ニコライ・ベスパールイ2
当時は本当にいろんな経験をしたから、時々思い出すことがあるけど、いわゆるところの悲喜こもごもという具合だね。カフカースにいた頃、トゥアプセの近くだったが、「舌」[情報を得るため生け捕りにする捕虜のこと]を捕まえるために村々を回った時のことはよく憶えている。私たちはドイツ兵が1人で歩いてくるのを見つけた。私はすばしこかったものだから、そいつを捕まえて、ゲートルでひっくくった。それから戦友と一緒に塹壕まで引っ張っていったが、捕虜は叫ぼうとさえしなかったな。もう少しで壕にたどり着くという時に…私たちの分隊長が来て(ちなみに彼は、銃剣を投げて25メートル先のマッチ箱に当てるという特技の持ち主だった!)、いきなりフリッツ[ドイツ兵を指す俗語]を殴りつけたもんだから、そいつは倒れた。皆が集まってきて捕虜を塹壕に下ろし、様子を見たが、もうくたばっているように思われた。隊長は言った。
「何とか生きたまま連れて行かなきゃならないんだ。誰か水を持ってないか?」
私の水筒の中には少し残っていた。水を汲むためには遠くまで行く必要があったから、私はいつも大事に取っておいたんだよ。だが、それを分ける羽目になったのだ…フリッツは水を飲んだが、私もそれを見ながら喉が渇いてたまらない、だけど飲めないんだ!
「こん畜生め!」って言ったよ。「折角残しておいたやつを飲んじまいやがった!」
それでも私たちはフリッツを「生き返らせ」、師団司令部に送り届けた。もう一つ記憶に残っているのは、私が角のついたヘルメットを探した時の出来事だ。ドイツ軍にそういうヘルメットがあるという話は何度も聞いていたし、雑誌で見たことさえある。だから私は、フリッツの「角つき」を見つけたいと思った。ちょうど小規模な攻勢があった時で、前線が真っ直ぐになった。私たちは攻撃をかけ、ドイツ軍の塹壕に入ったが、そこにはフリッツが何人か死体で転がっていた。それで私は、角のあるヘルメットはないか、一心に探し始めたよ。1人のヘルメットを見ると「角なし」だ、次もまた同じ。小隊長はそれを見て、思わず口汚い言葉が出てくるくらいに私をこっぴどく叱りつけた。
「手前は何でヘルメットなんか見てやがるんだ?リュックを探すんだ!」
というのは、ドイツ兵のリュックサックの中には乾パンだのカミソリだのがあったからなんだね。だけど私はヘルメットを探し続けて、前進する仲間たちから遅れてしまった。次の塹壕の中へ飛び降りた時、どこから湧き出たか知らないが、ドイツ兵が現れたじゃないか!そいつは私に飛びかかってきて、私も撃ったことは撃ったが外してしまい、彼は私を塹壕の胸壁に押しつけた。私はナイフを手に取り、ドイツ兵のこめかみに振り下ろした。そして彼の手から逃れると、戦友たちのところへ走っていったが、ナイフが握りしめた手から離れなくなってしまった!みんな、何とかして私の指を引き剥がそうとしたが、小隊長は言った。
「止めておけ、これは硬直というやつだ。そんなことをしてもナイフは取れんし、指を駄目にするだけだ」
結局、それから2時間半の間はナイフを放すことができなかった…私はロコソフスキー元帥の下で、戦車跨乗兵として戦ったこともある。私たちの任務はT-34を守ることだった。行軍の時には戦車に乗って、戦いが始まるや否や飛び降りるのだ。戦車は先に進み、私たちはその後に続いてドイツの歩兵を撃退した。
ある時、すでに東プロイセンで戦っていた時の話だが、私たちは先を急いでおり、戦車はなく、防盾の取れた重機関銃だけが頼りだった。任務はバルト海に到達し、他の部隊と合流すること。しかし、丘の上に陣取ったドイツ軍が私たちの前に立ち塞がった。私たちはその場に伏せ、敵は迫撃砲を撃ち始めた。しばらくしてから、こちらも攻撃に出た。私は短機関銃を持っていたよ。攻撃前、戦友たちにこう言った。
「俺はあの丘よりも先には行けないと思う」
みんなは答えた。
「何を言ってんだ、頭がおかしくなったのか?ここまで来ておいて、今さら何でそう思うんだ?」
だけど、私には実際にそういう予感があったんだね…もう一つ面白いのは、その日がちょうど私の誕生日にあたっていたということだ。丘の上で戦闘が始まり、私は負傷した。同じ隊の伍長が包帯を巻き、病院に後送してくれた。炸裂弾でやられたから、傷はなかなか治らず、血がかよわなかった。沸騰したような具合でね。手術は本当に怖かったよ。当時は麻酔の注射も何もなかったから…切って、それから縫うだけだ。私はいくつもの病院を転々として、最後はグーシ・フルスタリヌイ[ウラジーミル州の小都市]で入院した。そこで少しずつ傷が治り始め、何とか切らずにすんだ。
戦勝の知らせを聞いたのも同じ病院でのことだ。看護婦と医者が教えてくれた。あの時に感じた喜びってのは、それはもう言葉では言い表せないね…
(了)
(10.09.15)
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