第24話 藤岡町の棒の手

愛知県西加茂郡藤岡町                                            


 愛知県豊田市と瀬戸市の境界に聳える猿投山の東麓に広がる西加茂郡藤岡町では、各地区ごとに伝承の棒の
手が行われている。そして、その町内で役場の所在する飯野の北西の北一色では、平成8年10月12日に藤岡神社
の秋季大祭が執行された。

 当日午後、各々武具を携えた警固の一団が、飾り馬
 (馬の塔、オマント、献馬ともいう)を奉じて、威風堂々と
 境内へ練り込んで来た。


 大祭は厳粛な神事の後、詰め掛けた多数の観衆が
 見守る中、鉄砲隊の発砲や巫女による神楽舞の他、
 大勢の地元の子供達を中心に棒の手の演技奉納も
 行われた。


  当地の棒の手は長久手町、足助町など県下でも広く
 行われている見当流という流派で、武芸指南役として
 織田家に招かれた、加賀の浪人、本田遊無を元祖と
 する。


天文23年(1554)、遊無は築城された中根城(現・名古屋市瑞穂区)へ織田信照が入城の際、祝意を表して棒術
を披露したところ、城主信照以下、家臣一同から好評を博した。


以来城下の村民達は遊無を師として棒術の
修行に励んだという。
 

その後、織田氏の没落により流浪の身となった
遊無は、旧知の戸田源左衛門(東春日井郡品野村)
を訪ねた。源左衛門は自ら道場を開設、遊無に協力
して後進の指導に尽力した。


 そして晩年、遊無は自身の編み出した流儀を
源左衛門に託すとその地で没したという。


 当日は子供達の他に壮年の方々も多数登場。
後半は雨天となったが、剣、棒、槍、薙刀、鎌、
十手など様々な演技を披露した。

 中には己の武具を用いて互いに背中合わせで相手
 を探し求める所作の後、相手を捕捉するや棒対剣で
 攻防を行い、剣を落された方が逆襲して棒を捩じ落す
 と、素手で再び互いに相手を探し求める。


 そして相手を捕捉するや、柔を駆使して相手を鮮やか
 に転倒させる演技も行われた。


  また、炎のように揺らめく飾りの施してある鞭と槍の
 演技では、次々と繰り出される槍を、剣術の要領で
 上下に受けたり、クルリと鞭を切り返して左右の肩を
 覆うように受け流したりと見事な手捌きを披露。



そして圧巻は、槍の連続突から穂先で相手の鉢巻を突き飛ばすと、相手の背中と襷の隙間に深々と穂先を
突き通す荒技である。


続いて、巻取り(免許・目録保持者)の長老の方々
も登場。相手と対峙した瞬間から非常に厳しい表情
である。


スッと顔前に振り上げた手を、牙のように前下方へ
突き出しつつ腰を落すと、野牛の如く歩を進める。
演ずるは基本形「水引」である。


 絶叫に近い猿声のような気合を発しつつ、剣術と
棒術による攻防の基本を行う。長年の演技経験で
培われた個々の動作に風格の漂う名演であった。


 全ての演技終了後、観衆お待ちかねの餅投げが行われ、興奮のうちに秋の大祭は幕となった。
なお、資料によれば見当流の演目(抜粋)は以下のとおりである。

  當流棒之数

   散シ  天狗  笠之羽  水引  無相

  中段

   稲妻  仕相  夜之棒  細矢  二刀詰

  奥

   多勢  大勢  小多勢  太刀見  位  冨士マキ鎌  橋詰

 (参考文献)

・愛知の馬の塔と棒の手沿革誌       編集・発行   愛知県棒の手保存連合会

・郷土の棒の手                 編集発行   豊田市棒の手保存会

・藤岡の棒之手                 編集企画   藤岡町棒の手保存会    藤岡町教育委員会

                           編集協力   藤岡町文化財保護委員

・足助の棒の手                 発行      足助町教育委員会

・-郷土芸能- 旭村の棒の手        編著者    鈴木藤綱       発行者 旭村教育委員会



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