日米プロ野球で数々の記録を打ち立ててきたマリナーズのイチロー選手が現役引退を表明し、一時代に幕を下ろした。頑固なまでに自らの道を突き進む姿は、ファンの心をとらえ続けた。
このようなことがあった。イチロー選手がヒーローインタビューを終えてから一週間ほどたった時のこと。会見で自分の意にそぐわぬことを話してしまったという。それを訂正してほしいとマスコミ各社に願い出た。
己の発した言葉には責任を持つイチロー選手のポリシー。それを崩したのは初めてかもしれない。「最低五十歳まで現役を続ける」。そう語っていた希代の打者が、四十五歳で現役を退くことを決断した。日米で先人の記録を次々と打ち破るイチロー選手を見つめ続け、これからも永遠に打席に立つことを信じてきたファンは、信じられない思いであろう。
イチロー選手は逆境に陥っても、それをはねのけ、新たな強大な力に変えてきた。
愛知・愛工大名電高では地元の中日ドラゴンズでプレーすることを夢見ながら、投手としては体が細すぎるとされ、打者としての才能に目をつけたオリックスにドラフト四位で入団した。
プロ入り直後は、重心を投手側に極端に移しながら打つ「振り子打法」が当時の首脳陣に受け入れられず、結果を残しても二軍暮らしを強いられ、人知れず悔し涙を流したこともあった。
二〇〇一年に移籍した大リーグでは、日本人では過去に例がない野手ということから最初は冷たい視線を向けられた。
これらをはねのけて〇四年にメジャー新記録のシーズン二百六十二安打を放った時は、それまでの記録保持者ジョージ・シスラー氏に再び光を当てることにもつながるなど、大リーグの歴史を掘り起こす貢献も大きかった。
どんな時でも自分を曲げず、信じる道を突き進んだ。人の顔色をうかがいながら「忖度(そんたく)」する思いなど皆無だった。それが数々の記録の源となり、閉そくした社会に不満を感じる若者の気持ちをつかみ「あこがれるスポーツ選手」のトップに名前が何度も挙がるほど人を引きつけた。
イチロー選手の生き方は、人生にとって最も大切なことを教えてくれる。野球にすべてをかけてきた偉大な選手の今後にも、注目していきたい。
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