第39話 瀬戸岡の棒術 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京都あきる野市 |
平成16年9月19日、再び私はあきる野市の棒術を探訪するため、JR五日市線の秋川駅で下車した。奇麗に舗装された
道路が南北に連なり、市役所も所在する市の中心であるためか周囲は人家も多い。
都下の獅子舞に関する文献を紐解くと、必ずといっていい
ほど記載がある瀬戸岡の獅子舞であるが、棒術に関しては
祭礼における性格上(露払い役)、どうしても「付属芸能」的な
扱いをされていることが多い。
今回も、実際に棒術を拝見した印象を著して、より多く
の人々に、東京にも民俗武芸が伝承されていることを知って
欲しいと思う。
正午過ぎ、出発前に見た地図の記憶を頼りに
大通りを北上する。瀬戸岡に入り地元の方々に神明社の
位置を尋ねると皆親切に教えてくださった。説明して頂いた
とおりに住宅地の中を進んで行くと、木々の生い茂った場所を
見とめた。きっと鎮守の森に違いない。
耳を澄ませば風雅な笛の音が聞こえてくる。その囃子の
調べに導かれて境内へ入ると、既に本殿の前には多くの
地元の方々が集まっていた。そしてその中央では、砂塵を巻き上げて力強く獅子舞が演じられている。関東一円で広く
行われている、一人立ちの三匹獅子舞である。
観衆のあるご婦人に尋ねると、棒術はもう終わったとのこと。肩を落とす私に、「棒は獅子の間に行われる」と補足して
くださっ た。すると程なくして、武具を担えた少年達が相対すると演技が開始された。
当地の棒術は、新撰組の活躍により広く世に知られている、
天然理心流のものであるといわれ、江戸時代末期に尾崎に道場
を開いていた、大西政十から伝授されたものと伝えられている。
当流の起源沿革等は既に多数の文献に著されているので、
ここでは省略することにする。なお、資料に記載されている当地
の棒術の演目は以下のとおりである。
四角回り 場取り 順礼 順礼くずし 腰車 水引き
鶴の一足 股返し 返し棒 裏見 影 表 追い太刀
追い太刀くずし 両太刀
現在、尾崎にも獅子舞とともに棒術も併伝されているが、
こちらは宝暦年間(1751~1763 獅子頭に宝暦2年の銘あり)
からあったとされる棒踊りに武術の型を組み入れたものといわれ、明治の初期に、同じく天然理心流の使い手であった、
信州高遠の大西茂十郎が広めたものといわれている。
理心流はあまりにも当地方で盛んであったので、資料を見る
かぎりでは、同じ理心流でも尾崎と瀬戸岡では別系統の可能性
も否定できないし、
また、瀬戸岡の棒術に関しても、祭礼の主役である獅子舞の
創始期が不詳であることから、理心流以前に(理心流の創始
は寛政初年(1789)頃であるので)違う棒術が行われていた
可能性もある。
しかし、いずれにせよ推論の域を出ない。理心流の影響を受けている棒術と
いうことであろう。
実際に拝見した印象であるが、若い演技者が大半で動きも軽やかで実に演技
慣れしている。誠に「若さ溢れる」といった言葉が相応しいかもしれない。
短い手を連続して演じ、それを数種類組み合わせて構成している型(演目)が
多い。
得物を打ち合わせた時も、軽く乾いた音がする。得物が軽いかきちんと寸止めができているのであろう。白刃を使う演目があるので後者に違いない。
ある演目では、対峙した両者が歩み寄り、地面に棒を垂直に立てて構える。すると掛声とともに低い飛び足で前後に踏み
違いつつ左右から棒を振り出す。そして棒を水車のように回しつつ移動すると高々と斜め上方に向けて構える。
再び前述の構えの後に棒を同様に打ち合わせると、今度は
「水平受け」表現した所作を数回演じる。その後、棒を水車の
ように回しつつ長い間合いをとると、下段打ちで前進してきた
相手に対し、左右から棒を振り出してこれを打ち落とす。得物
を落とされた方は抜刀して右に左にと斬り掛かる。
最後は相手の正面斬りに対して低く身を伏せて後方に棒を
捨てると、いわゆる「白刃取り」で応じて幕となる。
全体的な印象としては、低いとはいえ小刻みに跳躍する動作
が多く、事も無げに演じているが脚力を要するのではと感じた。
また剣術も、(この種の他の芸能と同様に)特に「切返し」など
の所作は儀礼化した印象を受けるが、それを理由として全て
の武術性を失っているとは言い難い。
ある演目では棒を右脇に垂直に立てて構える所作があるが、
この場合も相手から見えないように構えるのが基本であろう。このように個々の所作を検証して行くと、古武術としての価値を有する芸態を保持しているといえよう。
この日は神明社での奉納後も、酒店前や珠陽院の境内でも演技が披露され、さらに夜の部として瀬戸岡会館でも演技が
披露されるとのことである。日程の都合があるので珠陽院での奉納後、当地を後にした。大きく西へと傾いた日差しは
秋の気配を漂わせている。当地を離れた後も風雅な囃子の音色が耳を離れない。前代の遺風を肌で感じ、しばし21世紀
であることを忘れてしまう。そんな一日であった。
(参考文献)
・瀬戸岡獅子舞(当日現地にて配布) 瀬戸岡獅子舞保存会
・江戸東京の民俗芸能 ― 3 ■獅子舞 著者 中村規 発行所 ㈱主婦の友社
・かわせみ通信〈奥多摩の獅子舞い紀行〉 (8)尾崎の獅子舞い 川崎実
・祭礼事典・東京都 編者 東京都祭礼研究会(監修者 倉林正次) 発行所 ㈱桜楓社
・多摩のあゆみ 第62号 発行 多摩中央信用金庫
編集 多摩文化資料室
・秋川市史 附編 編集 秋川市史編纂委員会 発行者 秋川市
・秋川市の文化財 第1集~第7集合冊版 編集 秋川市教育委員会 社会教育課 発行者 秋川市教育委員会
もどる