第22話 滝尻の草棒ささら

福島県いわき市                                                 


 南は太平洋、そして北には温泉地湯本を控えた福島県いわき市泉町は、幕末まで続いた泉藩の故地である。
城址に近い滝尻という地区には、古くから『草棒ささら』等とも呼ばれている棒術と獅子舞が伝承されている。

 平成8年9月15日には、稲荷神社、諏訪神社など
 町内の諸社を巡回しての演技奉納が行われた。


  地元の方々を中心に詰め掛けた多数の観衆が
 注視する中、まず演技の先陣を務めたのは子供達
 である。


 艶やかな衣装を纏った少女達は、ほぼ同様の
 操法の棒対棒と薙刀対薙刀の演技、そして少年達は、
 棒対棒と短棒を用いた剣術の演技を行い、


 上下に数合打ち合わせたり、刀を切り返して斜めに
 流し受する等、掛声も元気に攻防を披露していた。


 諏訪神社の境内では成年の方々の演技が充実していた。六尺棒を手に歩いているところへ、背後から斬り掛か
ると互いに激しく渡り合う『山陰』、剣術は一般の木刀ではなく子供達も用いていた短棒で演じる。

剣の操法は引き斬り気味に深々と斬り下ろす
手捌きが印象的で、互いに呼吸の合ったメリハリ
のある演技が見事である。


以下、剣対剣の『相白刃』、棒対棒の『相六尺』と
気迫の演技が続く。また、棒を手に背後から歩み
寄って襷を掴むと片手で投げを放つ『背負投』、
着地と同じに抜刀した後は棒対剣の攻防である。


以下、棒対剣、棒対傘、棒対素鎌など、掛声も
勇ましく様々な演技が披露される。また攻防の
最中には笛や太鼓によるお囃子が伴い、
演技に華を添えた。


 それから鎖鎌対剣の『山田』では、臑を狙って放たれた鎖を跳躍して躱したり、鎖で剣を巻き取ると、
地面に押さえ付けて奪おうとしたり、相手の下方から懐へ潜り込んで体で押し当たる等の攻防が続く、
また鎖へ打ち込んだ反動で演技者に分銅が命中するというハプニングもあり、観衆からヤンヤの喝采を
浴びていた。

 最後は短棒を用いた剣術と棒の演技、相手を誘って
 いるのか、地面に立てた短棒に相手が打ち込んできた
 際、これに逆わらずクルクルと軽やかに切り返して、
 中段に構える手捌きが実に見事で洗練されているのが
 印象的であった。


  棒術の演技後は獅子舞が披露され、祭礼の一団は
 次ぎの演技場所へと移動して行った。当地の棒術は、
 大円鏡無双流十五番、難波流十本続、などの演目が
 あり、相伝の古文書も保存されているそうだが、


 他にも日野流、ト伝流、山田流、難波流、新刀流の
 手も含まれているという。


以下は資料に掲載された大円鏡無双流の演目である。

 天狗倒   水引   手付    山田    相六尺   無相五番   術手   素鎌   
   
 相白刃   鎖鎌   相薙刀   時雨    背負投    山陰     三人棒



 また当地に棒術を伝えた人物は、塚原ト伝の
流儀を習得したと伝えられる、吉田喜(善?)三郎
の門下の吉田粂七で、


粂七が安永7年(1778)に滝尻へ来住
した際に伝授されたと伝えられ、
三代目の吉田喜右衛門に至って農民にも伝授
することを藩主から許されたという。




(参考文献)

・福島県史 第23巻 各論編2 民俗1           編集・発行  福島県

          
・福島県民百科                         編集 福島民友新聞社福島県民百科事業本部

                                  発行所 福島民友新聞社

・まつり 22号 特集“棒”                   発行所 まつり同好会



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