ニコライ・ベスパールイ1
ニコライ・パーヴロヴィチ・ベスパールイ
1925年、クバン地方に生まれる。志願して前線に赴き、戦車跨乗兵として戦った。私は10歳で天涯孤独の身となった。村に住んでいたのだが、仕事を得るためコルホーズ[集団農場]にやって来た。そこの作業班長には最初、お前はまだ子供だから、なんて言われてね…だけど、彼はその後で考え直し、指示をくれた。
「ほら、女どもが畑に出て、草を抜いているだろう。お前はバケツを持って、できるだけたくさん水を汲んでくるんだ。草取りの唐鍬にプラトーク[ロシアの婦人が頭にかぶるショール]を結んで振り回すやつがいたら、それは喉が渇いたということだから、水を運んでやってくれ」
で、私はその通りにした。樽のそばで畑を見張っていて、女性たちが唐鍬に結んだ白いプラトークを振ると、水を汲んでそこへ持っていく。それを飲ませたら、また樽のところに戻り、再び畑を見張るという具合だった。その後、戦争が始まって男たちが軍隊に取られると、私は馬を使って仕事をするようになった。コンバインから穀物を運んだんだ。その後でトラクターに乗り、コンバインを引っ張ったりもした。だが、刈り入れが始まったちょうどその頃、疎開することになった。で、再びトラクターから馬に乗り換えだ。村ソヴィエトの議長が言うには、家族はお前に任せる、と。作業班員とできる限りの馬を集め、まぐさも用意して明日の朝ここに集まれ、荷物を積み込んでから出発してほしい、という指示を受けた。
私はその言いつけに従った。ノヴォロシースクまで移動したよ。カフカースに差しかかった時、検問所の兵隊に出会った。彼らは私たちの行き先を知っていて、道路はドイツ軍により封鎖されていると教えてくれた。それからこう言った。
「馬を捨てて、食糧を持って、峠越えに行くといい」
私たちは馬を捨て、食べ物を担いで出発した。そこでコルホーズの責任者と村ソヴィエトの議長が私たちに追いつき、一緒に進むことになった。街道ではみんなごちゃまぜだったな。軍人も、民間人も…いっしょくたに進んでいったんだ。その時、1人の兵隊がぶつくさ言いながら銃を担いでいたのを憶えている。鉄砲なんてものは私には物珍しかったから、持たせてもらうことにした。小休止の時に、上級中尉が射撃の方法を教えてくれて、それから言った。
「それじゃ、あそこにある木の枝を撃ってみろ」
私はバン!とやったよ。そしたら1発目で命中したじゃないか。上級中尉は私に言った。
「枝に当てることができたんだから、ドイツ兵をやっつけるのはもっと簡単だろうよ」残りの道中ずっと、私はこの兵隊と並んで歩き、彼の銃を持ち運んだ。峠まで来たところで、私たちの道は分かれることになった。民間人はラゾレフカへ向かい、兵士たちはその場に留まる。私は部隊の養い子のようになっていたから、一緒に残ったよ。兵士たちは壕を掘り始め、私はそのやり方を見ていて、1人が休んでいる間に自分の壕を掘った。防御陣地を構築したところで隊長が来て、「この小僧は何だ?」と尋ねたよ。兵士たちは、こいつはこれこれで、戦いたがってるんだと答えてくれた。隊長は言った。
「あのな、俺らにとっては今ここが持ち場なんだ。お前の順番はまだこれからだよ。曹長のところへ行ったら食糧をもらえるから、それを持って仲間のところへ帰れ。それから徴兵司令部を見つけて、召集してもらえばいい」だが、私は言うことを聞かなかった。次の朝、隊長はまだ私がいるのを見つけて、怒り出した。
「何で行かなかったんだ?!もうすぐドイツ軍が攻撃をかけてくるから、そしたらお前にかまってる暇なんかなくなるんだぞ。曹長のところへ行け!」
で、結局言うことを聞くより他なかった。曹長は、昨日からお前さんを待ってたんだがね、なんて言ったっけ。砂糖1山と缶詰2個、それにパンをもらって、私はラゾレフカへ行き、徴兵司令部を探すことにした。ちょうどその時に空襲が始まった。それが終わるのを待って、また出発だ。廃墟の中でえらく年を取った爺さんに会ったんだが、その爺さんが言うには、徴兵司令部なんかここにはありはしない、自分1人だけが留まっているんだ、と。それから森に続く細い道を指して、こっちへ行けば徴兵司令部があるかもしれん、と教えてくれた。私はその小道を進み、分岐点に出た。兵隊が1人、歩哨に立っていた。徴兵司令部を探しているんだと告げると、彼はこっちへ行けと言った。その方向へ歩いて200メートルくらい、4本の杭が打ち込んである場所があって、それが徴兵司令部だったね。召集された人々は荷物と食べる物を持って、丘の上に座っていた。私は書記のところへ行って、自分のパスポートと、「後方へ疎開中」と書かれた証明書を差し出した。書記はそれを眺めて言った。
「こんなに若いんじゃ、取るわけにはいかんよ」
私は、こっからはどこにも行かん、食糧だってないんだ、と言ってやった。すると彼は、徴兵司令官を待っている連中のところへ行くよう指示した。私は彼らの中に入り、お互いに自己紹介をし、食べる物をもらった。徴兵司令官が来たので、私はもう一度、ここ以外のどこにも行かないと言った。次の朝、残りの人々は予備連隊に送られた。私も一緒に行ったよ。実のところ、みんな名簿順に呼ばれたんだが、私の名前はそこにはなかった。だけど、お構いなしに行ったんだ。
こうして私は軍務に服することとなった。トゥアプセで戦い始めて、終わりは東プロイセンだった。4回負傷し、意識を失ったことも2回ある。(10.09.15)
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