第25話 木の杖術 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
栃木県下都賀郡都賀町 |
栃木県栃木市の北部に隣接する下都賀郡都賀町のほぼ中央に位置する木という地区に鎮座する木八幡宮
では、平成8年10月27日に秋季大祭が執行され、伝承の杖術が披露された。
神域のすぐ西には、町の東西を二分するように東北
自動車道が縦断している。もし往来する車の喧噪を忘れ
るなら、辺りは閑静な秋の農村の風情に溢れている。
当日の朝から、神社には次第に地元の方々が集まり、
皆が協力して神事の支度を整えている。鳥居へ注連縄
を付け、社殿上の飾り付けを行ううちに、静かに時が
流れていった。
正午近くに行われていた神事が終了すると、参道の
彼方に控えていた杖術の一団が移動を開始した。
田圃を貫いて一文字に続く道の彼方から、独特の掛声
を発して杖術を演じつつ、一団は神社へと歩を進める。
まるで絵画のように美しく幻想的な光景である。
やがて一団が、小高い丘の上にある神社の境内へ練り込んで
来ると、賑やかな囃子の音が響く中、地元の子供達や成年の
方々による演技が開始された。
境内には相撲の土俵型の舞庭が設けられていて、
全ての演技はここで行われる。
当地の杖術は流名を小天狗流杖術といい、寛永13年(1636)に
当地の農民達が日光東照宮で演技奉納を行ったという口碑伝承
がある他は、由来など詳細な沿革は不明である。
この杖術は武術として土地の農民達に習練されてきただけ
ではなく、同じく当地で伝承されている獅子舞の露払い役として
祭礼の場で演技されてきた。
当地の杖術は昭和55年に栃木県で開催された「栃の葉国体」において、地元保存会と都賀中学校の協力で演
技化した「杖術体操」として公開され、、観衆から万雷の拍手と称賛を浴びたという。また、小天狗流には表裏24
手合計48手の演目があり、内容は以下のとおりとなっている。
振棒 飛太刀 入杖 天狗戻 山翳 四張 算盤 一足引 水引 轉杖 提 笠の下
小手上 松明 端詰 詰返 片霞 両霞 脛砕 腰車 腰車崩 御所車 棒合 太刀棒合
演技の内容は、杖対杖、剣対杖の攻防で、非常に素朴で野趣溢れる芸風である。演技で使用する杖も一般の
杖術に使用する物よりは少々長く、実際は棒術といってもよいだろう。
また演技の速度も、速からず遅からずといった調子で、
演目によっては歌謡のような節回しで掛声を発する
箇所もあり、組太刀というよりは舞踊のような印象を
受ける演技もある。
が、それは当流が決して、武術として遜色があるという
ことではない。
剣対杖の「轉杖」では、蹲踞の姿勢から得物を掴む
と、下方からの斬り上げに対して素早く杖を合わせて
これを防ぐ、両者掛声を長く引きつつも剣の方は身を
低く伏せた独特の姿勢をとる。
そして互いに間合をとりつつ下段で一合すると、独特の調子で大きく側方から、上段で激しく数合。そして再び互い
に間合をとって構えをとるや、飛燕の如く大きく側方に跳躍して一合する。
それから着座している杖の方へ、上段から斬り掛かると水平受でこれを防ぎ、後は再び独特の調子で大きく側方
から、上段で激しく数合する。
また、境内では控えの演技者や観衆の為に煮染や
酒などの御馳走が振る舞われ、歓談する人々は皆
上機嫌である。赤飯は箸など使わず掌の上に山盛り
にして豪快に食している。
それでも、演技者の気迫の技、巧みな手捌きが
披露されると、自然に拍手と声援が送られ、皆熱心
に見入っていた。
この他、境内では心の琴線に触れるような風雅な
囃子の調べに乗せて、揃いの足踏みも軽やかに
獅子舞も披露された。関白流といい県下で広く行われ
ている芸能である。
こうして心地よい秋空の下で行われた秋の大祭は、無事幕となった。地域の方々の理解と協力があれば、流行
に迎合しなくても古武術は力強く生きて行くことができる。
(参考文献)
・栃木県の民俗芸能 編集 栃木県教育委員会事務局文化課 発行 栃木県教育委員会
・祭礼行事・栃木県 編者 高橋秀雄 尾島利雄 発行所 ㈱おうふう
・栃木県大百科事典 編集 栃木県大百科事典刊行会 発売元 下野新聞社
・都賀町史 民俗編 編集 都賀町史編さん委員会 発行 都賀町
・生きている民俗探訪 栃木 著者 尾島利雄 発行所 第一法規出版㈱
・栃木県立博物館調査報告書 とちぎの祭りと芸能 編集・発行 栃木県立博物館
・ふるさと劇場がおもしろい とちぎのまつり百選 企画・編集 企画部広報課 発行 栃木県
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