第14話 金沢の獅子舞

石川県金沢市                                                  


 古来から獅子は破邪の神獣と信じられ、舞に使われる獅子頭も神そのものとして崇拝されてきた。しかし、
金沢を中心に北陸地方には、古武術を駆使して獅子を退治する異色の芸能が伝承されている。

 
   平成7年9月15日、金沢市内の北部に位置する
  木越町では、同町の青年団を中心に獅子舞が披
  露されていた。

  シャンガンと呼ばれる毛の被り物を着用した少年
  が巨大な獅子に戦いを挑む。棒や薙刀を得物と
  し、その操法も儀礼化した単純なものではなく武
  術性を感じさせるものである。

  獅子と相対して威嚇するように舞いながら、最後
  には気合を発して止めを刺す。そういう作法らしく
  獅子に挑戦する際には、礼法も行っていた。





この芸能の起源については数々の文献が著されているが、安政
4年(1857)の跋文を有する上田作之丞の随筆、『老の路種』には、
現在とほぼ同様の芸態を有する獅子退治についての記述があり、
さらに詳細な記述のある昭和8年の石川県史 第5編には、享和
か文化年間の初期に、金沢にて道場を開設し、



剣術はもとより伯州流の体術、心鏡流の薙刀や鎌、袖岡流の棒術
を教授していた浪人、土方常輔潔氏の門下生の誰かが、後に自身
の修得する武術の形を応用して獅子退治の芸能を創作したところ、
庶民層を中心に爆発的に広がったというのが有力な説とのことで
ある。







  流行すれば流派が乱立するのは世の常、
  盛時にはその数40余流に達し、北部の土方流に
  対し、南部では半兵衛流が有名であった。


   石川県下では、芸風に地域差があるとはいえ、
  白峰村を除く全ての市町村で獅子舞が伝承されて
  いて、金沢市内だけでも相当数の町内で獅子舞が
  伝承されている。





当日は近隣の福久町や弥勒町内でも獅子舞が行われていたが、海外での上演経験もあるという、ここ
木越町の獅子舞には、棒や薙刀の他に槍術と剣術による組形も伝承していて、難易度の高いこちらの
方は青年の演技者が一手に引き受けている。


 
   組形の場合には、獅子の御前にて雌雄を
  決するかのように気合を発しつつ激しく斬り結び、
  最後には両者とも獅子に相対して演技を終える。


  素朴な形ではあるが、古流の特徴をよく表現して
  いて、迫力のある演技である。


  地域によってはこの他にも鎖鎌の形や、「無手」と
  称して素手による攻防を行う柔術的な演技を伝承
  する所もあるという。



祭礼の一団は、路上や民家の門前で演技を披露しつつ町内を巡るが、演技には笛や太鼓によるお囃子を
伴い、非常に賑やかな雰囲気である。後から三味線も参加して編成も豪華である。また、演技が終了する
毎に威勢の良さそうな一人の青年が登場し、御礼であろうか手拭を頭上に掲げ、独特の言い回しで口上を
述べていた。


 こうして演技の全てを披露すると、祭礼の一団は次第に膨れ上がる町内の観衆を随伴して、悠然と次の
民家へと去って行った。この祭を終える頃から、北陸の秋はいよいよ深まっていく。

 (参考文献)

・石川県大百科事典                  編者 芳井先一       発行所  ㈱北國新聞社  

・北國新聞社創刊100記念 石川県大百事典   編集 北國新聞社出版局   発行所  北國新聞社

・まつり 43号 特集・獅子舞Ⅱ            編集者 田中義広       発行所   まつり同好会

・日本の民俗 石川                  著者 小倉学          発行所 第一法規出版㈱

・加賀能登の生活と民俗               著者 長岡博男        発行所  慶友社

・石川県の民俗分布図 -緊急民俗資料分布調査報告書-        発行所  石川県教育委員会



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