人工地震のような兵器はいつからあるのでしょうか。
それは70年以上前です。つまり太平洋戦争の時に作られています。作った国はもちろん米国でありどこで使われたかと言うと、我が国日本です。
1944年終戦間際のこの年、関東大震災に匹敵する程の地震が発生しています。昭和東南海地震です。最大の被害があったのは愛知県です。そこには当時ゼロ戦などの世界最高水準を誇る戦闘機を作っていた中島飛行機製作所や三菱重工、安立電機などの軍需工場が並ぶ地域が地震や津波により壊滅的な打撃を受けました。
当時熟練の職人は出兵し人手が足りなかった為、学徒動員として全国から集められ学生は愛知県の半田市に送られ、戦闘機の製造にあたっていました。劣悪な環境での長時間労働に従事していたなか、地震に見舞われたのです。
死者1500名を超えたうちの多くに学生も含まれます。しかしこの震災が国民に知らされることは無く、学徒たちにはかん口令がしかれました。被害が知らされなかったことで被災地は孤立無援となり、悲惨な状況は続きました。
なぜ政府はこの被害を知らさなかったのかというと、戦力低下が米国に知られることを恐れたからです。こうしてこの地震被害は長いこと忘れられていたのです。
2011年8月10日NHK名古屋放送局の制作した『封印された大震災~愛知・半田』という終戦記念日特集NHKスペシャル番組が深夜全国ネットで放送されました。
インタビューに答えた土屋嘉男さんは「数日たったら、B29が来て 見たら空からビラを撒いていた。 拾ってみたら ショックだった 毛筆で、地震の次は 何をお見舞いしましょうか って書いてあった。」と証言しています。
その時に撒かれたビラがこちらです。
伝単(宣伝謀略ビラ)の内容
これの事ですね
そしてこのNHKの特番のあと取材にあたった嘱託職員は変死しているのです。
その機密文書とは2005年4月に米国が公開したPROJECT SEALです
米国の軍事機密会議では「人工地震兵器で津波を起こして日本を降参させて終戦するか、原爆を落として終戦するか」と決めかねていたが、結局その両方が使用されたのです。 彼らはこの戦争であらゆる兵器を駆使し日本人を大量虐殺し、国際法を無視して民間人居住地区への空爆を行い、広島・長崎に原爆を落としました。そしてこれらの無差別的な攻撃に対する国際的非難を黙殺したのです。 結果として、上空爆破よりも地中爆破、すなわち人工地震のほうが効果絶大で国際的非難を一切受けることなく、敵国を思いのまま攻撃あるいは脅迫さえできる有効手段であるということを学んだのです。
日本の新聞社の記事も残っています
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2003年のインド洋における壊滅的な津波、そしてまた2011年の日本の沿岸で数千の命を奪った殺人津波の発生以来、津波の破壊的な威力を兵器として利用するという発想は誇大妄想もしくは馬鹿げた科学ファンタジーとして片づけられていたかもしれない。
しかし1944年のニュージーランドにおいて科学者たちが実現しようとしていたのはまさにそうした津波兵器であった。場所は、オークランドはハウラキ湾のワンガパラオア岬の沖であった。
これはニュージーランドで最もよく隠蔽されてきた軍事機密で、その内容は原爆に匹敵する大量破壊兵器であった。その名は「プロジェクト・シール」で、津波爆弾を作る最高機密計画であった。
今日、オークランドの北のシェークスピア湾はウィンドサーファーやパドルボーダーで週末はにぎわって、名物の孔雀を見にくる人々もそれに加わる。しかし、去る第二次世界大戦中、ここの静かな海は4,000回の爆破実験でかき乱されていたのである。
「プロジェクト・シール」は、巨大な津波を人工的に起こして沿岸の防御や都市を破壊することができるかどうかを試験する最高機密に属するプロジェクトであった。
その構想自体はアメリカ海軍中佐、E.A.ギブソンによるものである。彼は太平洋の島々の周囲の水没したサンゴ礁を撤去するための爆破作業によって時々思いがけないほどの大きな波が生じることを観察していた。
ギブソン中佐は、ニュージーランド軍のエドワード・パティック参謀総長と連絡を取り、自らの構想を述べた。エドワード・パティック参謀総長はそれを当時のニュージーランド戦時内閣で提案した。
ノウメア沖実験
同戦時内閣において、アメリカとニュージーランド双方からなる合同チームがニューカレドニアにおいて予備実験を実施することで同意が得られた。
その合同チームの一人にオークランド大学の科学開発部長のT.D.リーチ教授がいた。同教授は、のちにこの研究を仕切ることになるニュージーランドでは高名な科学者であった。
この最初の予備実験の報告書は非常に前途有望な内容であったため、アメリカ海軍太平洋艦隊ハーセイ中将はニュージーランド政府にニュージーランド海域におけるさらなる調査の遂行を求めた。
軍事用語で表現されてはいるが、ハーセイ中将がニュージーランド軍の参謀長に送った、敵の居住施設を巨大な人口津波によって水浸しにできる可能性についての電信中の言及は弾んでいる。
「わたしの意見として、今回の実験結果は、陸海戦における洪水攻撃は攻撃兵器として確実に長期的展望を持つものと思われます。
攻撃的戦争における実用的方法及び手順として確立するためにさらなる開発がなされることが望ましいと考えます。
この開発がニュージーランド側によって完成の域にまで継続されるならば、この上なくありがたく存じます。今回のこのプロジェクトに必要となる物的及び人的なあらゆる実際上の援助はすべて米国側で提供いたします。」
1944年5月5日にニュージーランド戦時内閣は、米軍のハーセイ中将の要請を受けて、リーチ教授率いる研究チームを編成し、この有望な新型爆弾の最高機密レベルの試験を実施することにした。
同チームには150名ほどが割り当てられ、彼らはオークランドから車ですぐのワンガパラオア岬の要塞に詰めることとなった。
このプロジェクトの大半はニュージーランドの技術者によってなされたが、爆薬、爆発物に関しては米国海軍が提供した。
特殊な装置
このプロジェクト・シールには大量の特殊な装置が開発される必要があった。波の状態を記録する遠隔的な装置や電波による起爆装置や海中に使用する特殊な爆薬などである。
「プロジェクト・シール」は1944年6月6日に始まり、翌1945年1月8日に終了するまで継続された。その間、3,700回の実験的爆破が実施されたが、その規模は数グラムから300kgの爆薬にわたった。TNT火薬が標準的に用いられたが、ニトロ化澱粉、旧式のゼリグナイトも時折使用された。
当初、研究チームは誤った前提で実験を重ねていた。イギリスの研究によれば、爆薬は非常に深海であるほうが、海中爆発によるガス気泡が攻撃的な洪水をひき起こす上においていちばん効果があるということであった。
しかし、この前提は誤っていることが証明された。それは、「プロジェクト・シール」の試験によって水面下の水面に近いところで起爆したときが最も効果的な波が発生することが明らかになったからである。
「プロジェクト・シール」の実験によって、単一の爆破によっては十分に大きな波を生じず、いわんや敵国の沿岸守備を水攻めにして破壊することはできないということを証明した。
一斉爆破
十分に破壊的な威力を伴った効果的な波の発生には、かなりの数の爆薬が一斉に起爆されなければならなかった。
ハウラキ湾にいた科学者連中の結論としては、総量200万kgにおよぶ膨大な爆薬を10等分くらいにして海岸から8km沖合に一列に設置して爆破すると、高さ10~12mの波が生じるということであった。
この実験プログラムによって明らかになった一つの問題は、爆薬の設置の水面からの深さが決定的であるという点であった。最適な水深からわずかなズレによって波のエネルギーは奪われてしまい、怒涛の津波になるはずのものがさざ波に終わってしまうのであった。
当初、津波爆弾は原爆に匹敵する兵器としての能力を秘めていると見られていた。当時、原爆はアメリカにおいてまだ秘密裏に開発中であった。
しかしながら、1945年初頭に連合軍が太平洋戦争において勝利を収める兆しが出てきて、「プロジェクト・シール」の実戦的な優先順位は低下した。
1945年初頭に「プロジェクト・シール」が廃止されたとき、実験プログラムは未完成の状態で、兵器としての軍事的能力の全貌もまだつかめていなかった。
しかし、実験は大きな成功とみなされて、1947年にリーチ教授は米海軍次官補によって招聘され、ビキニ環礁でのアメリカによる核実験のデータ解析に協力した。
1950年代になってもまだオークランド大学の工学部の大学院生が1940年代の「プロジェクト・シール」の総括の作業に取り組んでいた。
その作業が完了すると、「波システムの発生」と題された報告書は「プロジェクト・シール」の統計的、科学的データを図表化し分析したものとなった。そしてこの報告書は今日でも、波を起こす方法についての興味深い手引書となっている。
著者略歴:レイ・ワル氏は30年以上にわたってニュージーランドのテレビ・ラジオ業界の仕事に携わってきた。1977年にTVNZ(テレビ・ニュージーランド)に入社し、「フェアゴー」「カントリー・カレンダー」といった人気番組を手掛けてきた。本書は同氏の初めての著作である。
また、日本国内でもこうした人工地震の研究と実験は行われてきました。そして1980年代初頭まで当たり前のように新聞社は記事にしていました。
現在でも人工地震を用いてマグマの状態を調査したりしています。
2016年12月9日03時00分
鹿児島市の桜島で8日未明、京都大や気象庁などが、ダイナマイトを使って人工地震を起こし、地下のマグマの状態を探る「構造探査」を実施した。
揺れの伝わり方を分析してマグマの深さや供給路などを探り、今後の噴火予測に役立てる。
京大や鹿児島大、九州大など9大学と気象庁が実施し、今年で7回目。
約40人が調査に参加した。
実験の様子
日本で人工地震はタブーとされマスコミは沈黙していますが、国際的にはこうした旧型の兵器があるということは周知の事実といったところであります。
国際政治経済学者であり、参議院議員国民新党代表幹事長、総務大臣政務官、外務大臣政務官を歴任した浜田和幸氏も国会で人工地震について言及しています。
1978年10月5日、日本をはじめ、米国ロシア中国など48ヶ国が署名76ヶ国批准し締約したものが環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約です。
環境改変技術(environmental modification techniques)とは、「自然の作用を意図的に操作することにより地球(生物相、岩石圏、水圏及び気圏を含む。)又は宇宙空間の構造、組成又は運動に変更を加える技術の事です。
環境改変技術敵対的使用禁止条約は、「現在あるいは将来開発される技術により自然界の諸現象を故意に変更し(地震や津波を人工的に起したり台風やハリケーンの方向を変える)、これを軍事的敵対的に利用すること」の禁止を目的とする環境保全と軍縮に関する条約。具体的には「津波、地震、台風の進路変更等を人工的に引き起こして軍事的に利用すること」を禁止する内容となっており、条約を遵守する締約国のとるべき措置や、違反の際の苦情申し立ての手続きを規定する。ただし、罰則規定はない。また、有効期間は無期限と規定されている。
禁止にしているということは理論上可能であるか既に開発されているということです。特に米国のNASA(航空宇宙局)や軍産複合体が中心となり研究がなされてきました。
それは地球の環境そのものを破壊しかねない危険な兵器であり、この条約が結ばれるに至ったきっかけは、米国がしかけたベトナム戦争で使われた環境改変兵器です。
それはポパイ作戦と名づけられました
写真では町がまるごと水没しています。これは1967年5月20日から1972年7月5日にかけて東南アジアで行った、極秘の気象操作計画です。
合衆国政府の戦況を有利に進めるため、ケムトレイルと呼ばれる飛行機に化学物質を積み空から散布することで人工的に雨を降らせたのです。ホーチミン・ルート地域のみならず、タイからカンボジア、ラオスの雨季を長引かせました。ヨウ化銀とヨウ化鉛を混合させる事で雲を発生させ、対象地域において平均30日間から45日間と長期に渡り雨を降らせたのです。
またケムトレイルから生物兵器ともいえる枯葉剤も撒かれました。
ケムトレイル
現在もケムトレイルは存在しています
ケムトレイルについてはまた別に記事とさせていただきますが、今では衛星による気象兵器や、オーロラ観測という名目で建設されたHAARPと呼ばれる電磁波技術を用いた恐ろしい装環境改変装置があり、人類全体が人質のような状況なのです。
これだけ聞くとまるでSF映画のような夢物語に聞こえますが、隠されてきたテクノロジーやエネルギーというものがあるのです。その技術を正しく使えれば私たちの生活は一変しますが、民衆をコントロールする為や政治的圧力を与える事に悪用しているのです。
到底想像もつかないような恐ろしい兵器は他にもあるのです。
次回は現代地震学の崩壊について記事にします。