第41話 下根の棒剣術

千葉県野田市                                                

 以前『第35話 バッパカ獅子舞』の探訪で訪問した千葉県野田市の中心から北方に離れた木間ヶ瀬という地に、別の
民俗武芸が伝承されていることを最近知った。木間ヶ瀬の北側には、有名な利根川が流れていて、この辺りでは利根川
が茨城県との県境となっている。

 平成20年11月23日に当地(木間ヶ瀬字下根)に鎮座する香取
 神社の秋季大祭が執行され、無形民俗文化財として、野田市の
 指定を受けている伝承の獅子舞と棒剣術の奉納が行われた。
 当日は11月の下旬ということもあり、朝から肌寒かったが、地元
 の方々を中心に多数の観衆が境内に詰め掛けた。

 下根香取神社は、元々木間ヶ瀬村の旧村社で、地区の氏神と
 して古くから崇敬されてきた。創建年代は不詳であるが、明治
 以前は本明院大井氏の管理下にあって、神仏習合の時代が長く
 続いたそうだ。

 当地の獅子舞と棒剣術の起源・由来等の詳細は不明である。
 雨乞いの祈願の際、集落の各所で舞い歩いていたものが、
 江戸時代になって神社の境内で奉納(以前は10月17日
 「おひまち」の祝い日)するようになったとのことである。


現地でも一応聞いてみたりしたが棒剣術の流派名も分からなかった。傍で話を聞いて
いた方が、「流儀はカシマ○○○流」という風に教えてくださったが(注:そのように聞こ
えただけで、実際にどういう字を書くのかも分かりませんでした)、その方でさえ、古文書
を管理している)地区の責任者に聞かないと詳しくは分からないとの話であった。

また、撮影の準備中に、傍らに教育委員会の腕章をつけた方がいらっしゃったので、
その方にも質問してみたが、やはり不明であった。しかし地元の方々から『取材』して
回って、「子供の頃、香取神道流として習った(「というふうに聞いた」という意か?)。」
という談話を取って来てくださった。

しかし、このことだけで、香取神道流と断定する訳にはいかないので、
あくまで参考ということで、付記しておく。






  さて、当日午前10時頃、祭礼の一団は自治会館を出発した
 らしく、境内で待つ我々の耳にも、お囃子の音色が響いてきた。
 程なくして神社に到着。そのまま関係者一同は拝殿に上がり、
 礼拝(祈願祭)を執り行った。

 演技奉納は礼拝後。境内に特設 された舞台上で行れるとのこと
 である。仮設とはいえ立派な舞台 なので、雅楽でも奏されるのか
 と勘違いしてしまった。

 


太夫獅子による『四方固』の演技の後、棒剣術の演技奉納が行われた。獅子舞が前・後半の2部構成となっているので、
棒剣術も獅子舞にあわせて前後2度の演技奉納を行う。ただし

棒剣術に関しては、2回とも同じ内容である。演目は合計12本。第2部の最後のみ抜刀術『ごほん』が行われる。内容は
下記のとおり。

表太刀 (木太刀×木太刀) 棒矢 (6尺棒×6尺棒) 立棒 (6尺棒×6尺棒) かばさみ (6尺棒×6尺棒)

小手あげ (木太刀×6尺棒) 捻り転がし (木太刀×6尺棒) ぼん太刀 (木太刀×6尺棒) はっか (木太刀×木太刀)

しゃの鎌 (鎌×木太刀) かけ返し (鎌×木太刀) 鞍馬 (真刀×真刀) ごほん(師匠による居合抜刀術)

演目中に、『くらま』とあるが、武術として『鞍馬の武術』であるのか、例えば謡曲の『鞍馬』のような、『題材としての鞍馬』
なのかは分からない。参考までに、バッパカ獅子舞の棒術の演目も記載しておく。『香取』とあるので、やはり香取流の
影響を受けているのかもしれない。

 (棒術)
  
天狗昇  十二太刀  三人棒  七ツ太刀  小流  鍔砕  水引  転び技  立棒  八角
 
 (居合術) 

四方固  木太刀  柄止  法螺貝  転切符  香取  念竜  中輿  切符  仙義  悪魔払 など
           

いよいよ演技が開始された。殆どの演目が師匠格らしき男性によって、事前に得物が舞台上に置かれる。1本目の
『表太刀』は組太刀の演技である。入場してきた演技者は神前礼の後、互いに歩み寄って得物を取る。「コン」と軽く打ち
合わせると、攻防が開始された。

 
 木太刀を斬り結ぶ度に、大きく足踏みをする。見る人によっては、
 やや儀礼的な印象を受けるかもしれないが、両者が離れて間合い
 を取る時に行う、切り返しや構えが独特である。

 しかしあまりに気温が低いため、演技者の殆どは防寒のために
 厚着をしている。私も過去経験があるが、寒く感じるの気持ちの
 問題としても、待ち時間が長いと、その間に体が急激に冷え切って
 しまう。武器術の演技は得物を落とさないようにと必死であろう。
 動きも少々硬く感じられた。

 次に『棒矢』の演技。対峙した両者が棒を上下に数合する。途中で
 水平受けや肩競りのような所作もあったが、棒術の技法としては
 



素朴に感じられた。持ち手が棒の端に寄っていて、リーチを長めにとるような印象(構えが半身)を受ける。

 
演技の後半は、飛び足や、棒を回転させながら、左から右、右から左えと構え(半身)を切り替える所作を多用。最後は得物
を床に打ちち付けて終了する。

『小手あげ』から異種武器の攻防となる。緊迫度が増し、太刀捌きが見事で長年培った経験を感じた。「技法は素朴」と
前述したが、それは簡単という意味ではない。1本の演目が短い手を連続で組み合わせて長く編んであるので、にわか
仕込みでは習得が難しいであろう。

改めて観客、演技者を見回してみたが、若者、子供達の姿が少ないのは残念に思わ
れた。これほど高い水準を保持しているのだから、次の世代へと継承して欲しいと感じ
ずにはいられなかった。

話の途中で申し訳ないが、民俗行事として香取流を行う例は、以前(第34話 上川原の
棒術)にもあった。今、手元にある地図を見ても、利根川と江戸川に挟まれた野田市
周辺には、香取神社が数多く点在するように感じる。これには理由が多々あるらしいが、

そのひとつに、香取神社の祭神である経津主命は、農の神として関東では広く信仰され
たということと、この辺りの舟運関係者の間でも厚く信仰されたのでは、という説である。
江戸川は江戸時代に開削工事が行われ、以降この川の水運はさらに重要になっていく。

※近隣にある香取神社(埼玉県庄和町西金野井)には、「神田梶取大神」と記載された
棟札が残っているという。香取=梶取=舵取という説らしい。

香取信仰の伝播とともに、地区の民俗行事として香取流も採用され、急速に広まっていったという図式であれば、非常に
分かり易いのだが、ならばもっと各所で香取流が伝承されていてもいい筈である。だが、実際はそうではない。後ほど詳述
するが、『バッパカ獅子舞』に併伝されている棒術と、当地の棒剣術は、部分的に類似しているように感じた。両地の武術
は、元々同一のものであったのかもしれない。

 
 『バッパカ獅子舞』は、埼玉側(越谷市下間久里)から伝わったと
 されるが、下間久里の方には棒術はない。あくまで個人的な想像で
 あるが、獅子舞が西から伝来する以前に、野田側には棒や太刀で
 斬り祓う行事が元々あったのだが、

 後代に西から伝来してきた獅子舞が、見た目も美麗で華やかで
 あるために、祭礼の主役の座を明け渡したのかもしれない。
 ともかく、なにがしかの理由により、棒術には江戸川を越えて西へ
 伝わって行くだけの影響力がなかったものと思われる。

 しかし、地元の方が『鹿島○○○流』と話してくださったのも気には
 なる。古くから鹿島、香取の両神は、武神として国家からの崇敬
 を受け、『神宮』の称号を用いるほど格式が高かった。ゆえに
 武芸者からの崇敬も古くから篤かったものと思われる。


民俗武芸のように、祭礼の中で、悪魔退散、五穀豊穣や雨乞い等を祈願するのであれば、香取流の全伝を習得・継承
している必要はない。現在、鹿島・香取の流儀というと浅学の私には、ごく限られた高名な数流しか思い浮かばないが、
例えば馬術の大坪流なども、古くは『鹿島流』と称していたそうだ。

かつては鹿島・香取の名を冠し、或いは鹿島・香取の両神を自流の神として崇敬していた流派も多かったのだろう。
また同音であるので、香取流は『鹿取』流とも表記(当て字)できる。一字違いで大違いではあるが、鹿島・香取の流派名
の混同も多々あったではないかと、個人的には推察している。

当地の棒剣術も香取流の影響を受けているかもしれないが、様々な流儀の技が併伝・付加されて、現在の形になったと
考えるのが自然かもしれない。

話を再び実技へ戻そう。『しゃの鎌』は資料によると、『斜の鎌』又は『斜の構え』と
ある。斬り結ぶ際、「シャッ!シャッ!」という独特の掛け声を発する。攻防の最中、
太刀を上段受して巻き落とし、相手を伏せ倒す所作がある。受け手の前受身も
決まっていた。

『鞍馬』では真刀を用いるので、演技に前に棒剣術の師匠による『四方固』が行われ
た。棒剣術の演技の冒頭と同じく、舞台上で清めの塩が丁寧に撒かれる。実際の
演技は、真刀を用いてるとはいえ、これまでの技法を駆使した組太刀。

ただし、納刀の所作が、鎬の部分を持って、クルクルと風車のように回したりする
曲芸的なところがあって、少々危なげな印象を受けた。

途中で来訪された市長と教育長の御挨拶を挟んで演技は続いた。棒剣術も第2部
の演技になると、気温も少々高くなってきたためか、動きもよくなってきたように感じ
た。第2部の最後は棒剣術の師匠による居合抜刀術『ごほう』の演技である。
内容はもちろん全く同一ではないが、以前『第35話 バッパカ獅子舞』に拝見した演技を彷彿する演技であった。

全ての演技奉納後、招待歌手による歌謡ショーが始まったので、現地を後にした。秋祭りにはもう寒いこの日、素晴らしい
熱演を披露してくださった、地元の方々に心から感謝いたします。

(追記)
探訪記を執筆後、明くる年の8月、広報こしがや(おしらせ版 No.1226 発行 越谷市/編集 広報広聴課)に興味深い記事
が掲載されていた。子供向けの連載で毎回越谷の民話を紹介していたのだが、その月のタイトルは、『棒使いの名人』。民話
とはいえ棒術が題材となるのは、非常に珍しいと思う。あらすじはザッとこんな風だ。

今から300年ほど昔、新方(現・越谷市)に住む佐平太という生来虚弱な若者が一念発起して武者修行の旅に出て、6年後
棒術の名人として帰郷し、評判を聞いた岩槻の殿様に召抱えられる。という話だ。

2話連続の前後編らしいいのだが、この文章を書いている時点では、後編の掲載は未だである。使者として江戸へ赴く途中で
事件に巻き込まれるようである。

新方は江戸川の西に位置するので、越谷側には棒術はなかったかのような私の推論は、修正しなくてはならないようである。
ただし、民話とはいえこの話が当時の実情を全く無視して創作されたのであれば、聞き手に真実味を感じさせないであろう。
そこで、この話を手がかりに、いくつかの疑問について考えてみたいと思う。

①佐平太は何故、武者修行の旅に出たのか?

 もしも当時、彼が住んでいる村で武術が盛んであれば、わざわざ旅に出る必要もなく、地元か近隣で入門して学べば良い
はずである。旅に出るという物語自体が、暗に当時、この地域が武術が盛んでなかったことを示唆しているのかもしれない。
しかし、何故学んだ武術が棒術なのかまでは、いろいろ推察はできても断言するまでには至らない。

②仕官先が岩槻なのは何故か?

 物語のとおり、岩槻が城下町であるのに対して、越谷は日光街道上の宿場町。なるほど、武術を会得してもそれを活かす
道がないばかりでなく、武術自体を学んだり、教えたりするような土地柄ではなかったのかもしれない。ちなみに、今回訪問
した下根の棒剣術の伝承されている木間ヶ瀬(が領内かどうかは未知である)の西数キロには、関宿城という城があったこと
を付記しておく。 

※執筆後、千葉県立関宿城博物館という施設の存在を知り、当地の歴史について電話照会をしてみたところ、学芸の方が
丁寧に説明してくださった。
 その話によると、下根香取神社のある旧木間ヶ瀬村は、関宿藩の領地ではなく天領であったとのことで、当地の棒剣術
が関宿藩の武術と関係があるのではないか?という、底の浅い私の推理は見事に覆されてしまった。

(関宿藩の領地は、木間ヶ瀬より北側で、千葉県よりも茨城県(坂東市・境町)側が大半を占めているという。)

 しかし、祭礼を口実に?しているとはいえ、幕府の直轄地で庶民が公然と武術を修練していたことは、事実上黙認
されて?いたことが判明したことは、別の意味で収穫であった。

とはいえ、『黙認』と表現したが、幕府の直轄地といっても直接その土地を支配する者は、大名並みの警察力・軍事力を
持っていない訳で、幕府や諸藩も平和な時代が長く続き、そして財政的にも窮乏するようになると、例えば国境のような僻地
(不適当な表現かもしれないが)に、治安維持のために軍勢を駐留させる予算が惜しくなるのは当然となったのであろう。

幕府や諸藩が成文化した罰則を定めて、庶民の武術修行を禁じたかどうかは知らないが、農民の武術修行は、治安維持
や防犯上、支配者たちにしてみれば、むしろ好都合であったのかもしれない。

(参考文献)

・獅子舞棒剣術奉納次第 他数点 (当日現地にて配布のもの)

                      下根獅子舞保存会 他

・野田市の文化財(第1集) 文化財シリーズⅠ

                          野田市指定文化財及び教育委員会指定史跡、別冊

・野田市の指定文化財(野田シリーズ1)  発行  野田市郷土博物館

・千葉県大百科事典              編集・発行者 千葉日報社 

・千葉県の文化財               編集兼発行者 千葉県教育委員会

・千葉県の歴史 別編 民俗1(総論)、民俗2(各論) 編集 千葉県史料研究財団 発行 千葉県

・千葉県の民俗芸能 千葉県民俗芸能緊急調査報告書   編集 千葉県立房総のむら  発行 千葉県教育委員会

・さきたま文庫・18 香取神社

            監修 柳田敏司  著者 横川好富   発行所 ㈱さきたま出版会      

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