伝統と革新、その二律背反を背負い、永遠を求めるものの性情を。
矛盾を一身に帯びながら・・・
【 中華思想 】 やがてこの地が都となると、千年以上にわたって天皇が住むことになった。 王城すなわち文華の中枢である。あらゆるものは京都に集まり、ここから全土へ発信される。 庶民にも都人としての気位(プライド)が形成されていった。 そして全国から才子佳人が集まってくる。 彼らの子孫が代々結婚し、時には没落した王朝貴族、また異国の血を加えながら 絶えず優秀な血を取り入れ伝えてきた。それが千年ほど積み重なって、今の京都人がいる。 大陸の血を引き、常に古来・最先端の文化に触れて、教養を身に付けてきた文化的エリート。 京都人には中華思想(天下万民を統率する特権意識)が染み付いている。 抗争の時、一方に対して義理立てても、そちらが争いに負ければ破滅しかなかった。 それを知った彼らは、権力に対する"義"を捨て、如何にして自らを守るかを第一に考えた。 "小集団の親分にはなっても、大集団の親分は遠慮する"のである。 さらに応仁の乱で町が焦土と化した後、この自衛本能は強烈に働くようになった。 支配者がが誰に交代しても、我が家だけは存続させよう・・・そのためにも 彼らは世の中を舞台裏から"醒めた"意識で見るようになる。情に流されない、冷たい感情を保つ。 同時に心の奥底では、密かに権力に抵抗するレジスタンスの姿勢を崩さず、 出しゃばることをはしたないと戒めているフシがある。 強烈な自衛心、権力に対する抵抗、軽蔑、反骨精神。 京都人のこうした性格は長い治乱興亡の歴史のなかで自然に培われたものであろう。 京の町家「うなぎの寝床」。深く蔵して己を表に出さない構造。
【 表と裏 】 京都の人々は他の地方の人々をこの上なく暖かく迎えてくれるように見える。 これは彼らが都人として身につけた社交性(異国文化を吸収してきた)の表れだろう。 が、多くの場合、内心はまず歓迎していない。その自衛心ゆえにだ。(只の金蔓である)
こうした二律背反が同時に現れて、京都人特有の"曖昧さ"と"狡さ"がでてくる。 しばしば彼らは女性的と評されるが、その理由はここにある。 表に見せる仕草と裏腹に、内心何を考えているか分かったものではない。
【 合理・個人・自由主義 】 京都は昔から食物が豊かではなかった。それ故庶民はつつましい生活を送らねばならなかった。 悪い材料に見事な加工を施したりと、知恵と教養、工夫と技術で補ってきた。 そうして普段、消耗品には消費を切りつめ質素な生活を送るが、 なにげに高級な(耐久)調度品を置く。"合理性"とともに"一点豪華主義"なのである。 また京都は政治・文化の都であるとともに、学問の中心地でもあった。 今でも京都は大学の町、学生の町だが、 その学風は、学生の自主性に任せた自由主義が多い。 他人に迷惑をかけないことを基本的な条件とした上で、個人主義を貫く。 これを基盤に、創造性・先取り精神を尊重する。これも京都の気風そのものである。 しかし祖父が病に倒れ、狭い京都の一介の花札屋、その家業を継がねばならなくなる。 多くの従業員のためにも、智恵を振り絞って、その小さな世界で生きる決心をした。 そう考えると、今まで少なからず傲慢さを帯びていた山内の言葉は、 むしろ自然な達観として受け止められるようになると思う。
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