第28話 東吉原の振物

京都府舞鶴市                                                  

 京都府舞鶴市の西部に聳える愛宕山の東麓に鎮座する朝代神社では、平成9年11月3日に秋季例祭が執行
され、海辺の東吉原という地区から4年ぶりに振物の演技奉納が行われた。

  当地に伝承される『振物』という名の芸能は、丹後
 から若狭地方の日本海側に広く分布する太刀振の一種
 であり、当地だけではなく舞鶴市内を中心に各所で伝承
 されている。

 中でも当地のものは特に武術色が強いことで知られ、
 京都府登録・舞鶴市指定の無形民俗文化財となって
 いる。

  口碑伝承によると、関ケ原の合戦勃発前に当地へ
 来襲した大坂方の軍勢1万5千が田辺城を包囲した際、
 城主細川藤孝(幽斎)に加勢して活躍したという東吉原
 の漁民達は、戦後幽斎から軍功として、『領土波打際
 漁撈勝手次第』という特権を与えられたという。


この事を祝して、女性から子供までが勇戦したという当時の様子を表現したのが、当地の振物の起源だと
いわれている。


また、享保20年(1735)の成立とされる『丹後国加佐郡旧語集』の
長浜村高倉八幡宮の項には、当地の振物の起源ついての記載
があり、江戸時代後期に田辺藩士林五峰が活写した『朝代神社
祭礼絵巻』にも、武具を担えた『マツリ子(振物の演技者)』達の
姿が描かれている。


 当日、まだ肌寒い午前7時頃、傘鉾を先頭に太鼓屋台を
伴った祭礼の一団が境内へ練り込んで来ると、早速演技が
開始された。


また、何れの演技にも大太鼓や笛によるお囃子が伴い演技に華を添える。なお、当地の振物の演目は、
次のとおりとなっている。
 
 露払    場を祓い清める意味があり、化粧を施した幼児2人が艶やかな衣装を纏い棒振を行う。
   
 大薙刀  赤熊(毛の被り物)を着用した青年2人が大薙刀で斬り結ぶ。

 小薙刀  大薙刀とほぼ同様の演技だが用いる武具は少々小型、腰元や女中の奮戦する様だという。
 
 小太刀  化粧を施した10歳程度の少年2人が小太刀で斬り結ぶ。

 野太刀  小太刀よりやや年長の演目で、中太刀ともいい小姓の奮戦する様だという。

 間抜    青年2人の演目で棒対棒の攻防を行う。足軽などが奮戦する様だという。

 前関棒  青年2人の演目で太刀対棒の攻防を行う。

 後関棒  前関棒とほぼ同様の演技で、やや年長の青年が行う。

 この後市内を巡行した祭礼の一団は、御旅所のある舞鶴公園(旧田辺城)に到着、正午近くに再び演技が
披露された。

  どの演技も掛声を発しつつ手捌きも巧みで、両者一対
 の動作は見事であったが、『間抜』以後の演目は一段と
 手捌きが速く緊張度の高い演技であった。

 中でも『前関棒』では、目まぐるしく間合の変化する攻防
 の中、上段からの斬撃や脛斬りに対して、受けると同時
 に素早く棒を反転させ、体を躱しつつこれをはたき落とし、
 あるいは払い除ける。

 そして演技の中で度々行う片足立ちの独特の構えから、
 跳躍で助走を付けるように前進すると、大きく飛び込んで
 相手の喉元へ突きを繰り出した。



また、残心の際に行う独特の構えには、美しく洗練された印象を与えられた。


 この日、地元の方々を中心に詰め掛けた多数の観衆に披露された東吉原の振物は、この後も商店前や学校など
市内の各所で終日上演された。

 (参考文献)

・京都の文化財(第7集)              編集発行    京都府教育委員会

・京都の民俗芸能                  編集兼発行者 京都府教育委員会

・舞鶴の文化財                    編集者 舞鶴市教育委員会    発行者 舞鶴市

・京都大事典 府域編                発行所 ㈱淡交社 

・田辺城資料館(冊子)               舞鶴市




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