イヴァン・シェレポフ1
―イヴァン・イグナーチエヴィチ、いつ軍隊に召集されたのか、またどこへ配属になったのかを簡単にお話しいただけないでしょうか?
令状を受け取ったのは、ええと、よく思い出せんが平日の真っ昼間のことだったと思う。私は呼び出しを受け、地方委員会へ行ってみると、そこでは召集令状を手渡された。シェレポフさん、用意して下さいよ、あんたは明日の朝には荷物を持ってこれこれの場所へ出頭しなけりゃならんというわけさ。41年の8月だったね。何日だったかは思い出せん、日付が記憶の中から抜け落ちてしまってなあ…
―それで、どこへ向かわれたのですか?
最初は学校だ。私はその頃キネシマに住んでおった。イヴァノヴォの近くにそういう町があるんだよ。いいとこだったなあ!ヴォルガだよ!私たちは集合した後でイヴァノヴォに連れていかれ、学校に入った。
―歩兵学校ですか?
そうだよ。最初の話では、ここで3か月教育を受けるということだった。しかしその後、ドイツ軍がやえらい速さで前進を再開したから、我々は2週間かそこいらでみんな整列させられ、トラックに乗って駅へ向かった。そこからは前線へまっしぐらだ。
―どこへ行かれたのですか?
スモレンスク地区だよ。私らの第161歩兵師団は、第2歩兵軍団の指揮下に入っていた(原註:この軍団は第100及び第161歩兵師団によって編成されていた。1941年9月18日、両師団は戦場で示した比類のない堅忍不抜さと勇気、剛胆さに対して親衛隊の称号を授与されたが、これは赤軍の中でも早い段階で親衛隊の栄誉を授かった事例に属する)。夜半までに携帯口糧を受領し、翌朝には砲兵の支援を全く受けないまま、我が連隊は敵に対する反撃に参加させられたわけだ。
―1個連隊だけでですか?
よく分からんが、師団全部で行ったんじゃないかな。その時に感じたのは、ほんの1時間前までは民間人だったような気がするのに、今じゃもう手に銃を持ってるってことだった。戦争が恐ろしいものだとは知っていたが、しかしこれほどの恐怖に取り巻かれるとは想像がつかなかったよ。そんなことを話しても仕方ないかもしれん、とても言葉で伝えられるもんじゃないから。過去もなく未来もない、そういう人生がずっと続いているような感覚だ。最初のうちはショックのあまり身動きもできなかった、ほんとにそうだったんだよ!勿論、夜明け頃に攻撃に出るということはあらかじめ聞いていた。中隊長たちが行ったり来たりして、皆にそう言って回ったのだ。だが、どっちにしてもわけが分からないことになった。私は、あの戦いについては詳しくは憶えておらんのだ。自分でもどうしてだかさっぱり分からないが、ある戦闘はまるで昨日起きたかのようにはっきり記憶しているのに、別の戦いはもやの中という具合だね。いつもごっちゃになってしまう。
私たちは分隊ごとにかたまり、壕の中でみんな一緒に伏せていた。木の枝がかぶせられていたのは、ドイツ人どもに嗅ぎつけられないようにするためだ。今に「前進!」という号令がかかり、皆で「ウラー!」と叫んで突撃していく、そんな塩梅だろうと思っていたな。だが、現実は私の想像とは全く違っていた。私らの中隊長は静かな声で「みんな、前進だ!」と言い、胸壁の上に這い上がった。私も隊長に続いた。自分が何をしているのか理解すらできぬまま、静かに、機械的に這い上がったのだ。それから私たちは黙って立ち上がり、普通に進んでいった。走ることさえなく、歩いて前へ進んだのだよ。「ウラー」もなく、叫び声も上がらず、静かなものだ。まだ夜は明け切っていなくて、霧が地面を覆っていた。辺りは墓場のような静けさで、私たちの銃がガチャガチャいう音だけが響きわたる。で、どうしてそうなったのかは思い出せんのだが、気がついてみたら私たちは盛大に撃たれていた。小銃と、それから機関銃が2挺だったような気がする。機関銃はもうちょっと多かったかな?畜生め、思い出せんなあ。それで、みんな腰を低くかがめたまま走り始めた。私も誰かの後ろに続いて走ったが、誰だったか名前が出てこない。この時の突撃で、私が憶えていることといったら彼の背中とずだ袋[雑嚢]だけだよ。その他は何ひとつ思い出せやしない。
私は全力で走った。どこへ向かっているのかは分からない。頭の中では「前進」という吶喊が響いているのだが、実際には叫びなどしなかったと思うな。どれくらい走ったのか、それが1秒だったのか1時間だったのかも分からず、時間が止まってしまったようなものさ。その時突然、私は脇腹に衝撃を感じ、空中で1回転さえしたかもしれないが、とにかくそれで倒れた。跳ね起きて、もう1度倒れた。今度は痛みのためだ。足が、私の足が激痛のために痙攣してしまっている。自分の足がどうなっているのか見るために転がろうとしたのだが、それができないんだ!それで、這って前に進もうとして、その後で思った。
「ちょっと待った!どうして這ってまで前進するんだ?衛生部に行かなくちゃならないのに」
どちらが前でどちらが後ろなのか、どこへ向かって進めばいいのか、長いこと判断がつかなかったような気がする。辺り一面に煙が漂い、すでにそこいら中で爆発が起きていて、射撃と轟音とが途切れなく続いた。痙攣してもがき回る兵士たちと、様々な物とが野原を埋め尽くしている。私はおおよその方向をつかみ、匍匐で後退を始めた。どうしてだか分からないが、その時の私は、友軍のところまではたどり着けないんじゃないかという絶望感に支配されていたな。いきなり、誰かが私の足をつかんで引っ張った。あまりの痛さに気を失ってしまったらしい。はっきりとは憶えていないのだが、目が覚めると私は胸壁の陰にいた。そこへ突然現れたのが政治委員だ!ろくでなしめ、何でここにいやがるんだ?臆病者めが!なんて言うんだな。私は、自分は臆病風に吹かれたわけではない、足を負傷したのだと答えた。相手は、どこをやられたんだ???とわめき散らす。だが、自分でもよく分からないのだ。そこへ軍医が駆けつけ、[足を]ちょっと触ってみて、けたたましく笑い出した。ただの脱臼なんだそうだ。彼は、今引っ張ってやるから、そしたらすぐに治っちまうよ!と言った。それから私の足をつかむと引っ張ったんだが、その痛かったこと!私は「母さん」と叫ぶ暇もなかった。[我を忘れて]あまりにもひどく罵りわめいたものだから、政治委員も驚いて目を回したんじゃないかな。自分でも、あんな下品な罵り言葉が口から出てくるとは思わなかったよ。―問題にはならなかったのですか?
まさか!一体全体、何で私が彼と関わりを持つ理由があるんだね。政治委員は、私がどこから来たかだけを確かめると、行ってしまった。一方軍医は、私が第3中隊の兵隊で、昨日の夜遅くに汽車で運ばれて来、ここへは到着したばかりであるらしいと知って、私の中隊はもうすぐ戻ってくるだろうと教えてくれた。
「またもや失敗の繰り返しさ。何人やられたことやら。お前は匍匐で原隊に戻るといい、ただしそろそろドイツ軍が飛行機を繰り出してくる頃だから気をつけろ。お前さんはほんとに運がよかったんだ、今日という日をちゃんと憶えておくんだぞ!戦友たちはみんな死んでしまっただろうさ」
そんなことをいわれたよ。―その日はもう攻撃はなかったのですが?
なかった。人がいなかったから。私たちの中隊のうち、残ったのは中尉を含め10人から12人くらいなものだ。曹長もやられた。彼の名字は憶えている。チュミーリンという人だった。憶えてたって意味なんかないのに、どういうわけだか忘れられないんだよ。今から思うとかわいそうだったなあ!まだ20歳くらいだというのに髪は真っ白で、指も1本なかったんだ。彼については何ひとつ知らないままだった。
―それ以降[おそらくはこの戦いの中で、という意味か]、突撃に参加することはなかったのですか?
しないわけがないだろう?やったよ。2回もね。
―2回ですか???[それだけ生き延びられたとは]本当に運がよかったんですね!
そもそもだね、あの戦争で生き残ったのはみんな運に恵まれた人なんだ!彼らは全員、常人とは異なる運命をたどっている。ごく当たり前の運命っていうのは、一度もドイツ兵に出会うことなく、一度も敵を見ないうちに死体となって転がる、そういうものなんだよ。
(11.10.27)
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