イヴァン・シェレポフ2


―あなたが次の突撃を経験したのはいつでしたか?

 2日くらいしてから、工員出身者からなる増援部隊が到着した。頑丈で、力の強いやつばっかりだったよ!腕なんかはやっとこみたいでなあ。私はまだ19の年だったのに、40を超えた連中がやって来たわけだ。その次の日、再度ドイツ軍を攻撃することになった。砲兵の支援さえ受けられるのだそうだ。私たちは窪地に座り込み、タバコを吸いながら、友軍の砲兵が放った砲弾が頭上を飛びすぎていくのを聞いていた。私は少しずついろんなことに慣れてきて、最初の時のように肝を潰したりはしなかったが、それでもあの砲声は凄まじいものだと感じたな。それから再び「前進」の号令がかかり、みんな匍匐で攻撃に向かった。一方、私とリョーシカ・コトフ、それにアルメニア人フェリックスは、砲兵隊を援護するという任務を与えられた。何門かの45ミリ砲が配属されていたんだが、そのうちの1つを援護しなければならない。私たちは「軽機」すなわちデグチャリョフと、円盤弾倉を2つも支給されていた。

―イヴァン・イグナーチエヴィチ、ヴァシーリ・ブィコフ[ベラルーシ生まれの作家、従軍体験を元にした小説で有名]はデグチャリョフについて非常に低い評価を与えていますね。重たいだとか、命中率が低いだとか…

 私もそれは読んだのだけれども、賛成できないね!ブィコフは砲兵出身だから。つまりはそういうことさ!彼は我々の機関銃を悪し様に言っているが、ドイツのMG34の方がもっと重いじゃないか!12キロもあるわけだし、銃架にでも据えようものなら持ち上げられないよ!我が軍のはいい機関銃だった、でたらめは言ってほしくないね!ドイツ軍は後になってMG42を使うようになったが、これもやっぱり重い機関銃で、ただ発射速度は非常に速かった。それでも彼らは、戦争が終わるまで34を使い続けたんだ。
 あれ[デグチャリョフ]は軽機関銃だ。我が軍では大量に使っていて、小隊ごとに配備されていた。一方のドイツ軍では、機関銃の数は多かったと思うかね?私たちは、防御戦の時には機関銃のおかげで非常に助かっていた。ただ最初のうちは弾薬に欠陥があって、おかげでたくさんの兵隊が無駄死にしたものだよ!

―どのようにして砲兵を援護されたのですか?

 どうやってって?もしもドイツ軍が逆襲に転じたら、何をおいても彼らを砲のところまで近づけてはならない。そう言われたんだ。砲兵たちも銃は持っていたし、時には機関銃まで用意していたくらいだが、いずれにしてもだよ。私たちはいつでも、砲を守ることを第一に考えていた。中隊長は常に「貴様らがここにいる理由を忘れてはならんぞ!」と命令していたものだ。あれらの砲がなければ、私たちは持ちこたえられなかっただろう。今ではみんなが悪口を言うようになって、大したことのない砲だったとか何だとかケチをつけるわけだが、私はそんなやつらには反論してやるよ。ああいう砲がなければ私たちは持ちこたえられなかった、ってね。もしもドイツの機関銃だの、機械化歩兵だの、敵の装甲輸送車などが現れたとしても、まさに必要な場面で我が軍の砲が待ち受けていたんだ!ちなみに、ドイツ軍も同じような砲を使っていたよ。

―戦車とも充分に戦うことができたのでしょうか?

 戦っていたともさ!私たちはみんなで力を合わせて戦ったんだ。私たちがやっつけるか、それとも砲兵隊がやるか。もっとも、戦車ってのはいつもいるとは限らないが、機械化歩兵や装甲輸送車は必ずと言っていいほど現れた。戦車なんかはいつも、簡単に燃やしてやったよ!機関銃手にとって最も重要な任務は、まず第一に敵の歩兵と戦車を引き離すことだ。こいつが一番難しいんだがね!というのも、戦車はいつだって最初に機関銃を狙って撃ってくるから。もしも[歩兵から]引き離せたなら、私たちは戦車をみんなやっつけてやった。何故なら、戦車は近くが全く見えない代物だから、こっちから近づいていって、火をつけたり履帯を破壊したりすることができたのだ。
 ただ、私たちのところには砲が少なかったし、時には砲があるんだが弾がない場合もあった。何回かはドイツ軍の砲を使いさえした。それに合う砲弾があったからね。

―そういうこと頻繁にあったのですか?

 いや、そんなにしょっちゅうではない。しかし2~3回は使用可能な砲と砲弾を見つけたことがある。そういう時には使ったよ。

―50ミリ中隊迫撃砲の性能はいかがでしたか?

 中隊迫撃砲は言うまでもなく大隊迫撃砲より威力がないが、その代わりに軽量だった。1人が砲身を運び、もう1人が三脚を、3番目が底板を背負って運んだ。だが大隊迫撃砲の底板はえらく重たかったから、時には2人がかりで引きずっていったものだ。考えてもみてほしいのだが、こいつを休みなしの急行軍で10キロほども運び続け、敵機が飛んできたら茂みに駆け込んでやりすごし、その後で休憩を取らずに戦闘へ突入するんだよ!とてもじゃないが、迫撃砲兵なんて務まらんと思ったな!それに戦闘となると、中隊迫撃砲なら素早く移動させることができるが、大隊迫撃砲は無理ってもんだ!だからといって放り出すわけにはいかん、銃殺されてしまう!もしも[迫撃砲が]壊れてしまったら、その時は曹長か中隊長に引き渡す。さもないと、「教父」に質問責めにされることは間違いないよ!(原註:「教父」とは特務機関員やスメルシ職員の俗称)。
 一方、防御戦の時の迫撃砲は素晴らしいよ!もしもドイツ兵が匍匐で攻撃してきたなら、こっちは迫撃砲弾をお見舞いして、連中を機関銃の前にあぶり出してやったものだ!逆に、彼らも全く同じことをやっていたんだがね!伏せるのが危険だというのはそういうわけ。二度と立ち上がれなくなるかもしれんからなあ!攻撃に行くのなら、歩くか走るかが必要であって、絶対に伏せたりしては駄目だ!伏せたら最後、尻が地面から離れなくなってしまう!それに、中隊長が銃弾をお見舞いするかもしれん。中隊長はそういう権利を持っていたから。我々を突撃に向かわせるのが彼の任務で、大隊長であろうと連隊長であろうと、そのことで中隊長を裁いたりはしない。私らの中隊長も、伏せたやつは銃殺するぞと最初に警告していたものだ。実際に撃たれた者が何人かいる。ただ、それ以後は誰一人として伏せようとしなかったことも事実なんだが。

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(11.10.27)

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