第6話 貝津田の棒の手

愛知県北設楽郡設楽町                                            


 「奥三河」と称される愛知県北東の山間部は、貴重な郷土芸能が各所で伝承されていて、湯立神楽の一種である
「花祭」や、鳳来寺、田峯、そして黒沢にて伝承されている「田楽」など、全国的に名高いものも数多い。

   奥三河唯一の棒の手は、おそらく明治年間に豊岡(現・足助町)
  方面から伝来し、現在、北設楽郡設楽町内で行われている。私が
  当地を訪問したのは、平成6年8月19日、愛知県下でも夏八月に
  演技奉納が行われるのは、当地だけではないだろうか。 

   当地で伝承されている棒の手は、その名を「起倒流」という。
  起倒流は棒の手を代表する流派のひとつとして古くから名高く、
  天正年間に那古野(現・名古屋市西区)の住していた武芸者、
  起倒次郎左衛門によって創始されたという。


 






 また、当流は槍術を得意とすることで他に類がなく、その教えを乞う者が
多かったと伝えられている。
 
 柔道の源流でもある古流柔術も、「起倒流」というが、当流とは同名異流で
あろう。ただし往時は、『取手』(捕手・体術)も盛んに行われたようで、古文書
なども現存している。

 なお、演目に関しては古文書など種々の文献があり、呼称など現行のもの
とは相違があり、また地域差もあると考えられるが、あくまで「参考」のひとつ
ということで、(当地のものではないが)以下のとおり掲載する。当地において
も起倒流としては表裏数十手あるとのことであったが、現在では各種の武器
術を抜粋して演技しているとのお話であった。



   祈祷流目録 (本名俗名対照表)

  棒ノ部  腕落(短棒)  韭専(巻落ハヽ棒) 切落(ミケンハヽ棒) 力妻(長棒)  蛛手(ワリ棒) 

        振出(八重掛) 力留(六ツ打)   胡冠(居坐棒)   棒落(長組打)  稲妻(短組打)

  鎗ノ部  身留(短鎗)  突捨(長鎗)  折留(見返)  打鞘(真剣)  胸留(足ヅリ)  十文目(大見) 

        突ハヅシ(長十手鎗)   打替(後追十手)  脇突(組打)  散シ(ホ負真剣)

  長刀ノ部 胸留(十飛)   手飛返(十一飛)   振詰(ナギ捨十飛)  替リ(組打)     剱キ(中クヾリ) 

        一人詰(十六飛)  振切(ウデ車十六飛)  車倒(眼ダメ)  振腕(両腕車)   弐人詰(両腰車)

  鎌ノ部  引替(腕車)  天狗倒(  )  赴懸(真剣押引)  長柄(初手薙)  脇投(中薙) 

        打落(見合セ)  振上(八重掛)  掛投(継足)  モジ利(押引)   身替(両腕車)
      
  ※ ( )内が本名に対する「俗名」。また一部演目に表示不能な書体がありますのでご了承願います。

       また、「短(い)鎗」、「長(い)鎗」という演目は、貝津田にもあったが、
      これは得物の長短ではなく、時間の長短であるとのことであった。
 
 当日演技奉納が行われる、諏訪神社の鎮座する貝津田地区へ到着したのは、夕刻になってからであった。
土地の方にお話を伺うと、祭礼の開始までは時間的な余裕があることもあり、御好意でご自宅へ案内して頂いた。

   せっかくのよい機会であるから、もっと様々な質問をすれば
  良かったのだが、当時は気恥ずかしさも手伝って、大した話も
  することもなく時が流れてしまった。面識もないことだし、今と
  なってはそれも良かったのかもしれない。

   この日の演技者の中には、普段町外で生活し仕事をされている
  方も、地域のためにひと肌脱ぐべく帰郷していたようである。また、
  これから危険を伴う演技を演技を行うというのに、軽く「飲食」をされ
  ているのには驚いてしまった。

   さて、祭礼の開始の時刻となった。闇夜に提灯の灯火が揺らめく
  午後7時頃、法螺貝の音に先導されて一団は地区内を巡行、民家の
  門前など要所要所で演技を披露する。演技の中心は子供達である。
  神社への到着は午後7時半頃であった。



  そして境内で演技が開始された。演技の前には必ず法螺貝が奏される。鎗を担えた相手に、十手を手に背後から
鎗の柄を掴んで襲撃する「後追い」、「ハシタァ~!」の掛声を発すると長柄の鎌と剣術の攻防を行う「ハシタ鎌」が披露
される。次いで子供達が登場し、「花棒」、「長刀」、「八重倒し」等の演目を披露した。

 土地の方のお話によると、他所から来られた方が、棒の手に挑戦されたことがあったが、その多くは中途で断念した
そうである。理由は幼少の頃、前述のような子供の演目を経験していないと、大人になってからでは真剣、真鎗を使い
こなせないとのことで、「いかに基本が大事か!」とのお話であった。

  近年、地区の子供達が減少したため、名倉小学校の協力を
得て、学校教育の中でも棒の手を練習されているとのことである。
当日境内には、その関係者らしき方々も姿を見せていた。

その子供達の演技であるが、以後、青年、壮年の演技者達と交互
に登場。複雑な手順の演技に果敢に挑戦。中には得物を落した後
も、相手に体を当て、組み合いから投げを放つなどの難易度の
高い演目もあり(「組討」)、非常に感心させられた。

 さて、印象深かった演目に、3拍子の「ヤハハ」掛声で、風車の
ような三連打を浴びせる「ヤハハ鎌」があった。これは、長刀を
右から下段に斬り下ろすと、間髪入れず得物を反転、左方向から
石突き側、次いで長刀と攻撃を加え、素早い手捌きを披露する
もの。実に見事である。

 他には、長刀を手に3人の敵に挑む「三人長刀」、敗れた3人は、次々と地に倒れ、最後は鏡餅のように折り重なる。
また、この日最後に披露された、2本の鞭を使い、巧みな手捌きで2名の鎗使いと対戦する演目は「両鎗」である。

 この鞭の術技は、十手術の技法と共通している。「後追い」を例にすれば、(前述のとおり)背後から鎗の柄を掴んで
襲撃すると、これを振り解かれて間合をとり両者一旦対峙する。そして上段で互いに一合すると、十手をクルリと切り返し、
鎗の中段突きを体の中心から外へと掬うように受け流す。相手は再度突いて来るので、今度は片手で反対方向へ切り
返し、再びこれを受け流す。この防御を体の左右、合計2回行う。

 演技はこの後、互いに数合した後、鎗の連続突きから相手の鉢巻を穂先で突き飛ばし、さらに背中にある相手の襷の
交点を着衣の隙間に穂先を突き通す荒技を披露。その技の精度には、只々驚くばかりであった。


(参考文献)

・愛知の馬の塔と棒の手沿革誌       編集・発行   愛知県棒の手保存連合会

・郷土の棒の手                 編集発行   豊田市棒の手保存会

・足助の棒の手                 発行      足助町教育委員会

・―郷土芸能― 旭村の棒の手       編著者 鈴木藤綱          発行者 旭村教育委員会

・農村民俗芸能便覧              編集・発行   社団法人 全国農協観光協会



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