第13話 高浜町の太刀振

福井県大飯郡高浜町                                         


 福井県大飯郡高浜町宮崎に鎮座する佐伎冶神社の式年祭は、約7年の間隔をおいて執行される大祭で
あるために七年祭とも呼ばれている。この祭礼で、お田植えの神事とともに奉納される「太刀振」は、県指
定の無形民俗文化財でもあり、この地方を代表する高名な芸能である。

  平成7年6月17日は祭の初日ということもあって、
  境内は高浜町の内外から詰め掛けた多数の観衆
  で大変な盛況であった。

   高浜町の太刀振の起源は古く、先ず、元禄年間
  に著された『若狭郡県誌』によれば、高浜の漁師達
  が真剣を用いて演舞していたという記述があり、
  その内容は素戔鳴尊が大蛇を退治するような神楽
  風の筋立であったという。

  また、明和4年(1767)に著された『稚狭考』には、
  「この祭に太刀ふりといふ事あり、太鼓の節に
  合わせて太刀を左右方より打合すなり。太鼓の
  拍子叶はされは太刀ふる人あやまち疵つくなり。」


といった内容の記述があり、当時からこの地方で太刀振が行われていたことが推察される。

 さて、当地の太刀振の特徴は、その芝居
形式の芸態であり、全国的に見ても非常に
珍しい民俗武芸である。

古来から庶民に馴染みの深い仇討物や武勇伝
等が題材となっていて、様式化された芝居の殺陣
と比較すれば、武術性の高い内容で演技が披露
される。

 この日演技の先陣を務めたのは、御神輿
東ノ山を奉ずる薗部区である。地面に敷かれた
十数枚の莚が舞台となり、勇壮な太鼓の音が
響く中、演者は床几に腰を掛け出番を待つ。

最後に太鼓打ちが「イヤーッ」
と二声発すると、演者はスッと立ち上がり、床几を後ろへ蹴り遣った。
 なお、当日境内で上演された三地区の演目は以下のとおりであるが、あらすじに関しては、歌舞伎等の他
の伝統芸能と同様であるため省略させていただきます。

 東ノ山(薗部区)

橋弁慶   刀 薙刀 刀 刀

鈴ケ森   尺八 刀 槍 槍

藤の棚   日傘 槍 刀

 西ノ山(子生区)

露払    棒  棒

小太刀   刀  刀

橋弁慶   刀  薙刀

日傘振   傘  槍

大薙刀   薙刀  薙刀(他の地区にも同様の演目有)
  
 中ノ山(塩土区)

白石仇討  団七(太刀) 宮城野(薙刀) 志乃ぶ(鎌)

彦山権現  京極(太刀) 六助(小太刀) お薗(鎌) 内匠の家来(棒)

長吉長五郎 俵  小太刀  棒

伊達風俗  長兵衛(傘) 水野の家来(小太刀)(後槍)(前槍)

橋弁慶    牛若丸(小太刀) 弁慶(薙刀) 弁慶の家来(小太刀二名)

藤の棚    小十郎(傘) 弾正の妹(小太刀) 家来(槍)

   演技にセリフのやり取りはなく気合のみで攻防
  を行う。当地の太刀振は、構え方、立ち方等も非常
  に洗練されていて見所のひとつとなっている。

  見栄を切り、美しい構えが決まる度に観衆からの
  声援が飛んだ。
   美しい構えを静とするならば、気合を発しながら
  斬り結ぶ攻防は演技の動である。胸元に繰出され
  た槍を飛び下がって躱し、時には手裏剣を放ち、
  尺八や傘で戦えば、柔を駆使して敵を投げる。

  倒された敵は何れも地を前転して退場する。
  敵は一人ではないから、脇に控えていた新手が
  「まてい!」と一喝、


はっしと得物を地に叩きつけ名乗りを上げると、すっくと立ち上がり、槍を扱いて討ち掛かる。
 眼前に繰り広げられる気迫の演技に、境内は前代の遺風で溢れた。太刀振は祭の最終日の23日まで、
民家の門前や路上等、高浜町内の各所で上演される。

(参考文献)

・福井県史 資料編15 民俗  編集発行   福井県

・福井県大百科事典       編集  福井新聞社百科事典刊行委員会   発行  福井新聞社

・まつり 49号 特集 若狭   編集者 田中義広      発行所 まつり同好会

・高浜町誌             編集発行   福井県大飯郡高浜町

・ふくいの祭り           著者 杉原丈夫  企画・発行 (財)福井県文化振興事業団

・佐伎治神社 雨乞鐘 式年祭 =第四集=   編集者 高浜郷土史研究会  発行所 高浜公民館

・福井県文化財叢書 第1集 無形文化財  著者 杉原丈夫 斉藤槻堂 発行所 福井県教育委員会


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