鳥 形 山 石 灰 の 開 発
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 重工業の発達と、経済の高度成長によって、農山村の人口が工業都市へ流出し、過疎現象を生じていることば既に述べてきた通りである。これが防止対策としては、農業構造改善事業、林業構造改善事業、山村振興事業と相まって、地場産業の開発が急務である。

地場産業の開発としては、多年の宿望であった鳥形山の石灰開発より他にないのであるが、たまたま黒滝の長者鉱業所を経営していた兵庫県加古川市別府町の多木製肥所から、黒滝八三八ノ四、山林十二町歩を昭和四十一年十二月二十三日に、東京都千代田区丸の内二丁目二十番地、日本鉱業株式会社が買収することによって、将来鳥形山石灰開発を計画していたことが開発の端緒となったのである。日鉄では地質調査を行なってきたが、その結果、石灰の質が極めて良質で、埋蔵量も五億㌧から十億㌧といわれ、日本でこれに匹敵する石灰岩はないといわれて、前途が有望であることが判明した。

そこで村においては鳥形山石灰の早期開発を促進するため、昭和四十二年八月三十日の仁淀村臨時議会において、村有林別枝宇日比原二七七一番、山林九十七町一反二畝二十歩のうち六十五町歩を実測によって日鉄へ移譲することを決議したのである。民有地についても標高八百㍍から頂上までを買収することとなって、同年八月十五日から昭和四十三年四月二十日に至って、台帳面積山林百八町九反七畝十九歩を実測で、鳥形山、黒滝、タカシルキ、西畑、小黒滝の百七筆を所有者名儀四十二人から買収した。

昔 の 鳥 形 山
白 線 か ら 上 が 露 天 堀 で 消 失 し て い る ( 推 定 )



 県においても鳥形山石灰開発について、企業誘致条例を適用して積極的に取り組み、また村が開発誘致について努力した結果、日鉄では急速に計画が進み、昭和四十三年六月から本格的に開発することに決定し、本村における重要地場産業として実現することとなった。 

これが開発に伴い、昭和四十三年五月二十二日西森村長、仁淀村議会議員一行は栃木県安蘇郡葛生町大字会沢一一三二番地の日鉄の葛生鉱業所会沢鉱山を視察した。この鉱山は秩父古生層に属し、砂岩、チャート、粘板岩、頁岩、輝緑凝灰岩及び石灰岩の互層をなし、鉱床の構造は上部より石灰層、ドロマイト層、下部は石灰層からなり、採掘鉱区の面積は二、四二七㌃。ドロマイトは硝子、耐火炉材、陶器の原料とし、石灰石の砕石は道路用の他にコンクリート骨材として生産している。

鳥形山石灰開発の実総面積は二百六十㌶といわれ、日鉄においては、開発計画を樹立して、昭和四十三年六月から十二月までに調査、計画、設計を完了する。また昭和四十四年一月から開発工事に着手して、昭和四十六年一月に完成する。同年四月から年産三百六十万㌧の生産を開始し、昭和五十年以降は日本最大の年産七百二十万㌧から一千万㌧の操業に増産計画を計画を立てている。



 採掘方法はベンチ(階段式)採掘法で、鳥形山頂上からベンチの高さ十㍍から十五㍍の階段露天採掘をダウンザホールドリル、ドロップボール、クローラーブレーカーで行ない、五㌧から六㌧級のパワーショベルで、三十五㌧級のダンプトラックに積載し、投入坑井に投入、第一次、第二次のクラッシャとスクリーン一台にかけて破砕し、貯鉱井から坑外に水平ベルトコンベヤーで引き出し、千二百㍍のダウンヒルコンベヤーで標高四百五十六㍍の小黒滝に運搬し、ここから墜道の長距離ベルトコンベヤーで葉山村杉の川を経て、須崎市角谷崎に運搬する。長距離ベルトコンベヤーは延長二十㌔四百㍍で、ベルトの幅は一・二㍍、能力は毎時二千㌧である。角谷崎には選鉱場が設置され、第三次、第四次、焼結の各クラッシャー、スクリーン四台によって中割、小割、細割にして選鉱するのである。これ等鉱石の貯鉱と払出はスタッカー、ジプローダーで行ない、船積みには繋船接舷ドルフィン六基を備え、桟橋は六千㌧と二万㌧の貨物船が横着けができるものを設置する計画である。

日鉄の機材運搬道路として、昭和四十三年六月に石神峠の鳥形無人中断所から鳥形山頂近くの加良池奈路までの自動車道三千七百㍍、幅員四㍍を着工して九月上旬に完成した。目下頂上または下方から地下五百六十㍍以下のボーリングを三十ケ所実施中で、地下の構造を調査している。更に横からもボーリングを実施することとなっている。鳥形山石灰開発に伴い、県道大渡・長者・佐川線と長者から折合までの県道田野々・越知線、農道大植線、大植牧道の拡幅が、昭和四十四年度から実施される予定である。また帝滞ケ平から東方に向かい北面を迂回して鳥形山頂に至る六千五百八十㍍の開発用の道路幅員四㍍も開設されつつある。 

鳥形山は天狗高原を経て大野ケ原に至る四国カルスト地形で、県立自然公園に属していたが、開発に伴い、県立自然公園の指定を解除し、鳥形山は高山植物の宝庫で、近く主要高山植物は他の地に移植される予定で、これら自然が失われることは、一般から惜まれているが、開発によって村の発展が期せられるにおいては、止むを得ないことである。

これら鳥形山開発に伴い、最初日鉄では、阿部求、竹内昌晴、香春照夫等の開発調査班を現地に派遣し、その後開発が着々と進められ、昭和四十四年三月二十一目には鳥形山南面の開発道路、坑井、墜道の起工式が行なわれ、目下工事が進められている。

(仁淀村史より・昭和四十四年)



日鉄鉱業(株) 鳥形山鉱業所

社名 日鉄鉱業株式会社(鳥形山鉱業所)  

代表者名 鉱業所長 宮﨑尚介

本社所在地 高岡郡仁淀村大植一〇七六番地  

創業(設立) 昭和四十六年四月 当所開設 五月生産開始 日鉄鉱業(株) 昭和十四年五月設立

資本金 四一億七六〇〇万円 (日鉄鉱業(株)平成十二年六月末現在)

従業員 鳥形山鉱業所従業員二四一名 協力会社一七五名(平成十二年四月一日現在)

事業内容 石灰岩等の製造・販売

沿 革

日鉄鉱業(株)が昭和四十一年に鳥形山石灰石鉱区を取得し、四十三年に開発開発計画に着手する。四十四年四月に開発事務所を開設してから四十六年(一九七一)三月までの二年間で、長距離ベルトコンベヤーの設置、海岸選鉱・貯鉱施設、船積桟橋などの建設工事を完了させ、同年四月鳥形山鉱業所に改称し、五月より操業を開始した。設備投資は、現在の金額に換算すると一千億円を超える額となる。

鳥形山鉱山

地質は、古生層の上部秩父古生層に属する厚さ三〇〇~五〇〇㍍の発達した石灰石で、下磐は粘板岩から成っている。鉱床は、鳥形山山塊を中心に海抜九〇〇㍍以上に賦存し、鉱区内東西四四〇〇㍍、南北四〇〇~九〇〇㍍の範囲にわたり分布し、不純物が少なく極めて良質である。(品位:CaO 55.4%、MgO 0.25%、Al2O3 0.04%、P 0.004%、SiO2 0.15%)埋蔵量は、十億トン以上である。

石灰石の生産量・用途・出荷先

昭和五十八(一九八三)年に累計一億㌧、平成四年(一九九二)に累計二億㌧を生産し、十二年(二〇〇〇)二月には二十九年間で三億㌧を達成した。国内需要の減少のため最近は、年間一三〇〇~一四〇〇万㌧の生産量で推移している。鉄鋼(四十四㌫)・セメント(三十四㌫)・建設用骨材(二十㌫)をはじめ、ガラス・紙・肥料・医薬品などに活用される。販売先は、新日本製鐵、N.K.K、神戸製鋼、中山製鋼、住友大阪セメント、太平洋セメント、宇部興産、三菱マテリアルなどで、海外には、オーストラリア、台湾、香港などに輸出(約二十㌫)している。(採石~船積行程)

採掘は、我が国鉱山最大クラスの重機を導入し、安全で効率的な採掘

を行っている。運搬には、百八十㌧ダンプを使用している。

立坑に投入された鉱石は、一次破砕され須崎までの標高差八五〇㍍、全長二十三・二㌔を九基のベルトコンベヤーで運搬される。

その後、須崎で用途別に応じたサイズに二次破砕を行い、貯鉱場を経て須崎港から船で積出される。



環境対策

鉱山周辺の沢には、三十数ヶ所の砂防堤を設けて、土砂の流出や河川の汚濁防止を図り、除去した表土は、山腹に設けた堆積場に運び、樹木を植えて緑化している。長距離ベルトコンベヤーは、自然の景観を損なわず、また騒音や粉塵を防ぐために、全長の九十三㌫はトンネルとなっている。山あいは、防音装置を施した完全密閉のギャラリーとしている。平成十一年一月にISO14001を取得している。

 (高知県政策総合研究所・平成十二年訪問記述による)