第3話 籠神社の葵祭 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
京都府宮津市 |
日本三景のひとつとして名高い、『天橋立』の北端に鎮座する籠神社は旧丹後一の宮で、『元伊勢』と呼ばれる
古社である。例祭は葵祭とも称され毎年4月24日に執行される。
当日は無形民俗文化財として府の指定を受けている、『笹ばやし』、
『太刀振』等、当地方を代表する奉納芸が披露され、詰め掛けた多数
の観衆で境内は大変な盛況であった。
特に当地で行われる太刀振は棒の先に長刀状の「太刀」を装着
した武具で行うもので、(分類上)「大太刀型」と称する。当社の氏子
圏に広く分布している。
社伝によると私が訪問した平成6年、葵祭は二千五百周年との
ことで、代々宮司として当社に奉仕している海部氏は海民の祖と
仰がれる家柄、直系で82代目とのお話で大変驚かされた。
相伝されている系図は国宝だという。
さて、祭礼の主役である太刀振であるが、その起源の詳細については、
不明の部分が多いようである。社伝によると、貞観の頃、籠明神が中野
の鉾立山大乗寺に降臨し、神社に向けて鉾を振り、悪魔を祓ったことに
由来するというが、
一説によると、その昔丹後国府で、六斎市を妨げる悪魔疫神を、
文殊堂の龍穴池から出現した龍神が退散させたことに因んだ豊年の
祭が起源ともいう。
この二つの伝説は事実とは考えられないが、元来太刀振が悪魔退散を
祈願する非常に宗教的性格が強いものであったことを物語っている。
境内での奉納は、溝尻(露払)、中野(本太刀)、江尻(後詰)
の3地区の順に行われる。次は太刀振を理解するために、その
内容に触れることにする。
縄手振 演技者は一列縦隊で群舞しながら前進する。これは境内
へ練り込む時に行う。
本振 神前で奉納する太刀振のこと。3~5人で行う群舞と、
「役太刀」、「三役」と称する一人舞がある。
中野では役太刀を、「ナギナタ」、「ヨロイドオシ」、「ヤスタネ」という名称
でさらに分類する。「ヨロイドオシ」は最年長の『少年』の演目、「ヤスタネ」
は『青年を卒業』する者が行う。
次に一人舞の内容だが、中野では前段を「オモテ」、後段を「ウラ」と
称する。ウラには「芸跳び」と称して、太刀を両手、又は片手に持ち、
あたかも縄跳びの如く、前後に連続跳躍する妙技があり、演技者は
その回数を競い合う。故に江尻では後段を「所望」という。
さらに太刀の扱い方による分類もあり、両手で扱う場合を
「オモテ」、当然片手の場合は「ウラ」である。実際の演技は、
お囃子の伴奏に合わせて、見えない敵と戦うかのように周囲を
斬り払い、あるいは相撲の弓取り式のように自在に太刀を操りつつ、
クルクルと回転させながら背中を通したりする。
演技を拝見した印象だが、当地は観光地に近いこともあってか
人家も密集していて年少の方から青年まで演技者が多く層も厚い、
当然演技の水準も非常に高い。しかし若者の体はこうも柔軟なので
あろうか。この連続跳躍技を拝見した方は、きっと皆驚嘆されるで
あろう。大人には真似の出来ない技である。
境内での奉納の後も、付近の寺院や個人宅でも太刀振は披露され、
美しく飾られた楽台に乗せて曳行される太鼓と、風雅な旋律の笛の音
は、いつまでも辺りに木霊していた。
(参考文献)
・京都府大事典 府域編 監修 上田正昭 吉田光邦 発行所 ㈱淡交社
・京都の文化財(第十二集) 平成7年3月発行 編集発行 京都府教育委員会
・京都の民俗芸能 昭和50年3月31日発行 編集発行者 京都府教育委員会
・「丹後の花踊」調査報告書 編集発行 京都府教育委員会
・日本の祭り事典 編者 田中義広 発行所 ㈱淡交社
もどる