甚兵衛渡船場

渡船場名 甚兵衛渡船場
渡船場事務所 大阪市大正区泉尾7-13-32 電話06-6551-6085
渡船の起点 大阪市大正区泉尾7-13-32
渡船の終点 大阪市港区福崎1-3-50
主に運行する船名 すずかぜ(4.9トン)、泉尾丸(4.9トン)
始発時刻(起点側基準) 6時35分
終発時刻(起点側基準) 21時25分(休日21時00分)
昼間閑散時運転間隔 15分毎 【「渡船時刻表」へ
最寄交通機関(起点) 泉尾4丁目バス停(支98,特9,幹臨98)東約500メートル
最寄交通機関(終点) 福崎1丁目バス停(支106)南東約400メートルあるいは夕凪(幹88,幹60等)バス停南東約1200メートル ※支106は朝夕のみの運転

 甚兵衛渡船場は現存する渡船場で唯一人名が付いた渡船場です。起源は相当に古い様子で、寛永年間の記録には既に登場しています。そのいわれを書いた案内板がかつて泉尾側にあったのですが、いつの間にかなくなってしまいました。そこには、「甚兵衛渡し ---この堤の両堤にハゼの木を数千株植え列ねて---紅葉の季節にいたりては川の両岸一円の紅にして川の面に映して風景斜ならず。騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑わひなり---。両岸の堤は数町のあいだハゼの並樹にして紅葉の頃は水に映じから紅に水くくると詠じたる龍田の川も及ばざる光景なり---。---河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し。『摂津名所図絵』より寛政10年(1798年)」と書かれていました。
 甚兵衛渡船場と同じ尻無川筋には下流には福崎渡、上流には中渡などがあり、比較的最近まで運行されていました。甚兵衛渡船場は大正区泉尾と港区福崎を結ぶおよそ80メートルの航路です。泉尾側は泉尾工業高校を西に入ったところをずんずんと歩いていきます。辺りは住宅街です。そして、堤に当たれば乗り場。鳥居型の看板が立っています。福崎側は、福崎一丁目バス停から倉庫みたいな建物のよこをどんどんと歩きます。やがてJRの貨物船を越えますが、さらに尻無川の堤に向かって歩と着きます。ただし、福崎一丁目バス停には朝夕しかバスが来ないので、夕凪から歩く方が一般的でしょう。
 どちら側の乗り場も堤の切り欠き部分を乗り越え、坂を下りるとすぐです。川幅は狭く、反対岸はすぐに間近に見えます。が、船は方向を変えるために右へ左へと相当急なS字状に航行します。ですから、しっかり船に掴まって乗ることをお薦めします。




「渡船の概要」へ戻る



(c) 1999-2000 kasaji


「大阪の渡し船」へ戻る





「京都散策案内」へ