深夜のテンションで書いたかなひよみたいな何か。
そのうち消すと思います。
任務が終わった日の夜。割り当てられた部屋の真ん中で私は本を読んでいた。
部屋は二人部屋で、部屋の右端と左端にシングルサイズのベッドと、部屋の真ん中に丸い机とクッションが二つ置いてあった。私は右端のベッドを選び、同室に割り当てられた可奈美は左を選んだ。
部屋の左側にあるベッドには昨日可奈美が着ていた『とりたろう』と書かれたTシャツやスウェットが無造作に投げ出されていた。
このまま放置していてはこちら側にまで可奈美のものが侵食してきそうだ。時期を見て洗濯しといてやろう。
宿題はとっくに終わらせていたので、本を読む以外にやることがない。私の正面では可奈美が、時折うめき声をあげながら、せっせと宿題に取り組んでいた。手は全く動いていないようだ。
「うううう…わかんない」
「授業をちゃんと聞いていないからだ」
「聞いてるよー、聞いた言葉がもう片方の耳から出て行っちゃうだけ」
それは、聞いていないんじゃないか? 剣術のことはどんどん吸収していくのに、その他の授業は頭の中に入ることなく、零れ落ちていくらしい。それも可奈美らしいといったら可奈美らしいが、将来きっと、あの時もっと勉強しておけばよかったと後悔してしまうことになる。教師がやたらと口酸っぱく言っていた言葉だ。
可奈美はペンを投げて大きく伸びをした。それから大きく口を開けてあくびをする。しばらくぼーっとどこかを見つめてから気合を入れるように「よし」っと呟いてから投げたペンを再び手に取って宿題に向き合った。
私はその姿を見て、猫のようだと思った。任務帰りの道すがらオレンジの縞柄の猫を見かけたからかもしれない。
でも普段の可奈美をみていると、猫というより、犬の方がしっくりくるような気がした。特に私を見つけて駆け寄ってくる姿は飼い主を見つけた犬のそれだ。
可奈美はスッとこちらの懐に入ってくるくせに、大事な部分には触れないでいてくれる。何かあることに気付いてもこちらから言うまで待っていてくれる。ここまで考えて忠犬のようなやつだなと思った。
だんだんと可奈美が犬のように見えてきた。犬耳とか似合いそうではある。
「どうしたの姫和ちゃん」
「いや、別に」
特に用事はなかった。可奈美と犬耳の親和性について考えてはいたが、別にそれを本人に伝えるほどのことでもないだろう。
手元の本に視線を落とす。本の中では主人公の女の子が旅先で出会った少女に手を引かれ、戸惑っているところだった。
どこかで見たようなシチュエーションだ。まるで初めてであったときの私と可奈美のようだなとぼんやりと頭の隅で考える。この女の子は少女に手を引かれ何処に行くのだろう。そう思って私はページの端を掴んで、そこで、ふと視線を感じた。
顔を上げると、眼前に可奈美の顔が広がっていた。
「なん――」
「姫和ちゃんってさ」
あまりの顔の近さにのけぞる私を気にすることもなく、可奈美は丸い机に身を乗り出してこちらをジッと見つめていた。
「綺麗な顔してるよね」
「……はっ?」
自分の顎を掴むように右手を添えて、うんうんと可奈美は頷く。
「やっぱり、きれいだよ」
いや、勝手に納得しないでほしい。
それを言われた私はどう反応したらいいのか。
そうだな、と同意するのは絶対に違う気がする。というか同意しかねる。自分の顔をみて綺麗だと思ったことは一度もない。
そんなことないだろう、そういうのが正解なはずなのに、何故か私は言葉を発することが出来ないでいた。
目の前がチカチカする。顔に一気に血が上って熱いような気もする。わからない。今の自分に分かることは可奈美の顔がやけに近いことと、意外と睫毛が長いということだけだ。
ドクドクと心臓が血液を送りだしている音がやけに早い。
やがて可奈美は満足したのか近づけていた顔を離して元の位置に戻った。
机を挟んで私の対面。「宿題早く終わらせなきゃね」可奈美はペンを再び握りしめる。「そうだな」なんとかそんな言葉をひねり出して音にする。
どことなく可奈美の頬が熱を帯びている気がしたが、私の気のせいかもしれない。手に持っていた本はいつの間にか足元に落ちていた。私はそれを拾い上げて、机に置く。本を読むような気分ではなくなってしまっていた。
それから私は部屋を見渡して心を落ち着けてから、ようやっと口を開けた。
「可奈美は」
「うん?」
「かわいらしい顔をしている、と思う」
「――っは」
今度は可奈美が固まる番だった。
手に持っていたペンは彼女の手を離れ、そのままコロコロと机から転がり落ちていった。
可奈美は「あーー」とか「うーー」等と視線をあちこちに向け、それから肺の中の空気が全て出たのではないかと思うくらいの大きく長い溜息をついた。
「姫和ちゃんってさ」
すねたように瞳を伏せてから、可奈美はそっぽを向く。
「ずるいよね」
「なにがだ…」
突然そんなことを言われても、私は何もズルいことをした覚えがない。そもそも最初に変なことを言い出したのは可奈美の方だ。
私の発言がズルいというのならそれは可奈美も同じのはずだ。
どことなくこそばゆい様な沈黙が流れてから、可奈美は急に立ち上がった。開いていたノートと教科書は閉じられていた。彼女も宿題をするような気分ではなくなったのかもしれない。
彼女はそのままずんずんと進んで自分のベッドの方に潜り込んでいってしまった。
「寝るね! おやすみなさい!」
「いや、お前宿題の提出明日なんじゃ――」
「おやすみなさい!」
毛布を頭からかぶり、私に背を向けて可奈美はそれから一言も言葉を発しなくなってしまった。
さっきまであんなに近づいてきたのに、今はまた遠くなったことに少しだけ寂しさを感じる。本当に少しだけ。
私は立ち上がり部屋の電気を消してから、自分のべッドに潜る。
「おやすみ、可奈美」
もう寝てしまっただろうか。でもこのまま何も言わないまま寝てしまうのもどことなく気持ちが悪く、気になって仕方がない。
「……おやすみ姫和ちゃん」
衛藤可奈美はやっぱり猫なのかもしれなかった。