第19話 高千穂の棒術

宮崎県西臼杵郡高千穂町                                           

 第19話の補足について

最近ネット上で、『三田井の棒術は新陰流』という記事が散見しているので、改めて現地役場に照会してみた。
先ず結論からいうと、三田井の棒術は新陰流である。長年誤った記述を放置していたことをお詫びしなければ
ならない。勿論執筆当時、現地でも確認したのだが、①私の理解が誤っていた。或いは足りなかった。②私に
説明してくださった方が事実を知らなかった。或いは私への説明が上手く伝わらなかった。等々が誤記の原因
だと考えられる。それと執筆当時、高千穂の棒術について、戸田流以外の流派に関しては、詳細を記述した
文献が見つからなかったことも誤記の原因となったと思われる。

また改めて、町内で戸田流の棒術を伝承している集落(地区)は、どこであるか質問したところ、応対してくだ
さった方は、黒口の棒術との回答を得た。勿論他にも戸田流を伝承している集落はあると考えられるが、
相伝の古文書と伝承している実技が一致して確実に戸田流と思われるのが、黒口とのお話であった。

ところが・・・、である。重ねて三田井の棒術は新陰流であるか?と確認してみたのだが、どうも歯切れが悪い。

当地の神楽については、学術的な研究が行われ、数多くの文献が著されたのに比べると、棒術に関しては
未調査の部分が多く、町としても詳細な実態を把握していないとの話である。

既に何流であるのか、地元の人もよく分かっていない所もあれば、武術として伝わっているはずなのだが、
実際は『道行き』の時に少し演技するだけの所など、幾つかの事例を話してくださった。

さらに調査する側を混乱させる事例としては、複数の流派を知っている方がいるという事実である。
これは神楽の場合でも同様で、町内の複数の集落の演技の違いを、ひとりの方がご存知である場合が
あるのだそうだ。

話によると例えば、幼少の頃に戸田流を習得している方が、町内の他所の集落に転居して他流を学んだ
ような場合が一例として考えられるとのことであった。

推察するに、○○流として伝承されてきた棒術の中に、他流の技が混入することも十分ありえると、私は
思うし、ひょっとすると質問する度、質問する人ごとによっては、地区の棒術が何流であるのか、回答が違う
のではないかと想像してしまった。

そのような事情もあって、本来なら三田井の棒術は戸田流であることを前提に書かれた本編も削除する
ところであるが、暫くこの第19話も掲載を続けることにした。三田井の棒術は戸田流ではないが、私が現地
を訪問して、見聞きし感じたことは嘘ではない。以上前置きが長くなり過ぎて申し訳ないが、今後も新事実
が判明した時は、訂正と追記を行うことにする。

平成22年12月



九州の山間部に位置する宮崎県高千穂町は、神楽の里として全国的に有名な所であるが、この地に古武術
が伝承されていることは、意外に知られていない事実である。

 当町と隣接する五ヶ瀬町には各地区ごとに、戸田流、新陰流、大車流などの名で棒術が行われ、有志の
方々によってその保存がなされている。

 
 古い信仰の中で、棒は呪具として神聖視され、これ
 を交差させたり、打ち合わせることに、悪魔払の効果
 があると考えられた。


 当地の棒術も、ただ武術として習練されていただけで
 はなく、地区の神社の祭礼では、警固役として御神幸
 行列に供奉する神事でもあり、神幸の途中や神社の
 境内で演技が披露される。


 平成8年4月16日、高千穂神社の春季大祭が執行
 された。当日の御神幸行列には、三田井地区の
 戸田流が供奉し、行列の途中では神事的性格の強い
 

演技が、そしてバス待合所近くでは迫力のある戸田流の攻防が沿道の観衆に披露された。


 当地の戸田流は正しくはその名を、『戸田当流杖』という。
戸田流は、加賀国の住人、富田(戸田?)清玄を元祖とし、
二代・富田清流(越州)、三代・中村權内(若狭)と、以下諸国
の武人の手を経て当地に伝来し、現在まで相伝されている。

 杖は長杖と半杖の二つの用法があり、形は棒対棒の打ち
合いで構成され、これを棒合せという。同様に相手の武器に
より鎗合せ、太刀合せ(俗に白刃という)等と称している。


 地区ごとに多少の相違があるようだが、戸田流には様々
な形(型)が存在し、通常は、御方、指合、三日月、肩懸、
小逆合、巖石落、宇治橋、冠之杖の9手を使い、


この形ごとに、棒合せ(2本)、太刀合せ(1本)、鎗合せ
(2本)の用法があり、総計すると45手となる。
 


 但し、通常神前で奉納するのは、御方、指合、三日月(上杖)の3手ほどで、これを棒三番「ぼうさんば」という。
また、神幸の途中に披露される棒術は『和合の杖』(四方割)と呼ばれている。
 なお、参考までに掲載するが、(集落により多少の相違があると思われるが、)ある資料に掲載されている戸田流の演目は以下のとおりである。  

※資料には他に、捕縄術、柔術(無道流)の演目も記載がある。

 棒術

御方 表裏    18本

    太刀合   9本

    槍 表裏 18本

    三日月  肩掛  腰掛  小逆  岩石

中段 18本

    宇治橋  冠  小散  大散  遣合  十文字  刺股  長刀合

    境杖  口論留杖  引杖  担杖

五輪杖  12本

    細合  鹿不思議  虎乱  燕乱  有無

半棒 16本
 
    天劒  月影  無命  浮雲  和合杖 

天棒 3本

    燕心  霰劒  雲霰  

鎖鎌 8本

    無一  無二  無劒

 さて、バス待合所近くの演技では、露払い的に演技を披露した
4名が、四方に陣取る中で行われた。当流独特の構え、動作から
繰り広げられる棒対棒、棒対剣と名演技が続いた後、十手術(天棒 
※「てんびん」と読む)も行われた。演技に使用される十手は木製で、
表面は無数の刃傷で覆われていた。


 八双に構えた相手が、刀で上下に激しく襲い掛かるのを十手で受け、臑斬りを跳躍して躱した後、鉤で引っか
けて巻落す。再び上段から襲い掛かる瞬間を捕えて、最後は腕を掴んで捕り押える。また、この後に十手術の
演技と同様の構成で、棒対剣の攻防が披露され、ここでは演技者の棒捌きが一段と光っていた。
 

 演技の最後は、薙刀対棒の攻防。神事的に行列の
 途中でも行われていた技法が、ここでは一段と激しい
 気合を伴いながら、武術としての生命を得ていた。


  また、当日の演技は壮年の方々が中心
 で、次代を担う子供達の姿は見られなかった。


 大都会から遠く離れたこの地で、今も尚これほどの
 演技水準を保持している地区の方々の技が、次ぎの
 世代へ受け継がれることを願わずにはいられなかった。 

 

(参考文献)

・宮崎県の民俗芸能 -宮崎県民俗芸能緊急調査報告書-      編集発行 宮崎県教育委員会

・高千穂町史                         編集兼発行人 宮崎県高千穂町

・五ヶ瀬町史                          編集兼発行人 五ヶ瀬町

                                 発行所  宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町役場(総務課)

・高千穂文化財調査報告書第七集 高千穂の民俗芸能      高千穂町教育委員会

・神楽棒術解説            著作兼発行者 甲斐勝美  発行所 紀元二千六百年日向高千穂奉祝會

・民俗調査報告書 高千穂                       編刊  熊本商科大学民俗学会

・ふるさとまつり歳時記                 企画発行  宮崎県企画調整部地域振興課 編集 鉱脈社

・わたしのアルバム 伝統芸能の系譜 付依代考         著者 本田安次   発行所 錦正社



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