第30話 基山町の災拂

佐賀県三養基郡基山町                                            

 福岡県と境を接する佐賀県三養基郡基山町、宅地化された町の中心地の北西に聳える基山の山麓に鎮座する
荒穂神社の神幸祭が平成10年9月23日に盛大に執行された。

  この祭では、各地区から様々な芸能が奉納される
 が、仁蓮寺から奉納される棒術を、当地では『災拂』
 (棒遣)と称している。

 その起源は荒穂神社が基山山頂に鎮座していた頃
 から行われていたと伝えられるが、戦国の兵火の為
 に社殿が焼失し、祭礼とともに災拂も中絶したという。

 その後、元禄年間に現在地に社殿が再建されると、
 災拂も小笠原流を付加して復活したという。

 神幸祭において、災拂は悪魔退散と行列の道案内
 の役を持っているとされ、その演目は表裏48手あった
 ようだが、



資料によると現行は「場広め」以下、次のとおりとなっている。

 場広め  刺槍  先杖  先杖崩  鍬形掛  刺羽打  刺羽引  睾打  小臂  外見  後打  腰車

  冠落   飛崩  難関崩  猿崩   傘外   馬負   飛違   臂絡  五輪砕  入身  左突  意気合

  捻崩   廻崩  細道    物見  物見崩  小手討  先巻崩   二人稲電  三人稲電  拾人打
  
 当日朝、地元の方々に祭の日程を確認しつつ神社を目指した。
沿道のたわわに実った稲の穂波が秋の訪れを感じさせる。

 神社に程近い場所で、裂帛の気合と激しく数合する棒の音が辺りに
木霊した。驚いて道の脇を見ると、民家の庭で地元の若者達が、午後
以降の本番に備えて最後の稽古を行っていた。演技馴れした手捌きに
高い水準が感じられる。

 ご厚意でその様子を見学させて頂いた後、その後の飲食にも同席
させて頂いた。皆の歓談でしばし和やかな時が流れる。

 




 そして午後1時頃、神社の南東の御仮殿(御旅所)
 で各種の芸能と共に災拂も奉納され、少年から成年
 まで様々な演技が披露された。


  ある演目では、神前の方へ進み出た両者が相対
 すると、小刻みに歩を進める独特の歩法で前進した
 後、地面に対して垂直に立てた棒を密着させると、
 強力を駆使して競り合う。



そして、気合を発しつつ上下に激しく数合して相手の棒を地面まで巻き落すと、すかさず2連打を浴びせた。
何れの形も残心の際は右肩に棒を担いで「トウ」と気合を発する。低い姿勢や跳躍技も多く、地方色豊かな
独特の演技である。


 御仮殿の奉納の後、祭礼の一団は神社へ出発した。
沿道の各民家では、一行の為に様々な馳走を用意して
接待する。再びご厚意で私も同席した。

座卓を彩る料理の数々に驚愕するばかりだが、
こうして一行は分単位の接待を受けながら
神社へと帰還した。

 酔いが醒める頃、再び災拂も披露された。印象深い
演目のひとつに、右小脇構えから正面打ちを浴びせた
後、棒を構える討ち手に対し、棒を引きずるようにして
静々と前進すると、


突然深々と『金的』を打った後、素早く棒を反転させてこれを打ち払う。そして正面打ちの後、棒を地面に立てて
構える受け手に対して、討ち手が飛び込んで来て下段を打った刹那、素早く地面まで巻き落として、反撃の2連打
を浴びせるという演技があった。

 この後も獅子舞の奉納が続くそうで、境内は地元の観衆で溢れかえり、黄昏の迫る秋の山野に、いつまでも
鉦の囃子が木霊していた。
 
 (参考文献)

・基山町史   著者 木原武雄   編纂者 基山町史編纂委員会   発行者 基山町教育委員会

・舞い継がれ、歌い続けられて500年 佐賀県伝承芸能祭 記録集    発行 佐賀県開催事務局

                                                 佐賀県企画局生活文化課

・祭礼事典・佐賀県                  編者 佐賀県祭礼研究会   発行所 ㈱桜楓社



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