地球連邦軍の主力モビルスーツ0079~0093
UC0079~0080年
●RGM-79ジム(0079年制式採用 0079年~0081年生産 0086年退役)
RGM-79系図鑑
地球連邦軍初の量産型MS。大戦後期に誕生せしめた名機「RX-78ガンダム」から得られた運用データをフィードバックし、生産性を高めるために設計の簡易化がなされ、ジェネレーターの簡略化、大量生産を阻害するコア・ブロックシステムの廃止、RX-77ガンキャノンからの運用データを元に改設計された頭部ユニットなどにそれが見受けられるが、原型機の高い汎用性をコンスタントに受け継いだ優秀な量産型MSである。
主力兵装はRX-78-2ガンダムが装備するビームライフルより火力の低いビームスプレーガンだが、連邦/ジオン双方の汎用量産MSで携行式ビーム兵器を標準装備としたのはジムが初となる。背部バックパックに装備する白兵戦用ビームサーベルはガンダムの二本から一本へと装備数が減じているが、出力などの仕様は同等。
ビームスプレーガンは当時、歩留りが悪く大量調達が難しかったビームライフルに代わる武装として、また出力がガンダムに比べて若干低いジム用のメイン兵装として開発されたもので民生用の掘削用プラズマ・ガンの機構を流用できることから低コストでの大量生産が可能であった。また、火力はビームライフルに比べて低いものの連射に強いという利点があり、MS戦闘に慣れていない連邦軍MSパイロットの間では意外にも扱い易い武装として概ね好評であったという。また、一射撃あたりの火力が低いために敵MSの熱源センサーで位置を知られにくいという副次的な効果もあった。
ウィークポイントである低火力を連続射撃と僚機やRB-79ボール、RX-77ガンキャノンなどの連携砲撃で補うというビームスプレーガンの運用構想は、誕生して間もない地球連邦軍MS部隊の基本ドクトリンである「物量作戦」に合致した施策だったと言えるだろう。
また、射撃回数が制限されるもののRX-78-2用ビームライフルの装備も可能である。ジャブロー攻防戦ではビームライフルを装備して火力を補った機体も多数存在し、また隊長機や火力担当機には優先して与えられることもあった。
事実上のガンダムの量産機となったジムは0079年9月頃よりジャブロー、ルナツーなどの軍工廠や地球各地の秘密拠点において生産が開始された。また軍直轄の兵器工廠のみでは生産が追いつかないため、セミ・モノコックフレーム製造ではヤシマ重工、ヴィックウェリントン社、スリースター重工、機関部はタキム社、光学機器や電子兵装はスーズ社とアナハイム・エレクトロニクス社、ビーム兵装はボウワ工業などの連邦陣営下の重工業・軍需産業が分担し、これ以外の民間メーカーも生産に総動員された。
初期生産ロットが連邦軍最初の反抗作戦となった「オデッサ」作戦時にて30機が後方警戒任務に投入されたものの、この時点ではジオン軍MS部隊との交戦は経験していない。実質的な実戦投入となったのジャブロー攻防戦である。同基地に侵入したジオン軍MS部隊に対し、ジャブロー基地配備機やジャブロー基地に集積されていた宇宙軍用作戦機などが防衛作戦のためにガンキャノンやその他のジム系バリエーション機と共に動員されて初陣を飾っている。この戦いでは少数の未帰還機や被弾機が発生し、損害を出しつつもジオン軍MSを各個撃破することに成功した。
こうして最大の戦場となったア・バオア・クー会戦までにバリエーションを含めて約5000機が製造(更に各拠点では終戦時には7000機近くが製造ライン上にあったとされる)され、宇宙軍をはじめとして急速に普及し、連邦軍の勝利に貢献した。基本性能ではジオン公国軍の主力機、MS-06FザクIIを大きく圧倒し、苦戦が懸念されたMS-09Rリック・ドムに対してもほぼ互角で戦える機体であった。
また、ジムにとって最大の脅威と想定されたMS-14ゲルググ系列についても、RX-77やRB-79などの火力支援機や性能向上を図ったバリエーション機との連携によって充分に対応が可能であった。一方、ゲルググの装甲やシールドに施された耐ビームコーティング処理やアブレーションも実際には気休め程度のものでしかなく、ジムの集団戦法にとっては耐ビーム加工が施されたゲルググの装甲もさしたる脅威ではなく、またゲルググの実戦配備が遅れたこともジムにとって脅威となりえなかったのである。
ジムがゲルググやリック・ドムに敗れるケースの大半は単純にパイロットの力量の差だけであり、逆に不慣れな学徒兵が乗るゲルググはMSパイロット訓練カリキュラムによって短期間で訓練され、また教育型コンピューターの補佐を受けて不慣れなMSでの戦闘では同じスタートラインに立っていたはずの連邦軍パイロットが乗るジムに対して決定的な優位に必ずしも立てなかったとも言える。
戦後も戦没分や戦車や航空機、宇宙戦闘機といった他機種部隊からの転換分を補うために生産が続き、最終的には10000機以上が地球圏全体に配備されるようになり、MS-06ザクIIと並んでバリエーションも多い。
大戦中に実戦配備に移された機体は初期生産型のA型、教育型コンピューターのアップデイトが施されたB型をはじめとして、D/F/G/GS/S/SC/SP/Lの各タイプと、TGM-79とRGC-80であった。また、Gシリーズのうち、基本系のG型はリーア軍や月面都市の警備軍などにも輸出された。
その後、RGM-79C、RMS-106といった後継機が配備されたために世代交代が行われて0086年には退役が完了したが、その大半はRGM-79RジムIIに改修されて支援MSとして再配備されている。これらの機体はグリプス抗争勃発時、エゥーゴ/ティターンズ両陣営によって動員され、初期の武力衝突においては同型機同士が砲火を交えたこともあった。
●RRf-06ザニー(0079年制式採用 0081年退役)
地球連邦軍のMS部隊創設期において最初の制式機となったMS。大戦初期、鹵獲したジオン公国軍のMS-06ザクシリーズに、開発中のRXモビルスーツの試作パーツを組み込んだ機体である。諜報活動や月のAE社、サイド6などの中立勢力経由で入手したパーツや、開発・製造元のジオニック社内の反ザビ派役員からの横流しパーツで構築された連邦軍内で最初からザニーとして新規製造された機体もある。
連邦軍はザクとガンダム・ガンキャノンからなるRXモビルスーツの中間種的なザニーを用いて、初期データ収集やMS部隊創設期における指揮官養成、及びMS運用の基本構築を行い、まだ実機が完成していないRXMSと並行して指揮官パイロット養成を行った。RX-78ガンダムに実装された教育型コンピューターの雛形はザニーの実証試験によって構築されたとも言われている。
しかしジオン軍規格のザクに、全く別物の連邦軍製MSの試作パーツを組み込んだだめ、ジオン軍純正のザクよりも性能、特に運動性において大きく劣る。あくまで実証試験用の機体であり、お世辞にも実戦向きの機体とは言えなかった。またジェネレーターはザクのままであったため、ビーム兵器のドライブは不可能でザクと同様、実体弾兵器をメイン武装とする。
メイン武装はロングレンジの無反動型実体弾ライフルで、RX-75ガンタンクの主砲を転用改造したものである。このほかにハイパー・バズーカやマシンガンなど、連邦軍MS用に開発された実体弾兵装の装備が可能であった。
ザニーはルナツーやジャブローの実験部隊に配備され、また実戦投入としては東南アジア戦線において配備が確認されているが、その後充分な数のRX-77ガンキャノンやRGM-79ジムが就役し、前線へ届けられると順次後方へ回されていった。オデッサ戦では後方での補給作業用としてジムと共に3機が配置されていたが、ジオン軍MS部隊と交戦する機会はなかった。
ジャブローやルナツーの教官やMS部隊指揮官候補生たちは、このザニーのあまりの低性能から「スクラップ寸前のポンコツ野郎」と呼び、頼りない性能と姿に当初は血の気の多いパイロット候補生から「俺たちにジャンク拾いでもやらせるのか」と司令部に非難が集中したという。
しかし、まだガンダムやジムもない、名前だけの地球連邦軍MS部隊揺籃期において、パイロットたちはこのザニーでMSのイロハを学んだといっても過言ではない。決して高い性能ではない、継ぎ接ぎのスクラップ当然の機体をどうにか動かし、無理やりにでも使いこなすことで彼ら指揮官パイロット候補生たちは貪欲にMSの基本を身をもって学んでいったのだ。
彼らにとっての連邦軍最初のMSはガンダムやガンキャノン、ジムといった高性能試作機や汎用普及機でもなく、この継ぎ接ぎのザニーであったことは間違いはない。
性能的に困難なザニーで育ったパイロットたちはジムの実戦配備後には立派な指揮官や教官として、更にやってくるジムのパイロット候補生たちを短期間で鍛え上げることが可能だったのである。
鹵獲機を改装し、三本指マニュピレーターを有するA型、横流しパーツを元に連邦軍工廠で構築され、ノーマルの五本指マニュピレーターとなったB型と二つのグループに分けられるが、総製造数は40機程度と少ない。RXMS実用化、及びジム制式化までの繋ぎでしかなく、またジオン系MSパーツの入手が困難であったことから、稼働率も低かった。故に後方の実験部隊や訓練部隊で集中配備され、パーツを大きく消耗する実戦への投入機会は少なかった。
唯一、東南アジア戦線では3機が実験的に実戦投入され、RX-77ガンキャノンやRGT-79量産検討型ガンタンクとの連携作戦において活躍した。損耗パーツは撃破したジオン軍MSのジャンクパーツから「現地調達」することでどうにか稼働率を維持したという逞しさである。しかし、大戦末期にジムが送り届けられるとザニーはジャブロー基地に返却されている。
戦後は補給部隊や工兵隊などの二線級任務として、戦後復興に活躍したが更に投降したジオン軍からの鹵獲機が多数、連邦軍MS部隊に雪崩れ込んだため、性能の劣るザニーは早々に退役していった。
最後までザニーを使用していたのはグラナダ基地の工兵隊で、基地拡張用に10機前後を運用していたがこれらも0081年には退役していった。出自が元ジオン機であることから盛大な退役式は行われなかったが基地には大戦時、ザニーでMS操縦と戦術を叩き込まれた古参パイロットや指揮官たちが集まり、ザニー払い下げを受けたAE社主催でささやかな退役式が行われた。
その後、ザニーはAE社に数機が引き取られ、研究用として動態保存された。AE社はこの連邦軍とジオン軍、双方の技術や設計が入り乱れているザニーに興味を持ち、これを元手に地道な研究を続けていたようである。AE社製MSの大半が連邦軍とジオン軍、双方の技術の融合系である最初の発想をAE社の技師たちに与えたのはこのザニーであったとも言われている。
UC0082~0083年
●RGM-79Cジム改(0082年制式採用 0082年~0085年生産 0086年、RGM-79Rへ更新開始)
RGM-79系図鑑
連邦軍の主力MS、RGM-79A/Bジムを改良したタイプで、戦後に新規製造されたタイプは全てC型に切り替わり、戦後型にあたるモデルである。A/B型からの変更点は頭部ユニットのメイン・カメラが固定モノアイ式に変更され、全体的に構造が複雑化した点が挙げられる。これはすでに戦時態勢ではないため生産日数に余裕が出たことによる改設計だったようだ。他にも腹部コクピットハッチブロックが独立可動するなど、凝った設計となっているのが特徴的である。
バックパックもスラスター配置数が寒冷地仕様としてアラスカ地区やロシア戦線に配備されていたD型にて採用されていた四発式となり、推力は強化されたものの基本的な出力はB型と同一で、今後のMSのトレンドとなることが予想されたリニア・シートと全天モニターシステムもこの時点では装備は見送られたため、抜本的な改良が施されたわけではなく性能的には前世代型ジムと大して代わり映えのしない機体であった。
こうした中途半端な改良に留まった理由としては、当時の連邦軍がジム改へのアップデイトの時点ではまだ次期主力機に対して態度を決めかねていたこと、また戦後軍縮政策やAE社への委託が決定していたガンダム開発計画やそれとリンクしていたザック開発計画(後のハイザックとなるMS)などの新規MS開発計画の進展や情勢を見極めたかったためでもある。故に戦時に落成したB型も並存して配備が続けられることになり、故にC型はあくまで既存機の不足を補う補完的な配備に留まったに過ぎなかった。
そのため、生産は大戦中や戦後の掃討作戦による損耗分や過酷な使用に耐えて寿命を迎えた機体の置き換え、航空機や戦車などの在来兵器を装備していた部隊への機種転換用などの不足分を補うだけに留まり、0083年のデラーズ紛争勃発の時点では戦時型であるB型が依然として多数派であった。
当時の連邦軍では一般部隊ではB/C型で統一し、エースパイロットや隊長クラスの熟練パイロットにはC型をベースに、RX-78NT1のポテンシャルを移動させたRGM-79Nジム・カスタムを配備することで、部隊間の装備を平均化する構想を持っていた。
これは大戦後、経済復興が優先されて軍縮が進む一方で連邦への投降を拒否するジオン公国軍残党によるゲリラ戦闘が頻発し、戦時設計の機体や戦後に補充された新人パイロットでは残党軍のゲリラ戦闘に即応できないという事態も出てきたためで、軍では早急な再建計画と、まだ未発達であったMS部隊の質の向上に努めたのである。
装備の平均化作業は0081年に立案された連邦軍再建計画とその中心とも言うべきガンダム開発計画とリンクし、量産型MSの適正配備計画として進められたが、デラーズ紛争の勃発によってC型のパワー不足が露見し、戦後のティターンズ結成による余波で計画は頓挫している。
ただし、デラーズ紛争時では性能が振るわなかったC型はパイロットの練度不足によるものが大きかったとも言われており、同機の性能不足のみを指弾するには必ずしも根拠を持って示されているわけではない。ジオン残党側も旧式化しつつあり、ビーム兵器すら装備が出来ないMS-06やMS-09といったMSを騙し騙し使っていたに過ぎず、MSの基本的な性能差では依然として連邦軍側が優位に立っていたのである。
こうした連邦軍MS部隊の装備格差は0087年のティターンズ動乱によって連邦軍から分裂した各軍閥による見定の無い配備計画によって拍車がかかり、0090年代まで尾を引く結果となっている。エゥーゴとティターンズによる連邦軍組織の分裂という事件が間にあったとはいえ、これは地球連邦軍の歴史上においてMS部隊の歴史が短く、一年戦争を乗り切った戦後からは接収したジオン系技術の検証や吸収といった出来事もあり、MS開発や部隊配備が試行錯誤の連続であったことの証明とも言える。試行錯誤の時期を抜け出すのはRGM-89ジェガンの配備が進んだ第二次ネオ・ジオン抗争後であったとも言っても過言ではないのだ。
宇宙艦隊に配備されたC型は0083年に勃発したデラーズ紛争時に多数が動員された記録が残っているが、当時の最新機種の一つであったにも関わらず、多数の搭乗員が実戦経験不足ということもあり、ジオン軍残党の旧式MSに対して苦戦を強いられて大した戦果は残していない。
デラーズ紛争の戦訓を受けて、またティターンズ結成などの軍拡政策が実施されたことによりある程度の予算増強を望むことが出来た連邦軍では主力MSの根本的な改良に着手し、C型で得られたデータを元に更なる改良を施したのがR型となる。
また、一部の機体はR型準拠に改造された上でティターンズの審査部隊で使用され、CR型、CE型、CK型といったローカルバリエーションも生み出されているが、基本的にC型がティターンズMS部隊に配置されることはなかった。
UC0084~0087年
●RGM-79RジムII(0084年制式採用 0084年~0086年改修 0088年退役)
RGM-79R系図鑑
デラーズ紛争での戦訓を経て、0084年より更新工事が開始されたジム・シリーズは基本的な性能はすべて新規格のR型に統一された。戦後型のC型を始めとして、連邦軍MS部隊に多く残存する初期型であるB型もオーバーホール時に順次、R型へ改装、再就役していった。
R型はC/D型で採用された四発型バックパックにサブ・センサーを追加し、ジェネレーターも大幅に強化された。そのため、ビームライフルの標準装備が実現した。この時代になるとビームライフルの性能向上と構造の簡易化、歩留りも大幅に改善されていたこともあり順次、ビームスプレーガンからビームライフルへの転換が進んだ。
デラーズ紛争前まで連邦軍MS部隊では平時にはマシンガンやジム・ライフルなどの実体弾兵装、戦時体制にはビームスプレーガンやビームライフルを装備させることでビーム兵器運用コストを抑えていたが、この頃になると携行ビーム兵器そのもののコストも低下しつつあったため、平時であってもビームライフルを装備させる方針へと転換されている。
また、コクピット構造が球形の脱出ポッドを兼ねたインジェクションポッドとなり、全天モニターとリニア・シートを採用し、基本的なアビオニクスも強化されている。これはパイロット側から強い要望があったもので、大戦中にロールアウトしたRX-78NT1で初採用されたものの、前作のC型で採用が検討されつつも実用化が見送られた装備であった。これにより居住性と操作性の双方を向上させることに成功している。
R型の就役時には地球連邦軍の戦後開発第一号機種と銘打たれたRMS-106ハイザックが同時に制式化されているが、ジムIIは専用ビームライフルの開発が遅れて、出力不足に悩まされて性能を発揮出来ずにいたハイザックの火力担当支援機としての運用が想定され、連邦系と旧ジオン系、双方の代表的な後継量産機によるハイ・ローミックス運用が考えられていた。
しかし、ジェネレーター出力では後発のハイザックよりも上回るなど、RX-78ガンダムの量産機としてのポテンシャルの高さを見せつけ、ハイザック戦力化後も事実上の主力機の座にあったと言える。ハイザックの配備が遅れた宇宙軍部隊、特にコロニー駐留軍、環月方面軍隷下のMS部隊では依然としてジムIIが主力作戦機の座にあった。
R型は普及機では初めて基本スペック上ではRX-78-2ガンダムを超えているものの、チタン合金・セラミック複合材製装甲、セミ・モノコック構造と前大戦時のMSから変わり栄えは無く、就役当初は最新の性能を有していたものの、グリプス抗争勃発時には時代遅れのMSとなっていた。
抗争初期における武力衝突では配備数の多さから地球連邦軍を母体とするエゥーゴ/ティターンズの両陣営で多数が動員されたが、第二世代MSの台頭によって旧式化しつつあり、序々に一線を退いて拠点防衛や第二世代MSで構成される主力部隊の火力支援機などに転用され、エゥーゴではMSA-003ネモ、ティターンズではRMS-108マラサイ及びRMS-154バーザムがそれぞれ、ジムIIに代わる主力MSとして配備されていった。
エゥーゴでは連邦正規軍の指揮命令系統から離脱してエゥーゴに参画したザーンやハッテの駐留連邦軍や、秘密裏にエゥーゴに協力する正規軍部隊からの持ち出し品、正規軍から奪取した機体を大量に確保し、グリプス抗争初期における武力衝突や、各コロニーや月面都市の防空任務などに投入した。
また、エゥーゴと共同歩調を取るカラバでもジムIIを主戦力の一環として使用し、エゥーゴからの譲渡組やカラバに合流した正規軍部隊からの供給品で揃えている。カラバではMSK-003ネモとのハイ・ローミックス運用が多く見られた。エゥーゴ/カラバに配備されたジムIIはいずれもグリーンとホワイトのツートンカラーによって識別されるが、中には塗り分けパターンが異なる機体やネモと同一塗装に塗られた塗装試験機もあった。また頭部センサーを強化したRN型といったエゥーゴ独自のローカルバリエーションも存在した。
対するティターンズでも連邦正規軍から臨時編入されたMS部隊や、ティターンズと共同歩調を取り、対エゥーゴ戦闘に参加した正規軍MS部隊において多数が使用され、抗争初期では当初想定されていたハイザックとのハイ・ローミックス運用や、エゥーゴ側が動員したジムII同士による交戦も多数見られた。抗争後期にはバーザムやマラサイの配備が進んで正規軍に返却されたり、拠点防衛用の補助戦力として使用されたりとエゥーゴ所属機同様、前線からはその姿を消していった。
ティターンズで使用された大半の機体はエゥーゴと異なり、所属の違いを区別する必要がないためレッドとホワイトの正規軍カラーのままであったが、一部のエリート部隊ではRGM-79Qに準じた塗装を施され、ジム・クゥエルと混成部隊を構成した機体も存在したが、これらは試験塗装の域を出ないもので広く普及することはなかった。
0087年時点で、地球圏には改修型/最終生産型を含めて一万機にも及ぶ配備数を誇っていたジムIIは、前大戦時の名機であるMS-06ザクシリーズを上回る生産数を誇り、普及度で言えばザクに継ぐ名機と言えるだろう。
その後、内戦による戦力疲弊に悩む連邦軍は一線を退いたジムIIをRGM-86RジムIIIに改修し、支援MSとして再戦力化したため、実動では14年近くの間、現役の座についたことになる。
●RMS-106ハイザック(0084年制式採用 0084年~0086年生産 0090年退役)
RMS-106系図鑑
旧公国軍の主力機であり、MSの代名詞とも言える名機、MS-06ザクIIのデータを元に大戦後、地球連邦軍が開発したMS。連邦軍の戦後初の新規開発機で、名機「ザク」を連邦軍MS開発陣が独自に解釈した機体とも言えるものとなった。
ハイザックは戦後の新規開発第一号と銘打たれ、連邦軍が旧ジオンのザクの技術をモノにし、かつザクの血を引く後継機を連邦軍が送り出したと鳴り物入りで誕生したものの、次世代機として有望視されていたムーバブル・フレーム、ガンダリウム合金の量産型装甲(後のガンダリウムγ合金)を採用しておらず、モノコック構造をメインとし、チタン合金・セラミック複合材製装甲と旧態依然であり、実情としては前大戦時に開発されたMSから進歩もなく、変わり映えのしない機体であった。故に口がさない連邦軍やティターンズのパイロットからは「制式化された時点ですでに旧式化していた」とまで言われる程であった。
先立つ形で試作機RX-105ザックは0083年にロールアウトし、その後、量産化されたRMS-106A(YRMS-106)が翌年より生産が開始され、連邦正規軍や結成されて間もないティターンズの審査部隊などで評価試験が開始された。
また、量産化段階で地球系企業の横槍によってジェネレーターの仕様変更が行われたため、ビーム兵器の複数同時使用が不可能となり、出力不足に悩まされるなど設計上の欠陥が見受けられた。
当初、ハイザックはRGM-79RジムIIが装備するものと同型のビームライフルを装備する予定だったが、出力不足が祟ってドライブが不可能となり、専用ビームライフルが開発されるまでの間は120mmマシンガン、通称「ザク・マシンガン改」を装備していた。これはMS-06用のザク・マシンガンのデバイスを連邦軍規格に改修したもので、威力そのものは原型と代わり映えしない。
モノコック構造とセミ・モノコック構造、フィールド・モーター駆動と流体パルス駆動と異なる二つの機体構造と駆動システムが混在していたことなど、ハイザック開発の時点では連邦とジオンのMS技術を融合させることは技術的に不可能で、両者の技術がかけ離れていたことが分かるだろう。
しかし推力はジムIIに比べて高く、名機の誉れ高いザクから受け継いだ柔軟な操縦性が高い評価を受け、実戦経験の少ない新兵からは概ね高い評価を受けており、一概に同機が欠陥だらけの遅れた低性能機であるという評価は出来ない。
当時の仮想敵であったジオン残党軍やデラーズ・フリートの残滓ともいえるテロ組織が装備するジオン系の旧式機に比べれば、ハイザックは充分にそれらの要素に対処出来るだけのポテンシャルを有していたのだ。平時体制下で開発されたハイザックが性能的に窮地に立たされるのはグリプス抗争時にエゥーゴが実戦配備に移したMSA-003ネモが出現した後からであった。
そうした背景から前年末に創設されたティターンズ実戦部隊に優先して配備され、主にジオン残党軍に対するローラー作戦において大量投入、定数不足気味であったRGM-79Qジム・クゥエルを補完した。
隊列をなして進軍するティターンズMS部隊のハイザックを目の当たりにしたジオン残党軍パイロットにとっては、ジオン軍の誇りでもあったザクの発展型が敵軍で運用されて、自軍の旧式化したMS-06FザクIIを大きく圧倒していることに忸怩たる思いを抱いたことは言うまでも無い。
出力系統の欠陥や旧態依然な外骨格構造だったことが祟り、0086年にMS状態での生産が中止され、補修用アッセンブリパーツ生産に移行したものの、それでも各バリエーション含めて5000機近くが生産され、ティターンズMS部隊や連邦正規軍の防空部隊、ペズン駐留のMS教導団、ジオン共和国軍、エアーズ市民軍を中心に配備が行われた。ちなみにパーツ状態での生産は0087年中頃まで行われ、これを再構築して戦力化された正式ロット外の機体も多数存在するため、最終的な生産数は7000機程になるとも言われている。
ジオン共和国軍向けに輸出されたC型、月面都市であるエアーズ市民軍やエンディミオン市警備隊、サイド6・リーアの地球寄りバンチに配備された市民軍仕様(D型、通称シビリアン・ザック)は装甲表面への耐ビームコーティング処理の省略、IMPCに制限が加えられたモンキーモデルである。
宇宙上の部隊に配備される機体は連邦軍/ティターンズ所属機共に濃いグリーン、地上の防空部隊やティターンズ指揮下に編入されて対エゥーゴ作戦行動を取る連邦正規軍部隊に配備された機体はブルー系のカラーリングが施されて所属を区別している。
連邦軍がティターンズに併呑されていく過渡期においては転属によるカラーリングの混成も見られたが、グリプス抗争末期にはグリーンカラーに統一されていった。また、ジオン共和国軍機はかつてのMS-06FザクIIに近いライト・グリーンにカラーリングされ、中隊長機にはジオン伝統の飾り角が装着された。
0087年に勃発したグリプス抗争で、最多量産機の一つであるハイザックがエゥーゴでほとんど運用されなかった背景にはこうした、ティターンズや親ティターンズ派のエリート部隊への優先配備が行われたためである。
また、ハイザックを装備する連邦軍MS部隊がエゥーゴへ合流した際もエゥーゴ側の主力作戦機との行軍性能を統一させるため、ハイザックがそのままエゥーゴで使われるケースは稀であり、基本的にはMSA-003ネモに交替させていた。エゥーゴではすでにハイザックより高性能なネモが多数調達されていたため、あえてハイザックを使い続ける必要はなかったとも言える。スウィート・ウォーター防衛部隊に配備されたエゥーゴ仕様(G型、通称ホワイト・ザック)のような例を除いては、ネモを主力に据えたエゥーゴにとっては行軍性能を落とす旧式のハイザックはお荷物でしかなかった。
更にグリプス抗争時にはMS戦力を欲するティターンズが多数のハイザックを確保、投入していたこともあって、0088年のコロニーレーザー戦によって大半が失われている。中にはティターンズに対して歩調を取らず、静観の姿勢を取る正規軍部隊に配備されていたハイザックまでもが半ば強引に徴発を受けるというケースも多々あり、この時期の連邦軍MS部隊では装備格差が大きな問題となりつつあった。
続く第一次ネオ・ジオン抗争時、RGM-79Rの甦り策であるRGM-86RやRGM-88が多くの連邦軍部隊で使用され、ハイザックが連邦軍から急速に姿を消したのは、グリプス抗争で大半がティターンズに徴発され、最後の会戦で失われたからに他ならない。また内訌戦を生き延びた残存機もアクシズに鹵獲され、アクシズ機として運用された機体も少なからず存在した。
ハイザックの最後の実戦投入記録は第一次ネオ・ジオン抗争後、ブリテン島のスウォンジーで発生した旧ティターンズ将校によるクーデター未遂事件の時で、イギリス駐留部隊に配備されていた機体がクーデター鎮圧のために動員されたが退役寸前の機体故、さしたる戦果は残しておらず、クーデター部隊とも交戦していない。
また、第一次ネオ・ジオン抗争終結後、アフリカや中央ヨーロッパ地区に取り残され、連邦軍やカラバへの投降を拒否したネオ・ジオン軍残党は前年の地球侵攻作戦時に地上のティターンズMS部隊が保有していた多数のハイザックを接収しており、そのまま連邦軍地上部隊やカラバ陸軍との戦闘において投入された。
これらの機体は、シャア・アズナブル大佐率いる再興ネオ・ジオン軍からの軍事支援を受ける0090年代に入るまで、ネオ・ジオン軍残党の貴重な戦力の一環として第一線にあったという。ハイザックは0090年の時点において性能的には旧式化しきっており、どうにかRGM-86Rに対抗出来る程度であったが、当時の残党軍の装備は劣悪であり、地球降下作戦時に吸収した公国軍残党軍からの引き継ぎ装備であるMS-06系や09系の砂漠戦仕様を騙し騙し使っていたパイロットからはハイザックは大いに歓迎された。
ハイザックはかつてのアクシズのMS技師からは評判が悪く、評価に値しない欠陥機のレッテルを貼られる程であったが、一方で連邦軍MSとのパーツ互換性が高く、地上では連邦軍MSのパーツの入手がたやすかったことから、ハマーン・カーン死後、宇宙上の残党軍の補給を受けられずに孤立していた地上の残留ネオ・ジオン軍にとっては扱いやすい機体であったのは確かである。
皮肉にも連邦軍が開発し、ジオン残党討伐を目的に結成されたティターンズが多数使用していたハイザックは最終的にネオ・ジオン軍残党によって使い続けられ、貴重な主戦力となっていったのである。
最後まで連邦軍でハイザックを使用していた部隊はコンペイトウ基地の連絡隊で、コンペイトウ空域に展開する駐留艦隊間での連絡任務などの補助任務に使用されていたが、これらの機体も0090年には全機退役。後任のヌーベルジムIIIに役目を譲った。
一方、輸出仕様のハイザックC型を配備していたジオン共和国軍では長く使用され、グリプス抗争時に損耗した機体も第一次ネオ・ジオン抗争後に連邦軍から捻出された機体による追加譲渡などもあり、最低限の運用数を確保することが出来、これらのハイザックは引き続きムンゾ防衛の任務についた。最終的には0100年の共和制返上時に全機退役し、以後、ジオン共和国軍が連邦軍のムンゾ駐留軍に吸収・再編された際に連邦軍スタンダードであるRGM-89ジェガンに転換されている。
●RMS-117ガルバルディβ(0083年制式採用 0083年~0086年生産 0093年退役)
MS-17系図鑑
連邦軍の局地戦用MS。かつてのジオン公国軍の国民MS、MS-17ガルバルディをベースに装甲に改良を加え、関節部フィールド・モーターを連邦軍規格に改修した機体である。0083年後半に量産1号機がロールアウトし、翌年より部隊配備が開始された。
連邦軍は一年戦争後、ペズンやグラナダにあったガルバルディの生産ラインと製造途上にあった機体やパーツ、完成体を多数接収することに成功しており、これらを元手にして改良と連邦軍規格に改修した機体の制式化が進められた。同様にRMS-106ハイザックも旧ジオン系の流れを汲むMSであるが、こちらは連邦軍とAE社の共同プロジェクトによる新規設計機であるのに対し、ガルバルディβはジオン公国軍で開発、戦後連邦軍が接収したMSを改造資源とし、連邦軍において改修・改良を加えたMSという違いが見て取れる。旧ジオン系MSの制式化という点ではハイザックよりも先んじており、元ジオン軍MSを出自とする連邦軍制式MSではガルバルディβが第一号MSとなる。
当時、勃発したデラーズ紛争時には実戦投入した記録はないが、その後の残党狩り作戦などで投入され、高い運動性を生かしてデラーズ・フリート残党部隊の旧式MSを圧倒したが、ジム系を長く重用してきた部隊の古参パイロットからは未知のジオン系MSに対して一部、拒否反応があったとも言われている。一方で高性能機を欲していた残党狩り部隊や一年戦争を経験していない若手パイロットからは概ね好評で受け入れられた名機でもある。
ガルバルディβは通常の機体よりも装甲を薄く設計し、自重を軽くすることで高い運動性を得ており、開発元のルナツーやコンペイトウ、ジオン共和国軍との共同使用基地であるア・バオア・クーなどの拠点防空用MSとして重点的に配備された。設計思想的には大戦時に開発されたRGM-79Lに近いと言えるだろう。
原型機で使用されていた装甲材、チタン合金・セラミック複合材は戦後、連邦軍で改良された材質に取り替えられているため、装甲を薄くしても高機動とあいまって耐弾性を考慮しなくともよい、という考えに立っている。外見上異なるジオン公国軍時代のガルバルディは区別のために「ガルバルディα」と後に呼ばれるのは、装甲が全換装された連邦軍のガルバルディβが存在するが故である。
装甲の全換装が可能だったのは、ガルバルディαがジオン公国軍MSでは珍しいセミ・モノコック構造を有していたためで、また関節駆動にはジオン軍ではこれまた珍しいフィールド・モータードライブ、さらには新兵が乗り込むことを考慮して操縦補佐用のOSも充実しており、設計上から見ればガルバルディαは連邦軍MSに近い構造を有していたのだ。連邦軍が戦後、最初にガルバルディαを連邦軍規格に改修し、制式採用を進めた事情には同機がジオン版「ガンダム」や「ジム」であったことに他ならない。事実、元ジオン軍の鹵獲MSで本格的に連邦軍制式番号を名乗り、量産(改修)に移されたのはRMS-192MやRMS-188MDといった特殊用途機を除いては同機だけであった。
本機は局地戦や基地防空任務を想定しているが、ルナツーでは駐留艦隊の艦載機として使用されていたため、実際には汎用機として使用が可能であった。局地戦型と呼ばれるのは配備地区が極めて限定されていたことから由来する。性能的には同時期のRGM-79Cを完全に上回り、RGM-79Nですら凌駕する性能を秘めていた。後に登場するRGM-79Rとほぼ同水準であったが、ベースとなった機体が一年戦争末期に開発されていたことを考えれば、破格のスペックであったと言える。
他の汎用機と違って地上部隊への配備は行われておらず、RMS-106ハイザック、RGM-79RジムIIといった他の量産機と役割を分担するが、地上での運用も可能である。ただし、改造資源となったガルバルディαの確保数の関係上、ハイザックやジムIIに比べて少数派であり、重要拠点の防空隊などのエリート部隊で集中配備されたため、大規模な戦力動員がなされる地球降下作戦といった広域任務に投入される機会が少なかったようだ。
また、軽快な運動性とは裏腹に操縦性能はピーキー気味であったことから、ジムIIやハイザックに比べてパイロットを選ぶ機体となったきらいもあり、軍上層部ではガルバルディβの大量生産には踏み切れなかったようだ。従って、拠点防衛というエリート任務専用という地位に甘んじて生産台数も同期であるハイザックに譲ることになってしまった。しかしこの「拠点防衛専用のエリート専用機」という位置づけから、同機が同様に連邦軍のエリート集団であるティターンズで重用されることになるのだ。特にルナツー駐留艦隊の艦載機部隊や防空MS部隊のガルバルディβは、近隣のグリプス基地のティターンズMS部隊のアグレッサーを務めることもあり、その軽快な運動性を活かしてアグレッサー訓練ではティターンズMSパイロットの練度向上に大きく貢献している。
続くグリプス抗争時には急激な軍拡とエゥーゴ対策によってMS不足に悩むティターンズがルナツーに配置されていたガルバルディβを大量に貸与を受け、自軍MS部隊に編入してエゥーゴとの武力闘争に投入しているが、装甲が薄く防御力が低いことが災いしてこの時代に大量投入された第二世代機に性能的に対抗できず、一気に旧式化してしまった。グリプスのティターンズ兵を鍛え上げたルナツーの名うてのパイロットが駆るガルバルディβであっても、ネモやリック・ディアスには完全にパワー負けしていたのである。
ティターンズに貸与された大半の機体がRMS-108AマラサイやRMS-154バーザムの配備と同時に正規軍に返却、または同盟関係にあったジオン共和国軍にも少数ながらも貸与されている。ジオン共和国軍ではゼダン・ゲート駐留部隊や本国防空隊に配置して、旧式化著しかったMS-06FやMS-09Rといった機体を置き換えて本国の防衛能力向上に寄与している。0088年にはAE社よりMSA-099Bシュツルム・ディアスを購入して本土防衛用として配備を開始したため、余剰となったガルバルディβを連邦軍に返却しているが、一部はそのまま返却されないままネオ・ジオン軍に併呑された機体も存在したという。これらの未返還機は性能的には二線級となり果てており、ネオ・ジオン軍の補助戦力として投入されたとも言われているが、内紛によって詳細な記録は残されていない。
配備当初はジム改を超える高性能機と誉高かった同機だが、この頃になるとMS同士による集団戦では損耗も著しくパイロットからの評判も芳しくなかった。そのため奇襲作戦や通商破壊作戦、戦闘訓練におけるアグレッサー機代用といった裏方的な任務に回され、ジムII同様、前線からはその姿を消していった。
一方、ティターンズでは正規軍から借り受けた機体に、部分的に増加装甲を取り付けて防御力強化を図ったものもあったが、この案は一部の審査部隊でテストされたのみで、他の部隊に配備された機体では広く普及しなかった。この増加装甲案は後のRMS-154バーザム開発に役立てられ同機の胸部装甲構造にその名残を残している。
グリプス抗争中盤には第一線から退いたガルバルディβであったが、内紛における正規軍のMS定数不足を解消すべく、後にRGM-86RジムIIIと同様、近代化改修工事(RMS-117B)を受けた機体もあり、0093年頃まで局地戦用・防空用MSとしてルナツーやコンペイトウ、アンマンなどの基地に配備されている。
●RGM-86AジムII後期生産型(0086年制式採用 0086年~0087年生産 0087年よりRGM-86Rへの更新開始)
RGM-79R系図鑑
0086年にMS状態での生産が中止されたRMS-106ハイザックに代わる暫定処置として、グリプス工廠において生産された機体。大戦時に製造された改修機であるRGM-79RジムIIの規格を利用したジムIIの新規製造機にあたり、最終生産型でもある。
当時、グリプス基地で開発が行われていたRX-178ガンダムMkIIからフィードバックされた新技術を部分的に先行投資する形で応用し、脚部ユニットに内骨格型フレームを本格採用しているため、セミ・モノコック構造機であるB/C型からの改修型であるR型よりも若干高い運動性能を持つ。
RGM-86Aは後のムーバブル・フレームに比べてフレーム構成が完全ではなく、腹部や腕部がセミ・モノコック構造と併用されていたため、正確には第二世代MSには分類されない。内骨格化が進んでいたのは脚部、頚部のみであった。これは先立って腕部の内骨格化に成功したRMS-174ジム・クゥエル後期生産型と好対照な構成であった。当時のグリプス基地工廠が有する技術力では四肢部の同時内骨格化はまだ不可能だったようで、次の機体であるジムII後期生産型で脚部の内骨格化が試されたようだ。四肢のムーバブル・フレーム化はRGM-86RジムIII、更には脊髄フレームの実現にはRGM-88ヌーベルジムIIIのロールアウトを待たなくてはならなかった。
また、外装設計やジェネレーターをはじめとし、アビオニクス自体はRGM-79Rの設計を流用しているため外見上ではR型との間には大きな差は見受けられない。脚部以外のパーツ類も既存のR型との互換性が高く、混用することも可能であった。
出力不足、外骨格構造機とはいえ0086年の時点での最新鋭機であったハイザックを生産中止して、一方で大戦時の設計を受け継ぐジムIIを新規に再生産したのは連邦軍がジオン系の技術を持て余し、改良の余地があると判断したためと、実績のあるジム系に重きを置いたためである。
しかしハイザックより基本設計が古いジムIIの一部を内骨格化するなどの改良を施して再生産する方針に、AE社やジェネレーター生産をを担当していたタキム社では連邦軍のハイザック生産中止の方針に反発した。ジムII後期生産型は軍機上の必要性から開発元であるグリプス工廠はAE社への委託生産を許可せず、ジムII後期生産型の製造計画にコミット出来ずにいたからだ。
AE社にとってはハイザックの生産終了の言い渡しはグラナダ支社工場に整備したハイザック用生産ラインへの投資が水の泡になることを意味していたためで、またハイザックは制式化から僅か二年も経っておらず、生産ラインの減価償却もなされていない状況では到底受け入れられるものではなかったのだ。ティターンズ側から指摘された出力低下に発するビーム兵器使用制限も、元々は軍内部の地球派のゴリ押しでタキム社製ジェネレーターに使用せざる得なかったという経緯を見れば身勝手なものでしかなかったのだ。
結局、現場に配備されている機体の稼働率維持のためにアッセンブリパーツの生産が許され、ハイザックの全生産停止は免れたもののAE社は内訌戦勃発後のRMS-108マラサイ供給までの短期間ではあったが、ティターンズとの関係が悪化することになる。
また、連邦軍工廠の中では新興であり、後々のティターンズの重要な開発拠点となるであろうグリプス基地が兵器開発・生産能力の実績を伸ばし、軍内部の発言力強化にジムIIの再生産と供給を利用するという思惑もあった。生産はグリプスのコロニーレーザー化工事による工廠機能が縮小される0087年7月まで行われ、総生産は500機程度となっている。
開発元のティターンズではRMS-179ナンバーを取得。サイド7駐留部隊をはじめとして連邦軍の各部隊に配備され、連邦正規軍では採用年を取ってRGM-86Aナンバーが与えられた。後のRGM-86RジムIIIの改修型はこのグリプス製の機体をベースに改修工事が施されており、ジムIIIでは内骨格式の腕部ユニットに換装して四肢がムーバブル・フレーム化された。
ちなみに月やコロニー駐留軍への配備は在来のRGM-79RジムIIが充分に配備されているという理由から配備が遅れていたため、グリプス抗争勃発時にはエゥーゴが使用したRGM-86Aはごく少数であった。正規軍から奪取、連邦軍内部のエゥーゴシンパからの横流し品などからグリプス製ジムIIも確保はしていたが、すでにエゥーゴではジムIIより高性能なMSA-003ネモが配備されつつあったため、エゥーゴでは同機を重用することはなかった。
●RMS-154バーザム(0087年制式採用 0087年~0088年生産 0087年よりRGM-87への更新開始)
RX-178系図鑑
グリプス抗争時、ティターンズがRMS-106ハイザック、RGM-79Qジム・クゥエル、RMS-179ジムII後期生産型に代わる次期主力機として開発したMSで、グリプス製RX-178ガンダムMkIIの中庸量産機と位置づけられる。
内訌戦の激化によって旧式化しつつあった多種雑多なMSを代替し、調達数の少ないRMS-108Aマラサイを補完する目的で量産に移された。母体となったRX-178が装甲材質の問題から量産が中止されたのに対し、事実上のRX-178の量産機としてバーザムが生産された経緯にはティターンズ上層部がRX-178の量産を諦めておらず、また、ムーバブル・フレームの設計が優秀であったこと、フレームのコピー生産が容易でグリプス以外の拠点工廠でも量産が効き、大量配備が可能であるという利点を持っていたためである。
ティターンズはこの時、既にRX-170、RX-166などのRX-178の発展型を開発していたにも関わらず、これらの量産を行わず、設計的にはこれらより前の機体であるRX-178ベースの量産機の生産を優先させた理由にはフレームのコピーが容易、低コストで大量生産が可能である点を優先したためであった。
ティターンズ主導の短い期間ではあるが、地球連邦軍でも主力機として配備が開始された。ルナツーやペズンなどティターンズの影響力が強い拠点や、ティターンズ指揮下に編入されて対エゥーゴ作戦行動をとる正規軍部隊などに重点的に配備されており、親エゥーゴではないもののティターンズに対して非協力的な正規軍部隊や、エゥーゴやカラバへの協力が疑われていた部隊には配備されなかった。
この時点でも連邦正規軍MS部隊の大半はジムIIを装備していたため、連邦正規軍がバーザムを制式機として運用していたことはあまり知られていない。バーザムを運用する正規軍MS部隊は例外無くティターンズ隷属下に置かれていたためである。ティターンズと距離を置く部隊や非ティターンズ系の正規軍部隊がバーザムを運用することは稀であり、供給元のティターンズは基本的には自分たちのコントロール下に入らない部隊や連邦軍陣営の軍閥にはバーザムを与えることはなかったのである。
連邦軍では当初、RGM-79R/RGM-86AジムIIに近代化改修工事を施したRGM-86RジムIIIを支援攻撃機として配備していたが、母体機から受け継いだバーザムのポテンシャルの高さに着目し、ティターンズに指揮権が委譲された時点で制式採用されることが決定された。エゥーゴの主力機、MSA-003ネモと同等の性能を持ち、パイロットからは概ね好評であった。
最多量産型である初期生産型のA型、頭部ユニットのセンサー部にバイザーでカバーするなど一部変更を行ったB型、RGM-79RジムII用のジェネレーターを搭載し、一部アビオニクスを省略した戦時生産型のC型、指揮管制能力を強化したS型、砲撃能力を付加させたK型、MSA-003/RGM-88系列との折衷案であるRGM-87など短期間の生産ながらもバリエーションは多い。
しかし、ダカール宣言によるエゥーゴ派の連邦軍の主導権掌握と、ティターンズの非合法化によってバーザムは主力とはなれず生産も0088年3月には終了し、後はRGM-88ヌーベルジムIIIに生産を譲っている。
残存するバーザムはエゥーゴ系部隊に配備された際に、エゥーゴ製MSとの互換性を高めるためにRGM-87バージムに改装されていった。
●RGM-86RジムIII(0087年制式採用 0087年~0089年改修)
RGM-86R系図鑑
これまで長い間、連邦軍の支援MSとして配備されていたRGM-79R/RGM-86AジムIIは、当時の連邦軍における最多量産機であった。0087年に勃発したグリプス抗争では連邦軍から派生したエゥーゴ、ティターンズの双方で使用されていたものの、ムーバブル・フレームとガンダリウムγ合金製装甲を採用した第二世代MSが双方の陣営で配備されはじめると性能的に対抗できず、序々に第一線を退き、拠点防衛用などの補助的な任務に廻されていった。
しかし、これだけ大量の残存機(地球圏には大戦中に製造されたA/B型からの改修を含めて、約1万機近くものジムIIが配備されていた)を全て新型の第二世代MSに代替させることは、戦闘による消耗を考慮に入れた上でも経済・時間的な面からほぼ不可能であった。
そこで支援能力を強化し、エゥーゴの第二世代MSに対抗できるように近代化改修を施したのがRGM-86RジムIIIであった。ジムIII開発当時の地球連邦軍はティターンズ指導下にあったため、エゥーゴ討伐を行うティターンズ主力部隊を補佐するために、連邦正規軍のMS戦力の質の上げる必要性に迫られていた。ジムIII計画はこうした背景の中で生み出された支援MSであり対エゥーゴ対策として計画されたものである。当初はRMS-122ナンバーで拠点番号が示す通り、最初期型はコンペイトウの生産設備を利用して生産(改修)された。
ジムIIIはティターンズのRMS-108マラサイ、RMS-154バーザムなどの第二世代機で構成された主力部隊の火力支援を行うことを主眼に置いて改修されており、RX-178ガンダムMkIIの設計を一部転用しているのが特徴的だ。事実上のガンダムMkIIの簡易量産機であった。
グリプス抗争中頃から比較的連邦正規軍の勢力が保たれていたコンペイトウ艦隊の艦載機部隊などで転換作業が開始されていたが、ダカール宣言後も改修は続行され、エゥーゴ、カラバが保有していたジムIIも順次、ジムIIIへ改装されていった。当初は装備が陳腐化しつつあった連邦軍一般MS部隊の対エゥーゴ戦略として改修されたジムIIIであったが、エゥーゴが連邦軍の主権を握った後は当初の仮想敵であったエゥーゴがジムIIIを高く評価し、主戦力の一環として注目を浴びて改修が続行された。
エゥーゴではMSA-003ネモとの置き換えで余剰となっていたジムIIをジムIIIに改修して、予備戦力としてエゥーゴの支持基盤である月面自治都市や各コロニーの警備部隊に配備して、全体的な戦力の底上げに役立てたという。エゥーゴ・カラバでは第一次ネオ・ジオン抗争時の0088年9月にジムIIからジムIIIへのアップデイトを終えている。
支援戦闘用の武装はミサイルやグレネードなどの実体弾で、胴体がセミ・モノコック構造、四肢がムーバブル・フレーム構造という第一世代機と第二世代機の中間的な機体であったが、支援MSとしては優秀で第二世代機であるネモと同等のポテンシャルを示した。実体弾兵装が多いのはジェネレーター出力に負担をかけさせずに火力強化を図ったためである。
改修は0087年10月頃から開始され、ダカール宣言後も連邦正規軍内では順調にジムIIからジムIIIへの更新が進み、0087年末には前線部隊においてはジムIIIの戦力化を終えている。前主力機のハイザックはすでに大半がダカール宣言前にティターンズによって徴発されており、結果的にハイザックからの機種転換訓練を大幅に省略することが可能となった。
続く第一次ネオ・ジオン抗争時にはカラバに協力する正規軍部隊からカラバへ多数のジムIIIが譲渡され、主力機として活躍した他、連邦軍の主力部隊や月面拠点の防空用MSとして多数が動員されていた。
これらのカラバのジムIIIは陸戦・大気圏内戦闘が主体であったため、脚部スラスターモジュールを熱核ジェット・エンジンとしたRGM-86Gとして識別される。このG型はカラバ特有のものでヒッコリー基地工廠やAEカリフォルニア支社工場で再改修されている。
その後、第一次ネオ・ジオン抗争末期から本格的な実戦投入が開始され、地上に残るネオ・ジオン残留軍部隊の討伐に大量投入されている。0089年9月のキエフ解放戦、同月に発生したスウォンジー事件をはじめとして、宇宙・地上に関わらず各地での掃討作戦において活躍した。
続く0091年にはシャアの乱の前哨戦となった残留ネオ・ジオン軍一斉蜂起事件においても大量投入されている。これらは中隊長クラスに支給されたRGM-87バージムに率いられて、宇宙上の再興ネオ・ジオン軍に合流するべく地上からの脱出を開始したかつてのハマーン・カーンの軍隊の残滓とアフリカや南ヨーロッパ、西アジアなどの地区で対峙した。
0090年には改修を終え、内訌戦中期に改修された初期の機体はRGM-89ジェガンの配備と入れ替わるように予備役に組み入れられたが、支援用MSとして内戦から立ち直った連邦軍の戦力再建を担ったと言えるだろう。
●RGM-88ヌーベルジムIII(0087年制式採用 0087年~0089年生産)
RGM-86R系図鑑
RGM-86RジムIIIの改修規格を流用して新規に製造された機体。地球連邦軍量産型MSとしては初の第二世代MSである。エゥーゴのMSA-003、ティターンズのRMS-154の中間的な機体である。
連邦軍ではRMS-106ハイザック以来、主力機の新規開発を怠っており、ティターンズではRMS-108マラサイ、エゥーゴではMSA-003ネモなどの第二世代機を独自に採用していたが両機共にAE社からの供給を受けたベンチャーモデルであり、連邦軍の管理下で開発が行われたわけではない。
エゥーゴやティターンズが第二世代機を次々と採用し、主力となる中で連邦正規軍の大半は旧式化したRGM-79RジムIIが依然として主力として居座り、両陣営に対して技術力の差が浮き彫りとなりつつあった。
かろうじてティターンズ主導時代にRMS-154バーザムの供給を受けていたものの、これらの機体は対エゥーゴ作戦行動を支持する親ティターンズ部隊や、ティターンズの指揮系統に組み込まれて任務を遂行するごく一部のエリート部隊に配備が偏っている状態で、一般の主力部隊にまで行き渡ることはなかった。
また、ダカール宣言によってティターンズが失脚してバーザムの先行きも怪しくなったため、連邦軍ではエゥーゴに沿った形での装備の見直しを行うことを決定した。しかし新規開発から配備まで数年かかるため、新型機がものになるまでの繋ぎとして当時支援MSとして再配備されつつあったジムIIIが注目を浴びた。ジムIIIはジムIIからの改修機であるが、改修型とは別に最初からジムIIIとして新規に製造を行うことを決定。ジムIIIの設計や改修規格を流用しつつ、フル規格のムーバブル・フレームを組み込んで全面的な性能向上を試みた。それがヌーベルジムIIIである。
支援MSとしてある程度の成功をおさめたジムIIIは母体がセミ・モノコックの第一世代機やグリプス製の過渡期の機体であり、改修によって腕部ユニットをフレーム内蔵の新設計のものに換装したものの、第二世代MS最大の特徴である「脊髄」を持たず、また性能的にはお世辞にも主戦力と言える代物ではなかった。
元々、ジムIIIは対エゥーゴ作戦を遂行するティターンズ主力部隊を地球連邦軍が支援するために開発された機体であるため、性能よりも数合わせを優先させた一面もあり、当初はそれでも用足りたのである。
しかし、エゥーゴとティターンズの立場が逆転し、アクシズという不確定要素が出現したダカール宣言以降、ジムIIIを連邦軍の主力として据えるにはあまりにも力不足であった。アクシズではジムIIIやネモよりも高性能なMSやTMSの量産も行っているため、近い将来、アクシズと武力衝突するような事態になれぱジムIIIでは対抗できないと判断された。
連邦軍では内紛で疲弊した軍備を再建させ、MS定数不足を解消させるために旧式のジムIIをジムIIIにアップデイトする一方で、ジムIIIの改修規格や追加パーツを流用した第二世代MSを製造するという苦肉の策に出たのだ。内骨格は四肢部は在来のジムIIIのまま、脊髄部はバーザムのものがそのまま転用することでフル規格の内骨格を有することを実現させた。
ダカール宣言後、ムーバブル・フレームを装備したジムIIIが連邦軍主力部隊に調達されはじめると、従来の改修型ジムIIIと区別するため、ヌーベルジムIII(新ジムIII)の名称で呼ばれるようになった。
ヌーベルジムIIIは従来の改修型ジムIIIに比べて総合性能が高く、MSA-003ネモ、RMS-108マラサイとほぼ同程度の性能を持つ量産機として完成した。パーツは従来のジムIIIと共用可能なことから前線部隊では概ね好評であった他、火器管制システムが強化され、支援任務もこなせる万能機となった。これによってRX-178の簡易量産機と呼べるまでの成果を挙げることになった。
0087年末から0089年末までの期間に6000機近くが生産され、総生産数では改修型ジムIIIよりも多い。初期生産型のA型、AE社製ネモの生産ラインとジェネレーターを流用して生産され最多生産型となったB型、指揮管制能力が強化された指揮官仕様C型などが生産された。
その後、生産ラインを後継機であるRGM-89ジェガンに譲りつつも、連邦軍主力機として0100年代初頭まで配備され続けた。
UC0088~0120年
●RGM-87バージム(0087年制式採用 0087年~0089年改修)
RX-178系図鑑パート4
RMS-154バーザムの改修機。AE社製MSとのパーツ共用度を向上させ、エゥーゴ系部隊での運用を考慮して改修されたMSで、地球連邦軍のRGM-88、エゥーゴのMSA-003といったRGM系MSとの折衷案である。
ジェネレーターはオリジナルのものからエゥーゴの主力機、MSA-003ネモに使用されていたものに換装され、基本的な出力は向上している。カラーリングの変更や頭部ユニットに改修が施されている以外、基本的な外見は母体機からかけ離れてはいないが、よりガンダム系量産機色の強い機体となっている。
エゥーゴ指導下の地球連邦軍ではティターンズ指導時代に配備されたバーザムや、ニューギニア基地に残されたバーザムの生産ラインを再利用する目的で、残されたバーザムをバージムとして改修・再配備することで内戦で疲弊した戦力の再編を図った。
開発元のティターンズが崩壊したことで、連邦正規軍に配備されていたバーザムの先行きが怪しくなった一方で、内戦で疲弊したMS戦力を補充するためにはバーザムクラスの量産機が最も適しており、これを利用することによって迅速な戦力再編を行ったのである。
そのためには現行機であるRGM-88ヌーベルジムIIIや、エゥーゴ陣営で広く普及したAE社製量産機とのパーツ共用度を向上させて、製造コストや整備コストの削減と高性能MSの迅速な戦力化の双方を実現させたのである。
そして、AE社製MSのパーツやMSA-003ネモのパーツを多用して生まれ変わったバージムは、バーザムのエゥーゴバージョンとも言える機体であり連邦軍がエゥーゴによって掌握された象徴とも言える。
バーザムそのものはRX-178ガンダムMkIIの設計を受け継いだ中庸量産機であり、同様にMkIIの設計を取り入れているジムIII系MSとのパーツ共用度は当然のことながら高く、ヌーベルジムIIIと同時進行で配備を行うことも可能で比較的、低コストで配備を進めることが可能だった。これは内戦で疲弊して、対アクシズ戦のための対策に追われていたエゥーゴや連邦軍の首脳部にとっては魅力的なプランであった。
また、エゥーゴではバーザムの母体機で同様にティターンズから奪取して使用していたRX-178ガンダムMkIIを自軍の戦力として運用しており、敵陣営で開発されたMSの接収運用に関しては高い柔軟性を持っていたこともエゥーゴでバーザムをバージムとして改修して配備・運用する機運を後押ししたものと思われる。
これには自軍の主戦力であるMSA-003ネモの性能に必ずしも満足していなかったことも影響しているのか、エゥーゴはバーザム改めバージムを高く評価していた。
バージムへの改修にはAE社も関わり、バージムの母体となったバーザムの改良プランを提出したのもAE社である。ダカール宣言前より、AE社はエゥーゴが鹵獲した機体の分析を行いバーザムの詳細な情報を得ており、独自のプランを作成していたようだ。
基本性能そのものは母体機よりも高く、エゥーゴで使用しているネモやヌーベルジムIIIとのパーツ共用度も高いことから、エゥーゴ部隊での配備も簡単に行うことが可能となった。
配備は0088年初頭より開始され、連邦軍の地上部隊やコロニー駐留部隊などに配備された。第一次ネオ・ジオン抗争終結後の掃討戦や、0089年9月に発生した旧ティターンズ部隊によるクーデター未遂事件では鎮圧側、クーデター側の双方で使用された。
生産(改修)そのものは0089年半ばに終えており、RGM-88BヌーベルジムIII後期生産型と共に連邦軍MS部隊の主戦力を担った。
●RGM-89ジェガン(0089年制式採用 0089年~0099年生産)
RGM-89系図鑑
AE社で開発・製造された量産MS。開発から生産まで外部の民間企業に一貫して委託した初めての量産機で、今まで連邦軍で開発されたRGM系量産型MSの集大成的な機体である。
ジェガン以前にもAE社ではRGM-79Cジム改やRMS-106ハイザックの生産を手がけてきたが、これらは連邦軍工廠で設計・開発された機体をAE社が生産しただけのMSであり、AE社グループのみで開発に着手し、連邦軍に納入した機体はこのジェガンが初となる。
0089年当時の地球連邦軍は最多量産機としてRGM-88ヌーベルジムIIIの配備が進んでいたが、エゥーゴ、ティターンズ双方で独自に製造・調達した機体も多く残存していた。これらの機体は抗争終結後、正規軍に引き継がれて戦力再建に貢献したものの、機種間でのパーツ共用度が低く、整備体制を煩雑化させ、兵站を逼迫させる原因になっていた。コスト削減と整備体制の一本化という意味合いからも軍の財政部門は早急な対策に迫られることになった。
当時の連邦軍部隊ではMSA-099リック・ディアス、MSA-003ネモ、RMS-108マラサイ、RMS-154バーザムといった多種雑多なMSがそのまま配備されている状況が続いており、MSの機種統一を図り、なおかつRGM-86R/RGM-88の後継機となる次期主力MSを配備することで、軍は諸部隊が抱える問題の解決を図ることにした。
次期主力選定そのものはダカール宣言後から続いていたが、戦後復興が優先されたことや、先のティターンズ時代の教訓から軍の肥大化を懸念して政府側からの軍の財政縮小を要求されたことで、選定作業は停滞状態にあった。先の内訌戦でティターンズの暴挙の数々を手をこまねいて見ていただけで、その解決をエゥーゴやカラバに委ねてしまった形となった地球連邦軍は政府議会から信頼を失っている状態であり、真っ先に予算削減のターゲットにされてしまったのだ。
この時期、次期主力機として俎上に上がっていたのは、ジェガンの原型機となったRGM-88Xジェダ、ペズンの乱を鎮圧したα任務部隊の主力機として使用されていたMSA-007ネロ、エゥーゴ向けに開発が進められていたMSA-004ネモII、MSA-099-2リック・ディアスII、MSA-008ガンダムMkIIIグーファー。ルナツーで開発が進んでいたRMS-114ジームなどであった。
これらの機体群はどれも高いポテンシャルを示したが、第一次ネオ・ジオン抗争終結後、長く続いた戦乱の反動からくる軍縮で、これらの機体群の量産化はことごとくキャンセルされ、ごく少数のみが配備されるに留まった。
ようやく軍からの要請が通り、RGM-88Xジェダの設計を更に突き詰めたRGM-89Aジェガンがコストパフォーマンスの点で他の競作機に比べて優れていたこともあり、次期主力MSとして選定され、0089年末より生産が開始された。
しかし、ティターンズ時代の反動から訪れた軍縮ムードとそれに伴う予算削減によって配備が遅れることが予測された。ロールアウトしたRGM-89Aジェガンはまず一般部隊ではなく、0090年に結成され、最新鋭機材を必要とする外郭新興部隊「ロンド・ベル」へ優先的に配備されることが決定し、その以外への部隊への導入は滞りがちであった(そのロンド・ベル隊でも部隊創設初期にはジェガンの大量調達が出来ず、不足分についてはジェダを配備し、予備戦力にヌーベルジムIIIを用意するという苦肉の策で乗り越えていた。ジェガンによる部隊の機種統一がなされるのは再興ネオ・ジオンとの戦闘が激化する0092年末である)。
ジェガンの生産が軌道に乗るまで、その他の一般部隊ではヌーベルジムIIIとバージムの二機種に統一させ、高性能機を必要とする宙兵隊やエリート部隊ではMSA-007ネロ、コロニーや月面都市の防空部隊はRGM-86RジムIII、パイロット訓練用としてMSA-003ネモを振り分けそれぞれ均等化を図ることにして、MSA-099やRMS-108といった非RGM系の機体を順次退役させていった。
最新鋭機だけあって、ジェガンは当時の量産型MSの中では高いポテンシャルを持つ。ネロやグーファーといった高級機には敵わないものの、整備性と操縦性を天秤にかけた場合ではジェガンに軍配が上がる。ジェガンは再興ネオ・ジオン軍の主戦力であったAMS-119ギラ・ドーガとも対等に渡り合える程の性能を持っていた。
そしてジェガンの高い整備性と拡張性、信頼性はコスト削減を推し進める連邦軍にとって、もっとも相応しいMSだと言えた。
ネオ・ジオン動乱が一段落した0093年以降、旧式MS代替を名目に連邦軍一般部隊へのジェガンの配備が進み、旧式化しつつあったジムIIIを退役させ、0090年半ばから0100年代初頭にかけてジェガンは連邦軍の一般的な主力機として普及するに至った。
0099年にヌーベル・エゥーゴとネオ・ジオン残党の連合軍による月面都市へのテロ事件、0105年のマフティーの乱といった事件があったものの、この間は大きな動乱もなく、新鋭機の開発が鈍化していたため、0120年代初頭までの30年間、ジェガンは連邦軍の最多量産機として君臨し続けることになる。
○特別付録 エゥーゴ/ティターンズの主力MS
■エゥーゴのMS調達計画
デラーズ紛争後に結成された地球連邦軍のジオン残党狩り専門部隊「ティターンズ」の台頭と、彼らが掲げる地球至上主義と反スペースノイド思想と、横暴な軍事行動に危機感を抱く一部のスペースノイド系連邦軍人は、密かに月やコロニーの政財界と結びついて一種の秘密軍閥を形成しつつあった。これが後のエゥーゴの雛形となっていく。
当時は軍閥というよりも小規模なスペースノイド権益団といった性格の強い秘密結社であったが、0085年に発生した30バンチ事件を契機としてスペースノイド民衆保護とティターンズに対抗するための軍備を整え、ネクスト連邦政府とスペースノイド自治権を唱える反地球連邦政府組織「A.E.U.G.」として育っていくことになる。
30バンチ事件やその前後のスペースノイド自治権運動に対するティターンズの暴挙を目の当たりにした時のエゥーゴ上層部は軍内部においてその権勢を広げつつあったティターンズとの軍事衝突と、エゥーゴの重要な支持基盤である月面都市やスペースコロニー防衛を想定して独自に武器弾薬を調達・整備する必要に迫られた。
地球連邦軍はティターンズに乗っ取られ、上部組織である連邦政府議会は最早、肥大化し権勢を誇るティターンズを掣肘するだけの能力を持っておらず、正規軍内のスペースノイド出身将兵のティターンズに対する不満も高まり、武力衝突は最早不可避の状況にあった。
それまでエゥーゴや秘密裏にエゥーゴに協力する地球連邦軍諸部隊は、ほぼ連邦軍の装備をそのまま使用していた。MS部隊ではRGM-79RジムIIが大多数を占めていたが、エゥーゴが形成された早い時期よりメイン・スポンサーであるアナハイム・エレクトロニクス社グループ(以下AE社)の協力を得る形で優良装備を有するティターンズに対抗するべく、独自の配備計画を押し進めた。
当初、エゥーゴはAE社の独力開発機で、AE社では五番目に開発されたガンダム・タイプMSであり、エゥーゴへの提供MS第一号となったMSA-099リック・ディアスを主力MSとして量産する考えを持っており、同機の補佐としてMSA-002ドミンゴを想定していた。リック・ディアスは量産型MSにカテゴライズされるものの、当初より生産性の低さが指摘されており、これが大量調達の妨げとなっていた。エゥーゴでは早い時期よりリック・ディアスのみの機種統一は諦めていた節があり、リック・ディアスとのハイ・ローミックスとしてドミンゴが有望視されていた。
こちらはRMS-106ハイザックの発展型で連邦軍グラナダ基地兵器工廠とAEグラナダ支社との共同開発機であったRMS-107ブロンコをベースに更にAE社が独自に改良を加えた機体で、リック・ディアスで問題となった生産性の低さをクリアした、まさにエゥーゴMS調達計画における本命であった。
エゥーゴの前線部隊に配備されるリック・ディアス&ドミンゴの他に、艦隊前衛、コロニーや月面都市といったエゥーゴの重要な後方拠点や支持基盤の防空・迎撃用として、ドミンゴとの置き換えによって前線から捻出されるであろうRGM-79RジムIIをこれらの後方支援任務に転用する目論みであったが、開戦までエゥーゴは必ずしも後方に配置するジムIIを必要数確保していなかった。連邦正規軍内のエゥーゴシンパからの横流し品や奪取品をかき集めても、後方に配備するだけの必要数を確保できているわけではなかったのだ。
正規軍やティターンズの目をかいくぐって正規軍の標準装備品であるジムIIを非合法組織であるエゥーゴに流し続けることは正規軍内にいるエゥーゴ派を危険に晒すことを意味しており、これ以上のジムIIの獲得は不可能と判断された。エゥーゴではジムIIの不足数を補完するべく、独自の迎撃・防衛任務を主眼に置いたMSの調達を計画した。これがMSA-003ネモである。
当初ネモはAE社がドミンゴと共に独自開発したベンチャー・モデルであり、リック・ディアスを含めて両機は連邦正規軍やティターンズの統制下で開発された機体ではない。そして、本来ネモはエゥーゴが保有するジムIIの不足分を補うためだけに少数の調達が計画されており、エゥーゴにとっては本命とは言えない機種であった。ネモはジムIIに近いバランスを持つだけではなく、実質的なジムIIの後継機であった。当時のエゥーゴでは前線部隊ではジオン系、後方部隊では連邦系とMSを完全に使い分ける構想であったとされる。
ネモはティターンズが動員する主力機、RGM-79Q、RMS-106、RMS-117、RGM-79R、RMS-179といった機体群に対して性能的に優位に立てる第二世代MSとして、高い完成度を保っていた。ありていに言えばネモはジムIIをベースにムーバブル・フレーム化し、装甲をガンダリウムα合金製とした機体で、警備・迎撃を主眼に置いた機体だったがその高性能から実際には汎用機であった。
前線部隊やエゥーゴに合流した連邦軍諸部隊にはリック・ディアスとドミンゴ、月面都市やコロニーの防衛を任された市民軍部隊にはジムIIとネモのハイ・ローミックスという計画でエゥーゴ初期の主力MS配備計画は進むのだが、ティターンズとの事実上の開戦となったグリプス事変を前後して齟齬を来たすことになる。
当初、エゥーゴへの配備が決定してエゥーゴMS部隊への配備を進めるべくAEグラナダ工場にて生産ラインがフル稼働していたドミンゴが、AE社役員会の思惑によって急遽、その供給先をあろうことか、敵対勢力であるティターンズに変更することが決定される。これは月面都市へのティターンズへの不可侵を含ませるための政治的決定であったのと、連邦軍内訌戦においてティターンズが勝利する局面を鑑みた場合においても不可避でもあった。
ドミンゴ供給を反故にされただけではなく、敵対組織であるティターンズへ供給することにエゥーゴ側は当然、抗議したものの当時のエゥーゴの軍事力では月全体をティターンズの脅威から保護することは不可能であり、AE社独自の外交攻勢にエゥーゴが介入することは出来なかった。
また、AE社株主や上級役員、特に地球上にある各支社や関連企業にはアースノイド出身者も多数存在する。彼らアースノイドAE社員の中には当然、ティターンズとのチャンネルを持つ者もおり、AE社内の地球派の意向を無碍にすることは出来なかったのだ。
そしてティターンズから見たドミンゴは連邦軍が独力での精製に失敗したガンダリウムγ合金製装甲を有しており、ただ単に新型機以上の価値がティターンズ側にはあった。ドミンゴのティターンズへの供給はまさに月への不可侵を結ばせるには充分な交渉材料であったと言える。ドミンゴはAEグラナダ支社で開発された出自から、その形式名称をRMS-108マラサイと変えられ、ティターンズによって制式採用されるのである。
こうしたグリプス事変直後のAE社上層部の政治的思惑によって、主力機を言わば敵に奪われた形となったエゥーゴは一から主力機選定と戦力化をやり直すことになった。リック・ディアスの生産を拡大する案は現実的ではなく、ロートルであるジムIIにしても今後のMS戦における主力を担うだけの性能を有していない。ジムIIはどうにかハイザックと戦えるだけの性能であり、ティターンズ側に渡ってしまったドミンゴ改めマラサイに対しては完全にパワー負けしていたのだ。
そこでAE社ではドミンゴ供給白紙の代償として当初はジムIIを補完するための生産数しか見込まれていなかったネモの供給を提案し、同様にネモの戦力化を検討しはじめていたエゥーゴでもこれを承諾。一転してネモがエゥーゴ主力MSの座につくことなり、生産ラインが置かれていたAEフォン・ブラウン支社やサイド1、2、5のAE社支社工場での大量生産が開始された。
当初、エゥーゴ上層部では平凡過ぎるネモの性能に満足していなかったものの、操縦特性がジムIIに近いため、当時の連邦正規軍の主力MSであるジムIIの操縦に慣れた連邦軍出身のエゥーゴパイロットからはむしろ好評を持って迎えられた。エゥーゴに次々と合流する連邦軍パイロットにとって迅速なエゥーゴMS部隊への配属と機種転換作業を迅速に進めることが可能となり、戦力拡大に努めたネモはエゥーゴ軍拡における最大の功労者とも言えるMSとなった。
生産台数においてもリック・ディアスを大きく上回り、リック・ディアスとのハイ・ローミックスにおいてはネモでも充分にこなせるだけの性能を有していた。エゥーゴではリック・ディアスを隊長機や過去に連邦軍やジオン軍での従軍経験のあるベテランパイロット用として支給・配備を行い、志願兵や新人パイロット、あるいはジム系MSに慣れ親しんだ連邦軍出身パイロットにはネモを配備し、使い分けた。当初はネモの不足分を補うために旧式のジムIIも前線に立ったものの、ネモの配備が進むにつれてジムIIは次々と機種転換されて後方のエゥーゴ拠点やコロニー防衛任務、あるいは教育部隊などに供され、本来の銃後の任務をまっとうできた。
グリプス抗争時にエゥーゴに参加・従軍した義勇パイロットにとって、まずは使い古されたジムIIで操縦とMSのイロハを叩き込まれ、ネモで実戦を経験しMS戦闘に慣れてエースとなり、最終的にリック・ディアス、あるいはMSF-007ガンダムMkIII“ヴァルキューレ”やMSZ-006C1Zプラスといったガンダム・タイプを与えられるのが最大のステータスであった。しかしこのコースを順調に歩んだパイロットはごく一握りであったことは言うまでもない。
また、エゥーゴに合流した連邦軍部隊がRMS-106ハイザックやRMS-117ガルバルディβといったジオン系MSを装備しているケースもあったが、これらも基本的にはエゥーゴ編入後にネモに転換され、ハイザックやガルバルディβといった旧式機は後方の保管施設に送られ、あるいは解体処分とされた。ジムIIと同様、連邦正規軍でも多数を使用していたハイザックがグリプス抗争中、エゥーゴで動員されなかった理由の一つはハイザックより優秀なネモをAE社から必要数提供されていたためであり、ネモの行軍性能を損なうハイザックを使用するだけのメリットは無かったと言える。
かくして、グリプス抗争初期にはリック・ディアス、ネモ、ジムIIの三機種を主戦力としていたエゥーゴであったが、抗争後期にはジムIIは前線からは引退し、ほぼリック・ディアスとネモの二機種に統一することに成功している。これは行軍性能を平均化させ、戦力の効率的な集中投入が可能であることを意味し、ティターンズに比べて組織基盤が脆弱であったエゥーゴにとっては有利に働いたともいえる。
ネモはティターンズの主力機であるハイザックを大きく凌駕し、バーザムとも同等の性能を見せつけ、内訌戦におけるエゥーゴの前線をリック・ディアスやメタスといった機体と共に支えたのである。
ちなみにグリプス抗争勃発後、エゥーゴに合流した正規軍部隊からもたらされたジムIIを多数獲得し、抗争中にはほぼ必要最低限のジムIIの需要を満たすことにも成功している。これらは主に後方の月面都市やスペースコロニーなどに配備され、銃後の守りについていたが第一次ネオ・ジオン抗争時にはRGM-86RジムIIIの改造資源とされ、新たにジムIIIへの更新工事を受けて再び第一線に立つ機体も多かった。
また、大戦後に連邦軍にて制式採用された砲撃型MS、RGC-83ジムキャノンIIも多数、エゥーゴにて運用されていた。その出自はグラナダ防空隊やコロニー軍の防空小隊に配備されていたリニア・シートと全天モニターを有するB型であった。これらのジムキャノンIIはエゥーゴ・グリーンに塗られてメールシュトローム作戦時において同型機同士で集中運用され、火力担当部隊として活躍した。この時、すでに六年落ちの旧式機となりつつあったが連邦軍MSでも有数の二門のビームキャノンの火力は侮りがたく、敵軍の防御が厚い激戦空域にて火力の集中投射を行って味方MSのために突破口を開いたとされる。
メールシュトローム作戦時には、一旦は前線からは退役したジムIIやそれよりも旧式となるRGM-79Nジム・カスタムなどがMS不足から艦隊前衛や艦隊間の連絡業務などの補助任務に再び返り咲いている姿が見られた他、ダカール宣言後にエゥーゴに合流した連邦軍部隊によってもたらされたRGM-86RジムIIIなどもその姿を見せていた。
グリプス抗争終結と共にネモはその生産を終え、続く第一次ネオ・ジオン抗争時のエゥーゴでは新たにRGM-86RジムIIIとRGM-88BヌーベルジムIIIを主力機に据えている。これはジムIIIの戦力化を進める地球連邦軍と歩調を合わせた形であるが、先の会戦でMS戦力を消耗した上にネモの生産終了をAE社から言い渡されたためであり、エゥーゴでは後方に配備していたために充分な数が健在だったジムIIをジムIIIに改修して再戦力化し、先の会戦で失われたネモの穴を埋めるとともに、AE社に対してヌーベルジムIIIの委託生産を依頼している。
エゥーゴMS部隊に新たに配備されたヌーベルジムIIIはα任務部隊に配備された初期型と違い、ジェネレーターをネモのものに換装した後期生産型であり、このヌーベルジムIII後期生産型がエゥーゴ最後の制式機となった。エゥーゴはMSA-004シリーズやMSA-007シリーズといったネモやリック・ディアスの後継となる機体を開発していたものの、コスト上の問題とエゥーゴの求心力低下に伴い大量配備されることなく、連邦軍内の反逆児であるエゥーゴは0090年に解散を宣言し、連邦正規軍に帰順していった。
●MSA-099リック・ディアス(0087年制式採用 0087~0088年生産)
MSA-099系図鑑
エゥーゴの主力MSとして独自に開発された第一号MS。開発はAE社が担当し、旧ジオン系技術者が多数開発に参加したため、かつてのMS-09系やMS-14系に近いジオン系重MSに近いフォルムを持つ。新素材、ガンダリウムγ合金装甲を採用し、本格的なムーバブル・フレーム構造を導入した第二世代MSの先鞭となった機体である。コードネーム名はガンマ・ガンダムとあるように、AE社では同機を一連のエゥーゴに提供した「アナハイム・ガンダム」の第一号でもある。
性能は当時の一般的な連邦軍MSを越えるポテンシャルを持ち、また、整備環境の悪いゲリラ部隊レベルでの運用が可能な程の頑丈さから、ティターンズに比べて戦力が貧弱だった当初のエゥーゴにおいて最も有望視されていた機体であった。ジオン系設計の色濃いMSだと思われがちだが、連邦とジオン双方のMS技術の融合系であり、元ジオン系技術者が伝説の名機「RX-78-2ガンダム」を独自に解釈したのがガンマ・ガンダム、すなわちリック・ディアスとも言える。
エゥーゴでは同機を主力MSとして量産する考えを持っていたが、唯一の欠点は生産性が低く、0087年3月のグリプス事変以降、戦線が急速に拡大しつつある中でリック・ディアスの大量増備が実現することはなく、エースパイロットや、前大戦を経験している古参パイロットを中心に限定的な配備が行われたのみであった。例外的にエゥーゴ艦隊旗艦「アーガマ」所属の艦載機部隊ではある程度のリック・ディアスの集中運用も見られたが、大半の部隊ではMSA-003ネモやRGM-79RジムIIとのハイ・ローミックス運用で戦線を乗り越えている。
塗装は当初はエゥーゴらしからぬ宇宙迷彩塗装と呼ばれる黒系であったが、抗争勃発後はエゥーゴがスペースノイド権益団であるという政治的アピールを兼ねて、赤い彗星カラーと呼ばれる赤系のカラーリングへと変更され、すでに配備が完了している旧塗装機についてもパイロットの要望があれば塗り替えていったと言われている。また、ネモと同色系のグリーン系、ブルー系、灰色のロージビリティカラーに塗られた機体やいくつかの塗装試験機も見られたが、大半はレッド系カラーであり、赤いことがリック・ディアスのアイデンティティーであった。
リック・ディアスは当時の同世代量産MSの中においては独特な設計を有している。それが頭部コクピットである。通常、MSのコクピットは腹部に位置するが、同機においては頭部に設置された。民間企業であるAE社ならではの自由な発想とも取れるが、実際には腹部に収まる新型ジェネレーターの小型化に手間取り、腹部スペースがジェネレーターに占有されたために頭部へ追いやられたのだ。
また、大きなジェネレーターを無理やり本体に収めたのが災いしたのか、脊髄フレームは未発達で、胸部は装甲材と脊髄フレームで構造を分担するという立ち遅れた一面もあり、内骨格の深化度においてはMSA-003はおろか、RX-178にすら劣る面もあった。
故にリック・ディアスを第二世代MSとして分類しない研究者もいる。同機はフレーム状態での直立は可能であったが、単独歩行は胸部装甲を取り付けなければ不可能であったのも、同機が第一世代MSの部分を引きずっている一因でもある。
結局、RGM系MSに近い特性を持つMSA-003ネモに生産台数を譲ったものの、エゥーゴのエースパイロットや古参パイロットたちが駆るリック・ディアスはグリプス抗争においてティターンズ側の主力MSを大きく圧倒し、エゥーゴの戦線を支えた。
また、ジャブロー制圧戦後、生き延びた機体がカラバに譲渡されて運用され続け、これを元に装甲を大気圏内向けに換装したMSK-008ディジェが生み出された。ディジェはアムロ・レイ大尉の専用機としても知られており、カラバMS部隊の士気向上に重要な役割を果たした。
AE社が最初に手がけたエゥーゴ向けMSであり、量産型MSとしては凝り過ぎた感もあるリック・ディアスだが、持ち前の高性能と低い生産性と相反する高い整備性、言わば手のかからないMSとして現場からは重宝された。
また、前大戦時の両陣営の英雄であるシャア・アズナブル公国軍大佐、アムロ・レイ連邦軍大尉の双方が愛機として乗り込んだ唯一の機種としても知られている。
低い生産性ながらも生産自体は0088年終盤まで行われており、一部はB型仕様でジオン共和国への輸出も行われ、第一次ネオ・ジオン抗争末期の内紛ではハマーン・カーン側の戦力として動員された記録も残っている。
●MSA-003ネモ(0087年制式採用 0087~0088年生産)
MSA-003系図鑑
エゥーゴの主力MS。AE社製で開発当初は早くも陳腐化が懸念されていたRMS-106ハイザックに代わる地球連邦軍次期主力MSや、月面自治都市やスペースコロニーの警備・迎撃用MSを見込んで独自で開発された機体であったがグリプス抗争が勃発し、急速な戦力拡大に迫られたエゥーゴへ急遽、投入が決定された経緯を持つ。
同機は当時の連邦軍支援攻撃機、RGM-79RジムIIを母体に発展させた機体で性能はティターンズの主力機、RMS-106ハイザックよりも高く、RMS-154バーザムとはほぼ同等の性能を有する。その性能バランスからも分かるように、ティターンズMS部隊に配備されていたRGM-79Qジム・クゥエルやRMS-106ハイザックを仮想敵として想定していた。
しかし当初のエゥーゴ上層部の目論見ではMSA-099リック・ディアスこそがエゥーゴ主力機であり、ネモはあくまで迎撃用MSとしてRGM-79RジムIIの不足分を補う程度の生産量しか見込まれていなかった。
だが、リック・ディアスは生産性が低く、AE社の生産部門からは「ジャブローでもてこずるだろう」と評される程、グリプス抗争勃発による戦力拡大、すなわち需要と供給に即応出来ないという重大な欠点を抱えていた。また、同時期にAE社で独力開発され、リック・ディアスを補完するエゥーゴの主力MSとして有望視されていたMSA-002ドミンゴがRMS-108マラサイに形式・名称を変更した上で敵対するティターンズに譲渡されることが決定され、エゥーゴの主力MS調達・配備計画は思わぬ齟齬を来すことになった。
そこでエゥーゴ上層部ではAE社が迎撃・警備用として開発したネモに着目、またAE社サイドからの提案もあってAE社にリック・ディアスの生産を補う目的で同機を大量発注。以降、エゥーゴの主力MSとして大量調達された。
ジム系譲りの高い生産性と取り扱いの良さと、地球圏に一万機近く配備されているジムIIともパーツ共用が可能なネモは整備性と性能バランスの良さからリック・ディアスに代わってエゥーゴの主力MSとなっていった。
また、エゥーゴに参画していた連邦軍パイロットの大半はRGM系MSの操縦に慣れていたこともあり、迅速な機種転換と連邦軍将兵のエゥーゴ参加を促し、戦力の質を向上させるためにもRGM系のポテンシャルに近いネモは必要不可欠の存在であったと言えるだろう。
ネモは0087年3月頃よりエゥーゴMS部隊での配備が確認されている他、サイド1、2や月面自治都市の警備部隊など、エゥーゴを支援する月面都市やスペース・コロニーの駐留部隊、地上の反連邦組織であるカラバにも輸出・配備された。カラバでは推進機を核熱ジェット・エンジンに換装したMSK-003として識別され、ジャブロー降下戦を生き延びた機体がこの仕様に改造された他、AEカリフォルニア工場で生産され、カラバへ供与されたモデルは全てこの地上型であった。
初期生産型はジャブロー攻略作戦への投入が予定されており、鹵獲や撃墜によってティターンズへガンダリウムγ合金のデータが渡るのを恐れて敢えて高価なガンダリウムα合金が使用されたが、B型のサフィクションが与えられた後期生産型には生産性の高いガンダリウムγに変更されている。
エゥーゴでは主力部隊やエゥーゴに合流した連邦宇宙軍MS部隊に配備されているジムIIからネモへの機種転換と統一を迅速に進め、戦力の質の向上に努めた結果、0087年末には前線のエゥーゴMS部隊は全てネモに統一されている。
ネモはティターンズ側のハイザックやガルバルディβ、ジム・クゥエル、ジムIIといった旧式機を性能的に大きく圧倒し、戦闘を有利に進めた。
抗争後期はティターンズが投入したTMSやNT用MAに対して、火力不足という唯一の欠点に悩まされつつも、これらの敵MSは数が配備数が少なかったため大きな問題とはされず、整備性と操縦バランスの良さからリック・ディアスと共にエゥーゴの戦線を支えた名機となった。
ネモの生産はグリプス抗争終結と共に終了し、後の生産はRGM-88BヌーベルジムIIIに譲っている。また、火力強化を図ったMSA-004シリーズも少数ながらも生産され、エゥーゴやカラバによって運用された。
ちなみに連邦軍の主導権がティターンズからエゥーゴへ移行したダカール宣言後、地球連邦軍ではエゥーゴMS部隊で実績を上げていたネモをジムIIやハイザックに代わる主力機として採用し、内訌戦で消耗したMS定数を回復させる考えを持っていたが、生産を請け負っていたAE社サイドではネモの生産を段階的に縮小したいという思惑から難色を示され、連邦軍でのネモの実戦配備化は実現せずに終わっている。連邦軍ではエゥーゴやカラバから継承した残存機を第一次ネオ・ジオン抗争後に細々と運用するに過ぎず、その後は大半の機体が前線配備を解かれて、トレーナー仕様のT型へと改装されている。
■ティターンズのMS調達計画
0083年に勃発したデラーズ紛争を契機に編制された地球連邦軍のジオン公国軍残党狩り部隊「ティターンズ」は与えられたジオン残党狩りという使命から常に高性能量産MSを欲していた。正規軍に配備されているノーマルなジムやジム改では到底、前線のティターンズパイロットたちからの要求に応えることは出来なかったのである。
結成当初は少数精鋭のエリート部隊、という性格から対ゲリラ戦やカウンター・テロ作戦、またはコロニー内戦闘、あるいは暴徒鎮圧などの治安維持作戦を重視したRGM-79Qジム・クゥエルを主力作戦機とし、中距離支援機としてRGC-83ジム・キャノンII、特殊任務用としてRGM-79SPジム・スナイパーIIといった特殊用途機も少数ながらも正規軍から貸与されていた。
ティターンズで事実上、主力作戦機として独占使用されたジム・クゥエルは元々はRGM-79Nジム・カスタムをベースに推力を抑えて月面自治都市やコロニーなどの重力区での運用に重きを置いた機体として開発されていたもので、大戦末期に生産が開始されたGシリーズの後継機と目されており、開発当初よりティターンズ専用機として想定されたものではなかった。しかし、主力MSを探していたティターンズが遂行する諸作戦において仕様が合致していたため、制式採用したという経緯があった。当初は正規軍からの貸与装備という名目であったが正規軍に配備された機体は1機もなく、後にティターンズに正式に移管された。
前大戦時に放棄された無人コロニーはジオン残党ゲリラの巣窟となっているケースもあり、推力を抑えてコンパクトに纏めた身軽なジム・クゥエルにとっては託された性能をフルに活かせる環境であったと言える。当時のジオン軍残党は旧式化したMS-06系やMS-09R系を騙し騙し使い続け、性能差をパイロットの熟練でカバーして新兵の多い連邦軍MS部隊を圧倒していたが、連邦軍のエリート部隊で戦意も練度も高く、また最新鋭機材であるジム・クゥエルで統一されたティターンズMS部隊には押され続け、各地で各個撃破されていったのである。
また、対ゲリラ戦や残党狩り作戦だけではなく、コロニーや月面自治都市、あるいは地球上の各都市の街頭警備や政府要人警備にもジム・クゥエルは動員された。ジム・クゥエルは脚部に対人センサーを有しており、当時激化しつつあったスペースノイド自治権運動や反政府運動のデモなどで扇動され暴徒と化したデモ隊を大きく威圧し、コロニーや月面都市などの治安維持活動に大きく貢献した。18mクラスの武装MSがコロニーや地球の各都市のメイン・ストリートに居並ぶ様相は反政府を唱える暴徒を萎縮させるに充分であったと言える。
しかし、ティターンズは結成から数年が経過し、ジオン残党狩り作戦において大きな成果を上げたものの、世情は拡大する反地球連邦政府運動や非ジオン系のスペースノイド自治運動が活発化しつつあり、それらの新しい反政府運動の動きに少数精鋭部隊による打撃から、序々にローラー作戦への転換を迫られつつあった。ティターンズの活躍によって一端は弱体化しつつあったジオン残党もこれらの流れに乗る形で一時的に活動を活発化させ、さらに非ジオン系の反政府運動に合流する動きを見せたのだ。
そのため、生産台数の少ないジム・クゥエルだけでは逼迫する需要に即応できなくなりつつあった。元がジム・カスタムであり、対ゲリラ戦やカウンターテロ作戦に合わせた仕様が仇となり近い将来、性能が陳腐化することは明白であった。そこで、自らこそ地球連邦軍の主流派であると自認するティターンズでは現用機ジム・クゥエルの後継となる次期主力機の独自開発を計画した。これは来るティターンズの組織拡大と連邦正規軍併呑の野望を見据えた、ティターンズの当初の存在理由に見合った対ゲリラや対テロ作戦用の特殊用途機ではない、汎用主力機の開発であった。
そして、次期主力機が形を見るまで、ティターンズではジム・クゥエルを補完する形でRMS-106ハイザックを暫定的に採用した。当初、ティターンズでは性能的に見栄えのしない地球連邦軍制式機のハイザックに対しては態度を決めかねていた節が見られる。MS-06系に酷似した外見もジオン残党狩り部隊という看板を掲げるティターンズには相応しくなく、初代ジムのマイナーチェンジであるRGM-79Rを採用した方がマシだという声もあり、決して積極的ではなかったものの、日々、前線へ配置されるティターンズMSパイロットへいち早く、高性能の機材を送り届けることこそが先決であるとされ、暫定採用という玉虫色の決定によってハイザックがティターンズ内においてもその幅を利かせるようになるのだ。
ハイザックは連邦正規軍において、戦後の連邦軍量産型MS第一号という触れ込みでかつてのジオン軍のザク系の設計を取り入れた機体として完成し、正規軍での調達数を順調に増やしていたという背景もあり、正規軍とティターンズで装備するMSを共通化したいという意図もあったようだ。
ザク系に近い外見からアースノイド主義者のパイロットや前大戦時からジム系MSに慣れ親しんできた古参パイロットからは一部拒否反応があったものの、逆に一年戦争での従軍経験のない、各MSの癖を知らない新人パイロットには概ね好評を持って迎えられた。
ジム・クゥエルやジム・スナイパーIIに慣れ親しんだ口がさない古参パイロットからハイザックは制式化された時点で旧式化したポンコツ、と批評する者も少なくなかったが、前大戦やデラーズ紛争での従軍経験の無い新世代のティターンズのMSパイロットの中にはハイザックでMSのイロハを教わった者も多い。特に操縦しやすく、未熟なパイロットであっても平均的な性能を引き出せたのである。ジム・クゥエルと対照的な高いロケット推力は、正規軍やジオン共和国軍との共同作戦や大規模なローラー作戦においてその威力を発揮し、反連邦ゲリラ勢力やジオン軍残党の摘発に大きく寄与した。
またザク系に近い外見はアグレッサー機としても使えるとあって、ティターンズにとってハイザックは欠かせないMSであったとも言える。ハイザックはグリプス抗争勃発後においてもティターンズの主力作戦機として活躍し、マラサイやバーザムに押されつつも最後まで主力の座にあった。
しかし操縦のしやすさ、推力の高さと反比例するかのように出力系統に欠陥が見られ、ハイザックは常に低出力に悩まされ続けた。同時に二種類のビーム兵装を装備使用出来ないという欠点は、これ以外の美点を隠してしまう程のものであったことは間違いはないだろう。ビームライフルとビームサーベルの同時使用はハイザックより前の機体であるRGM-79RジムIIですらこなせる、言わばビーム兵器運用型MSにとってはデフォルトとも言える機能が最新鋭のハイザックでは使えず、この欠点があるがためにティターンズは終始、同機を主力機とせずあくまで「暫定」という態度を崩さなかったのである。ティターンズにとってジム・クゥエルの次のMSの模索はグリプス抗争半ばまで続くことになる。
そうしたティターンズ上層部の態度とは裏腹に調達数は順調に伸ばし続け、0086年頃までには前線部隊はほぼハイザックで統一され、転換されて捻出されたジム・クゥエルは都市警備や暴徒鎮圧などの任務へと回され、任務によって両機は役割を分担することになった。
暫定的とはいえ、ハイザックが主力機となった後もコロニー内戦闘や都市部でのカウンター・テロ作戦、街頭警備といった治安維持任務においてジム・クゥエルは重用され続け、ティターンズは前線で戦うMSはハイザック、後方での治安維持や示威・鎮圧行動にはジム・クゥエルと二種類のMSを使い分けていた。
ハイザックの戦力化と平行して続けられていた次期主力機開発においては、後にエゥーゴに強奪されてしまうRX-178ガンダムMkIIが知られている。ガンダムMkIIは当初より大量生産を考慮した設計で開発が進められていたものの、量産化を急いだため、装甲材質は旧式なチタン合金・セラミック複合材のままであった。当初、同機の装甲にはガンダリウムα合金の量産素材を取り入れる計画であったが、当時、連邦軍ではガンダリウムα合金(ルナ・チタニウム合金のAE社での登録商標名)の量産化に立ち遅れており、α合金から改良したガンダリウムβ合金は実際には形状記憶合金として完成してしまったため、これをMSの装甲に用いることが不可能となってしまった。
β合金の次の仮称γ合金がものになるまでの間、暫定的にMkIIにはチタン合金・セラミック複合材を使うことで妥協することとなった。しかしティターンズではMkII開発に外部メーカーやAE社の合金開発部門を一切関与させなかったため、γ合金の開発は大きく立ち遅れることになった。この頃、AE社ではアクシズとの裏取引を通じて、従来のルナ・チタニウム合金よりも加工しやすい、ガンダリウム合金(後のガンダリウムγ合金)のノウハウを取得して、エゥーゴ向けMSの装甲材として取り入れることになるのは歴史が知る通りとなる。
ムーバブル・フレームを有し、高い運動性を有していたものの装甲はハイザックやジムIIとほぼ同一の材質であったことが災いしてか、結局はガンダムMkIIは3機が試作されただけで量産化は中止という判断が下されてしまう。
当時のティターンズ上層部ではガンダムMkIIをメインに据え、グリプス工廠製RMS-179ジムII後期生産型やハイザックの発展型であるRMS-107ブロンコとのハイ・ローミックス運用を目論んでいたようだが、時代はムーバブル・フレームによるモノコック構造からの脱却と、装甲をかつてのRX-78ガンダムで使用された実績を持つルナ・チタニウム合金の量産素材という第二世代MSにトレンドが移りつつあり、優れたムーバブル・フレームと高い生産性を持ちながら装甲材質においてまだ第一世代MSから脱却しきれていなかったガンダムMkIIはティターンズ上層部の理解を得られないまま、制式化には待ったがかけられ、装甲材質の改良続行が命じられたのである。
最後までティターンズ上層部は装甲材をルナ・チタニウムの量産素材、所謂ポスト・ガンダリウム合金でなければ量産にゴーサインは出さないという態度を崩さず、完成した3機の試作機はグリプス基地にて新兵の慣熟飛行訓練と稼働データ収集に供されるに留まり、実戦配備も見送られている状態だった。
その後、グリプス事変を経てガンダムMkIIを失ったティターンズは、次期主力機の選定において大きく遅れを取ってしまう。ティターンズは拡大するエゥーゴとの戦闘に即応するべく、まずは正規軍部隊に配備されているハイザックの大半をティターンズへ移管することを正規軍側に要請。これは親ティターンズ系正規軍部隊がそのままティターンズ指揮下に編入される形で部隊に配属されていたハイザックがティターンズによって確保された。これらのハイザック部隊はパイロットもそのまま、ティターンズの一翼を担い対エゥーゴ戦闘に動員されている。
またティターンズに協力しない一般部隊に配備されたハイザックについては、権限拡大法案可決後にティターンズが半ば強引に徴発して確保している。ハイザックを奪われた形となった部隊では二線級のジムIIに逆戻りし、この時期の正規軍部隊のMS戦力の質は相対的に低下してしまい、また現用機を奪われ、使い古しのセコハンを回された部隊ではティターンズの横暴なハイザックの横取りに不満を募らせてエゥーゴに協力するといった事態も起こり、こうした乱暴な施策は長い目で見れば失敗だったと言える。
装備するMSの性能差は搭乗し前線へ赴くパイロットにとっては命に関わる問題でもあり、ティターンズのMS調達部門は機材を奪われる正規軍パイロットをあまりにも軽視していたと言えるだろう。
この他に親ティターンズ派の筆頭であったルナツー基地駐留軍に広く配備されていたガルバルディβが多数、ティターンズに貸与され、抗争初期から中期にかけて多数が対エゥーゴ戦闘に投入されている。MS戦闘においては高機動軽装を活かした奇襲戦や対ゲリラ戦、及び本来の任務であるゼダン・ゲートやグリプス、ルナツーなどのティターンズ側拠点防衛戦において活躍し、ローラー作戦を主とするマラサイ・ハイザックと役割を分担した。
しかし、高機動が売りのガルバルディβはグリプス抗争勃発時には旧式化しきっており、エゥーゴのネモに対しては終始苦戦を強いられていた。そのため、マラサイやバーザムの配備が進むにつれて残存機はルナツーの原隊へと順次、返却されていった。またアグレッサー訓練機としても活用され、ジムIIやジム・クゥエルと共に第一線からは退いた感が強い。しかし短期間とはいえティターンズMS部隊を支えた名機であると言えるだろう。
更にはグラナダ叛乱後、AE社からの提案によってRMS-108マラサイの供給を受けることになり、最早ガンダムMkIIの量産化に拘る必要は無くなってしまったのである。マラサイはスペック上においてはガンダムMkIIと同等以上の性能を有していたためだ。
マラサイはハイザック、ブロンコを経てAE社が独力で開発・生産したザク系の設計を色濃く残すMSである以上に、ルナ・チタニウム合金の量産材である新素材、ガンダリウムγ合金を全面的に装甲材に使用しており、ルナ・チタニウム合金の量産化に失敗し続けていたティターンズにとっては喉から手が出る程欲しいMSであったことは間違いはない。AE社からのマラサイ供給の交換条件は月にあるAE社各施設への不可侵であった。
ティターンズはフォン・ブラウン侵攻やグラナダへのコロニー爆撃など、内訌戦においてこの不可侵を反故にしているものの、AE社施設に対しては攻撃目標に加えることはなかった。しかしそれもダカール宣言までの話であり、その後はイプシロン市へのテロ攻勢、AE社施設への砲撃も行い、不可侵協定を一方的に破棄している。
マラサイ(エゥーゴ側名称はドミンゴ)はティターンズにとっては素性の知れないMSであったが、エゥーゴとの武力闘争が激化しつつあった時期にあり、1機もの多くの高性能MSを欲していたティターンズにとっては最早選りすぐりをしている余裕はなく、制式採用後、順次、実戦配備されていった。マラサイはハイザック→ブロンコに連なる系譜の機体であるため、当時のティターンズの主力作戦機であるハイザックとのハイ・ローミックスにおいて真価を発揮し、ハイザックからの機種転換訓練も同系統の機体ということで比較的容易に、しかも短期間で行なえたという時点でもパイロットからも高く評価された。
配備が開始された当初はマラサイを中隊長機として、ハイザックを従えて作戦行動を取る部隊もあったが、調達数が伸びるとマラサイで統一された部隊も出現した。ただし、マラサイで機種統一された部隊はジュピトリス麾下の艦載機部隊やバスク・オム大佐直属の第五MS師団などのエリート部隊などに限られており、一般の艦載機部隊では一貫してハイザックやバーザムなどのハイ・ローミックスで運用され続けた。
順調にAE社からの供給で戦力化が進んだマラサイであったが、ティターンズ上層部では外部の民間企業であるAE社からの依存を警戒していた。折りしも同社は敵対組織であるエゥーゴへの関与が疑われていたためである。AE社から供給されるマラサイも元々はエゥーゴ向けMSであることが疑われていた現状において、マラサイの供与を受け続けるのは兵站上の施策から見てもティターンズにとって不利であるのは明白であり、マラサイの運用において製造元のAE社が命運を握っている状況は好ましくなかった。何らかの理由でAE社が態度を一変させて消耗パーツ供給を含む輸出を停止させるような事態になれば、前線で日々運用されているマラサイの稼働率が低下してしまう恐れがあったからだ。
そこでティターンズはマラサイをキリマンジャロ基地にてライセンス生産させることをAE社に半ば強引で結ばせ、これをRMS-108Bマラサイ改として実戦配備した。AE社製の純正機に比べて性能は多少落ち、所謂デッドコピーに近い機体だったが支援攻撃用MSとして一定の需要を満たし、かつすでに配備されているマラサイの稼働率をAE社に依存することなく保つことにも成功している。
AE社はこの決定に猛反発したものの、AE社上層部にバスク・オム大佐の使者が訪れてライセンス生産契約を持ちかけた時点ですでにキリマンジャロ基地では生産ラインが稼働しているという状況であり、更にはジェネレーター供与をしない場合はタキム社にマラサイ用ジェネレーターをデッドコピーさせると脅しをかけて無理筋を通させたという逸話がある。タキム社とはハイザックの件で遺恨が残っていたこともあり、利益確保のために心臓部であるジェネレーター供与とフレームのライセンス生産契約を結ばざる得なかったようだ。また、AE社は近日中にエゥーゴ・カラバによる同基地の攻略作戦が開始されることを知っており、戦闘によって生産設備がダメージを受けるため、マラサイ改のライセンス生産も中断されるだろうと判断してあえて契約を結んだものと思われる。
マラサイ改は主にハイザックやガルバルディβを使い古し、新型機配備を要望していた古参部隊などに優先的に配備され、彼らを前線で通用する第一線部隊として質を引き上げることにも成功した。パイロットはAE社純正とは外見が多少異なるこのマラサイ改を「キリマン・マラサイ」と呼び慣わしていたという。
また、ティターンズはガンダムMkIIの量産化を諦めていたわけではなかった。マラサイ、及びマラサイ改の配備と並行する形で次期主力機を模索していたのである。第一はAE社への依存度低減、第二に陳腐化しつつあったハイザックの後継機として、第三にティターンズに合流した連邦正規軍部隊に配備されていたRMS-117ガルバルディβ、RMS-179ジムIIなどの多種雑多な機体を置き換えて使用機種を統合するべく、ティターンズ独自の主力MSとして開発されたのがRMS-154バーザムであった。ようやくここにジム・クゥエルの後継機が結実したのだ。
バーザムはムーバブル・フレームをガンダムMkIIのものをそのまま使用することで開発期間を圧縮し、推力系の一部とセンサー系統をRX-175サムから設計を転用し、ガンダリウムγ合金製装甲を有し、ジェネレーター部分をハイザックのものを改良して搭載することで完成している。既存の機体や試作機の設計を転用、寄せ集めることで開発期間を圧縮して手堅く纏めた事実上のガンダムMkIIの中庸量産機であったが、サムやハイザックの設計や機構を取り入れていることから、ガンダムやジムを名乗ることを許されなかった悲劇のMSである。
このポスト・ハイザックを巡る選定では、ニューギニア工廠製のバーザムの他にペズン工廠製のRMS-141ゼク・アイン、ルナツー工廠製のRMS-118ガルバルディγ、ゼダン・ゲート工廠製RMS-134ガンダムMkIII“レグルス”、コンペイトウ工廠製のRX-121-3ヘイズルMkII“ハイゼンスレイ”などが名乗りを上げていたが、ティターンズのMS部隊が求める即応性という点においてどの機体も応じることが出来ず、これらの高性能量産機より一歩劣る面のあるバーザムがあえて採用を勝ち取っている。
バーザムに次いで有望視されていたゼク・アインは制式化されなかったものの、ティターンズMS部隊を教育する立場にあった地球連邦軍MS教導団の新主力機としてスポット生産が行われ、0087年末には機種転換を終えている。その後のペズンの乱において叛乱軍側で大量動員され、その性能を連邦軍討伐部隊に対して見せ付けているものの、最後まで制式採用を勝ち取ることはなかった。ダカール宣言後の叛乱軍「ニューディサイズ」で使われたという実績がゼク・アインの評価に大きく揺るがしたことは間違いはないだろう。
一方、ルナツー基地でガルバルディβの後継機として開発が進められていたRMS-118ガルバルディγは、ガルバルディβの出力系と、RX-178ガンダムMkIIのムーバブル・フレームを融合させた設計の機体であり、機体外見上はガルバルディ系を色濃く残しているがその中身はガンダムMkIIそのものであった。ガンダリウムγ合金製装甲を有し、ウィークポイントであった脆弱な防御力を克服しながら運動性も向上させており、親ティターンズであるルナツー兵器開発局がティターンズの次期主力機を見据えて開発した自信作であった。
いくつかの既存機の設計を寄せ集めて新規開発を行うという点ではバーザムと同じアプローチであったが、これもバーザムとの競作に破れており、一部がルナツーの防空部隊に配備が進められる過ぎなかった。後にエゥーゴ政権となった連邦軍に見切りをつけてアクシズに政治亡命したティターンズ将校団によって同機が持ち出されており、ネオ・ジオン軍でAMX-117ガズL/Rの母体機として制式採用されることになる。
ゼダン・ゲート基地で開発が進められていたRMS-134ガンダムMkIII“レグルス”は、ガンダムMkIIの装甲をガンダリウムγ合金製に置き換えただけの所謂デッドコピーに近い機体であるが、運動性と防御力が大幅に向上したことからガンダムMkIIIを名乗ることを許され、また量産機だけに与えられるRMSナンバーが付与された唯一のガンダムであった。しかし製造コスト面ではバーザムには及ばず、ゼダン・ゲート艦隊艦載機部隊のエースパイロット用、及びハイマン親衛隊の中隊長クラスに与えられるために準生産されるに過ぎなかった。
ヘイズル・シリーズの開発と改良を地道に進めていたコンペイトウ工廠では、RX-121-3ヘイズルMkII“ハイゼンスレイ”がティターンズ次期主力機候補として提出された。元々試験機であったヘイズルであるが、その実績をグリプス総司令部から認められて、RX-121-2Aアドバンスド・ヘイズルをベースにした主力機候補の開発打診がグリプスからなされたのである。またハイマン親衛隊で当時採用されていたRX-121-1Aヘイズル・ブランシュの実績もこの打診を後押ししたものと思われる。ハイゼンスレイはアドバンスド・ヘイズルとRX-177プロトタイプガンダムMkIIの中間的な機種にあたる。
しかしハイゼンスレイはヘイズル・シリーズではMSA-003ネモに匹敵するスペックを見せたものの、ジム・クゥエルを改造した試験機したヘイズル・シリーズからの脱却が出来ておらず、四肢の内骨格化は終えても胴体部は今だにセミ・モノコック構造のままであり当時、ライバルであったバーザムやガルバルディγ、ゼク・アイン、レグルスといった第二世代機に比べて見劣りがしたのである。そのため、ハイゼンスレイは早期の段階から選定から外されている。
バーザムは性能的にはマラサイや上記のライバル三機種より落ちるものの、エゥーゴが大量投入していたネモと同程度の性能を持ち、そして既存の連邦軍MSとの高い互換性を有しているのが特徴的であった。MS用の兵装は連邦軍規格のものであれば全て装備稼働させることが可能で、ジムIIやハイザック、ガルバルディβなどを装備していた部隊では、ビームライフルやビームサーベル、シールドなどの武装をそのままバーザムに転用装備させることが可能となり、機種転換訓練においてその期間を圧縮させるだけに留まらず、在来MSの武装などの旧資産をそのまま転用可能という点において兵站負担の軽減にも繋がった。
バーザムは連邦軍を吸収合併して軍拡の一途を辿る一方で、質の低下が叫ばれたティターンズにとっては期待の新主力機であったが、ダカール宣言によってその行き先も危ぶまれ、ティターンズ内に残っていたハイザックやジムII全てを置き換えることなく生産を終えている。それでも初期型のA/B/C/K/Sの各タイプが大量生産され、前線に送り届けられた。
基本型のA/Bの各タイプはハイザックを使用していた部隊への置き換え対策用、C型は正規軍部隊からの合流組が装備していたジムIIやジム・クゥエルを装備していた古参部隊の置き換え用、S型はバーザムで構成される部隊の中隊指揮官パイロット用とされた。
ティターンズ最後の量産機となったバーザムはエゥーゴのネモに対して善戦したものの、ダカール宣言によってティターンズは政府や軍からの後ろ盾を失って失脚の憂き目に合い、一端は連邦正規軍にも普及したバーザムは一転してその行き先が怪しくなった。エゥーゴが実権を握った地球連邦軍ではその後、バーザムではなくRGM-86RジムIIIを支援攻撃機とし、新型機RGM-88Aヌーベル・ジムIIIの実戦配備へとシフトしている。
ダカール宣言後、政府や軍から見放されて政治的にも追い詰められたティターンズは、結局は旧式化しつつあったハイザックを継続使用した他、内訌戦末期には警備用や教育部隊などの後方に追いやられていたジムIIやジム・クゥエルまでも再動員し、再戦力化している。
ハイザックは出力を安定化させて複数のビーム兵器運用を可能としたCS型などの甦り策に乗り出し、AE社からのパーツ供給が途絶え、稼働率の低下が懸念されたマラサイに関してはセンサー系統をバーザムのパーツを組み込むことでアップデイトし、稼働率低下を抑えることに成功している。これらの改修機は新たにRMS-156グリフィンとして再戦力化された。マラサイ特有のジオン系の外見に、連邦系のツイン・アイを有するグリフィンはまさに連邦軍の内訌戦を象徴する機体であった。
しかしバーザムの供給そのものが不安定となっていた抗争末期において、ティターンズは保有するマラサイ全機をグリフィンに改修することなく抗争において敗北している。抗争末期におけるティターンズMS部隊の陣容はハイザックとマラサイ、バーザムの混成部隊が大半であり、MS不足から二線級となり果てていたジム・クゥエルやジムIIも動員せざる得なかったのだ。
これら、ティターンズで集中・独占運用されたハイザックは抗争最後の戦いとなったグリプス戦役において、ティターンズが保有していた過半数が戦没している。マラサイ、バーザム、ジム・クゥエルについても同様であり、ティターンズに奪われる形でハイザックの在庫を失った連邦軍ではなし崩し的にジムIIIやヌーベル・ジムIIIがその幅を利かすことになる。
マラサイについてはAE社がその生産力を担っていたという背景から、その供給先を三度変えることになる。AE社は月面にあるマラサイの生産ラインごと、アクシズ/ネオ・ジオン軍に譲渡したのである。アクシズではすでに抗争終息後、ティターンズ残党から接収したマラサイを多数確保していたという事情もあり予備戦力整備の一環としてマラサイを大量購入している。AE社はこれにより、マラサイ生産中断による損失をカバーすることに成功した。
アクシズではティターンズでの配備を経験していない、新規に購入したマラサイについてはバハデュールという名称を与えており、MS定数が不足していたサイド5方面の宣撫部隊に配備された。また、地球侵攻作戦においても新品のバハデュールが多数、艦艇に積み込まれて地上へ送り込まれて、地球各地に残ってゲリラ戦を続けていたジオン軍残党部隊へ渡っている。
更にマラサイは第一次ネオ・ジオン抗争後においても、ネオ・ジオン軍残党部隊が多数継続使用した他、誕生間もない再興ネオ・ジオン軍においてもAE社から供給された機体(主にAE社に残されていた在庫品や、宇宙上のハマーン残党軍から吸収したものと思われる)が配備された。これらはAMS-119ギラ・ドーガの生産が軌道に乗るまで暫定的ではあったが再興ネオ・ジオン軍初期の主力MSとして使われた。
その後、宇宙上の部隊に新鋭機ギラ・ドーガが順次、配備されて捻出されたマラサイは軍事支援を名目として地上のネオ・ジオン軍残党へ供給され、新たに勃興した再興ネオ・ジオン軍に忠誠を誓い、合流する姿勢を見せる残留ネオ・ジオン軍において貴重な主力戦力の一環として、0092年の地上脱出と宇宙上の再興ネオ・ジオン軍への合流作戦「エグゾダス」まで貧弱なネオ・ジオン軍地上軍の撤退戦を常に支えたという。
こうして、マラサイは当初はエゥーゴへの供給を目的としながら、ティターンズやアクシズ、更にはエゥーゴの指導者でもあったシャア・アズナブルが興した再興ネオ・ジオンといった当初予想もしていなかった勢力において常に評価されるようになるのだった。同機は「政治とイデオロギーに翻弄された」と評価されるガンダムMkII以上に「政治とイデオロギーに翻弄」された機体であることは間違いはない。アースノイド至上主義集団やその対極に位置するザビニスト残党、更にはジオン・ダイクンの実子が立ち上げた正統的なスペースノイド独立組織までもがマラサイのユーザーであり続けたのだ。
ティターンズ最後の量産MSとなったバーザムそのものは性能も良く、意外にも連邦軍やエゥーゴから高く評価されていた。敵対勢力であるエゥーゴが高く評価した背景にはすでにバーザムの原型機となったRX-178を運用していたという実績があったためだろう。
エゥーゴはドミンゴ実戦配備をAE社から反故にされ、仕方なくドミンゴの代わりとしてネモを制式化した経緯があり、必ずしもネモの性能に満足していなかったという背景もあった。
これら、ティターンズ壊滅後に正規軍に残されたバーザムの残党はRGM-88系やMSA-003系の設計を更に取り入れ、RGM-87バージムとして甦った。バーザム改めバージムは正規軍部隊や一部のエゥーゴ系部隊に再配備され、内訌戦で消耗したMS戦力の底上げに役立った。
バージムはジムIIIやヌーベル・ジムIIIで構成される地球連邦軍MS部隊の中隊長機クラスとして支給され、その後、0090年頃より激化した地上での残留ネオ・ジオン軍との戦闘に大量に投入された。くしくも残留ネオ・ジオン軍では旧ティターンズから接収したマラサイを使用しており、地上においてかつての旧ティターンズの遺産が敵味方に分かれて砲火を交えた形となる。
バージムは旧エゥーゴを背景とする新生地球連邦軍、マラサイはハマーンを失い、新たに再興ネオ・ジオンの総帥となったシャアに新たな忠誠を誓った残留ネオ・ジオン軍においてそれぞれ運用され、使い潰されていったのである。
●RGM-79Q/RMS-174ジム・クゥエル(0083年採用 0083年~0085年生産)
RX-178系図鑑
0083年12月に結成されたティターンズのMS部隊に最初に配備されたMSで、RGM-79Nジム・カスタムを元にコロニー内戦・治安維持用MSとして改良を加えた機体である。
本来はコロニー内戦や対ゲリラ戦を主眼に置いた局地戦MSとして、ティターンズ結成以前より開発が進められていた発展プランがその原型だが、その任務性から同時期に結成されたティターンズの専用主力機として最適であると判断され、ティターンズMS部隊初期の戦力として配備が決定。結成以後、長きに渡って対ゲリラ戦、カウンター・テロ作戦といった治安維持作戦において活躍した。元がカスタム機であるN型であるが生産性そのものはN型よりも改善されており、N型の簡易バージョンとして位置付けられる。
初期型はジャブロー工廠にて生産されていたが、0085年頃からグリプス基地の生産施設が稼動すると、グリプス基地でも生産が開始される。このグリプス製ジム・クゥエルは腕部ユニットにムーバブル・フレームを導入した後期生産型で若干ながらも性能向上している。グリプス製はRMS-174ナンバーが別個に与えられ、区別される。
外見上の違いは頭部ユニットセンサー部のグラスルーフが省略され、さらにツイン・アイを含む複合センサーからモノアイに変更されているのが特徴的である。ジム系MSでのモノアイ採用は過去ではGシリーズやC型、後のR型において行われているが、どれも複合センサーをモノアイ周辺に配置したためにカメラの可動が省略された固定式となり、グラスルーフでカバーされているため、外見上からは見えにくく、一見してモノアイ機か分かりにくかったがRMS-174ではグラスルーフを省略し、モノアイも可動式となっている。また、腕部ユニットがムーバブル・フレーム化されたため、腕部装甲もQ型との相違が見られる。
0085年以降にRMS-106ハイザックが、ジム・クゥエルの不足分を補う形でティターンズ主力部隊に配備され始めると主にジム・クゥエルはコロニー内戦や治安維持任務、ハイザックは対ジオン残党討伐などでのローラー作戦用として役割を分担した。
また、一部は0085年頃よりコンペイトウで次期主力機開発を睨み、試験機RX-121ヘイズルのベースとして数機が改造され、新型機開発のテストベッドとしてコンペイトウ駐留ティターンズ部隊に配備された記録も残っている。ヘイズルはあくまでジム・クゥエルの改造機だが、頭部ユニットの形状から「ガンダム」とパイロットから呼ばれていた。このヘイズルは功績を挙げたティターンズのエースパイロットに優先して与えられることもあり、ジム・クゥエルやジムIIを率いて作戦を遂行する姿が見られた。
ヘイズル最終形態となるRX-121-2Aアドバンズド・ヘイズルは脊髄フレームこそ持てなかったものの第二世代MSに近い性能を有しており、対エゥーゴ作戦にも投入され実績を上げているが、フル規格のムーバブル・フレームを有する第二世代MSが主流となりつつあった内訌戦期において同機の制式採用はキャンセルされ、Q型から改造された数機がコンペイトウや、ゼダン・ゲード防空隊に配備されるに留まった。アドバンスド・ヘイズルから特殊装備を省略したRX-121-1Aヘイズル・ブランシュはRMS-174ベースで、ハイマン元帥親衛部隊の初代主力機として運用された。
初期型であるQ型は0086年末には全機一線から退き、教育部隊や警備部隊、治安維持任務用として第二の人生を送っていたが、グリプスで生産された後期型はグリプス抗争時にも多数が対エゥーゴ戦を経験している。しかしジムII同様、旧式化は免れず、抗争半ばからRMS-108マラサイやRMS-154バーザムに取って代わられていった。
ジム・クゥエル最後の戦線投入は0088年2月のメール・シュトローム作戦であり、一旦は新型機に追われて退役したはずの二線級MSまでも再投入しなければならなかったティターンズの厳しい事情が垣間見える。ちなみにこの会戦によって、投入された過半数のジム・クゥエルが未帰還となった。
●MS-11A/Bアクト・ザク(0082年採用 0082年~0084年生産)
一年戦争末期に進められたジオン公国軍の次世代MS開発計画「ペズン計画」によって開発されたフィールド・モーター関節MS、MS-11アクト・ザクを戦後、連邦軍が接収し、評価試験のために再生産したもの。関節部に採用されたフィールド・モーターは連邦軍MSにおける標準仕様であり、連邦軍MSに近い関節構造を有するアクト・ザクは連邦軍MS技師の関心を引くことになり、MS-17ガルバルディと共に解析が開始されることになった。
知られている通り、ジオン軍のMS設計思想は連邦軍のそれとはまったく掛け離れており、また戦後接収されたジオン軍MS技術情報は莫大なものであり、解析を担当する兵器工廠や兵器開発局の技師たちは大きく戸惑うことになる。
そこで、連邦軍のMS技師たちはまずは自軍機に近い構造を有するガルバルディやアクト・ザク、構造が比較的単純なMS-06ザク系といったとっつき易い機体から優先して解析を進めることにしたのだ。連邦軍が戦後開発第一号MSにすでに時代遅れとなっていたザク系のエクステリアを採用したのは、基本構造が単純で出力もそれほど大きくなく、かつMSの歴史の浅い連邦軍にとっては時代遅れとなりつつあったザクであっても新鮮であったことに他ならない。
また、連邦軍でザクより優れるはずのドムやゲルググのエクステリアを有する機体が優先的に採用されなかったもう一つの理由はサラミス級軽巡洋艦への艦載が容易な機体規模であることが必須だったためだ。
アクト・ザクの解析を終えた連邦軍は、次にフィールド・モーターを連邦軍MSに採用されている規格品に換装、OSも連邦軍用IMPCに書き換えるなどといった改良を加える形でアクト・ザクの再生産を指示した。これは連邦とジオン、双方の技術の融合が可能か確かめる目的があった。この試みはまずはアクト・ザクの改良再生産によって実証され、同時に解析が進められており、更に優れた操縦補佐OSを搭載するガルバルディの改良や後のRMS-106ハイザックの開発にも活かされた。
元々、アクト・ザクはザクの名を有するもののMS-06系と異なり、設計当初から拡張性が持たされた機体であった。同機は将来的な連邦軍のMS技術を接収することを見込んで設計されていたことが逆に功を奏したとも言えるだろう。戦後の連邦軍は大胆にもアクト・ザクの関節部だけをRGM系のものに置き換えるだけではなく、ジェネレーターの換装まで行ったのである。アクト・ザクはジオン時代にはビーム兵器の装備は不可能であったが、将来的にジェネレーター換装による出力強化とビームライフル装備化を見込んでおり、この発展案をジオン軍ではなく連邦軍が実証することになったのである。
かくして連邦軍によって改良再生産されたアクト・ザクはMS-11Aとして識別されることになった。これらのアクト・ザクは連邦軍の審査部隊や、すでに開発がスタートしていたハイザックの開発の参考としてAEグラナダ支社へのサンプル譲渡などが行われた。性能もビームライフルの装備が可能となり、基本性能も向上している。連邦軍で新規に再生産されたアクト・ザクは旧来のジオン軍ナンバーにA型のサフィクションが与えられて識別された。
ハイザックの配備より先んじてある程度の実戦配備が行われており、ティターンズMS部隊の母体となったドリル駐留の連邦軍第601MS戦隊やペズン基地に開設されたMS教導団の初代主力機として採用され、ジオン公国軍残党討伐任務や戦闘データ収集といった任務に活躍した。
当初はやはり元ジオン系MSという出自の同機は古参パイロットから嫌われていたが、運動性と操縦性の良さはジム系以上のものがあり、その優秀さが知れ渡るとRMS-117ガルバルディβと共に人気機種へとのし上がっていった。しかしガルバルディβと異なり、あくまで次期主力機開発のための再生産でしかなく生産台数はガルバルディβよりも少ない。故にエリート部隊やジオン残党狩りを主任務とする特殊部隊などに優先して配備されるに留まった。
本来であればアクト・ザクも連邦軍によって根本的な改良が施されたために、ガルバルディβのように新たにRMSナンバーを名乗る資格があったものの、改修を担当したオーガスタ兵装研がNT研として再編されたことから機密保持の観点から拠点番号が与えらず、旧来のジオン公国軍ナンバーにサフィクションをつけて識別するに留まった。
更に連邦軍再生産バージョンであるA型をベースに、フィールド・モーターにマグネット・コーティング処理を施したB型が生産されている。これにより更なる運動性と反応性の向上が見られ単体での性能はRMS-106ハイザックを超えるスペックを有するに至った。B型は連邦軍NT研でのマグネット・コーティング技術の改良に供され、これにより今までは出撃毎に再処理が必要だったコーティングが数ヶ月毎までに引き伸ばすことが可能となった。
MC技術の発展は後にNT研が開発した可変MA、NRX-004アッシマーやORX-005ギャプランの可変システムにおいても重要な位置を占めるようになるが、その改良はアクト・ザクB型によって確立されたものである。
テストを終了したB型はその後、NT研の強化人間パイロットのMS操縦訓練用MSとして使用され、また、NT研駐留の警備部隊の主力機として集中配備された。また、ハイザックと転換される形でティターンズや正規軍エリート部隊に配属されていたA型も順次、NT研へと転属してB型への改装を施されて不足分や事故による喪失分を補充したため、内訌戦勃発前には全てのA型がB型に改装され、オーガスタNT研警備部隊に配備された。
内訌戦時にはジャブロー降下戦後、カラバと合流して地球上を逃走するエゥーゴMS部隊討伐のためにオーガスタNT研警備部隊所属のアクト・ザクが多数、対エゥーゴ戦闘に動員されているが、AE社製の第二世代MSを多数有するエゥーゴのMS部隊に敵うはずもなく、北米地区での追撃戦では多数の被弾機や未帰還機を出して撤退している。
関節部がMC処理されており反応性に優れる反面、並みのパイロットでは扱いにくく、熟練パイロットであれば性能を最大限に引き出せるはずのアクト・ザクB型であったが、内訌戦勃発によるテクノロジーの進歩によって旧式機の烙印を押されてしまったのである。NT研直属の警備部隊は強化人間パイロットの教官を務める程の熟練パイロット揃いであったにも関わらず、北米追撃戦では多数の教官パイロットや動員がかけられた強化人間候補生パイロットが失われたのである。
その後、NT研の警備部隊でもRMS-108マラサイ、及びRMS-154バーザムへの転換が進んだため、0087年10月には前線配備されていたアクト・ザクB型は退役し、強化人間パイロット訓練用としてまっとうすることになる。NT研で調整を受けた強化人間パイロットが最初にコクピットに収まり、MS操縦の基本を学ぶのがこのアクト・ザクB型であった。
●RMS-108マラサイ(0087年採用 0087~0088年生産)
RMS-108系図鑑
AE社が独自に開発したベンチャーMSでRMS-106ハイザックから発展したRMS-107ブロンコを、AEグラナダ支社が独自に改良を加えた発展強化型である。完成当初はMSA-002ドミンゴという名称で、エゥーゴへの供給が行われる予定であったがAE社トップの判断によって急遽、ティターンズへの供給に変更されるという当時の政治的思惑に左右されたMSである。
MSA-099リック・ディアス、MSA-003ネモと同様、フル規格のムーバブル・フレームを採用し、装甲も最新型のガンダリウムγ合金製を装備する第二世代MSの先鞭となった。
AE社とエゥーゴの隠れ蓑となっていたグラナダ基地の連邦軍兵器開発局ではハイザックの発展型としてまず、部分的にムーバブル・フレームを採用したRMS-107ブロンコを開発し、ブロンコを元に発展プランをAE社が独自で引き継いで完成させたのがドミンゴであった。その前身であるブロンコそのものも、ドミンゴ開発のための隠れ蓑だったとも言われている。そのためリック・ディアスと同様、連邦軍の情報にはないドミンゴはそのままエゥーゴに供給されることが決定していた。
しかし、エゥーゴとティターンズの武力衝突が表面化した0087年3月以降、AE社はティターンズの月に対する軍事干渉や、Z計画機が多く開発されているAE社各工場への強制捜査をかわすためにドミンゴをRMS-108とグラナダで開発されたことを示す連邦ナンバーに変更の上、初期ロット200機余りを無償供給したのである。AE社にとってティターンズが未だに製造できないガンダリウムγ合金を装備するマラサイは月やAE社に対して不可侵を結ばせるには充分過ぎる程の交渉材料でもあったと言える。
事実、マラサイがティターンズにもたらされた以降、ティターンズの技術部ではマラサイの装甲材を徹底的に分析し、ガンダリウムγ合金の精製に成功している。これによって以降のティターンズ製MSは全てガンダリウムγ合金製装甲を装備するようになったのだ。マラサイがティターンズにもたらしたものはとても大きかったと言える。
こうした政治的な紆余曲折を経て、マラサイは次期主力機であるRMS-154バーザムのロールアウトまでの中継ぎ的な存在としてティターンズ主力部隊への配備が開始された。しかし、性能はAE社製だけあって高く、エゥーゴ側の主力機、MSA-003ネモと対等に戦えるポテンシャルを持っていたことから現場のパイロットからは概ね好評であったという。特にRMS-106ハイザックからの機種転換が容易だったこともティターンズMS部隊に急速にマラサイの戦力化が進んだ一因でもある。
ジャブロー戦以降のティターンズMS部隊では、マラサイを隊長機としてハイザックを従えて行軍する光景が多く見られたが、新規生産分がAE社から出荷されるとマラサイのみで構成された部隊も出現するようになる。特にティターンズ内で有力視されていたジュピトリスの直属部隊では優先的にマラサイが配備され、早期にマラサイによる機種統一を果たしている。
しかし、マラサイは敵対するエゥーゴからの圧力によって度々輸出が滞ることがあり、ティターンズ内に残存する旧式化したハイザックすべてを代替することは不可能であった。AE社の月面にあるマラサイ工場では度々、エゥーゴを支持する社員や従業員、技術者によるゼネストによって生産ラインが停止することもざらであり、調達数そのものは伸び悩んでいた。
旧式化したハイザックをいち早くマラサイに置き換えたいティターンズ上層部はキリマンジャロ基地工廠にあるハイザックの生産ラインを転用して独自にマラサイの生産を開始した。これはバスク・オム大佐の指示を受ける形で、キリマンジャロ基地工廠ではAE社とのライセンス契約を待たずにフレーム生産を開始している。後は心臓部となる機関部だけをAE社から購入する形となり、AE社側へは事態が進行した後で契約を結ぶという手段を取ったのである。AE社サイドは後からこの事実を知ることとなり、グリプス総司令部に抗議するという一幕もあったが、ティターンズ側はライセンス生産を認めなければ機関部をタキム社にデッドコピーさせると脅しをかけて無理やりコピー生産を認めさせたのである。
これはRMS-108Bマラサイ改と呼ばれる。キリマンジャロで生産されたことから前線の将兵からはキリマン・マラサイという愛称で呼ばれていた。B型は腕部がRGM-86RジムIIIと共通化され、胸部には連邦軍MSの特徴とも言える廃熱処理用ベンチレーターが設置されるなどAE社オリジナルとは違った設計も見受けられる。AE社はB型生産においてはインジェクション・ポッドとジェネレーターのOEMのみを請け負っていた。
しかし、ダカール宣言によるエゥーゴとの立場逆転によってティターンズはAE社をはじめとする有力企業からの支援を受けられなくなるという痛手を蒙り、AE社では企業イメージを低下させるティターンズへの軍事支援を停止することを決定し、マラサイの消耗パーツ供給を含む全ての協力を打ち切られてしまう。これによってパーツ供給を受けられなくなり、ティターンズ内に配備・運用されていたマラサイの行き先も怪しくなった。
MS戦力不足に悩むティターンズではRMS-106ハイザックの更新(CS型への改修)や、一線を退いたRGM-79Qジム・クゥエルやRGM-79RジムIIの再戦力化を進める一方で、消耗パーツが少なくなり稼動率の低下が懸念されていたマラサイを独自に延命させ、なおかつ性能向上を図るために、新たにティターンズの主力機となり調達数を伸ばしていたRMS-154バーザムとのパーツ共用と高めたRMS-156グリフィンへの改修を進めた。グリフィンはごく少数の生産で終わっているが、AE社がティターンズへの協力を打ち切ったことで稼動率低下や不意の故障による戦力低下が心配されていたマラサイを多数、戦線復帰させることに成功している。
短期間で多くのバリエーションが生み出されたマラサイは、グリプス抗争終結までハイザック、バーザム、ジム・クゥエルと共にティターンズの戦線を支え、パイロットからの評判も高いMSであったが、同時に当時の政治的状況によって振りまわされて本来の性能を発揮できないまま製造が終了してしまった悲劇の機体であるとも言えるだろう。
ちなみに、AE社は月にあるマラサイの生産ラインごと当時のアクシズ/ネオ・ジオン軍へ譲渡しており、ネオ・ジオン軍ではRMS-108Cバハデュールの名称で配備され、コロニー宣撫部隊を中心に実戦配備された。
さらに再興ネオ・ジオン軍でも0090年代にハマーン軍残党から受け継いだ機体を多数手中に収め、地上での戦闘に投入していた記録も残っており本来敵対する組織においてドミンゴ・マラサイ系MSは高い評価を受けることになるのだった。