第7話 尾張旭の棒の手① | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛知県尾張旭市 |
名鉄線沿線の新興住宅地である愛知県尾張旭市、密集している人家、往来する数多の車を目にすれば、
当地を訪れる者は、ここにまさか貴重な郷土芸能が伝承されていると思うことはないに違いない。
平成6年10月9日、当地を初めて訪問した私は、
その流儀の名を「無二流」という棒の手を拝見した。
当流は、康安元年(1361)に新居村を開いたという南朝方
の僧将、水野又太郎良春を遠祖とする。良春が吉野山に
いた頃、「真公秘授兵法」として棒術と修験道儀礼を伝授
されたのだという。
その後、幾多の争乱の世を経て、密かに相伝されてきた
当流は、大覚院大徳政良により寛文年間に「無二流」として
広く世に知られることとなった。
無二流の名は、遠祖・水野氏の家伝を継承することとなった
政良の父、大覚院享風兼政が新たに棒術を再編し一流として
完成させ、その遠祖である水野良春の号にちなみ名づけたの
だという。
その流儀は「棒に身を隠す」などと称して仏心自衛を強調し、再び戦技になることを固く戒めているという。
また、演技の名称は、棒合(棒対棒)、棒太刀、真剣を
使用する「キレモノ」でも、鎖鎌、三人槍というように、使用
する武具がそのまま演技の名称になっているそうだが、
元来は、立車、肩車、腰車、立取、あや取、耳取、追落、
巻落、水引、水立、水取、大留など48手の形(型)がある。
さらに詳説すると、(稽古上の方便から)特定の攻撃に対し、
「肩受」、「胸受」、「脛受」など個別の防御法があり、これら
を組み合わせて一連の演技にするのだという。
(資料には「三角法」と称する振付法があるとされる)。
当日の午前、自治体の主催したイベントで演技を披露した警固の一団は、その「本拠」である多度神社を目指して出立
した。当地の地理に暗い私もこれに従った。
以前は神前に奉納する棒は多度神社で、「花棒」として
観衆に披露する術技は神明社で、という区別がされていた
そうだが、現在は全ての演技が多度神社で行われている。
一団が神社に到着したのは昼頃ということもあり、
本格的な演技は昼食時間を挟んだ午後以降とのことであった。
境内に詰め掛けた大勢の観衆の中、やがて演技の
開始となる。少年から壮年の方々まで、境内の各所で一斉
にその術技を披露する。
特に少年たちの演技には、祝儀袋が乱れ飛び、演技の度にこれを拾うのが大変そうである。武道をされている
真面目な方には奇異に写るであろうが、こうした民俗武芸の世界では、棒の手をはじめ全国的な現象である。
地域によっては、包紙にくるんだ「お捻り」の場合も
多々ある。「おひねり」を辞書で確認すると、「賽銭、又は
祝儀」と簡記されていることが多い。宗教的にも深い意味
がありそうだが、ここでは触れないこととする。
奇異といえば、無二流は、前後に大きく開脚した独特の
立ち方をとることが多い。理由があってそうしているので
あろうが、一般の武道を経験されている方には、抵抗が
あるかもしれない。
だが、その事が実技的に他流と比較して遜色があるの
ではないから、誤解のないように願いたい。詳しい実技
描写は省略するが、(前述のとおり)棒の手の他流と同様、
相手の攻撃部位により、受け方・受け流し方が決まっていて、(それを組み合わせて)相手の連続攻撃を巧みに防御
しつつ、反撃を試みる。この日も演技の後半になると、数々の気迫の名演が披露され、観衆を沸かせていた。
また、使用する武具は、棒、剣、槍、鎖鎌、傘、など様々であり、得物を落としても素手で応戦する演目もある。また、
以前から(そうした形(型)があるとは)話には聞いていたが、当地で初めて鍋蓋で敵の攻撃を防ぐ演技を拝見した。
全ての演技終了後、この日は次の目的地、渋川神社を目指して当地を後にした。
(参考文献)
・愛知の馬の塔と棒の手沿革誌 編集発行 愛知県棒の手保存連合会
・郷土の棒の手 編集発行 豊田市棒の手保存会
・足助の棒の手 発行 足助町教育委員会
・旭村の棒の手 編著者 鈴木藤綱 発行者 旭村教育委員会
・猿投まつりと棒の手(チラシ) 猿投棒の手ふれあい広場
・豊田棒の手の各流派(チラシ) 猿投棒の手ふれあい広場
・愛知県の歴史散歩 上,下 編者 愛知県高等学校郷土史研究会 発行所 ㈱山川出版社
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