と言ったって色々だからね。例えば、ドイツ軍の攻撃が頓挫し、敵が退却を始めた時に、「着剣!」の号令がかかって、それから前進!という具合にことが運ぶ場合。ドイツ兵の腹を切り刻み、やつらの塹壕に飛び込む。そしたらすぐに一生懸命穴掘りだ。何とか道を塞いでやれるかもしれん。敵も30分くらいで我に返り、こちらを陣地から叩き出そうと攻撃してくることは間違いない。もしも足場を固めるのが間に合わなければ、どうしたって追っ払われるよ!砲を運び込まないうちに敵の機械化歩兵が現れるともうおしまいだ、あっさりとやられちまう!だが、1門でもこちらに砲があるのなら、連中にはどうすることもできんね!これに対抗するには戦車だの砲だのが必要なんだが、どこからそんなものを持ってくると思う?今の映画を見ると、ドイツ軍は攻撃をかけるごとに大量の戦車を繰り出してきたかのような描かれ方だ。だが実際のところ、彼らはそんな戦い方をしてはいない。勿論、ドイツ軍も戦車を持ってはいたが、しかしいつでもどこでもというわけにはいかんからね!彼らはよく、1両か2両の戦車を繰り出してきたが、その戦車はというと遠くから弾を撃ち込み、こちらの歩兵を追い払うだけでもう満足しちまうのだ!それ以上は近づいてこないよ!連中だって命は惜しい、好きこのんでこっちの砲の餌食になるつもりはないだろう?彼らは威力偵察を行って、我が軍の砲兵陣地の位置を記録すると、あらゆる手段を用いて制圧しようとした。飛行機だとか、砲だとか、迫撃砲だとかを使ってね。だから、砲兵たちはすばしっこく陣地を変えていたなあ!さっきまで私たちの後ろに壕を掘っていたはずなのに、1時間ほど経ってから振り返るともういない、すでに陣地を変更しているという具合さ!
ただ、私の話を聞いていると、戦車なんか簡単にやっつけられると思うかもしれん。そんなことは全くないからね!1両を炎上させるにも1個中隊総がかりで、苦労に苦労を重ねてようやく仕留められるのだ!その間に半数は蹂躙されるし、おまけに機関銃で撃ってもくる。もしもドイツの戦車がこちらの対戦車砲を破壊したなら、彼らはしばしば塹壕沿いに戦車を走らせ、兵隊をみんな押し潰してしまった。もっともこれは後になってから、私たちが塹壕を掘るようになってからの話だけれども。―それ以前はどうだったのですか?
41年当時はほとんど[塹壕を]掘らなかった。あの頃は1人か2人用の壕を、小隊ごとに分かれて掘っていた。
―そうしたやり方の長所と短所を教えていただけますでしょうか?
短所といったら、まずは埋もれてしまうかもしれないということ[何故埋もれてしまうのかは不明。衝撃に弱く崩れやすかったのか?]。それが第一だ。他には…周りのことが何も分からなくなってしまう、これも問題だよ!戦いは続く、四方八方から凄まじい轟音が聞こえてくる、[それなのに]命令は聞こえないし、何も見えない、こんなことでは部隊を指揮しようったって到底上手くいくものではない。兵隊がみんなバラバラになっているのでは、指揮なんかできっこないだろう?それに、野原の真ん中に穴を掘って籠もっていたらどんな気分になる?他の連中が何をやっているのか、全く分からないわけだから。みんなやられていて、生き残ったのが自分1人だったらどうする?全ての敵が自分を狙って撃っているような、そんな感覚にとらわれるんだ。あれは本当に恐ろしいものだよ!
だが、我が軍の指揮官たちはすぐに状況を理解し、背丈一杯の深さや、もしくはその半分の規模での塹壕を掘るよう兵たちを教育するようになった。何しろ、壕を掘るのにも大変な技術がいるんだからなあ!個人用の壕も塹壕も、そこいら中に掘れるわけじゃないんだ!こちらを掘れば石に突き当たり、あちらを掘れば水が出てくる、という具合だよ!時にはくるぶしまで、あるいは膝まで水に浸かって戦う羽目になった。他の場所に壕を移す余裕がなかったり、「戦術上の理由により」動けなかったりでね。そういう時には、水の中へ立たなくてもすむよう、壕は半分の深さに掘った。もっとも、そんな塹壕はすぐに埋もれてしまって、1時間も経つと陣地がどこにあるのかさえ分からないようになる。イヴァン・イグナーチエヴィチはバラトンの戦いの経験者である:
―イヴァン・イグナーチエヴィチ、あの戦いを「下から」の視線で振り返ってみて、何らかの詳しいお話しを聞かせていただくわけにはいかないでしょうか?
そもそもの始まりから話した方がいいだろうと思う。ハンガリーでのあの戦いが起きる少し前、3度以上の負傷を経験した兵士を選抜するらしい、との噂が軍の中で流れた(原註:イヴァン・イグナーチエヴィチは戦争の全期間を通して4回負傷している)。アメリカとの戦争が予想されるので、これに備えて経験豊かな人材が必要なのだが、負傷の回数はその兵隊の品質保証の代わりになる、というような話だった。そして実際、私たちの大隊に1人の少佐がやって来て皆を整列させ、名簿を見ながら何人かを選び出し、その中に私も含まれていたわけだ。車に乗せられ、連れていかれた。少尉候補生としての教育を受けるためにね。しかし私は、ええと、どうにも思い出せんが、確か1か月くらいしか教育を受けられなかったと思う。というのは突然、私たちは全員整列させられ、武器を受け取り、車でどこかへ運ばれたのだ。着いた先は野原で、そこに壕を掘れという命令だった。小銃と手榴弾の他には武器なんて何ひとつないんだよ。1個中隊に軽機関銃は2挺のみ。私たちはどこにいるのか、付近や後方にはどんな部隊が配置されているのか、砲兵陣地の所在地は等々、全く分からないままだった。強烈な砲声が聞こえ、近くで砲弾の炸裂も見えたから、一番「前」[最前線のこと]まですぐの場所だということだけははっきりしている。中隊長は行ったり来たりしながら、気合いを入れて壕を掘るよう怒鳴って回った。だが、結局のところは誰も間に合わなかった!私たちがきちんとした壕を掘る暇もあらばこそ、まず最初に「メッセル」が低空でこちらの頭上に飛んで来、続いて「シュトゥーカ」が現れた。だが、これらの編隊は何故か私たちの陣地を通りすぎ、右手に位置していた何とかいう町、名前はもう思い出せんのだが、そちらの方へ飛んでいった。友軍[の戦闘機?]が待ち構えていて、激しい戦いが始まった。
炸裂音はますます近づいてきたのだが、私はその中にエンジン音を聞き分けたように思った。戦車だ!私たちの陣地は、大きな丘の反対斜面に築かれていた。私は稜線を凝視し続けた。そして、味方の偵察隊がこの稜線を越え、私たちの方へ駆け込んでくるのを見たんだ。彼らは中隊長のところへ駆け寄り、何事かを説明すると、隊長はこれを聞いた後で命令を下した。
「戦車撃退戦用意!」
もっとも、そう言うだろうとはとっくに分かっていたけどね。私らの中に「ひよっこ」なんていなかったから。皆、塹壕とも個人用の壕とも堀ともつかない掘りかけの穴に身を隠し、枝だの芝生だの、手に入る材料を片っ端から使って偽装を施した。
勿論、私たちはほぼ間違いなく死すべき運命にあるだろうとは思っていた。機関銃もなく、砲もなく、戦車に対してはまるで無力な存在だったから。手榴弾だけはあったけれども、これで戦車を倒すのはとてつもなく難しいからなあ!―それはどうしてですか?
つまるところ、相手は鉄でできているのにこっちはそうじゃないってことなんだ。戦車は砲だの機銃だので撃ってくる。匍匐で接近しなければ倒せない。だが、踏み潰されればそれでおしまいだ。戦車を撃破すること自体が難しいのに、手榴弾でとなると尚更だった。もしも戦車の乗員が「ひよっこ」ならばまだチャンスもあるが、古強者が乗っていたりしたら、ほとんど可能性はないと言っていい。残念ながら、敵戦車がいきなり向きを変え、こちらを踏みつぶしにかかる時になって初めて、その乗員が何者であるかが分かるんだ。もしくは、機関銃を撃ちかけてくるその瞬間にだね。そもそも戦車なんかどうやって撃破すると思う?私たちは対戦車手榴弾を支給されてはいたが、これは重戦車相手には効果がない。それに、手榴弾がありさえすれば戦車を炎上させられるわけじゃないからね!攻撃を成功させるには技術と、冷静さと、正確な計算が必要だった。戦車に接近するのは難しいが、それにも増して困難なのは、相手を破壊できなかった場合に逃げ戻ってくることだ。戦車の履帯を破壊するパターンが一番多かった。そうなればしめたもので、フガス地雷を突っ込んでやってもいい。ただし、乗員が戦車から逃げ出すとは限らず、そのまま撃ち続ける場合もある。戦車は必ず炎上させなくてはならないのだよ。
で、あの時の私たちはビン(原註:いわゆるところの「モロトフのカクテル」である)さえも持っていなかった。あるのは手榴弾だけで、それも大部分は「安物」でしかない[威力のない小型手榴弾という意味?]。まさにこの瞬間、稜線上に人影が現れたかと思うと、全速力で私たちの陣地の方へ駆け込んできた。つまり、ついに友軍の第一線が突破され、戦車と機械化歩兵の大群がこちらへ押し寄せてくるということなのだ。―どうして機械化歩兵が来ると分かったのですか?
戦車に機械化歩兵を随伴させるのは、ドイツ軍がよくやる手だったからね。だから、彼らは非常に大きな攻撃力を発揮することができた。
―その後でどうなったのですか?
その後でドイツの戦車が現れた。それも、いきなり10両近くがかたまって、高速で突っ走りながら、我が軍の歩兵に機関銃を浴びせてくる。「ついにこの時が来た!」という考えが私の脳裡をよぎった。愚かな考えとしか言いようがないんだが。本当に恐ろしかった。何しろ戦車が攻撃してくるんだよ!彼らは停止せぬまま主砲までも撃ちかけてきた。新兵に対しては非常に有効なやり方だ。実際のところ、止まらずに撃ってもほとんど結果は望まれないのだが。しかし、心理的な効果という意味では抜群だ!私は今までに同じような攻撃を経験したことがあるにも拘わらず、やはり圧倒された。逃げてはならないと分かってはいても、脚が勝手に動いてしまうのはどうしようもない。私たちは敵戦車をやりすごし、[これに続いてくる]機械化歩兵を阻止することになっていた。だが、戦車は向きを変えるとこちらの陣地に沿って走り、私たちを蹂躙し始めた。私が見ている前で、そのうちの1両が地雷で爆破された…
―地雷は誰が仕掛けたのですか?
工兵小隊が、ギリギリのところで道路へ地雷を仕掛けるのに成功していたんだな。あの地雷で2両が破壊され、1両はそのまま燃え上がったが、もう1両は転輪を破壊されながらも長いこと撃ち続け、最後は取り囲まれて炎上した。こんな風に話すと英雄的に聞こえるかも分からんが、しかし私はあの戦いで英雄的なものなど何ひとつ見てはいない。ただ、ドイツのパンターの履帯が赤くなっているのを目にしただけでね。赤いのは血に染まっていたせいなんだが、それに気づいたのは後になってからだ。そもそも、あの時の戦いで自分が何を考えていたのかはまるで思い出せない。あの戦い自体、うすぼんやりとしか憶えていなくてね。私は1両の戦車を撃破したということになっているが、これが本当に「私の」戦車なのかは自信がないよ。多分、司令部にとっては、死んだ英雄よりも生きた英雄がいた方が都合がよかったんだろう。だから私は、病院で(原註:この戦いでイヴァン・イグナーチエヴィチは片脚を失い、最後の負傷を経験している)栄光勲章を授かることになった。
その後一度だけ、私はあの場所(原註:ハンガリーのコマールノ市)[実際はスロヴァキア領]を訪れたことがある。1985年の戦勝記念日に連れていってもらったのだ。墓地にも行ってみたよ。辺り一面がお墓だらけで、みんな同じ日付が彫りつけてある。1945年2月19日。そういうことだったのさ。
(了)
(11.10.27)
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