ジム系MS図鑑
地球連邦軍初の主力MS。試作型MS、RX-78ガンダムの量産機でガンダムの高い汎用性をコンスタントに受け継いだ機体である。大戦末期の反攻作戦より本格的に投入され、連邦軍の主戦力となった。
初代量産機のB型は大戦終結後も生産が続行され、C型、R型などのマイナーチェンジバージョンを生み出し、長い期間、主力の座にあった。七年の間、マイナーチェンジを続けたジムは0087年のグリプス抗争勃発初期においてもエゥーゴ/ティターンズ両陣営で多数が使用された。
0088年の第一次ネオ・ジオン抗争時には旧式化しつつも、支援攻撃機RGM-86RジムIIIに更新改修され、再配備されたことからも分かるように、ジムそのものの基本性能と信頼性の高さが窺がえる。連邦軍がジム系MSを使い続けたのは、保守的な体質もあるが基本的にその信頼性の高さに重きを置いていたからであった。以降、ジムシリーズはその後継機も含めて、70年近くに渡り連邦軍の主戦力としてその座に就き続けることになる。
機種一覧
RGM-79Aジム
RGM-79Bジム
RGM-79Cジム改
RGM-79Dジム寒冷地仕様
RGM-79Gジム・コマンド
RGM-79GSジム・コマンド
TGM-79Aジム・トレーナー
TGM-79Bジム・トレーナー
TGM-79Cジム・トレーナー“カナール”
RGM-79Aジム
地球連邦軍初の量産型MS、RGM-79ジムの初期生産型でジャブローで稼動開始した最初のMS製造ラインで試験的に生産された機体。ジャブローでテストされていたRX-78-1のデータを元に設計されており、IMPCのバージョンも初期のものがA型に分類される。
ジムの基本構造そのものは、プロトタイプであるRX-78ガンダムとほぼ同一であったが、生産コスト高騰化を押さえるために複雑な構造を要求するコア・ブロックシステムが廃止され、通常型コクピットに変更。各部も設計が単純化され、コストダウンを試みがなされている。
ガンダムにおいて採用された脱出システム、コア・ブロックシステムは生残性を高め、貴重な実戦データとパイロットを無事に回収させるための手段として採用されたが、その欠点として構造の複雑化や、腹部に可変戦闘機を入れることによる腹部装甲の脆弱化などが挙げられ、量産機では防御力強化とコストダウンを含めてコア・ブロックの廃止が決定された。
コア・ブロックシステムは優秀な脱出システムとして開発時より注目を浴びていたのだが、実際は問題点も多く、肝心の直撃時に機体のシステムがダウンし、本体からコア・ブロックを分離・離脱させることが不可能であるとのシミュレーターからの結果を受けて、コア・ブロックシステムの量産機クラスへの採用は断念せざるえなかった。
装甲材にはRXシリーズに採用されたルナ・チタニウム(後のガンダリウムα合金)から、低コストで調達が可能でなおかつ生産性の高いチタン合金・セラミック複合材に変更された。
ルナ・チタニウムはチタン系金属のレア・メタルで精製コストも高くつくため、試作機クラスでなければ採用は不可能で、大量生産を行うジムには使用されず、通常のチタン合金となっている。
しかし、ジオン軍MSが多く採用している超高張力鋼とは段違いの防御力を備えており、質でルナ・チタニウムよりも若干落ちるチタン合金でも充分に使用に耐えうるとされた。また、ルナ・チタニウムもチタン系合金であるため、ルナ・チタニウムの精錬技術をチタン合金にフィードバックさせ、強度を高めることも可能であった。
ジムで採用されたチタン合金・セラミック複合材はジオン軍の戦略を一変させるもので、マ・クベ大佐主導による機種統一計画においてもモデルチェンジされたMS-06FZザク改、MS-09RIIリック・ドムII、MSM-03Cハイゴッグの装甲が超高張力鋼からチタン合金・セラミック複合材への変更を迫られた程である。
頭部ユニットの構造はRX-78ガンダムのデュアル・アイタイプと違い、RX-77ガンキャノンと同タイプのバイザータイプに変更された。コストダウンのための徹底した簡略化処置だが、バイザー内のセンサー類はガンダムやガンキャノンと同様のデュアル・アイ式となっており、センサー性能はガンダムと同等である。
ちなみに、後のRGM-79Gジム・コマンドではジオン系のモノアイを内装しており、連邦軍が主力であるジムにどのセンサー・カメラシステムを使用するか、模索していたことが分かる。
額部左右にはRX-77/78同様、60mmバルカン砲も装備し、接近戦や威嚇発砲に用いられる。頭部のバルカン砲装備は連邦軍MS特有のものとなるだけではなく、多くのMSに採用される方式となる。
腰部アーマーにはRX-78ガンダムのように、ヘリアム・コアは配置されておらず、ここにもコストダウンのための簡略化が施されている。これはRX-78-2ガンダムよりもジェネレーター出力が低く、ヘリウム・コアによる冷却を必要としなかったためで代わりに装甲厚が増え、大腿部関節の被弾率を低下させることに成功した。
こうして、ジムの基本装備がまとまり、初期型となるA型は0079年8月末にはすでに生産第一号機がロールアウトし、A型仕様ではおよそ100機程度が生産された。基本性能や武装そのものは主力機となったB型と差はほとんどなく、IMPCのデータベースや各種OSのバージョン違いのみである。
先行してロールアウトしたA型は少数ながらも地球上の戦線に送り込まれ、本格的な実戦配備はオデッサ作戦より開始された。この時、30機程度のジムA型が投入されたが前線に配置されることはなく、RX-75Cガンタンクと共に後方で補給部隊やビックトレーの護衛任務などの裏方的な支援に回り、ジオン軍MSとは交戦していない。これはデモンストレーション的な意味合いが強かったようだ。
ちなみにオデッサ戦に投入されたA型は虎の子であるビームスプレーガンを装備せず、90mmマシンガンやハイパー・バズーカなどの実弾兵器中心の装備を施されていたと言われている。
A型の初の実戦参加は0079年11月末のジオン軍のジャブロー攻略作戦で、ジオン軍降下MS部隊から基地を防衛すべく、ロールアウトしたばかりのB型や他のバリエーション機と共に多数が出撃し、基地内への侵入を図るジオン軍MS部隊と初の大規模なMS戦が行われたという。
ジオン軍降下部隊はジャブロー基地からの苛烈な対空砲火や、フライマンタやTINコッド、コア・ブースターなどの航空機による集中攻撃でその大半が地表へ降り立つ前に撃墜されるという惨憺たる結果に終わっていたが、砲火を潜り抜けたMS隊やアマゾン河から通じている地下水路から潜入した水陸両用MS部隊などが潜入に成功し、地下の各施設ではMS同士の戦闘が発生したのである。
この時、連邦軍初の量産型MSとなったジムが基地防衛のために本格投入され、その威力を発揮した。ビーム兵器を標準装備したジムは実弾兵器しか装備しないジオン軍MSにとって脅威そのものであった。
また、ビーム兵器を装備する水陸両用機も投入数そのものが少なく、基地内に潜入した機体のほとんどがビーム兵器を装備しないMSM-04Cアッガイだったこともあり、大半の機体はジムやガンダム、ガンキャノンなどの共同攻撃によって全滅した。連邦側も新型のズゴックによる損害が出たが、ジムの威力がいかんなく発揮されたといってもいいだろう。
基地内の防衛に回った一部のA型はビームスプレーガンではなく、RX-78-2ガンダムと同仕様のビームライフルを装備携行していた機体もあった。これらの機体はビームライフル側の高い出力要求によるジェネレーターのオーバーヒートを防ぐために、ライフル側にリミッターが設けられ、射撃回数や火力に制限がつけられていた。
これはジオン軍の水陸両用MSが基地内に侵入したことに対する「暫定的」な処置であり、ジムでもリミッター設定を行えば充分にビームライフルの運用が可能であったことが分かる。ジオン軍のMSM-03BゴッグやMSM-07Aズゴックは高い火力を持つことから、対抗するためにジムにも高い火力を一時的に付加させたというわけである。
その後、A型はB型に合わせたIMPCのバージョンアップが施され、各戦線へ配属されていった。B型が宇宙上の戦場へ優先的に送られたのに対し、A型はアジア戦線やヨーロッパ戦線などの地上の戦線に送られており、対照的と言えるだろう。
RGM-79Bジム
A型の先行生産で判明した細かい欠点を修正し、正式に生産を開始したのがB型であり、一般的に知られているプレーンタイプのジムはこのB型を指す。先行量産のA型との違いはIMPCなどの機体制御系のOSのみであり、外見の違いはない。
B型仕様の生産は0079年秋から開始された。機体操縦においてパイロットの補佐を行うIMPCはA型のRX-78-1のデータから得られたものから、サイド7襲撃事件以降、戦闘を続行しているRX-78-2ガンダムの2号機や、ジャブローでテストが続行されていたRX-78-2の5、6号機から得られたデータがフィードバックされた。
実戦を経験した機体から引き上げられたデータを利用しているため、基本的な戦闘力はB型の方が高く、MSの操縦に慣れていない新人パイロットであっても比較的簡単に扱えるものとなった。
各種データやサンプル、実機を崩壊したサイド7からジャブローへ届けるために、孤立無援ながらもジオン軍の追撃を次々と撃破してきたアムロ・レイ少年操縦のRX-78-2が蓄積してきたデータをフィードバックしたB型は、初の実戦型ジムというべき機体となった。
データの受け渡しはRXシリーズのテストトライアル母艦であったペガサス級二番艦「ホワイト・ベース」が地球へ降下し、北米大陸からユーラシア大陸へ移動する途中と、オデッサ作戦の直前に補給部隊と接触した時に行われた。
これらのデータはジャブローと、オーガスタの兵装研究所に送られ、後継機や量産機のアップデイトに活用されることになる。
この時まで、ガンダムは数々の実戦データを教育型コンピュータに蓄積させており、MS戦闘の実績がほとんどない連邦軍にとってまさに貴重なサンプルであったことが窺がえる。
そして、RX計画を進めていたジャブローの開発チームは自軍MSの戦闘データを入手できるという僥倖に恵まれ、急遽、生産が開始されたばかりのジムA型に、ホワイト・ベースと接触した補給部隊からもたらされたばかりの戦闘データのアップデートを行った。
すでにロールアウトしたばかりのA型の他に、生産中のジムは全てこのバージョンに書き変えられ、初期生産タイプと区別するためにB型として区分された。
星一号作戦までにジャブロー、ルナツーを始めとする各拠点で生産されたジムのIMPCは全てこのB型に切り替わり、順次、宇宙上の部隊へ送られていった。B型のIMPCは空間戦を想定したバージョンアップがなされており、宇宙空間での作戦行動に従事するパイロットに考慮したものとなっている。
B型の代表的な武装としてビームスプレーガンが知られている。ビームスプレーガンは簡易型ビームガンで、通常型のビームライフルよりも火力は低く押さえられているが、射撃回数がRX-78ガンダム装備のビームライフルよりも増え、連射も可能となった。
ビームライフルは火力こそ高く、当時のMSが持ちうる最大の威力を持つ火器であったが、電力を大量消費するため射撃回数が少なく、Eキャップによる補佐があっても連射が不可能だったため、MS操縦経験の低い連邦軍パイロットにとっては却って扱いにくい武装であった。そのため、先行配備されたA型ではビームスプレーガンこそ用意されていたが、実際にはマシンガンなどの実弾武装が施されることが多かったという。
しかし、ビームスプレーガンの要求出力はビームライフルの七割程度で済み、充分に使用に耐えうると判断されたため、ジムの主力武装に採用された。また、民生用の掘削用プラズマ・ガンの機構を流用出来るという利点もあり、低コストでの生産が可能となった。
また、エネルギーエンプティ時のエネルギーチャージ時の時間がビームライフルに比べて短く済むため、場合によってはビームライフルよりも使い勝手のいい武器となり得たのである。
もう一つの武装であるビームサーベルはRX-78ガンダムと同タイプだが、装備数がガンダムの二本から一本へ減じている。防御用シールドはガンダムと同設計で、チタン合金・セラミック複合材製である。
B型はジャブローとルナツーを中心に生産が行われ、宇宙上に打ち上げられたレビル艦隊のMS部隊に配備された。ジャブローの生産のみでは追いつかないとし、ルナツーでは再編中の艦隊のためにジムの生産ラインが整備され、平行して生産が開始された。
0079年12月初旬にジャブローから衛星軌道上へ打ち上げられたレビル艦隊はMS部隊を含めた演習を行い、来る星一号作戦へ備えた。
その間、ジオン軍の追撃部隊やパトロール艦隊との遭遇戦があり、この際に実地訓練を兼ねて、連邦軍初のMS部隊が出撃し、次々とジオン軍部隊を撃破した。
ジムの宇宙上での初の戦線投入と言われている星一号作戦では、その多くがMS操縦訓練の日数が浅いにも関らず、連邦軍MS部隊がジオン軍と対等に戦えたのは、パイロットを補佐してくれるIMPCだけではなく、この間の遭遇戦による実戦経験の積み上げの結果であったと言えるだろう。
こうして、ジムB型は大戦末期の連邦軍の主力機として、連邦の反攻作戦の要として戦線を支えたのである。ビーム兵器を装備するMSはジオン軍にはまだ少なく、またビームライフルの装備化を実現させたMS-14ゲルググは生産が開始されたばかりで、配備も一部のエリート部隊やア・バオア・クー要塞に偏っていたためにジムの脅威とはなりえなかったのである。
また、ジムについてはRX-77D量産型ガンキャノンやRB-79ボールなどの後方支援を受けて最大5機で集団行動するため、ビームスプレーガンの火力の脆弱さも補われていたといってもいいだろう。
当初、推力の高いジオン軍のMS-09Rリック・ドムや最新鋭のMS-14ゲルググにジムが対抗できるか不安視されていたが、ジムに関しては通常の3機で一小隊を構成するのではなく5機で一小隊とすることが決定され、集団戦法を行うことで敵が高性能MSであった場合の対処法としている。
5機一小隊という特例は、連邦軍が未知の新兵器であるMSを本格採用し、なおかつ軍内部にはMS操縦やMS同士による戦闘を経験した者がほとんどいなかったことから、実際にMSを主力兵器として採用した際の安全係数を取ったためである。
ジム部隊の5機一小隊体制は後にパイロットがMS操縦と戦闘に慣れ、ジムに改良が加えられ、性能が向上すると従来の3機一小隊へ再編していくことになるが、星一号作戦、チェンバロ作戦を通じてジムは5機一小隊の原則が崩れることはなかった。
ただし、ジムでも高性能のGS型やSC型などの機体や、RX-77ガンキャノン系列、RX-78ガンダム系列との混成部隊を構成する場合は3機一小隊での編成が見られたという。
かくして、ジムB型は連邦軍を大戦での勝利に導いた立役者となったのである。戦後も生産数こそ減らされたが、各地で反抗を続けるジオン残存兵の討伐や治安回復のために生産は続行され、ジオン残党狩りにも多くのB型が投入された。B型は各地で抵抗するジオン軍残党部隊を鎮圧していった。
しかし、0081年頃になるとさすがのジムでも性能に限界が見えたため、同年に発動された連邦軍再生計画とセットする形でB型のバージョンアップが計られた。
それは後のRGM-79Cジム改として完成を見るが性能的に見栄えするものではなく、改修もごく少数しか行われなかった。0083年に勃発したデラーズ紛争時でも、大半の部隊では大戦時のバリエーション機や、従来のB型が使用されていたと言われており、そのために多くの部隊がデラーズ・フリートの旧式MS部隊に苦戦することになる。
ジオン軍残党は旧式のMS-06ザクやMS-09Rリック・ドムしか保有しておらず、性能的には連邦軍のジム系MSに数でも質でも劣っていた。
しかし、残党軍は数や質を補うために徹底したゲリラ戦に転換し、これに大戦末期に開発され、さしたるマイナーチェンジを施されていないまま、主力機として配備され続けていたB型の性能で対応するには限界があったのだ。
残党ゲリラは戦い慣れした古参パイロットが中心となっているのに対し、連邦軍のジムのパイロットのほどんどが実戦経験の浅い、新人パイロットだったことも敵MSがジムよりも性能的に劣っているにも関らず、苦戦に追い込まれた一因であったと言えよう。
これら残党のゲリラ作戦に対抗すべく、ジムのマイナーチェンジ化工事が開始された。これはジェネレーター出力の向上やコクピットのリニア・シート化、センサー類の強化などの機体更新工事であり、デラーズ紛争終結後、0084年から改修が開始された。これはR型と呼ばれ、後に登場するRMS-106ハイザックの支援機として長い間、配備され続けることになる。
R型の大半が大戦時から生産されているB型から改修が行われ、0080年代中頃には連邦軍が保有する一万機近くのB型がR型への改修を終えた。
こうして、ジムB型は七年もの間、C型、R型への改修を受けつつ、連邦軍の主力MSとして配備され続けるのである。0087年に勃発したグリプス抗争でもエゥーゴ、ティターンズ双方の陣営で使用され、さらにRGM-86RジムIIIに改修された機体も多く存在し、結果的にジムは0090年代後半まで主力機として配備されたことになる。
これはベースとなったRX-78ガンダムの基本性能が高かったことの証明でもある。ガンダムが高いポテンシャルをコンスタントに受け継いだジムは、量産型MSの中では高い汎用性とコストパフォーマンスを持つ機体となったのだ。
RGM-79Dジム寒冷地仕様
極地にある連邦軍拠点の警備を目的として開発されたRGM-79ジムの寒冷地仕様がD型である。極地での活動を視野に入れた改修が施されているが、基本性能はA/B型と変わりはない。
連邦軍は先行量産させた少数のA型を試験的に各地の戦場へ送り込み、実戦投入させていたが、極地の戦場に配備された機体が厳しい気候に耐えられず、不具合を発生することもしばしばであった。
MSの運用では先んじているジオン軍でも熱帯地域での砂塵による機械故障に悩まされていたが、連邦軍も同様に極地での関節などの駆動部の凍結や目詰まりによる故障に悩まされていたのである。
特に北欧、北極、南極は連邦軍勢力下にあり、これらの寒冷地にMSを配備するためには極地対策を施した機体であることが望ましく、寒冷地仕様の開発が行われた。それがRGM-79Dである。
D型はA/B型を始祖とするジム・バリエーションの中では比較的早い時期にロールアウトした機体で、B型の生産とほぼ同時期にジャブローの兵器開発工廠にてロールアウトしている。極地に先行配備されたA型からのデータをフィードバックしたことも、早期ロールアウトに貢献したものと思われる。
D型は寒冷地対策として、関節部などの駆動部に凍結防止処置を施し、頭部センサーをツイン・アイ式から固定モノアイ式に変更し、センサー範囲能力が強化された。吹雪などの悪天候時には視界が極端に悪くなるため、センサー関連の強化は必須であった。
バックパックのバーニアは二発式から四発式に変更され、若干ながらも推力が向上した。このバックパック構造は後のRGM-79Cジム改にも受け継がれ、RGM-79RジムIIではセンサー類が追加されながら同設計の物が採用された。
推力強化は寒冷地での活動を考慮したもので、ジャンプ時に使用するバックパックのバーニアを四発にすることで、バーニア凍結による故障でも安全係数を取っているわけである。
それ以外での性能はA/B型と変わりはなく、武装類も共用が可能だが、極地の拠点防衛が主任務であるD型はビームスプレーガンではなく、実体弾型ライフルを主力装備とする場合も多い。
ビームサーベルもバックパックに一本を装備しており、武装配置レイアウトはA/B型と共通している。
D型仕様のジムはロシア戦線において多数が実戦配備に移され、ロシア地区に進駐していたジオン軍をヨーロッパ方面へ追い込むことに成功している。極寒の地でも大した故障もなく稼動するD型は現場のパイロットや整備兵からの評判も好評であった。
ロシア戦線でのD型の活躍を見る限りでは、D型は高いポテンシャルと整備性を持っていたことが分かるだろう。
北極基地に配備されていたD型は0079年12月初旬に発生したジオン軍特殊部隊による襲撃において、北極基地内に潜入したジオン軍MS部隊を迎撃するべく動員された。
連邦軍はこの時、北米オーガスタ基地の兵装研究所で極秘裏に開発が続けられていた新型MSをサイド6へ送るべく、北極基地の宇宙港に搬入されており、ジオン軍はそれを狙って襲撃を行ったものである。
連邦軍は新型MSを無事に宇宙へ送り届けるために基地の放棄を決定し、防衛用のD型も全機が無人操縦モードに切り替わっており、人員の大半はすでに基地を脱出していたと言われている。無人操縦モードのD型が敵MS部隊を釘付けにした結果、新型MSを載せたエンタープライズ級シャトルの打ち上げに成功した。
戦後、D型は寒冷地への配備のために大戦時の戦没分を補充するために生産が行われ、北極や北欧、ロシア、アラスカなどの極地の連邦軍基地に配備された。
さらに0084年頃から改修が開始されたRGM-79RジムIIとの共通化工事が施され、リニア・シート化、ジェネレーターの出力向上など、R型と同等の更新工事が行われた。D型はB型に次いで生産数の高い機体だったこともあり、更新工事は必要不可欠であった。
0087年頃まで寒冷地の警備用MSとして配備され続け、グリプス抗争時にも多くの機体がカラバ所属機として抗争に参加したが、新型の第二世代MSの台頭によってその活躍の場を序々に狭めていった。
そして、0088年頃には一部の機体がRGM-86RジムIIIへの改造母体として供出された以外には、全機が退役し、連邦軍の新主力機となりつつあったジムIIIシリーズに代替されていった。
RGM-79Gジム・コマンド
RGM-79ジムの指揮官仕様機として開発された機体で、アムロ・レイ搭乗のRX-78-2ガンダムの戦闘データを元に設計されたため、基本形となったA/B型よりも高い性能を誇る。
当初、ジム開発初期において設計に関して大きく分けて二つの流れがあった。一つは基本系のA/B型系列。こちらはRX-78-1の初動データをベースに設計された初期型であり、B型はジャブロー基地に届けられたアムロ・レイ少年(後の曹長→少尉)搭乗のRX-78-2ガンダムの戦闘データを利用してA型のIMPCのアップデートを行い、空間戦主体のプログラムがなされた標準型である。
それに対し、ジャブロー基地に到着したRX-78-2ガンダムの実機と当時、同時進行で北米オーガスタ兵装研究所で開発が行われていたRX-78ガンダムの再設計機、RX-78-4(機体完成途中でにアムロ・レイ曹長用に再調整が加えられ、RX-78NT1アレックスに改称)の初期稼動データを組み合わせた改良・再設計案がG型を中心とする機体群があり、これら二つの設計の流れがあったことが分かる。
G型の基本設計はルナツー基地の兵器開発局スタッフが中心となってまとめられ、ジャブローとオーガスタから届けられたデータを元に設計に改良を加えたものである。
G型は先述の通り、ジムタイプで構成される連邦軍MS部隊の中隊指揮官機を想定した設計となっており、高い性能を持ちつつ、バラツキのない標準的な性能を持つMSとして完成している。
IMPCなどのソフトウェアはB型と共用しているが、ジェネレーター出力に改良が加えられ、出力の点ではRX-78-2ガンダムよりも若干高くなっている。
出力が強化されたため、肩部にサブダクトが増設され、冷却周りの設計はRX-78NT1の設計を参考にしていることが分かる。
頭部はジムのベースであるガンダム系に近いレイアウトに「先祖帰り」し、顎部の機構形状などにそれらの傾向が見られる。しかし、メインセンサー・システムは連邦軍スタンダードのデュアル・アイタイプから、単純なモノアイ式に変更された。
ジオン軍で多く採用されていたモノアイ式の採用は当時としては試験的なもので、連邦軍がデュアル・センサーとモノアイの双方を使用して、今後の主力機改良のため施行錯誤をしていたことがうかがえる。
ちなみにG型のモノアイはバイザー内に内装され、ジオン系MSと違って固定式となっている。広く視界を得るには頭部の首振りのみで行うため、この点では固定式であるデュアル・アイタイプと大差はない。後のC型、R型も低コストな固定モノアイ式を採用し、後のジム系は全てバイザー内にモノアイを内装する形をとるが、G型はその先駆けと言えるだろう。
武装はビーム・ガンを主力装備とする。ビーム・ガンはビームスプレーガンとビームライフルの中間的な武装で、ビームライフルの高い火力とスプレーガンの高い再チャージ能力の双方を有する武装である。
ビーム・ガンは後のEパック方式に近いエネルギードライブを採用しているため、ジム系MSであればどの機種でも装備、使用が可能である
また、コロニー内を含む人工重力区での警備を前提とした装備も用意されており、90mmマシンガンと実弾による攻撃に強い曲面シールドを装備する場合もある。
連邦軍MSはガンダムからジムを含めて、シールドは今までの六角形の平面シールドを共通して装備していたがこの新設計のシールドは曲面主体で構成され、実弾による攻撃に対して高い防弾性を誇る。
後のSP型やN型、Q型、MSF-007ガンダムMkIII“ヴァルキューレ”などにも専用シールドとして、同設計のものが採用されている。
最初の改良バージョンとなったG型は全領域型として開発され、0079年12月から開始された北米奪還作戦と激戦が繰り返されていたアフリカ戦線へ試験的に投入が決定された。ジムで構成されるMS部隊の指揮官機用として部隊指揮官パイロットを中心に支給され、その高いポテンシャルを発揮した。
ちなみに、ルナツーで生産されたG型はサイド6や月面自治都市などの中立都市向けの警備用MSとして各都市に輸出され、中立都市の警備部隊などに制式採用されている。
大戦末期はジオン公国軍の戦況が悪化しており、今まで中立を堅持していた一部の月面自治都市やサイド6政庁などでは序々に連邦政府側に向いた政策へと転換を図りつつあった。
特に月地区はジオン軍の勢力下でもあり、月面自治都市の中から連邦に寝返った都市が出ればその影響は計り知れず、ジオン軍は中立都市が連邦へ寝返ることを牽制するべく、軍事的な圧力を強めたのである。
これらの処置はグラナダなどの親ジオン派の大都市からの物資供給の輸出制限から、該当都市に所属する輸送船や定期旅客船の拿捕や入港拒否、あるいは撃沈などの厳しいものも含まれていた。
また、サイド6内の親連邦派バンチに対するジオン軍の圧力も高まり、それらの軍事的な揺さぶりに対して連邦政府は連邦陣営につくことの見返りとして、連邦軍内でも最新鋭であるG型を警備用MSの名目で各中立都市に供給してジオン軍に対する牽制テロ対策を強化したのである。
サイド6のリボー、ウェストファリア、ヴィーネなどの親連邦派バンチの自治府に属する警備部隊「リーア軍」に多数のG型が優先的に配備されていたのも、こうした背景があったためである。
しかし、リボーに配備されたリーア軍所属のG型は同年末に発生したジオン軍特殊部隊によるテロ事件時に多数が出撃したが、パイロットの経験不足もあってその大半が撃破され、有効な防衛戦力とはなり得なかった。
戦後は月面都市などの警備・治安部隊向けに生産が行われ、連邦軍のグラナダ駐留部隊や、アナハイム市の治安部隊に採用され、AE社でもMS開発技術を向上させるためにライセンス生産を行った。
G型は最終的には0084年まで生産が行われ、月面都市やコロニーへ警備用MSとして輸出された。
RGM-79GSジム・コマンド
G型をベースに、空間戦主体の装備を追加した機体はGS型として区分される。基本性能はG型と変わりはないが唯一の相違点はバックパックにあり、空間戦用の高機動タイプに換装されているのが特徴的である。
バックパックはバーニア数が多く、当然のことながら推力とペイロードが強化され、空間戦での機動に強い機体となった。また、広範囲での部隊指揮管制をサポートするため、センサーや通信能力が大幅に強化されている。
G型は当初、コロニーや地上、月面などの重力区での稼動を想定した設計でバックパックは推力が押さえられた物が用意されていたが、空間戦を行うには力不足だったことが判明し、新たに高機動型バックパックが用意され、ア・バオア・クー攻略作戦に投入されるG型に急遽換装された。これがGS型に当たる最初の機体となった。
また、リーア軍に配備されたG型のうち、宇宙港や周辺の非武装地帯などの空間警備の任務に就く機体にも同様の装備が追加された。
GS型用に開発された強化バックパックユニットは換装が容易で、また一部のB型も試験的にGS型用バックパックを装備した機体も確認されており、他のジム系シリーズとの互換性が高かった。
武装類はG型と共用しており、標準装備はビーム・ガンと曲面シールドである。ビームサーベルはバックパックの設計変更によってバックパック側にドライブすることが不可能となったため、腰後部に移された。サーベルは二本装備されている。
GS型にとって本格的な緒戦となったア・バオア・クー会戦では、ビーム・ガンの他にRX-78ガンダム用ビームライフル、ジム用ビームスプレーガン、ハイパー・バズーカなどを装備した機体も多く確認されており、幅広い武装の共通使用が可能だったようだ。
GS型はア・バオア・クー会戦においてジム部隊の中隊長クラスを中心に支給され、B型を率いて行動する姿が多く見られた。また、高い指揮管制能力を活かして広範囲空間に散開する所属機を効率的に指示を与えることが可能となり、中隊長パイロットには高い評判を得るに至った。
指揮官クラス用に少数が生産されたのみだったため、戦場で見かけることは少なかったが、大戦後もジオン軍残党の討伐に投入された。
その後はR型との共通化改造を受けつつ、指揮官専用機として配備され続けていたが、第二世代MSの台頭によって旧式化が目立つにようになり、グリプス抗争後半には序々に退役していった。
RGM-79Cジム改
一年戦争後にRGM-79Bジムを改良した機体で、全体的な性能向上を目指した改良機である。0081年に立案された地球連邦軍再建計画における主力MSの性能向上対策を睨んだもので、今後の連邦軍主力MSの基本系となるべく開発された機体である。
当時、連邦軍は経済再建を優先され、前大戦で荒廃した組織や装備の再建は後回しにされており、莫大な費用がかかる新型MSの開発も凍結されていた。しかし、各地でジオン軍残党がMSを動員してテロ攻勢に出たため、それらの後始末のために軍備を再編し、強化する必要に迫られた。
特にアステロイド・ベルトへ逃亡したジオン軍残党が健在だったことが連邦軍上層部にとって潜在的な脅威となりつつあった。これらの勢力に対抗して一週間戦争の二の舞を繰り返さないためには軍備を再建し、強化する必要があったのだ。
また、ゲリラ化したジオン軍残党に実戦経験の少ないパイロットが搭乗するジムB型だけでは対応できず、早急な対応を迫られることになったのだ。
そこで、新型機開発までの繋ぎとして残存するB型を改良する作業が開始された。それがC型と呼ばれる機体である。当時、連邦軍には大戦後に生産された分を含め、B型は一万機近くが地球圏に配備されていたこともあり、これらの保有機を有効に再利用するためにも、C型へのバージョンアップは必要不可欠でもあった。
改良に際しては大戦時に生み出されたバリエーション機が多く参考にされ、バックパックはD型、関節部とセンサーシステムにはGS型のものを流用し、性能を高めた。Gシリーズのセンサーを流用するため、メインセンサーは固定モノアイ式となった。
しかし、一方で次世代MSとして欠かせないリニア・シートや全周回式モニターを採用せず、ジェネレーター出力はB型から向上していないことから、B型と変わり映えのしない機体となってしまった。
リニア・シートや全周回式モニターシステムは大戦末期に試作されていたものの、一部の試作機に採用されたのみで、量産型MSへの導入は技術的な問題もあってC型においては見送られることになった。これは同時期に生産されていたN型も同様であり、R型とRMS-106ハイザックの登場を待つことになる。
こうした点を見ても、C型はあくまで次期主力機開発までの「間に合わせ」的な改良しか施されていなかったのである。推力やセンサー有効範囲は向上しているものの、武装はビームスプレーガンや90mmマシンガンなど火力が貧弱で、ゲリラ戦に転じたジオン軍残党に対抗するには苦しい装備であった。
最低でもRX-78ガンダムクラスのビームライフルを標準装備化できるまでの改良が必要であったが、B型から大きな変化のないC型はパイロットからの評判も良くなく、0083年のデラーズ紛争時で投入されたものの、ゲリラ戦で鍛えられた残党軍パイロットが搭乗する旧式機に苦戦する局面も多く見られた。
武装はB型と同じだが、平時体制だったためビーム兵器を装備せず、先述の通り、90mmマシンガンを装備することも多かった。
C型のほとんどが在来のB型からの改修が大半で、C型規格で製造された機体は少ない。しかし、パイロットからの評判が芳しくないことや、デラーズ紛争での混乱から所定の改修数を満たすことなく改修は中止された。
そして、デラーズ紛争でのC型の力不足の反省から、B/C型を含めた主力機に全面的な改修を施す計画が立案され、RGM-79RジムIIへのアップグレードが行われた。R型において、次世代機として欠かせないリニア・シートや全周回式モニター、出力向上によるビームライフルの装備化が実現し、性能の底上げに成功したのである。
大戦時の機体から性能的に変わり映えのしないC型であったが、後の全面性能向上型であるR型への掛け橋的な役割を果たした、過渡期時な機体と言えるだろう。
TGM-79Aジム・トレーナー
RGM-79ジムのパイロット教習機として開発された機体で、戦車や戦闘機からの転換組パイロットの訓練目的のために設計された。
連邦軍は一年戦争中期からMSの試作に着手し、着々と新兵器MSの実用化を進めていた。その中でMSという未知の兵器の操縦経験を持つパイロットはほとんどいなかった。連邦軍に初のMS部隊が創設される場合、当然のことながら、それらの部隊のパイロットを調達する必要に迫られたのである。
パイロット候補生は宇宙戦闘機パイロットを中心に選ばれ、さらに陸上戦車の操縦士や大気圏内戦闘機パイロットなど、別々の兵科から早急にかき集め、訓練を施す必要が出てきた。いくら性能の高いMSを開発できても、それを操縦し、性能を活かす人員がいなければ話にならない。
連邦軍はMS開発と同時進行で、パイロット候補生を次々と育てていった。そこでジオン軍から捕獲したMS-06ザクを利用して試験MS運用部隊を編成し、運用上の問題を検討しに入っていた。
この時に経験の浅い連邦軍MSパイロットを補佐する教育型コンピュータを操縦系に組み込むことも決定され、さらにザクの機構を流用し、RX系MSの機構試験機であるRRf-06ザニーが試験運用に入っていた。これらの部隊に配属されていたパイロットは当然ながらMS操縦経験者だが、捕獲ザクやザニーで構成された試験部隊のみでは大量のパイロットを養成することは不可能である。
そこで、連邦軍は主力機として投入が決定されていたRX-78ガンダムの簡易量産機をモデルにしたパイロット教習訓練機の同時開発を指示した。この種の機体開発は実戦型機よりも先に行うべきであったが、戦況が逼迫している状況下では実戦に耐えうる機体を優先して開発しなければならず、実戦に使用しない教習機の開発まで手が回らなかったのだ。
そして、教習用MSのロールアウトまでの間、機種転換作業やパイロット操縦訓練は全てコンピュータシミュレータに代用する形で開発は進められた。
こうして開発されたのがTGM-79Aジム・トレーナーである。ロールアウトはジム最初の実戦型であるA型のロールアウトと同時期にまでずれ込み、大戦末期に100機程度が完成し、パイロット訓練に使用されることになったが、続くB型のロールアウトの時点ではパイロットの大半はシミュレーターによる訓練を終了しており、大戦時のパイロット養成に寄与することなく、後方の拠点で新人パイロットの育成に役立てられることになり、TGM-79が本格的なパイロット養成に使われ始めたのは戦後になってからのことである。
ジム・トレーナー最大の特徴は、胸部コクピットブロックが大型化され、副座型になったことにある。通常コクピットの上部にグラフルーフ式の教官用コクピットが増設されており、教官用コクピットからの機体操縦も可能である。グラスルーフ式となったのは、教官席からMSの歩行状態などをチェックするためである。
実戦用の武装は一切施されておらず、装甲も生産コストを下げるために通常のジムタイプよりも一ランク下の材質が用いられた。訓練用として早急な実用化が必要だったジム・トレーナーでは徹底的なコスト・ダウンと、不必要な機能のオミットが試みられているのである。
頭部の60mmバルカンは省略されており、実戦に則した設計ではないことが分かる。唯一の武装は背部バックパックに装着されたビームサーベルだけで、訓練時の敵襲に備えたものである。実際に訓練中での敵部隊との遭遇はジム・トレーナー導入後一度もなかったため、この武装についてはほとんど使われることなく終わっているが、ビームサーベルの使用訓練などで役立ち、標的の無人機に対して斬りつけるなどの訓練も行われていた。
しかし、ジム・トレーナーはロールアウト以来、一度だけ実戦投入が行われた記録が残っている。0079年11月末のジャブロー攻防戦で、MS操縦訓練終了後にジオン軍のジャブロー基地侵攻が開始されたために、パイロット教官が慌ててジム・トレーナーで出撃し、防衛戦に参加したのである。この時、ジャブロー基地内は大混乱に陥っていたこともあり、本来、実戦には適さないジム・トレーナーまでもが動員されたところに、連邦軍の指揮系統が一時的に乱れていたことがよく分かる逸話だと言えよう。
この時、実戦参加したジム・トレーナーは一機のみで、基地防衛のために出撃したA型数機を率いて、防衛ラインを構築したという。
大戦終結後、連邦軍では本格的なパイロット養成プログラムを構築することになった。これは初等訓練にシミュレーター、中等訓練にミドルMS、高等訓練にジム・トレーナーを使用するというもので、質の高いパイロットを養成するには必要不可欠であった。ジム・トレーナーはその後もB型から改造されたタイプや、AE社が開発に参加したC型などが生み出され、長い間、地球連邦軍のパイロット教習訓練機として使用されることになった。
訓練機は実戦型に比べて高性能であることが求められることがないため、0087年に勃発したグリプス抗争での混乱の中で新型の訓練機を新規開発する余裕もなく、なし崩し的にジム・トレーナーが使われ続けたのである。
しかし、ムーバブル・フレームを装備した第二世代MSが登場し、コクピットにリニア・シートと全周回モニター式などの新技術を投入したMSが登場するに至ると、大戦時の旧式な装備のままであるジム・トレーナーでは操縦訓練に適さないなどの不都合が出てきたため、0090年には余剰化していたMSA-003Bネモを改造したMSA-003Tネモ・トレーナーに転換されることになり、ジム・トレーナーは序々に退役していった。
TGM-79Bジム・トレーナー
TGM-79Aジム・トレーナーの増備型で、大戦終結後、余剰化したRGM-79Bジムを教習機に転用した機体がB型である。
コクピットが副座型に改造された以外は、外見はTGM-79Aとほとんど同一だが、装甲材質は実戦型のB型と同一のままであるため、有事の際には戦闘用MSとして実戦配備することも可能である。
0083年頃からジムトレーナーA型の不足分を補う形で、余剰化したジムB型から改修が施されており、3000機近くが改造された。ジム・トレーナーの中では一番生産数が多い。
ジム・トレーナーは地球上にある連邦軍の拠点や、コロニー、月面などの基地にも配備が行われ、高等訓練機としてパイロット養成に利用されていた。イエローにカラーリングされた教官機に率いられたオレンジ色の実習生機が集団戦闘訓練を行う光景はどこの連邦軍基地でも見ることができたという。
ジム・トレーナーは高性能である必要がないため、長い間、改修を施されつつも連邦軍の各拠点で教習機として使用され続けてきた。グリプス抗争の勃発による連邦軍の指揮系統が乱れたことによって、ジム・トレーナーの代替機となる新規開発機も大幅に遅れたことも、結果としてジム・トレーナーの寿命を延ばすことになった。
最終的には後継機、MSA-003Tネモ・トレーナーによる代替が終わるまで、0092年頃まで各基地で教材として使用されていたという。
TGM-79Cジム・トレーナー“カナール”
TGM-79ジム・トレーナーの後期生産型。大戦中に生産されたA型、大戦後、A型の不足分を埋める形で当時余剰化しつつあったジムB型から改修されたB型に続く形で生産された機体がジムトレーナーC型である。
生産はAE社が担当しており、基本設計も当時、連邦軍の主力として改修が開始されたばかりのRGM-79Cジム改をベースにした設計がなされているのが特徴的である。
装甲材質は実戦用MSと変わらない材質を使用しているため、有事の際には実戦投入も可能となった。
頭部ユニットは訓練時の転倒による破損を考慮して、C型からは撤去されており、代わりに大型の複合ユニットが設置された。両肩部までの広い幅を持つ複合ユニットにはセンサー類や教育型コンピュータが一つにまとめられており、頭部ユニットの無いC型はジム系MSの中では異様な姿となった。
また、C型からはコクピットに新機軸であるリニア・シートと全周回式モニターを全面的に採用している。次期連邦軍の主力機ではこれらの機構が採用されるためで、教習機としては先進的な装備だったと言えよう。この時、連邦軍ではRMS-106ハイザック、RGM-79RジムIIなどのリニア・シート装備機が続々と配備され始めた頃でもあり、これらの教習機となるジム・トレーナーC型には欠かせない装備であった。
コクピットはA/B型同様、教官用パイロットを組み込んだ副座式を採用しているものの、C型では単独パイロット操縦訓練機として視野を入れて開発された機体でもあり、頭部の複合ユニット内に内装された教育型コンピュータによる補佐を受けられるようになっている。
0085年からAE社にて製造が開始され、順次、連邦軍に納入されていった。新型の教習機ということもあり、精鋭部隊であったティターンズの教育部隊に多数配備された。
これらのC型はティターンズに入隊した新隊員のパイロット養成に役立ったと言われている。
0086年中頃には生産は終了しており、在来のジム・トレーナーA/B型に比べると生産台数は少ない。これらの機体はリニア・シートなど、後の第二世代MSと遜色のないコクピット構造を持っていたため、改修を受けつつ、0090年代中頃まで中等訓練機として各地の基地で使用された。
ジム系MSパート2へ続く