第33話 四郷町の棒の手 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛知県豊田市四郷町 |
棒の手の盛んな愛知県下において、猿投神社の鎮座する豊田市は毎年『猿投祭』の執行される土地である。祭礼の
隆盛期には、尾張、三河、美濃の三カ国、186ヶ村から献馬・棒の手の奉納が行われたという。この奉納は、五つから
四十あまりの村々によって結成される『合属(合宿)』という組織ごとに行われた。
『けんか祭』、『しのぎ祭』とも称されたこの祭礼に
おいて、合属は安全保持と秩序維持には不可欠な存在
であり、その行動には、古来より一定のしきたりがあり、
厳格に守られたという。
平成13年10月14日、豊田市四郷町内に鎮座する八柱神社
の境内において、棒の手の演技奉納が行われた。旧四郷村
時代、当地は四郷合属の端(代表)として重きを成していた。
その事と関係があるのであろうか、当町だけで、3流派もの
棒の手が伝承されている。資料によると、各地区で相伝して
いる流儀は以下のとおりとなっている。
(※各流派の起源・由来、沿革、演目等は他の探訪記を参照してください。)
鎌田流 四郷地区天道、同上原町
見当流 四郷地区井上町
藤牧検藤流 四郷地区下古屋
当日正午近く、愛知環状鉄道線を利用して四郷町に到着、
神社の鎮座する東の高台を目指す。木立の隙間から白い幟の
一部が翻っている。辺りを見回すと、やはり市の中心地に近い
こともあってか、道路も良く整備され人家も密集している。
後、最後の石段を上がって境内に到着、警固隊の到着は
まだであったが、その頃に子供神輿を奉じた一団が祭典を
終えたこともあり、境内には既に多数の地元の方々が集まって
いて、なかなかの盛況であった。私も境内の片隅に腰を下ろして
秋の風情を楽しむ。
正午1時頃、法螺貝や爆竹の音、そして掛声も勇ましく警固の一団が境内に練り込んで来た。辺りは忽ち雲霞の如く
観衆で溢れかえる。私の陣取る場所も写真撮影には不都合になってしまったが、これは仕方がない。
しかし、この間を利用して保存会の方々が、観衆の為に多数の椅子を用意してくれた。この予期せぬサービスには、
当方も驚いてしまった。
演技に先立ち、各地区の精鋭の中から、手練たちの名が
連呼され、一同石段の上に勢揃いする。皆自信に満ちた表情
で実に不敵な面構えである。
地元の方の紹介によると、彼らは今年免許目録を伝授
された者ばかりであり、これからは自身の研鑚とともに後進
の指導にも励んで欲しいとのことであった。
さて、いよいよ演技奉納の開始である。各地区の代表者
演技と、子供達の演技が交互に披露される。当町は宅地化
に伴い人口が増加しているのであろうか、演技を披露する
少年少女達の数も多く、
皆真剣な表情で意欲的に取り組んでいる。その水準も高く実に頼もしいかぎりである。
代表者演技は、青年層以上の世代によって行われる。その詳細は(演技の細部は土地によって相違があろうが)既に
他の探訪記で紹介済であるため省略させて頂く、その代わりに演技の水準は、初めて棒の手をご覧になる方にも、自信
をもって推薦しよう。そのうえ当地は、ひとつの境内で移動することなく異なる3流派の棒の手が拝見できるのであるから。
ただし、当日興味深い演技があった。それは見当流の
「扇と鎗」の演技である。その攻防は対峙した両者が近接する
と扇で鎗を叩いたところから開始される。
鎗の連続突きを巧みに受け流しながら次第に近接、相手の
鎗を掴んで、組み合いとなるが、これを奪うに至らず再び両者
間合をとる。
そして再度、相手の連続突きに対して、体の前・背面、左右
へと実にリズミカルに受け流していく、「鉄扇術」というものは
確かに存在するけれども、単なる扇子で真槍に立ち向かうの
は無謀である。
(しかしそのことは大した意味がなくて)だが、ここで披露
される受け流しの術技は、「鞭」を使った演技と共通しているし、
その基本は、両手にて太刀を持った時の、受け流し(切り返し・回刀)の操法にある。
最後は、那須与一を意識しているのか、扇の日輪を穂先で貫くと、それを高々と放り上げる。ひらひらと宙を舞う扇に
目を奪われる観衆を他所に、面打ちを2回かわして懐に飛び込み、鎗を掴んで奪おうと最後の反撃を試みるが、奮戦
空しく、投げ倒された後、止めの突きを刺されてしまった。
解説を担当された地元の方も、「扇を使った演技は、私の
知る限りでは本邦初公開」とのお話で、棒の手では非常に
珍しい演技であろう。
全ての演技終了後、当日の演技者全員が棒の手の
基本を披露する「揚げ棒」を行い、演技奉納を終了した。
かつて武術を志す多くの者は自己研鑚とともに
ただ実戦性のみを追求していた。もちろん現代でもそうした
考えも大切なのではあろうが、
こうして世代を超えた多くの方々、特に少年少女たちが高い水準で、意欲的に、そして時に楽しげに演技に取り組んで
いる姿を見ると、これからはそうした事以上に、『若者達の新たな自己表現の手段』として、その新たなる価値・生命を
見出して欲しいと願わずにはいられなかった。
最後に私の来訪を知って、当日名古屋市内から駆けつけて下さった、武道好きの先輩S氏に心から感謝したい。
(参考文献)
・愛知の馬の塔と棒の手沿革誌 編集・発行 愛知県棒の手保存連合会
・郷土の棒の手 編集発行 豊田市棒の手保存会
・藤岡の棒之手 編集企画 藤岡町棒の手保存会 藤岡町教育委員会
編集協力 藤岡町文化財保護委員
・足助の棒の手 発行 足助町教育委員会
・-郷土芸能- 旭村の棒の手 編著者 鈴木藤綱 発行者 旭村教育委員会
・猿投神社由緒記 猿投神社社務所
・猿投まつりと棒の手(チラシ) 猿投棒の手ふれあい広場
・豊田棒の手の各流派(チラシ) 猿投棒の手ふれあい広場
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